第九十八話「悪役は敗北を知る」
「…………早紀」
俺はその告白に一瞬戸惑ったが、彼女の目を見て察しがついた。
「––––––––アトゥムは、もうそんなに時間がないのか?」
「っ?!」
早紀は驚き目を見開くが、やがてあきらめたように目をゆっくりと閉ざした。
「あー……もう、なんで気付いちゃうかなぁ…………」
「悪い……この間の旅行から何となくな」
あの旅行でアトゥムが見せた一瞬の表情や、やたらとはしゃいでた彼女の態度…………それを見ててもしかしたらと思ってた。
「…………そのとおりよ。お母さんにはもう時間がない」
やっぱりかと、俺は悔やみきれない思いを自身の握りこぶしに込めた。
「だが、彼女は三歳児から年齢逆行で今年で二歳……アトゥムが言うには二歳なら、まだ神の姿を保てるんじゃなかったのか?」
「この前……というよりこれまでお母さんはあまりにもティエアの事象に干渉しすぎた……それによって神の力をほとんど失ってしまった。……おかげで抑えられていた年齢の逆行が加速し、すでに脳は一歳児以下となってしまったの」
––––––わかってはいたことだった。
年齢の逆行なんてことが起きている以上、いずれはこういう日が来ると––––––。
本来干渉できない自身の世界に干渉すると、神としての力は失われること……。
年齢の逆行が進みすぎると……いずれは神でいることすらできなくなり、脳の萎縮により記憶がなくなっていくこと。
そして……0を超えると……肉体も死ぬ事––––––。
「今は、なるべく記憶の検索を絶えず行うことで、自身の記憶の消失を抑えているけど……もうそれも限界に近い……あと少しで、お母さんは自分がだれかということも忘れてしまうわ」
……それは、アトゥムにとっては事実上の死だ。彼女にとって自分は愚か、すべての生涯をかけて守ると誓った存在の記憶を失うのは、死に等しいだろう。
「本当はこんな話をするつもりはなかった……こういう形で告白するのは卑怯だと思うから…………」
「早紀…………」
「でも……そうだね。拓海には本当のことを言うべきだったね…………君に嘘をついて、告白しても…………それこそ卑怯だった…………あーあ……私やっぱり成長してないなぁ…………」
彼女の頬を伝う雫を見るのがつらくて、俺は視線をそらしそうになる。
だが、彼女の覚悟をきちんと受け止めるべきだと思い、その視線を彼女の顔に戻した。
「だけどっ…………だけど…………私っ…………お母さんに、ウエディングドレス姿を見てほしいっ!!…………お母さんとして祝福してもらって…………見守られながら、ちゃんと…………ちゃんと私を産んでくれてありがとうって…………私はこんなに幸せになったよって…………伝えたいの…………」
それは……以前の早紀だったら絶対言わなかった言葉だった。
彼女は、生きている頃の自分を……様々な死が待ち受けている自分の人生を呪って、スピカと改名していた。
だけど……彼女はいま早紀と……堂々と自分の名前を語ってる。そして、彼女は今自分の人生を幸せだと本気で思っている。自分の生を……本当に嬉しく思ってるんだ。
「私……ずっとお母さんを傷つけてたんだって……ようやく気付いた。……自分の人生を呪い、自分の苦しみを悔やむことは、同時に産んでくれたお父さんやお母さんを呪うことでもあったんだ…………」
その言葉を否定してあげたかったが、できなかった。彼女が自分の過去を否定しようとした事で……アトゥムは自分の本来の性格を捨て、自分の名を捨て、せっかく手に入れた神の力をなげうって、早紀を幸せにしようとした。
けっして早紀が悪いわけではない…………だが、彼女は一生後悔し続けるかもしれない。そう思うとたまらなく切なくなる。
「タクミが……本当はちゃんと段階を踏んで結婚したい人だってことは知ってる…………ちゃんと恋愛して、お付き合いして、それから結婚したいって…………そういう人だって気付いている」
「早紀…………」
「こんな……母さんの不幸を利用する方法で告白するのは卑怯だって、私だって思う…………だけど、私が…………私が幸せだったって…………そう気付くのが遅すぎたために…………そのせいで母さんは…………」
悔やんで唇をかみしめる…………そんな彼女の悲しい顔を見るしかできない自分がとてもつらかった。
「だから…………お願いします。こんな卑怯で、馬鹿な私だけど…………結婚していただけませんか?」
「––––––本当に君は卑怯だよ…………」
俺が、そう言うと……彼女はハッとしてうつむいた。
「そう……だよね……こんな女と、結婚なんてしたくない……よね……」
彼女が逃げようとする手を俺はつかんで––––––。
抱き寄せるようにキスをした––––––––。
「––––––本当に卑怯だ…………こんな告白されたら…………俺がこの後どんな告白をしても……かすんじまうじゃねーか…………」
「タクミ…………タクミっ…………」
そんな悲しみとうれしさでゆがむ彼女の顔が見てられなくて––––––まぶしすぎて––––––愛おしすぎて––––––顔がとろけてしまいそうだ。だから彼女から見えないようにもう一度口付けをした。
これまで、何度もキスをした。何度も彼女と愛を確かめた。
だけど…………今日のキスの味は、多分もう一生忘れられなくなるほどの衝撃で…………時間も忘れてつながりあった。
重なりあった唇を離すと彼女の吐息が俺の頬をくすぐる。その感覚が生々しくて赤面した顔を隠したくて、また唇を重ねる。
彼女の涙が俺の肩に落ちた。泣いてる姿は見られたくないだろうと言い訳して、もう一度…………。
そんな事をしてたら、キスをする言い訳がだんだん思いつかなくなって––––––。
––––––気がついたら自分から求めていた。
こんなに長くて熱いキスは初めてだ。
触れ合ってるこの瞬間だけは、全ての苦しみから解放されてるような気がした。
やがて苦しくなってきて俺達はどちらからともなく唇を離した。
「……っはぁ……タクミ……私……」
切なく見上げるその顔が愛おしくて、強く抱きしめた。
「……俺からも頼むよ……結婚してくれ」
「っ…………はい」
結局、その程度の言葉しか思いつかなかった。
男としてなさけない……自分の語彙力のなさが悔しいくらいだ。
「ごめんなさい……お母さん。……お母さんが大変な時ってわかるのに……そのはずなのに…………こんなにしあわせな気分になるなんて…………」
「早紀……それでいいんだ……むしろ見せつけてやろう。俺達の……未来をさ」
「うん……うん……っ! 私……タクミと…………世界一幸福なバットエンドを生きていきたい」
本当に……彼女は卑怯だ。
悲しんでる彼女の顔。
俺が告白を断ったわけじゃないことに気づいて、ハッとした顔。
悲しみと……嬉しさで泣きながら微笑む顔…………。
怒った顔…………。
寂しそうな横顔…………。
必死に悩んでる顔…………。
楽しそうな顔…………。
はしゃいでる顔…………。
微笑んだ顔…………。
好きになるなってほうが無理な話だ。
彼女のすべてが可愛いなんて…………チートなんてレベルじゃない。
俺の奥義なんてまるで目じゃない…………。時を越えようが、最強の戦士を倒そうが、神を殺そうが、その笑顔一発で、その全てがちっぽけな力に見えてくる。
ああ、そうか––––––––。
彼女の姿を初めて見たあの瞬間から…………俺は、彼女に負けてたんだ…………。




