第百十八話 ミーアのヨイショ……不発!
「それにしましても、オリエンス領では驚かされることばかりございますわ!」
テーブルに着いたミーアは、運ばれてきた紅茶に優雅に口を付ける。芳しい香りを楽しみ、ジャムの甘味にうっとり。それをエネルギー源として、頭を“ヨイショモード”に切り替える!
「目にするものすべて、素晴らしいものばかりで……」
ニコニコ笑みを浮かべつつ、褒める。褒める。褒める。
ミーアは、他者を褒めることを大変に重んじているのだ。
なにせ、ちょいと褒めるだけで、相手の機嫌が良くなって好意を得やすくなるのだ。であれば、しない理由はどこにもない。それに、相手のことを褒めて、素晴らしい人だと信じ込めれば、多少、腹の立つことをされても大らかな気持ちでいることができる。
というわけで、ミーアはこのオリエンス領に来て以来、褒められそうなところを目ざとく探していたのだ。
「このような練兵場、我が帝国にはございませんわ。非常に考えられた施設ですわね」
国境沿いの大公領だからだろう。途中途中で見かける兵の動きは、実に整然としたものだった。こういった施設でみっちりと訓練を受けているのだろう。
「それに、見学させていただいたガラス工房も、非常に高い技術力を感じましたわ。なるほど、サンクランド式温室を生み出したのは、この技術に基づくものなのだと感心させられましたわ」
「お褒めいただき恐縮です。姫殿下」
さらに言葉を続けようとしたところで、ナホルシアが頭を下げた。
お世辞には慣れているからか、ナホルシアは特に喜んだ様子もなく、軽く笑顔で流して……。
「しかし、帝国も素晴らしい発見をなさったと聞いていますよ。寒さに強い小麦、ミーア二号小麦でしたか……」
「え……ええ、まぁ……」
自らの名前の付けられた小麦に、微妙な顔をするミーアである。こう、ナホルシアのような大物の口から出ると、微妙に呆れられてるような感じがしてしまうのだ。
「素晴らしい発見ですけれど、それを惜しげもなくパライナ祭で発表する予定だとか」
「ああ、それは当たり前のことですわ。民草を飢えさせないためですもの」
ミーアは、そこで閃いた。
――あ、そうですわ! この話、ちょっぴり利用できないかしら?
その気付きに促されるように、ミーアは言葉を連ねる……いささか不用意に、油断したまま、深く考えることもなく……。
「それにしても、面白いものですわね」
「面白い……? なんのお話でしょうか?」
そばで聞いていたロタリアが小首をかしげている。わかりやすいように、ミーアは説明を続ける。
「我が帝国では、寒さに耐性のある小麦を見つけることで、冷害による小麦の不作に対処しようとしている。小麦自体に解決を求めたわけですわ。一方で、このサンクランドでは温室によってその危機を乗り越えようとした。小麦を取り巻く環境を整えることで対処しようとした」
そこで、ニコリと笑みを浮かべて。
「互いに民の安寧を守るのは同じでも、やり方がまったく違う。けれど、どちらも民に小麦を届けることができるのだから、どちらが正解ということも無い」
正しい方法は唯一ではないのだ、と声を大にして主張したいミーアである。
同じ感じで、正義の形も唯一じゃないんじゃないかな? サンクランドのやり方だけが正しいってわけじゃないんじゃないかな? っと、心から訴えたいミーアである!
「なるほど。確かに、興味深いことですね」
ナホルシアが認めたのを見て、ついつい嬉しくなってしまったミーアは……。
――っと、ここで慌ててはいけませんわ。もともとはわたくしの功績というわけでもございませんし、そこはきちんと言っておきませんと。
見つけたのお前じゃねえだろ! とツッコミを受けぬよう、事前に予防線を張るべく、ミーアは続ける。
「……と言っても、見つけたのはわたくしではないので、偉そうなことは言えませんけど」
それから、ミーアはチラリとティオーナのほうに目を向ける。少し離れた場所で、弓に弦を張っていたティオーナが、視線に気付いたのか、小さく首を傾げた。
「あちらのティオーナさんの弟君、セロくんが、ペルージャン農業国のアーシャ姫と共に発見してくれましたの。わたくしは、ただそのお手伝いをし、今後の方針を決めただけですわ。各国に情報を開示することにも賛同してくれたお二方には、感謝の言葉もございませんわ」
如才なく謙遜するミーア。そのうえで、サンクランドの正義も唯一絶対じゃなくてもいいよね、と話を続けようとしたところで……言葉を呑み込んだ。
ナホルシアの顔に驚愕の色が広がっていたからだ。
「ああ……そう。そういうこと、でしたか……。ティオーナ嬢は寒さに強い小麦の……。我ながら、なんと迂闊な……。ということはシオン殿下のお考えは……」
つぶやきつつ、ナホルシアは、シオンに鋭い視線を向ける。
――あっ、これは、ヤバいやつですわ!
ミーア、空気の激変を敏感に察知!
すぐさま、火消しに当たろうとするが……。
「ミーア姫殿下、せっかくの弓術披露会ですし、ただ技を披露しあうだけでは面白みにかけませんか?」
意外なほどに静かな笑みを浮かべて、ナホルシアは言った。
「いかがでしょうか? せっかくですから、弓の三本勝負でもしませんか」
「はて、弓の三本勝負……ですの?」
話についていけないミーアに、ナホルシアは深々と頷いた。




