37話 消えたフィーコ
――人喰山脈。
それは、魔界の前に城壁のようにそびえ立つ険しい山々だ。
山肌の岩は刃のように鋭く、谷底には獣牙のように尖った岩の群れが待ちかまえている。
世界最大の魔石鉱山と言われるだけあり、青白い魔石の結晶があちこちに見られるのが特徴的か。
「この山に足を踏み入れた者は、山に食われる……か」
険しい山道を踏みしめながら呟く。
かつて魔石鉱山として開発されていた山。
“人喰山脈”と呼ばれるようになってからも、多くの欲望に突き動かされた人間や魔物がこの山に入り、そのまま消息を絶ったという。
この山に絶対に近づいてはならない。
この山に踏み入れた者は、山に食われる。
そんないわれのある人喰山脈に、俺たちは足を踏み入れていたが……。
『なんか、意外と静かね』
「……ああ、気味が悪いぐらいにな」
山に入れば襲われるぐらいの心持ちで身構えていたが。
見わたすかぎり、この山にあるのは岩と砂と魔石結晶ぐらいだ。
魔物が隠れられそうな場所もない。
知性のない野良の魔物ぐらいはいると思ったが、そういう魔物の痕跡すら見当たらないのは異常だった。
「人喰山脈の魔物が、みんな食ったとでもいうのか?」
『もしそうだとしたら……面白いわね』
と、フィーコがぺろりと唇をなめる。
『いったい、どんな魔物がいるのかしら。人喰山脈の魔物の正体がなにかっていうのは、魔物たちの間でもよく話題に上がったことだけど』
「お前友達いないのに、そういうのは知ってるんだな」
『はい、残念でしたぁ! たまに会話する相手ぐらいはいましたぁ!』
「切ない」
『と、ともかく! 人間だけじゃなく魔物も食べられるってことは、それなりにレベルが高い魔物だってことは確かよ』
「だろうな」
ただの偶然ではレベルの差は埋められない。
「シンプルに考えたら、竜系か鳥系の魔物だろうな。ちょうど、こういう上向きの気流が発生しやすい土地にわきやすいし」
『でも、空飛ぶ魔物なら遠くからでも見えるでしょう? この辺りにそういう魔物が住んでるなんて話は聞かないのよね』
「そうなると、魔物は1匹じゃないのかもな」
『へぇ、どうして?』
「このバカでかい山に入ったやつを、たった1匹の魔物が全部食いきれるわけないだろ。空を飛べるならまだしも、地上からじゃ山の端から端まで移動するだけで1日が終わるぞ」
『たしかにそうね』
「それか魔物なんていなくて、みんな谷底に落ちて死んでるとか」
『それは論外ね』
「なんでだ」
『だって、そんな答えじゃ……わたしがつまらないもの』
「お前な……」
『それに、テオも気づいてるでしょ?』
と、フィーコがわずかに声を低くした。
『――ずっと見られてるわ。この山に足を踏み入れてからね』
「…………」
もちろん、気づいている。
気づかないほうがおかしい。
こちらを、ねっとりと無遠慮になめ回すような視線。
獲物に向けるような粘ついた視線が――全方位から向けられていた。
まるで、山そのものに観察されているような感覚だ。
「魔界からの追っ手か、それとも……」
『人喰山脈の魔物ね』
「まあ、後者だろうな」
その視線の主こそが、謎に包まれている人喰山脈の魔物の正体だろう。
それはわかるのだが……視線のほうを見ても、なにもない。
「――魔力色覚」
魔力探知の魔法を使ってみるが――ダメだ。
なにも見つからないし、魔石鉱山というだけあってか、山全体が赤く光って見える。そこらの岩や砂にも大量の魔石が含まれているんだろう。
「……やっぱり、なにもいないんだよな」
神経が過敏になりすぎているんだろうか。
それでも念のため、手の甲のレベル刻印はマントで隠しておく。
もし見られているのだとしたら、俺のレベルは知られないほうがいいだろう。
そこで、空から魔物を探していたフィーコがふよふよと戻ってくる。
『空からも見てきたけど、なにもいなかったわ』
「見られているのに、なにもいない……か」
『……ちょっとホラーね』
「なんだ、怖くなったか?」
『は、はぁ!? そ、そそそ、そんなわけないでしょう!? わたし、おばけとか平気なタイプだしぃ!?』
「そりゃ、お前自身がおばけみたいなもんだしな」
襲われるわけでもなく、ただ見られ続ける。
べつに山越えが目的なわけだから、人喰山脈の魔物の正体を暴く必要もないし、無視してもいいのだが……。
「気に食わないな」『気に食わないわね』
つい、言葉がハモってしまう。
「おい、真似するな」『ちょっと、真似しないでくれるかしら?』
むぐぐ、と睨み合う。
それはともかく。
「ここまであからさまに視線を向けてくるって、完全に挑発してるよな」
『なめられたままじゃ終われないわね。絶対に見つけて食べてやるんだから』
フィーコがむんっと張り切ったように拳を握ると、またふよふよと空へ飛び上がる。
わりと頭に来ているらしい。それは俺も同じではあるが。
と、そこで。
『……ん、あれはなにかしら?』
頭上を飛んでいたフィーコがなにかを見つけ、すいーっと飛んでいく。
「あ、おい」
俺もフィーコの後を追ってみると、そこにあったのは岩陰にぽっかりと開いた洞窟だった。
「これは……坑道の跡か?」
『たしかに、自然にできた洞窟にしては不自然ね』
中をのぞいてみると、洞窟の中はかすかに明るい。
地面や天井から表出した無数の魔石結晶が、ほのかに発光しているようだ。
まるで、巨大な宝石箱の中身のような光景だった。
「……これ、全部が魔石の結晶か。すごい量だな」
『ふ、ふふふ……これは魔物を何度も送り込んでるわけね。入り口にある分だけ持って帰っても、100年は豪遊できるだけの価値があるわ……じゅるり』
フィーコがよだれを垂らす。
すごいわかりやすく欲で目がくらんでいた。
まあ、たしかに魔石とは重要なエネルギー資源だ。
小さな1粒の魔石ですら、日々の生活から戦争まで幅広く使うことができる。それは魔物にとっても同じことなのだろう。
だが、この魔石に飛びついた者は、人間も魔物もみんな失踪した。
まるで、この山に食われたかのように……。
「消えたやつらは、どいつも坑道に入ったんだよな? とすると……これは罠か?」
『なに、怖いの?』
「慎重になってるだけだ。俺たちの目的はあくまで山越えだし、わざわざ罠に飛び込むこともないだろ」
『ふふ……罠ごときで怖がるなんて、やっぱり人間は軟弱ね』
「あ、おばけ」
『ふ、ふぇぇッ!? ど、どどど、どここここ!?』
「ああ、おばけかと思ったらお前だった」
『…………』
むぐぐ、と睨み合う。
それから、こほんとフィーコが咳払いを1つ。
『とりあえず……まずはわたしが、ぱぱっと洞窟の様子を見てくるわ。人喰山脈の魔物は気になるし、ね』
「まあ、お前なら、どうせ死ぬことはないだろうしな」
人間ならば無鉄砲すぎる行動だが、どうせフィーコは死なないし大丈夫だろう。
いつもはふよふよしているだけだが、斥候役としては役に立つ。
『ふん、ふふん、ふふ~ん♪ 略奪、略奪ぅ~♪ 今日も楽しい略奪の日ぃ~♪』
フィーコが上機嫌に歌いながら、すいーっと洞窟の奥へと飛んでいく。
それを見送りながら、俺は近くの岩に腰を下ろした。
まともに疲れる前に休憩するのが、冒険の鉄則だ。いざ疲れてからでは緊急時に対応できなくなる。
というわけで、マリーからもらっていた弁当の包みを開けて食べる。
こういうのは、フィーコがいないうちに食べておかないとな。
俺やフィーコの好みに合わせてか、弁当は全体的に甘めの味付けだった。
「やはり、疲れたときには“甘きもの”に限るな」
フィーコが働いている側で食べているという状況が、また飯を美味くさせている。
そんなこんなで、弁当に舌鼓を打ちながらフィーコの帰りを待つ。
それから、10分後――。
「…………いや、遅くないか?」
弁当を食べ終えても、フィーコが帰ってくる気配はない。
「おい、フィーコ! まだか!」
洞窟の奥へと呼びかけてみるが、返事はない。
「おい、からかってるのか? 出てこないなら、お前の分の弁当も食うぞ?」
さすがにこう言えば、慌てて出てくるかと思ったが……。
――返事は、ない。
「…………フィーコ?」
その瞬間――ぞくっ、と悪寒とともに気づく。
(……静か、すぎないか?)
洞窟の中は、異様に静かだった。
フィーコの調子外れの歌声も聞こえない。
洞窟の中はどこまでも無音だった。
ありとあらゆる生き物の気配が感じられない。
空気が通る音すら――聞こえない。
それなのに、冒険者としての直感が告げている。
…………なにかが、いる。
なにかが、じっとこちらを見ている。
気づけば、頬に冷や汗が浮かんでいた。
脳裏によぎるのは、以前に聞いたフィーコの言葉。
――全員、消えたわ。人間も魔物も関係なく、まるで山に食べられたようにね。
「……ちっ」
立ち上がり、音を立てないように剣を抜く。
あの不死鳥は不滅ということにかけては、この世界で右に出る者はいないはずだ。霊体だし物理的な攻撃も効かない。
フィーコになにかあったとは思えない。
あったとしても、助ける義理はないが……まだ裏切られたわけでもない。
ここでフィーコに消えられるのはデメリットのほうが大きい。
「……俺が殺す前に、勝手に消えたりするなよ」
俺は舌打ちをしながら、消えたフィーコを追って洞窟の中へと足を踏み入れるのだった――。
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