第70話 追放の意味、復讐の無意味
俺の左手に浮かぶ小さな炎玉。『焼かれたくなければ立ち去れ』という脅し文句。
それらを前にしたエグザは、驚きさえせずに硬直していた。その視線は、俺の左手――その上に浮かぶ小さな炎玉に注がれている。
――これで帰ってくれれば……なんてな。
その可能性はゼロに等しい。だがそれでも、俺は願わずにはいられなかった。わずかな望みをかけて――。
「ぷっ、ガッハッハッハッハッハ!」
エグザは視線を逸らさずに唇をすぼめると、大きな口を開けて笑い始めた。
天を仰ぎ、腹を抱えてのけぞり、俺の脅しを滑稽だと言わんばかりの意地悪い笑みを浮かべて。
「何がおかしい……!」
反射的に、そんな口を叩いてしまう。だが、俺はエグザに内心で同情した。
笑うのは当然だろう。俺だって、こんな小さな炎玉でエグザを撃退できるなんて思っていない。それが少しでもエグザの撃退に繋がれば、という期待があったのは事実だ。
都合のいい一縷の望み。それは大口を開けて笑う男によって、いとも簡単に壊されてしまった。
「ひ〜、腹痛ぇ〜。俺様、こんなに笑ったのは久しぶりだぜ〜」
お腹を抱えて背中を丸め、くすんだ金髪を振り乱すエグザ。
「そんなもん、意味ねぇってお前も分かってるだろ? なのにそれを……くくくくっ!」
背中を丸めたまま膝を折ってしゃがみ込み、なかなか笑い終わらない。
「そうだよ、そうやって俺様はここを追い出されたんだよ! なぁ、ヒルス‼︎」
素早く立ち上がったエグザは、刃物で空中を切って反対の手でヒルス村長を指差した。
「今でも覚えてるぜ。寒気が止まらなかった。寒くて冷たくて凍え死ぬかと本気で思った。お前が氷みてぇな冷てぇ水魔法を俺様にぶっかけて、『今すぐここから立ち去れ』ってなぁ!」
ヒルス村長は顔を歪め、悔しげに歯を食いしばった。
「そんなもん、意味ねぇんだよ……。俺様が立ち去ってから、この村が何か変わったか? 何にも変わってねぇじゃんかよ‼︎」
エグザは弱々しく唇を震わせ、くすんだ金髪を両手でグシャグシャにかき乱す。
「俺様が追放された意味、これっぽっちもねぇんだよ。なぁ、どこにある? 教えてくれよ。何のために俺様を追放した? それで何か変わるって思ってたのか? 俺様を追い出せば全て丸く解決する?」
問いかけ、教えを請うその茶色がかった黒い瞳には、依然として光がない。エグザ自身のこの先を案じているかのような、真っ暗闇のような黒い瞳が揺らぎ、力なくヒルス村長を見据える。
言葉は刃物のように鋭く、強くて乱暴な口調を孕んでいるにもかかわらず、その瞳は弱々しくて今にも消えてしまいそうだった。
「――ふざぇんじゃねぇぞ‼︎」
誰にともなく叫んだ後で、エグザは俺の方を振り返った。
「今すぐここから立ち去れ? 復讐すらできてねぇのに、こいつに俺様の思いが届いてさえいねぇのに、はいそうですかって立ち去れるかよ!」
「確かに、君を追放したのはわたしだ」
低く、重い言葉が落とされた。ヒルス村長は顔を伏せたままだったが、やがてその顔を上げてエグザをまっすぐ見つめた。
「だが、それは仕方がなかったんだ」
「言い訳じゃねぇ! 何で追放したかって聞いてんだよ!」
「お前も薄々気付いているんじゃないか? 生贄に決まっていた少女を他の少女と変えようとした……。村の掟を破る行動を取ったからだ、と」
ヒルス村長の言う通りだったのか、エグザは歯を食いしばった。
「納得出来るわけないでしょ!? そんな身勝手な理由で――」
「それが、村の掟だ」
「くっ……!」
ヒルス村長に言い放たれ、エグザは悔しげに唇を噛んだ。
「エグザ、そこまでだ!」
「これ以上手出しは許しません!」
凛と響く二つの声。それを背後に受けて首だけで振り返ったエグザは、信じられないと言わんばかりに目を見開いた。
「騎士団長、副騎士団長……!」
ブルブルと震えながら唇を動かすその頬を、透き通る汗がつたう。
「何で……町の方に行ってたんじゃ……」
自分の予測が外れたことを後悔するように声を漏らしたエグザだったが、開き直ったように体ごとリッターさんとシュヴァリエさんの方を向き、
「許してくださいよ! 俺様……私はこの日のためだけに生きてきたんです! 復讐さえ果たせば、もう思い残すことはありませんから!」
「自分勝手な行動を認められるわけがないだろう!」
リッターさんが叫ぶと同時に、シュヴァリエさんが木魔法で蔓を作り、エグザを縛る。
「何で……誰も分かってくれねぇんだよ……。何で皆……勝手だってそんな風に見なすんだよ……」
蔓で縛られ引き寄せられたエグザの肩に手を起き、リッターさんは団長らしく厳しい言葉を投げかける。
「復讐のために村長の命を奪ったからといって、君が追放された事実が変わるのか? そんなことで無かったことに出来るほど、村長の命は軽くない」
「町に戻りましょう。……無意味な復讐は諦めてください」
シュヴァリエさんはエグザを一蹴するように冷たい視線を送ると、俺達に背を向けて立ち去ろうとした。
「エグザ」
ヒルス村長がエグザを呼び止めた声に、リッターさんもシュヴァリエさんも足を止める。
村長は一歩、二歩と歩みを進めて、
「……すまなかった。お前の気持ちは分かったのだが、掟がある以上は追放するしかなかったんだ」
「俺様の気持ちが分かる!? 今更遅ぇんだよ!!」
ヒルス村長の方を振り返り、噛みつくような勢いで叫ぶエグザ。ヒルス村長はフロラの肩を抱いて自分の方に引き寄せ、
「この娘はお前みたいにまっすぐで、自分の意見をなかなか曲げようとしない。村の幸せを一番に考えてくれて、村の決まりを変えることも躊躇しないんだ。何回も抗議されたよ、『村の決まりを変えればいい』って」
視線を下ろして見つめられたフロラは、恥ずかしそうにはにかむ。
だが、一瞬でも笑顔を見せたフロラとは違い、ヒルス村長の表情は暗かった。
「でも出来なかった。過去に、そのせいでエグザ、お前を追放してしまったからだ。村の決まりを変えようと思う度に、お前の顔が思い浮かんだよ。いつだって忘れたことはなかった。……騎士として、頑張っていたんだな」
「るせぇんですよ、今更……今更っ……! チッ、クソッ……!」
エグザは筋肉質の腕で目をこすり、震えた声で悪態をついた。
「詳細が分かり次第、報告に伺いますね」
リッターさんはヒルス村長に告げると、シュヴァリエさん、彼女が蔓で縛ったエグザとともに村を後にした。
エグザに殴られたり蹴られたりして、フロラもウィンディーもアテナも軽傷を負っていた。
だが、ヒルス村長を殺そうと思っていたほど血気盛んだったエグザ・レベンに誰も殺されそうにならなかったのが、不幸中の幸いといったところか。
俺はそう思いながら、血で真っ赤に染まった脇腹を見下ろした。そういえば、ずっと寒気がしていた。
――よく耐えられたな。
そんなことを考えているうちに、俺の意識は闇に溶け込んだ。




