第百十三話「創造神と影」
「……影沼。本当に大丈夫なのか?」
病室で影沼は身を起こして不敵に笑う。
「ああ……肺はオレの創造で再生させた……」
「……アトゥムの力か」
影沼は自嘲気味に笑う。
「おかしなもんだよな……オレは創造神と戦ったはずなのに、そいつの力で生き返り、それどころか致命傷も治せる力を手に入れるなんてな……なんつー皮肉だよ」
「フッ……慰めて欲しいんなら期待すんなよ。これでも前の世界線のことは忘れてねーからな」
「いらねぇよオスの慰めなんかよぉ!!! せめて早紀に慰めさせろや。胸は諦めてやっから…………よ」
言い切るより早く、影沼の白い髪を投擲された小刀が切り裂いた。
「……りんご……食べる?」
どうやらりんごの皮むきをしていたらしい。血のように赤い皮が滴るようにお皿に、血だまりのような赤い渦を作る。
「……りんごの皮の前にオレの皮が剥がされそう……いやっ! なんでもねぇ」
危うく影沼の首筋に、早紀が抜いた勢いで小刀が誤って動脈を切断するところだったが、薄皮一枚で済んだ…………いろいろ怖いから、そういうことにしておこう。
「……そろそろ言ったらどうだ? アトゥムは何を考えてテメェに記憶を託した」
「……記憶っつーか、バックアップすべてだ。ノルンも含めてな」
バックアップ? そうか、確か神が不死になるためにバックアップが神の領域に存在するんだった。
アトゥムはそもそも異世界で神として存在出来なくなったのは、彼女の脳がそれに耐えられなくなったからだ。だから、バックアップは残ってたんだ。
「……バックアップのアトゥムとノルンはまさか……」
「ああ、オレの腹の中だ」
早紀は急に立ち上がり、烈火の如く怒りをあらわにする。今にも掴みがかろうとする勢いだが、そんな彼女の肩を掴んで止める。
「わかってるだろ? ……二人はそうするしかなかった。そうじゃないと。二人は神の領域で見守る事しか出来ない」
「……でもっ!!」
早紀はそれでも怒りで身を震わせるが、やがて落ち着き大きく息を吐く。
「ごめん……ありがとう」
早紀は肩を掴んでる俺の手を握り、俺はゆっくりと手を離していく。
「言っとくが好きで食ったわけじゃねぇ……アトゥムの指示で食ったまでだ。食うことでアトゥムとしての思想も脳に入るんだよ。おかげさまで早紀に何かしようとするだけで吐き気がしやがる」
「そ、そもそも人様に乱暴しないでよ!! ってか、まじでこの世界で犯罪なんてしてないでしょうねっ!!」
「けっ……言ったろ。アトゥムの思想が残るってよ…………奴が気に入らねぇことはオレにはもうできねーよ。ついでにノルンの分の思想もな」
……まぁここは信用していいだろう。アトゥムが最初っから何もせずにこいつを開放するわけがない。大丈夫だから、こいつに早紀をまかせたんだ。
「さて……いい加減本題に入るぞ…………。ゼクスの正体についてだ」
俺達は息を飲んで、その言葉を待った。
「まず、きらきら星…………あれの正体については知ってるか」
「あ……うん。18世紀にフランスで流行ったシャンソン。“アー ヴゥ・ディレ・ジュ ママン”が原曲なんだよね?」
「……その歌詞に出てくる男が、ゼクスの正体だ」
歌詞に出てくる男? ……そもそも俺はきらきら星がフランス民謡って事しか知らないんだが…………。
「歌詞なら、コピーしてあるわ。…………多分このシルヴァンドルって人だと思う」
早紀がとっておいてくれたコピーによると”きらきら星”の元の歌詞はこうだ。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––
––––––ねえ、言わせてお母さん。何で私が悩んでいるのかを。
優しい目をしたシルヴァンドル。そんな彼と出会ってから私の心はいつもこう言うの。
「みんな好きな人なしに生きられるのかな?」
あの日、木立の中で彼は花束を作ってくれた。花束で私の仕事の杖を飾ってくれた。
こんなこと言ったの「きれいな金髪だね。君はどんな花よりきれいだよ。僕はどんな恋人より優しいよ」
私は真っ赤になった。悔しいけど、ため息ひとつで私の気持ちはばれちゃった。
抜け目のないつれなさが私の弱みに付け込んだの。
ああ、お母さん。私踏み外しちゃった、彼の腕に飛び込んじゃった。
それまで私の支えは仕事の杖と犬だけだったのに、恋が私をだめにしようと犬も杖もどこかにやった。
ねえ、恋が心をくすぐるとこんなに甘い気持ちがするんだね––––––。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––
それは、俺の知っているきらきら星とはまるで違う歌詞だった。
その歌詞は、恋する少女がつづった日記のように甘くとろけるような言葉がつづられていた。
そして…………そこに出てくるシルヴァンドルは少なくともゼクスとは正反対の人物だった。
「そうシルヴァンドル。本名シルヴァンドル=ジラール。それがゼクス=オリジンの本名だ。…………生前はフランス軍兵士だった」
「どうしてそのことを…………」
「知らねぇ…………なぜかアトゥムの脳にはこの記憶がしっかりと刻まれてたんだ。そして、歌詞の少女の名はアリス=ペルトル」
「アリス=ペルトル……あれ? どこかで聞いたような…………」
早紀は首をかしげるが、影沼は少し笑って答えた。
「そりゃテメェは知ってるだろうさ。アリス=ペルトルは、月のお姫様だからな」
「ああっ!! そうだ!!! 昔お母さんに読んでもらった絵本の”月のお姫様”!!!」
……なるほど、一冊の絵本ときらきら星。
全然関係がないと思ってたらそういう関係か…………。きらきら星のモデルとなった少女と月のお姫様のモデルが同じと…………。
「で、でも待って!! 月のお姫様って確か…………」
「ああ。月のお姫様は正真正銘日本人作家が生み出したものだ。…………フランスとは関係ねぇ」
「えっ!? そ、そうなのか?」
「間違いねぇ……大体この作品は、月のウサギとそこに住まう姫と騎士の話だ。月のウサギを見れるのは角度的に日本と近隣諸国…………。フランスじゃ見れねーよ」
なるほど、確かに月にウサギというのは日本人の発想だ。フランス人ではこの連想は不可能だ。
「……もしかしたら、月のお姫様って発想になったのも、アリスという名前が根源なんじゃないか? アリスという名前は日本人なら不思議の国のアリスを連想させる」
「でしょうね……月にいるウサギと、アリスの物語の連想……日本人だからこそこういう発想になったんでしょうね」
しかし謎なのは、どうしてその絵本作家はアリス=ペルトルを知ることになったのか。彼女が実在する人物であるならば、それを伝えた人物がいるはずだ。
「オレが調べた話だが、月のお姫様の作者は、ある男性が月のお姫様の話を語ったことがきっかけで絵本を書いたらしい…………おそらく、それがゼクス=オリジンだ」
もし月のお姫様……つまり、アリス=ペルトルがシルヴァンドルが愛した女性なら、ありえなくもない。
「シルヴァンドルがどういういきさつで神になり、アトゥムがどうやってアリス=ペルトルの正体を見破ったかはわからねぇ……だが、少なくともアトゥムは確信していた」
「なるほど…………だったら、次は月のお姫様についてだな」
「絵本なら図書館から借りてきてるから今すぐ読めるよ」
さすが俺の嫁。用意がいいな。そう感心しながら俺達は絵本に目を向けた。
「月のお姫様」
早紀が読み進めようとしたその時だった––––––。
「––––––––––––ぐっ!?」
目の奥に鋭い痛みが走る。
「た……タクミ!?」
––––––何かが……目覚めていく…………。
「––––––早紀……読み進めてくれ」
「で……でも…………」
「––––––いま……何か見えたような気がする…………。頼む、続けてくれ」
「わかった……きつかったら言ってね?」
––––––思考が––––––加速していく––––––––––––。
––––––これは––––––なんだ––––––––––––。
––––––脳だけが過去へと––––––––––––飛んで––––––––––––––––––。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
「おじさん。どうしたの?」
富恵ちゃんは僕の肩を叩いてくる。
「ん…………月を見ていたのさ」
彼女は、僕の隣に座る。幼い顔をこちらに向けて、にっこりと笑ってる。
「おじさん。またお話して」
「またか……まぁ、いいだろう」
……暇つぶしにはちょうどいい。……そろそろ……星が降る。
「……月には、ウサギがいるんだってね」
「うん! お月様でお餅をついているの!」
「はは……それは楽しい」
ちょうどよく、今日は満月だ。そう言えば、ウサギに連れられてアリスという少女が不思議な世界に巻き込まれる…………なんて童話があったな。まったくバカバカしい話だ。
けど……そうだな…………もし、彼女があそこにいるなら。
「月には……そうだな…………お姫様がいるんだ」
「お姫様!? すっごい!!」
「ああ……金色の髪の、とても美しいアメジストの瞳。顔は小さくてお人形のような……そんな女の子さ」
まったくバカバカしい……だけど、こういうおとぎ話は……彼女は大好きだった。
「お姫様のお名前は?」
「アリス=ペルトル……」
「ありすぺるとる? 素敵なお名前」
「そうだね…………素敵な名前だ」
これだけ戦争が続き、この国も疲弊しているというのに…………この子はどうしてこんなにまっすぐに僕の事を見れるのだろうか?
そう思うと、これだけ長い時間を生きてきた僕も…………もう少しだけ話していたくなる。
「そのお姫様はいつも月から人間達を見ていた。その人間達はとても素晴らしい知恵と、やさしさを持っていると信じていた」
そう……信じてたんだ。彼女は––––––。
「だから、彼女は護衛の月の勇者様と一緒に月を降りた……地上に降りて…………そして、戦争ばかりの世界に絶望した」
「え…………? そうなの?」
僕は不安そうな彼女の頭をなでてあげた。
「この世界は君みたいな優しい子ばかりじゃないのさ……もっと意地汚くて、どん欲な人もいる…………」
「それで…………月のお姫様はどうなったの?」
「月のお姫様は……月の勇者様の健闘むなしく、戦争で死んでしまった」
「そんな…………お姫様かわいそう」
そうだ……こんな世界じゃ彼女はかわいそうだ。
「月の勇者様は月の神殿へと戻り……月のお姫様と永遠の眠りにつきました。きっと、彼女の願った本当の優しい地上に、また降りることを夢見て…………」
––––––だから……こんな世界は壊してしまおう。
「さぁお逃げなさい…………。ここは危ないよ」
––––––そして…………いつもの明るくて…………絶望の光が降り注いだ。
––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––
––––––そんなのっ!! 望んでいない!!!
「……今のは––––––」
––––––心眼。
俺の魂と……シルヴァンドルの魂が共鳴し…………奴の記憶を読んだ。
そして最後のあの声…………なぜ彼女が––––––。
「東京空襲直前……その時に、月のお姫様の話ができた」
「タクミ…………?」
俺は……どうして…………。
「ようやく、心眼に目覚めたようだな」
病室の入り口に親父が立っていた。
「親父……俺は…………」
「……時間を超える剣撃…………お前が遡龍烈牙と名付けたその技と、もう一つのたどり着くべき境地…………心眼」
「……お前は、そのほんの少しの情報から、その先の思いを知ることができた…………それは、まぎれもなく心を見る眼だ」
力の境地……。それとは別の魂の共鳴が見せる精神の極意…………。
「お前は、お前の妻、結城早紀と融合したことにより、魂の共鳴を果たした…………それは己が魂を相手の在り方に移し替える心の極。自分が勇者になることばかり考え、相手のことを考えることに欠けていたお前が、ようやく手にした…………誰かを本気で愛し信じることでしか手に入れることのできぬ力…………」
…………いつも、親父の心眼にあこがれていた。
いつも……あんな風になりたい…………だから剣を極めようと必死になってた。
でも…………そんな甘い考えだったから手に入らなかったんだ。
俺は…………そうか––––––。
心が…………ずっと足りなかったんだ––––––。
「…………タクミ。今、はっきりという。お前は……オレのすべてを超えることができる。その先にある力は…………お前が手に入れてこい」
––––––ずっと…………親父を…………超えたかったんだ。
だけど、もう大丈夫だ。
ありがとう…………早紀。ありがとう…………親父。
「いってこい、結城拓海…………オレの、自慢の息子よ」
「ああ……行ってくる」
俺が決意と共に立ち上がると、早紀も影沼も立ち上がる。
すれ違いざまに、俺は親父に聞いてみた。
「親父が昔ゼクスと戦ったことがあるなら、あいつの過去…………アリスの正体を親父は知ってるのか?」
「ああ。…………止めることはかなわなかったがな」
……止めたかっただろうな。特に親父は。
––––––思いは引き継がれるものだ。だったら俺が奴を止める。……俺じゃなきゃダメなんだ。
「…………俺が止めてきてやるよ。親父の代わりにな」
「頼む…………」
待ってろよ…………最初の神。ゼクス=オリジン。いやシルヴァンドル=ジラール。
テメェの望む世界は、誰も––––––アリスも望んじゃいねぇんだからよ…………。




