第百十四話 絞って、解れて、FNYっとし……アレ?
さて、蒸し風呂にてリフレッシュしたミーアは、頭から湯気をホカホカさせつつ、浴室を後にした。
「ううむ、蒸し風呂は癖になりますわね」
ミーアの後に、アンヌがニッコニコ顔でついていく。
「健康に良いと聞きますし、もしかしたら、帝都にそういう施設を用意していただいても良いかもしれません」
「なるほど……。ううむ……このぐらいの贅沢ならアリなのかしら……? ルードヴィッヒに言っても、健康のためと言い張れば……お金は確保できるか……」
ぶつぶつつぶやくミーア。
――こんなに気持ちよいうえに、ここで絞れば、食べた分がすべてゼロになるだなんて、実に画期的。素晴らしい施設ですわ!
その脳内で、蒸し風呂にさえ入れば、どれだけケーキを食べても大丈夫! などという、やっべぇ誤解が生じつつあったが、まぁ……今はどうでも良いのである。それより……。
「ふぅむ……しかし、どうしたものかしら……」
無論、ナホルシアのことである。
ルードヴィッヒがもたらしてくれた情報……とついでに、ルスティラの前で切ってくれやがった啖呵……。両肩に載ったおもたぁい責任を感じずにはいられないミーアである。試しに触ってみると、蒸し風呂でたっぷり解したはずの肩もすでに凝って硬く……かた……く?
――あら? 気のせいでしたわ。ちゃんと解れたままでしたわ。
柔らかかった! FNYっとしてた! 蒸し風呂の効果は偉大なのだ!
いや……あるいは逆だろうか? 蒸し風呂に入っても、絞れていなかった、効果がなかったと見るべきかもしれなくって……大変に、判断に迷うところである。
それはさておき……。
――ティオーナさんの結婚を成功させるためには、ロタリアさんと縁談をする理由を薄めてあげなければなりませんわ。けれど、ルスティラさまの言うような、サンクランドの「唯一絶対の正義」を否定するためには、むしろ、ナホルシアさまのやり方は間違っていなくって……。
グルグルしそうになる思考、それをあえて俯瞰して見るように、一歩離れて考えて……ミーアは気付く。
――いえ……違いますわね。事の本質はサンクランドの制度そのものにあるのではなく、ナホルシアさまが縛られていることにありますわ。
そもそもの話……サンクランドがどんな制度で、貴族がどんな心持ちか、などということは、ミーアの知ったことではないのだ。それで苦労すべきはシオンなのであって、ミーア的には責任を背負いたくなどないのだ。
――それに恐らく、わたくしがサンクランドの制度を云々することは、逆効果のはず……。
ミーアは考える。ナホルシアに対して、サンクランドの制度を批判するようなやり方は、好ましくない。恐らく、彼女を頑なにしてしまうだけなのだ。だからこそルスティラも、これまでは、どうにもできなかったのではないか。
であれば、ミーアがすべきことは、そうではなくって……。
――本来のナホルシアさまは聡明な方と聞きますわ。であれば、囚われた思考を解放させてあげて、より良い判断を促すことこそが肝要。
オリエンス家の……、ナホルシアの……自浄の力に期待するのだ。
そのためには、ナホルシアの目を覚まさせなければならない。
――重要なのは唯一性の否定……。つまり、ただ一つであるということを否定すればよいわけですし……。そのためには、別の正義を提示するのが良いかしら……。とすると、例えば、キノコの調理法を一つに定めなくて良いとか、そんな感じでまとめられると良いかもしれませんわ。食べ物で語れば説得力も出るはず。とすると……。
困った時に、相手の胃袋を攻撃するのは、ミーアの常とう手段である。
ミーアは難しい顔で腕組みしつつ、ぶつぶつ、つぶやきながら廊下を歩いていく。
「キノコの調理法……。一つに限定されない……いろいろな……考えもしなかった料理で……ふむむ」
眉間に皺を寄せ、真剣な、こわぁい目つきになりつつ、客室に戻るミーアである。
……さてさて、そんなミーアの話を立ち聞きしている人物が……いた。
それは、諜報機関、風鴉の残党か!? はたまた、女大公ナホルシアの私設の諜報組織の人間か!?
否……もちろん、キースウッドである。
苦労人のもとに、厄介事が転がり込むのは、古からの法則というものなのだ。
「たっ…………大変なことが、起きつつある!」
震える声で、そんなことをつぶやくキースウッドである。
近隣の森でキノコ調査を行い、ちょうど帰ってきたところだったキースウッドである!
「この辺のキノコは、まぁ、少しは毒あるけど、上手く料理すれば問題なく食べられるよ」
とかいう玄人情報を、聞きたくもないのに聞かされちゃった、キースウッドなのである!!
「上手く調理すれば食べられる……ということは、下手に調理すると毒が消えないということだが……」
先ほど、ミーアは言っていた。
一つに限定されない、いろいろな、考えもしなかった料理で……っと!
それはすなわち、決められた毒抜きの手順を踏まずに、キノコを料理してやろうとか言う、オソロシイ探求心の発露ではなかったか?
――く、ぬぬ……どうしたものか……。
そうして、客室に戻り、唸ることしばし、がちゃり、とドアが開く。
視線を向ければ、そこには、難しい顔をしたシオンが立っていた。
「おや、殿下……そんなに難しい顔をして、どうかされたのですか?」
「ん? ああ、キースウッド。帰っていたのか……。ちょうどよかった。少し、相談に乗ってもらえるか?」
「え? ああ、それはもちろんですが……」
答えつつも、遠慮がちな主の姿に、キースウッドの胸に忸怩たる思いが浮かぶ。
思えば、ここ最近、自分の頭は完全にキノコに支配されていた。
両手にキノコを握ったミーアに追いかけ回されて、でっかいキノコが林立する森の中を闇雲に走り回っているような心持ちだった。だが、本来の自分の務めは、森のキノコの分布を詳細に調べること……などではない!
知らず知らずの内に、自らがキノコマイスターになりかけていたことに、キースウッドは戦慄する。
そうではない。本来の自分の仕事はシオンのそばで相談に乗り、その判断を補佐することなのだ。
深い反省を胸に、キースウッドはシオンの顔を見る。
「相談とは珍しいですね。なんでしょうか。俺に答えられることだったら答えますが……」
「他ならぬ、ティオーナのことだ」
あの告白の夜の翌日、シオンは律義にも、想いを告げたことをキースウッドに話した。
そして、今後の助力をキースウッドに求めたのだ。
「ティオーナとの縁談を進めるためには、やはり、俺はナホルシアさまと向き合わなければならないと思うんだ。王子として……いや、次期、サンクランドの国王として……」
決意のこもったシオンの言葉に、キースウッドは静かに頷いた。




