第百十六話 ミーア姫、ウマバナで盛り上がる
弓術披露会の当日は、気持ちの良い晴れの日であった。
「ああ、晴れて良かったですわ。うふふ。楽しい一日になりそうですわね」
朗らかに笑い声をあげるミーア。心は晴れ晴れと冴え渡っていた。
昨夜、キースウッドに意味深なつぶやきをポロリした後、ミーアは一つの作戦を立てていた。
すなわち……一つのキノコを焼く、蒸す、茹でる、など様々な調理をし、そのすべてをナホルシアに振る舞うこと。そのどれもが素晴らしい味であることを確認させ、それにより、多様な正解があることを胃袋にわからせようというわけだ。
――唯一絶対の料理法がないのと同様に、唯一絶対の正義もないのだ、とわかっていただくのですわ。
ということで、勝負はキノコ狩りの日。
そう心に定めたがゆえ、本日の弓術披露会は肩の力を抜いて参加することにしたのだ。
日課の朝体操を終え、凝り固まっていた体を解きほぐしたミーアは、ううん、っと伸びをする。
澄み渡る青空、冬の低い日からは、ポカポカとした陽光が降り注ぐ。
優しく包み込むような日光を一身に受け、心から健康を実感したミーアは、ここ最近の蒸し風呂効果を実感するために、軽く二の腕に触れる。絞られた(はずの)二の腕は、相変わらずFNYっとしていた!
「……ううむ、いまいち、効果が実感しづらいですわね……。もっと、シュッとしてるかと思いましたけれど……」
解きほぐされて柔らかくなった腕をMNYMNYしつつ、小首を傾げるミーアである。
「やはり蒸し風呂だけでなく、運動が大事ですわね。なにか考えなければなりませんわ」
そんなミーアのつぶやきに、うんうん! っと熱心に頷くアンヌである。
ダンスパーティーでも開いてくださらないかしら……などとつぶやきつつ、ミーアが、ふらふらぁっと立ち寄ったのは厩舎だった。
「やはり、ダンスか、そうでなければ乗馬かしら……。東風に付き合っていただいて、一汗かくのがよろしいかしら」
などと、東風のほうが一汗かいてシュッとしてしまいそうなことを考えるミーアである。頑丈な東風だが、少々心配だ。
「はい。運動はとても大切ですから、ルードヴィッヒさんにお願いして、手配していただきましょうか」
「そうですわね……ともあれ、運動するなら、のんびりした東風よりも、荒れ馬の荒嵐のほうが良い運動になるかもしれませんけど……」
っと会話をしつつ、なんとはなしに東風の様子を見に行こうとしたところで、
「あら? ミーア姫殿下?」
突如、声をかけられる。視線を向けると、そこにはナホルシアが意外そうな顔で立っていた。
「これは、ご機嫌麗しゅう、ナホルシアさま。朝から、厩舎でなにを?」
「馬の世話をしに。我が愛馬、明陽がここにいるので……」
「まぁ! 愛馬? それでは、ナホルシアさまも乗馬をなさるのですわね。わたくしもセントノエルでは乗馬クラブに入っておりますのよ?」
貴族婦人で乗馬を趣味にする者は珍しい。同好の士の出現に少しばかりテンションが上がるミーアである。
革命軍から逃げる際の足というのが、始めたきっかけではあったし、運動不足解消のために続けている側面が強かったりするものの、今では乗馬がすっかり楽しい趣味になっているミーアである。
「これはぜひ、わたくしにもご紹介いただきたいですわ。ご一緒してもよろしいかしら?」
「ええ。それは構いませんが……」
困惑した様子ながら、頷くナホルシアであった。
厩舎の奥、その馬はひっそりとたたずんでいた。威風堂々たる体躯、引き締まったしなやかな筋肉を誇る見事な馬だった。
「おお、これは、月兎馬ですわね! 素晴らしい馬ですわ」
「あら、さすがのご慧眼ですね、姫殿下。この馬は、私が幼い頃、父から贈られた馬なのです」
「まぁ、お父さまから……」
月兎馬の寿命は長い。帝国の名馬、強壮をもって知られ、一般の馬種よりも長生きのテールトルテュエ種と同程度の四、五十年、場合によっては七十年以上も生きるものもいると言われている。
とはいえ、ナホルシアが子どもの頃に贈られたとすれば、その年齢は三十を越えているだろう。老境に差し掛かっているのだろうが……。
それがわかっていてなお、ナホルシアの愛馬、明陽は美しかった。その目には未だに力強い輝きが宿っているし、その毛も他の馬には負けないほど艶やかだ。
ナニカがあって逃走する際、追いすがるギロちんを振り切ってくれるそうな、そんな風格があった。
「とても、大切にされているみたいですわね」
馬自体の体質の良さはもちろんだが、きっと丁寧に飼育しているのだろう。
ミーアの評価に、ナホルシアは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「お褒めいただき感謝いたします。ミーア姫殿下」
それから、一瞬、黙ってから……。遠く、過ぎ去りし時に想いを寄せるように目を閉じて、ナホルシアは続ける。
「昔は、家族で馬に乗って狩猟に行ったものです。父と母と弟たち……その後は、夫と子どもたちと一緒に……。この馬は、私の家族と共にあった……家族同然の存在です」
それを聞いたミーアは、ふと思いつく。
――ふむ、この馬への情熱……オリエンス家には、騎馬王国の血筋の方がいらっしゃるのではないかしら……? 土地的には近いですし……あり得るかしら。
そう言えば、歴代当主の肖像画の中に、そんな感じの面影があったような……と考えるミーアである。
――いえ、もしくは馬自体への想いというよりも……。
「ミーア姫殿下、本日は練兵場で弓術披露会をする予定ですが……。どうでしょうか、そちらまで馬で行くというのは」
「あら……? 馬で……? ええ、別に構いませんけれど……」
特に考えるでもなく、ミーアは頷く。
――ちょうどもう少し運動したいと思っておりましたし、乗馬で行けるのであれば好都合ですわ。
などと思いつつも、ミーアは首を傾げる。ナホルシアの思惑が、よくわからなかったからだ。
「しかし、突然、どうなさいましたの? そのようなお誘いをされるとは思ってもみませんでしたけど……」
「いえ……。ただ昔を……、家族と過ごした日々を少しだけ思い出しただけですから……」
「家族……」
ナホルシアの言葉に、ミーアは静かにつぶやいた。




