第三話:香水と女心
王との面談を終えた俺は、王都に滞在中に自由に使ってくれと言われている貴人用の宿に戻る。
クーナが心配だ。あの慌てん坊が一人で帰っていないといいんだが。
そんなことを考えながらクーナの部屋の扉をノックする。
「クーナ、居るか?」
しかし、返事がない。
ノックを続けると、カチリと鍵を開ける音がした。
布団をかぶったクーナが扉をあけて、俺の手を掴むとすぐに引き入れ、一瞬のうちに扉を閉めて鍵をかける。
「誰も、居ませんよね!? 尾行なんてされてないですよね!?」
「俺一人だよ」
「良かった……では!」
そしてクーナはベッドに飛び込み、布団に隠れる。微妙に尻尾がはみ出ていて微笑ましい。
しかし、そのクーナの可愛さを台無しにするものがあった。俺は、この部屋に入ってから鼻を摘んでいる。
「クーナ、臭い」
「なっ、乙女に向かって何を言うんですか!」
クーナが布団を跳ね飛ばして、ベッドの上で起き上がる。
年頃の女の子だけあって、今の言葉には傷ついたらしい。
「臭いから、臭いって言ってるんだ。なんだ、この匂い」
普段のクーナは甘くてほっとする匂いがするのに、今のクーナはひどい匂いだ。たしかに、甘い匂いだが、どぎつい甘さだ。それに妙なすっぱさが混じって頭がくらくらする。
「香水の匂いです。それはもう、たっぷりかけました。ちなみに、王都で一番人気らしいですよ」
クーナが腕を組み、ドヤ顔で鼻を鳴らす。
「そうか、香水か。いますぐ風呂に入ってからだを洗って来い。鼻が曲がりそうだ」
いくらなんでもつけすぎだ。
何事にも限度がある。
ここまでくると公害だ。
「嫌です。ぜったいに、この街に居る間はやめません」
クーナはぷいっと顔をそむけた。
「クーナ自身の匂いが一番素敵なのに、どうしてわざわざ香水なんてつけるのか理解に苦しむんだが」
「なっ、なっ、ソージくん、何を」
クーナが顔を赤くしてうろたえる。
彼女のこういう仕草がいちいち面白くて、ついからかいすぎてしまう。
「俺はクーナの匂いが好きなのに、余計なものをつけてもったいないって言っているんだ」
「その、ソージくん。……普段、私の匂いを嗅いでいたりします?」
「それなりにね」
「……ソージくんの変態」
小声でぼそっと言うと、ベッドに倒れこんでクーナは枕で顔を隠す。尻尾がぱたぱたと揺れていて可愛い。
「でも、今のクーナは正直嗅ぎたくないな。香水がきつすぎて鼻が曲がりそうだ」
「……ユキ姉様が来るんです。ユキ姉様すっごく鼻がいいから、こうして私の匂いを塗りつぶさないと見つかっちゃいます」
クーナは、すごく嫌そうな声でつぶやいた。
そういえば、今までちょくちょくユキ姉様って話は聞いていた気がする。
「クーナの姪だっけ」
「はい。姪です。ただ、私より少し年上で、忙しい両親や兄姉の代わりに私を育ててくれたんです。……火狐式スポ根教育法で」
よほど厳しい人なのか、いつも飄々としているクーナが本気で怯えている。
「なるほど、だからそうやって香水をぶちまけて、布団の中に隠れていれば見つからないと思ったわけだ」
「そうです……ユキ姉様、ぜったいに私を連れ戻そうとしますから」
ぶるぶるとクーナのきつね耳が震えている。
「クーナ」
俺はクーナの寝そべっているベッドに腰掛ける。
そして、できるだけ優しく言葉をかける。
「クーナはさ、エルシエを出た時は衝動的な気持ちだったんだろう」
「はい、そうです。ただ、父様に逆らいたい気持ちでいっぱいで、父様を見返してやろうと思ってエルシエを飛び出しました」
クーナは、顔を伏せたまま告げる。
どこか恥ずかしそうだ。
「でも、今は違うだろう。クーナは、ちゃんとクーナの考えがあってここにいる。状況に流されているわけじゃない」
「ソージくん?」
クーナが顔をあげる。
「クーナはさ、自分で稼いで、自分で選んだ人生を歩いてる。だいたいもう十六だ。いまさら、親だろうが、姉だろうが、人生を指図されることはないだろう。もう、クーナは大人なんだよ。だから、連れ戻しに来たら言ってやれ。いつまでも子供扱いするなってな」
俺がそういうと、クーナはくすくす笑う。
「……そっか、そうですよね。もう私は子供じゃないんですね。だから胸を張ります。自立した大人の女性として、正々堂々、私の意志でエリンに居るってユキ姉様にってやります」
クーナは憑き物が落ち、晴れ晴れした表情になった。
「それで、ソージくん。一つお願いがあるんです」
「なんだ? クーナの頼みなら大抵のことは聞くよ」
「一緒に居てください。もし、ユキ姉様に見つかっちゃったらでいいです。その、ユキ姉様を目の前にしちゃうと、怖くなって、何も言えなくなるかもしれません。でも、ソージくんがいれば、なんとなく大丈夫な気がするんです」
「うん、いいよ。大事な仲間を連れて行かれるわけにはいかないから喜んで協力する」
今、クーナにパーティを抜けられると困る。
俺はクーナを絶対に手放したくない。
……ちがうな実利なんて抜きにしても俺はクーナが好きでずっと、一緒に居たいんだ。
「ありがとうございます。ソージくん」
感極まった様子でクーナが抱きついてくる。
普段は、こういうことに警戒心が強いクーナと触れられるのは嬉しい。
だが……。
「やっぱり、香水臭いな。まず風呂に入って来い。それから抱きついてくれると嬉しい」
俺がそう言うと、クーナが俺から離れた。
彼女はぷくーっと顔をふくらませている。
「もう、いろいろと台無しです。ソージくんなんて知りません」
そうして、クーナは部屋に備え付けられている洋服棚からタオルと着替えをいそいそと取り出し、部屋を出ようとした。
「ソージくん」
「なんだ、クーナ」
「ソージくんってどうして私にこんなに優しくしてくれるんですか?」
「いつも言ってるだろう。クーナが好きだからだ」
いつもの軽口。
だけど、クーナの表情はいつもより真剣だった。
「それは……アンネより?」
俺は一瞬言いよどむ。
「……なんて、冗談ですよ。でも、ソージくん、惜しいことをしましたね。ちゃんと私って言ってくれたら、ソージくんにならふぉっくす、させてあげても良かったのに」
それだけ言うと、クーナは消えていった。
一人残された俺は、ぼそりとつぶやく。
「ふぉっくすって一体何だよ」
相変わらず、女心というのは難しい。




