表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1509/1509

番外編 ナホルシアの失敗

 ナホルシア・ソール・オリエンスは、今まで一度も間違えたことはない。

 公爵令嬢であった時代も、女大公となった後も……ただの一度も、自身が間違えたという記憶が彼女にはない。

 ないはずだ……。

 だから、きっとこれは夢の記憶だ。

 ただの夢――あるいは、儚く消えた世界の残滓の記憶だ。


「シオン陛下は厳しすぎる。あの方には慈悲の心がないのか」

 集まった貴族たちが、口々に言う。

「弟を殺すような者が、正義であるはずがない!」

「そうだ! そのとおり!」

 声を荒げる者たちを、ナホルシアは軽蔑の目で見つめる。

 ――前女大公である私に、何を求めて集まってきたのやら……。

 おおかた、イスカーシャに相手にされなかったからこそ、ここに訴えに来たのだろうが……。

 ――だいたい、そもそも原因はあの者たちであったでしょうに。

 一部の保守派貴族が王弟エシャールを旗印とし、国王シオンに反旗を翻そうとしたこと。それがすべての原因だ。

 王の治世が厳しすぎるからと、王に剣を向けたのだ。理に照らせば、罰を受けても当然のことをしたのだ。

 ナホルシアの見るところ、正義は国王シオンの側にあった。その判断は、決して正義の王を逸脱するものではなかった。

 彼は厳格に過ぎるが、それでも公平だ。無実の者を裁かないし、罪には厳罰をもってあたる。相手が貴族でも、たとえ肉親であったとしても、手を緩めることはない。ひいきはしない。

 正義の王国サンクランドの、正しい王の姿だ。

 ――そもそも、あれは、私たちが求めた公平な正義の王の姿でしょう。

 現に、貴族の中には、シオンを支持する者がそれなりにいる。オリエンス家、現女大公であるイスカーシャもそうだ。

 ロタリアは……嫁いだ先で起きた内乱で命を落とすことになったが……、それでも国王シオンの判断が間違っていたとは思えない。

 悪を罰し、無辜の民を守る。その大原則を王は守っているではないか。

 横暴な貴族の下で虐げられた民に比べれば、サンクランドの民は幸せだ。この国では、なんの理由もなく殺されることはない。公正な判断の下、悪を行ないし者が、相応の報いを受けるだけなのだから。

 ――食料の不足を訴え、略奪に走った者も同様に、その報いを受けただけ。それは公正な判断のはずでしょう。秩序を乱す者を放置しておけば、民が苦しむことになる。正義は揺らぎ、王の信用は失墜する。裁くべきは、裁かねばならない。

 それが正しい判断であると、ナホルシアは信じている。にもかかわらず、その心はどこか落ち着かない。

 ふいに、今は亡き母の姿を夢想する。

 あの聡明な母、ルスティラだったら……どのように、断罪王シオンと接しただろうか……? オリエンス家の者として、どのように、王の正義を担保しただろうか?

『そんなことは別にいい。でも、エイブラムの息子に……シオン坊やに、あなたがしてあげられることは、本当になかったのですか?』

 問いかける声が頭に響く。

 ……迷うことばかりだ。

「ぜひ、イスカーシャさまに決起するよう、ナホルシアさまから説得を……! 悪逆な王を討つために、今こそオリエンス家が立つべき時ではありませんか!」

 声を荒げる煽動者に、ナホルシアは冷たい目を向ける。

 このような者たちが、娘を追い詰めていることを知っていたからだ。

 浅慮な者たちを抑えるのに苦慮し、イスカーシャは擦り切れる寸前だった。大切な娘に負担をかける者たちに、冷たい怒りを覚える。

 されど、それでも何もしないわけにはいかなかった。

 王と貴族でもめていては、国が立ち行かなくなる。聖女を失い、中央正教会の権威が揺らいでいる今……サンクランドまでもが、混乱に陥るわけにはいかなかった。

「我らが立つは最後の手段。女大公もそうご判断なさっているのでしょう。私のほうから、その決定を覆すようなことは言えませんね」

 しっかりと釘を刺しつつ、ナホルシアは続ける。

「陛下をお諫めするのに、剣をもってする必要はなし。言葉をもって成せばよい。私からシオン陛下をお諫めしましょう。古き誼を重んじて、あるいは耳を傾けていただけるかもしれません」

 そうして、覚悟を胸に王都を訪れたナホルシアであったが……。

 予想に反して、シオンは穏やかな笑みで迎えた。

「お久しぶりです。ナホルシアさま。オリエンス女大公は体調を崩していると聞くが、その後はいかがです?」

 久しぶりに見たシオン坊やは、すっかり王の顔をしていた。

 大国サンクランドの頂点に立つ者、多くの民に責任を負う男の顔をしていた。

「はい。心労が溜まっているだけだとは思いますけれど……ここ最近は、大事を取って休んでおいでです」

 身を屈め、臣下の礼を取るナホルシアにシオンは深々と頭を下げる。

「それは……。国境付近も政情が安定せず負担をかけていますね。申し訳なく思います」

 王の顔からは、特に悲壮の色は見えなかった。

 弟と従者を自らの手にかけ、気落ちしていることを予想していただけに、いささか肩透かしだったが……。

 気を取り直し、ナホルシアは自らの危惧をシオンに伝える。

「実は、陛下にお伝えしたいことがあり、参上いたしました。エシャール殿下のこと、保守派の貴族たちに動揺が広まっております」

「ああ……そのようですね」

 国王シオンの反応は素っ気なかった。腕組みし、しばし考え込んだ後、彼は変わらぬ口調で言った。

「しかし、特に、斟酌することもないように思いますが……王に剣を向けるのは、許されぬこと。それは、みなもわかっているはずでしょう」

 胸に手を当て、シオンは続ける。

「この私、シオン・ソール・サンクランドを殺すのは、別に構いません。私個人に恨みを持つ者もいるでしょう。それを果たそうというのであれば、それは正当なことなのかもしれない。が……そうするのは、王位を退く時まで待ってもらわなければならない」

 厳かな声で、シオンが言う。

「王権に剣を向けることは、秩序を壊乱し、混沌を招く行為。到底、容認できるものではない。私は当たり前のことをしたし、誰にも非難されることではないと思うのですが」

 そこまで言ってから、ふっと表情を和らげて……、

「ああ、もちろん、王家の清さを保つ、オリエンス家ならば話は別ですが。貴女たちは、王たる私に剣を向ける権利がある。だが……それは私が間違いを犯した時のみのはずでしょう。私は、なにか間違いを犯したのでしょうか?」

「沙汰が厳しすぎたとは、お考えにはなりませんか?」

「……キースウッドにも言われましたよ。まさか、公正をもって知られるナホルシアさまに、そんなことを言われるとは思ってもみなかった。だが、貴女ほどの方がわからないはずがないでしょう? 王の命を狙った者を、肉親であるというだけの理由で助けることはできない。それは王の公平性を損なうことだ」

 ナホルシアには、彼の言うことがわかる。理解できてしまう。

 確かに、それは正しい。

 同時に、どうにもならない危機感があった。

 自分は、シオンの言うことが理解できるけれど、娘はどうだろう? もしも……王の意に反するようなことがあれば、きっと、王は容赦なく処刑するだろう。

 弟も、大切な従者も、心ひとつ動かさずに殺した彼ならば……。

 だが、それも仕方のないことかもしれない。だって、それは正しいことで……。

「しかし……そうか」

 その時だ。

 不意に、声が聞こえた。

「……あいつはもう、いないんだったな……はは、なんだか、みんな……いなくなってしまったな……」

 どこか、途方に暮れたような声。

 その瞬間、王の顔には確かな寂しさがあった。

 冷静無比な王の顔ではない。自分が一人であることを自覚した少年のような、幼い寂しさが。

 ――シオン坊や……。

 皮肉なことに……ナホルシアが自分の失敗に気付いたのは、この瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
一人の人間には背負いきれない一国の正しさを無理矢理背負わせた末が、ただ心を殺して正義を執行するだけの孤独な幼子。 実際、断罪王ルートのシオンって「ミーアの処刑以外間違える、失敗するという経験を積めず、…
もう一つの時間軸……『「「間違えたことはない」というのが間違えだ」と気づけなかったのが大間違いだ』と気づける社会が望ましいのだが。
過ちを許すという正しさもあるという事を学ばなかった世界線のシオンさん。 その世界線でのナホルシア様もまた、正しい事では有るという判断の元、シオンを諌めきれなかったのですね…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ