雨野五月の物語
◇◇◇
『五月さ~ん、今日もお疲れ様でした~。元気が出るようにお薬送りますね~』
ある日の夜、仕事を終えて帰宅直前、東京都下の少し古い賃貸マンションの集合ポストを過ぎたあたりでピロンとメッセージが届く。そしてメッセージに遅れて胸の谷間を強調した少女の写真が送られてくる。
『お疲れ様。誤解を招くような写真を送ってくるのはやめろ』
メッセージの主は俺が担当しているグラビアタレントの鶴留あずさ十八歳。いつかの社長の宣言どおりの巨乳の少女。仕事は仕事な訳で、仕事を選り好み出来るような立場でも無い訳なんだけど……、正直な話妙に距離感が近くてやり辛い。
『は~い、了解で~す』と、わかっているのかわかっていないのかわからない返事を見てからスマホをしまう。返信はしない。もう勤務時間外だから。賃貸マンションの廊下を歩き、一〇三号室を過ぎて、隣のドアを開ける。
ギっと建付けの悪い音を上げるドアを開けると、中からはカレーの匂いがした。
ドアの音と空気の流れを察知してか、ペタペタとスリッパの音を鳴らしながら白田は足早に玄関に駆け寄ってくる。
「お帰り、五月くん。今日もお疲れ様!」
「ただいま。白田も仕事だったのに夕飯作ってもらって悪いね」
「ううん、別に全然平気。好きだから」
「カレーが?」
「あ、まだそんな意地悪言う?」
ジッと白い目を俺に向ける白田。どうやら愚問であったようだ。
古い賃貸マンションの一〇四号室、俺と白田はこの春から一緒に住んでいる。
五年前の三月三十一日、白田と交わした契約。お互いに仕事を終え、高校生という時間を終え、大学生と浪人生。おままごとの延長のようなただの口約束。『楽しいときも、辛いときも、元気なときも、悲しいときも、ずっと一番近くにいる契約』。
これから先もずっと一緒にいると決めたからこそ、一緒に暮らすのに五年掛かった。仕事もしていないのに一緒に暮らすと言うことは、白田の貯金をあてにして暮らす事と同義であり、それだけは絶対にしてはいけないことだと思ったからだ。
3DKの古い賃貸マンションにはオートロックも無い。あの『白田桐香』が住むとなるとセキュリティ的にどうなの?と思いもしたが、このマンションに住む事を子供の頃に何度か想像していたと言われてしまうと断る理由はない。
長く住んでいるので住人は大体顔見知りだし、白田のファンは節度を弁えている人が多いのか今の所特別問題は起こっていない。
高校の時の事件もファンの間では割に有名らしいので、同じ思いはさせまいと思ってくれているのかもしれない。
そんなファン達の前から白田桐香と言う存在を奪ってしまった事にはやはり少し罪悪感を感じざるを得ない。だから、違った形にはなるだろうけれど、いつか恩返しが出来たらいいなと思う。
風呂を上がると、テーブルにはきれいに夕食が並べられている。今夜はスライスされたゆで卵が乗ったカレーと、何やらおしゃれなドレッシングがかかったサラダ。お米は五穀米とかそんなやつ。
「いただきます」
二人で手を合わせていただきます。
「うん、うまい」
白田も一口食べて幸せそうに笑う。
「おいしいね」
芸能界を辞めて、白田は好きな食べ物を食べるようになった。毎日ご飯を食べて、毎日じゃないけど大福を食べて、いつだって『おいしいね』と幸せそうに笑うのだ。
小三の頃までは当たり前だった光景。俺は子供の頃から白田が食べるところを見るのが好きだったんだなぁと今更ながら思い至る。
暴飲暴食をしているわけでなく、習慣として運動は続けているが、やはり五年前と比べると体重も少し増えている。白田曰く、『おなか周りとか二の腕には付くんだけど、……付いて欲しいところには付かないんだよね』とのことだ。
正直な話、健康にさえ影響が無ければ太ったって全然構わない。
白ブタだろうと、白雪姫だろうと、もちろんそうじゃなくても、白田はやっぱり白田だから。
リビングの端に置かれた水槽台には六十センチ水槽が置かれ、白田桐香生まれて初めてのペットであるウーパールーパーが一匹我が物顔で闊歩する。色はもちろん白。
「ところで、五月くん。詩子さんが言ってたんだけど」
「ん?師匠がなんて?」
牛乳の入ったグラスをゴクリと一口飲んでから、少し困った顔で微笑む。
「子供は同じ歳だったら楽しいね、って。……五月くんは~その辺り、その~、どうお考えでしょうか。仕事始めたばっかりだから、やっぱりその……」
言いながら見る間に顔を赤く染め、ごにょごにょと口ごもる。
「んー、どう考えるも何もさ」
白田はゴクリと唾を飲み、俺の反応を待つ。でも、答えは決まってる。
「物事には順番てものがあるだろ」
芸能界を辞めて、付き合い始めて、大学を卒業して、一緒に暮らし始めた。今は同棲と言う形だ。
白田が何かを言おうとして、その機先を制して言葉を続ける。
「結婚しよう」
情けない話、俺達の事はいつだって白田から動いてくれた。動かしてくれた。だから、これだけは絶対に俺が言わなければいけないとずっと思っていたし、白田も不思議とその言葉だけは口にしなかった。
白田は驚いた様に目を丸くしたかと思うと、次の瞬間泣きそうな顔で微笑んで頷く。
「……はい」
短く一言だけそう言うと、ポロポロと涙をこぼしながら俯いた。
夜景の見えるレストランとかではなくて、何て事のない平日の夜、食卓でカレーを食べながらのプロポーズ。何とも格好の付かない話ではあるが、俺と白田はそれで良いのだと思う。もう何も飾らずに、ただあるがままで過ごして行こうと思う。
かつて白ブタと呼ばれた幼馴染は、何年か見ない間に白雪姫とか呼ばれて雑誌のグラビアを飾って、芸能界を席巻したのち引退してただの白田桐香に戻った。
そして、最後は雨野桐香となる。
俺と白田の物語はここでおしまい。
ここから始まる俺と雨野桐香の物語は、きっとまだまだ続いていくだろう――。
完
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