18:城からの招待
スノウのプロポーズから一夜明けた。
侍女のアンネロッテに起こされて、私はベッドから起き上がったけれど、まったく寝た気がしなくて頭がぼんやりする。
それだけスノウからの告白に衝撃を受けていた。
朝の身支度を整えてくれるアンネロッテは妙にご機嫌で、いつも以上に凝った髪型にされた。
「……なんだか浮かれていますね、アンネロッテ?」
「それはもう! ようやく、我らが次期公爵様が長年想い続けていた御方に愛を告げたのですよ!? これを喜ばない使用人など、エングルフィールド公爵家にはおりません!」
「……それはつまり、スノウが私を異性として見ていたことを、使用人たちは長年承知していたということですか……?」
「もちろんです!」
ドレッサーの鏡越しに、アンネロッテが大きく頷いた。
次に彼女の口から飛び出したのは、私が知らずにいた、スノウの恋する一面だった。
「私が屋敷に勤め始めたのは、スノウ様が十二歳くらいのことでしたが。その頃からスノウ様は二言目には『義姉様のお役に立ちたいから』とおっしゃって、勉強や鍛錬に励んでいらっしゃいました。ルティナお嬢様に褒められると顔を真っ赤にして、嬉しそうに笑っていらっしゃいましたよ。所用で王都へ赴かれる時も、時間を作って古書店巡りをし、ルティナお嬢様がお喜びになりそうな貴重な本を買い漁っておいででした。ルティナお嬢様が領地で野良猫を見つけて途方に暮れていらっしゃった時も、率先して里親を探していましたし。ルティナお嬢様がガゼボでうたた寝をしていらっしゃった時なんて、スノウ様はとても甘い表情でルティナお嬢様の寝顔を見つめていらっしゃって。私たち使用人もなかなか近付けないほど……」
「も、もういいですわ! 説明は十分です!」
いつまでも話し続けそうなアンネロッテを止める。
アンネロッテは頬に片手を当て、ほうっと溜め息を吐く。
「ルティナお嬢様がアラスター王太子殿下の婚約者に決定してからのスノウ様は、とても見ていられませんでしたよ。魔力を失ってしまったルティナお嬢様にこんなことを言うのは配慮がないかもしれませんが、婚約破棄されて出戻って来てくださって、本当に良かったです!」
「あ、ははは……」
自然と乾いた笑いが漏れる。
過去の自分の鈍感さに頭を抱えたくなった。
「使用人が気付くほどなのに、私はちっともスノウの気持ちに気付かなかったのですね……」
「あと、公爵様もご存知だったと思います! ルティナお嬢様がお見合いをするだなんて言い出した時は、使用人一同冷や冷やしましたよ!」
「追い打ちをありがとう、アンネロッテ」
恥ずかしい。とにかく恥ずかしい。
スノウに愛されていたことも、それを自分だけ長年気付かずにいたことも、そしてこれからスノウとの将来について考えて、答えを出すことも。
何もかもが恥ずかしくてたまらなかった。
スノウは、巷では『王太子の次に好条件な縁談相手』だと言われている。
肥沃なエングルフィールド公爵領を継ぐことが決まっており、魔獣討伐の実績も多い。それに見目も良くて、浮いた話の一つもない若者だ。
正直、アラスター殿下は性格が悪いわけではないけれど、恋愛的に難ありな御方なので、他の三人の婚約者から『次期国王としてはお支え出来るけれど、女としては魅力は感じないわね』『貞操さえ守れば、心の浮気は許されるわよね? わたくし、舞台俳優に推しが出来ましたの』『殿下との間に最低一人の御子を産めば、妃としてのお役目は終わりと考えてもいいわよね? それくいなら耐えるわ』などと言われていた。
目の前で好き勝手言われたアラスター殿下は、いつも通りの無表情で、『長い人生を共にするのだ。お前たちの好きにするといい』と言っていたけれど。
とにかく、実際王太子の婚約者だった経験から考えると、スノウは誰にも引けを取らないような優良株である。
人は、不幸になるのも恐ろしいけれど、幸運を掴もうとする時にも多大な勇気を必要とする生き物だ。
スノウのプロポーズを受ければ、他に不幸な縁談を結ばなくてもいいし、この屋敷から出ていかなくていい。
それが分かっているのに、私は即断出来ないでいる。
父には、どんな悪条件の相手でもいいので嫁いで家を出たい、と言ったのに。
誰かの後妻になって粗末に扱われる覚悟は出来ても、長年私を愛していたというスノウの想いを受け入れることを想像すると、恥ずかしくて、緊張して、逃げ出したくてたまらなくなるのだ。
……恋なんて、考えたことがなかったもの。
マデリーンから借りた恋愛小説を読むたびに、遠い世界の物事のように思えた。
恋というものが、自分の身にも起こりえることだと思ったことがなかったのだ。
「ルティナお嬢様。支度が終わりましたよ」
「ありがとう、アンネロッテ」
まだ、スノウにどんな返事をすればいいのか分からないけれど。朝食に出席しないわけにはいかない。
私は頬をぺちぺちと叩いてから、食堂へ向かった。
食堂に入ると、父はすでに朝食を取って屋敷を出たあとで、ちょうどスノウがベーコンエッグが乗ったオープンサンドをナイフとフォークで切り分けて食べているところだった。どうやら今日は父が領地の見回りをする日らしい。
「義姉様、おはようございます」
「……おはようございます」
スノウはパッと顔を上げて、花開くように笑う。
『氷雪の貴公子』などと呼ばれるほどに、近寄り難く、冷たい態度や表情ばかりをする少年だったはずなのに。以前とは大違いだわ。
……というか、あの冷たい態度は反抗期のせいではなかったのね。
そんなにも長い間、スノウが私のことを想って一喜一憂していたのかと思うと、胸がきゅうっと痛んだ。
「プロポーズをしたからと言って、義姉様のことを取って食うつもりはないですから。いつも通り、隣にお座りください」
私が食堂の入り口で立ち止まったままだったので、スノウがそう言って自分の隣の椅子を引いてみせた。
そうよね。こんなにスノウを意識ばかりしていたら、彼も困ってしまうでしょう。
私はお礼を伝えて椅子に座り、アンネロッテが運んで来た朝食をいつも通り食べる。
食べ慣れた実家の味に舌鼓を打ち、しばらくスノウの存在を意識の外に置いていると、ふいに彼が呟いた。
「そうやって美味しそうな表情で食事をする義姉様のお顔が、子供の頃から大好きです」
「ん! ぐっ!」
「おっと。飲み物を飲んでください、義姉様。紅茶は熱いので、果汁水のほうがいいですね」
スノウから果汁水のグラスを手渡され、私は慌てて喉に流し込む。
あっ、危なかったわ……っ!
「ス、スノウ! 食事中にびっくりさせることを言わないでください! 喉が詰まるかと思いましたわ!」
「申し訳ありません。……でも、この程度のことは義姉様も慣れているのでは?」
「慣れているはずがないでしょう? 殿方に口説かれたことなどないのに」
「王太子殿下の婚約者だったのに……?」
「あなたはアラスター殿下に対して何か勘違いをしているわ」
目を丸くしているスノウに、私が言い返していると。
執事が「失礼いたします」と言って、手紙を運んで来た。
「城から三通の手紙が届いております。二通はスノウ様宛で、ルティナお嬢様の診察をしてくださった城の医師と学者からの返信です」
「ああ、ようやく届いたか」
スノウはそう言って、大事そうに手紙を受け取った。
本当に私の体を心配してくれているのね。
「もう一通はルティナお嬢様宛てです。パーティーの招待状が届きました」
「パーティーの招待状? この時期に何かあったかしら……?」
不思議に思いつつ、差し出されたペーパーナイフで手紙を開封する。
差出人はマデリーンで、『婚約発表のパーティーを開くから、ぜひ大好きなルティナにも出席してほしい』というようなことが書かれていた。
横から私の手紙を覗き込んでいたスノウが、難しそうな表情をする。
「パーティーに出席されるのですか、義姉様? 婚約破棄されたばかりですよ? マデリーン嬢も、このタイミングで義姉様が出席すれば貴族たちから好き勝手に噂されてしまうことは分かっているだろうに。何を考えているんだ?」
「そうですわねぇ。魔力がなくなったことについても、いろいろ言われてしまうでしょうね……」
でも、私が婚約破棄されてしまったせいで生活が一変してしまったマデリーンの晴れ舞台なのだ。従姉として祝福と応援に駆けつけるのが人情というものでしょう。
それに、城でお世話になった人たちに何も言えずに帰ってきちゃったのよね。ちゃんとお礼を伝えたいわ。
「パーティーに出席しようと思います。悪い噂を立てられても、正々堂々と胸を張って正しく生きていれば、おのずと悪い噂をした本人に悪意は返っていくものですから」
「義姉様はいつも高潔ですね」
スノウは眩しいものを見るように、こちらを目を細めて見つめていた。
「では、義姉様のエスコートは僕に任せてください」
「スノウも参加するのですか?」
「義姉様を一人で参加させるわけにはいきません。どんな噂を立てられても、見る目のある者は義姉様の素晴らしさに気付いて求婚してくるでしょうから」
「まぁ、スノウ。それはあなたの買い被りだわ」
「そんなはずがありません」
スノウは妙に自信満々な様子で言う。
私の良さを見つけてくれる人なんて、スノウくらいしかいないと思うけれど……。
そう思ったら、照れ臭くなってしまった。
「とにかく、エスコートの申し出はとてもありがたいわ。よろしくお願いいたします」
「では、あとで仕立て屋を呼んでおきますね。揃いの衣装を仕立てなければ」
「この間たくさん買ったばかりですよ!?」
「だって、今までは義弟としてしかエスコート出来ませんでしたから。あなたの求婚者として初めてエスコートするのですから、義姉様のドレスくらい用意させてください」
スノウはそう言って私の手の甲に口付けを落とすと、嬉しそうに微笑んだ。
端正な顔の彼がそうやって鮮やかに表情を変えると、凍てついた冬から急に花咲く春がやってきたかのような美しさがあった。
思わずドキドキしてしまう。
「では、僕はそろそろ仕事をしてきます。執務室にいますので、何かあれば呼んでください」
「え、ええ、わかりましたわ、スノウ。お仕事頑張ってきてください」
口付けられた手の甲を反対の手で押さえながら、スノウを見送る。
……昔は魔力譲渡の口付けまでしていたのに、こんなに動揺してしまうなんて。
自分の変化を確かに感じていた。




