表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1500/1509

第百十一話 老女のささやかな楽しみ

 女大公ナホルシア・ソール・オリエンスは万能の天才だった。

 政治や領地経営に始まり、領内の治安維持体制の整備、新技術の開発、ダンスに乗馬、弓術、剣術に至るまで、あらゆるものをこなせる才媛であった。まさに天才。どの部分をとっても、まずもって第一級の人であった。

 そして、その天才をして、自分以上に領主に相応しかった人と言わしめる者こそが、その母、ルスティラ・ソール・オリエンスであった。その見立ては確かであった。

 ルスティラは、天才ナホルシアをも上回る器量の持ち主であったのだ。


 その日、ルスティラは普段と変わらず、中庭で紅茶を楽しんでいた。

 外でのんびりするにはいささか寒い冬の日。されど、厚着をし、庭で熱々の紅茶を嗜むのは実に贅沢な楽しみだと、ルスティラは考えていた。四季折々を楽しみながら、紅茶を飲む、これ以上の贅沢はないだろう、と。

 さて、紅茶のカップに目を落としつつ、ルスティラは静かに黙想していた。サンクランドの未来について……。

 彼女の目から見ると、今のサンクランドはいささか危うく思えた。

「サンクランドの正義は、何者かによって歪められた……。このままいけば、恐ろしいものに成り果てるかもしれない」

 そんな確信が、以前から彼女の内に根付いていた。そして、それが見えていたからこそ、彼女は……。

「失礼します。ルスティラさま。ランプロン伯が面会を求めていらっしゃいました」

 メイド長の言葉に、ルスティラはスッと視線を上げた。

「あら……。ランプロン伯。ずいぶんと久しぶりですね」

「それに、帝国の官吏の方もご一緒ですが……」

「まぁ、ティアムーン帝国の……?」

 帝国の叡智と名高い帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンが領都サリーデルに来ていることは聞いていた。ということは、その家臣ということだろうか。

「なるほど、それは、張り切ってお茶を淹れなければなりませんね」

 さて、この出会いがなにをもたらすのか……。少しだけ楽しみになりつつ、彼女は客人の訪れを待った。


 やがて、やってきたのは昔馴染みのランプロン伯と、眼鏡の青年文官だった。

「大変、ご無沙汰いたしております。ルスティラさま」

「ええ。秋の狩猟会以来だったかしら? お元気そうでなによりだわ」

 それから、静かに、眼鏡の男に視線を向ける。レンズの奥、鋭い瞳が知性の光を湛えている。それを隠すように軽く眼鏡を押し上げてから、彼は膝をつく。

「お初にお目にかかります。ティアムーン帝国の文官、ルードヴィッヒ・ヒューイットと申します」

「はじめまして、ルードヴィッヒさん。どうぞ、お立ちになって。帝国の官吏というと、ミーア姫殿下の家臣の方かしら?」

「はい、ミーアさまのもと、日夜、務めに励んでいます」

 ルードヴィッヒは一瞬、考えた様子だったが、素直に立ち上がり、すっと背筋を伸ばした。

「お茶の用意をしていますよ。簡単なものだけどお菓子もね。正式な訪問ではないから、大したおもてなしはできませんけれど……」

「ああ、いえいえいえ! お気遣いの無きようにお願い申し上げます!」

 ピンっと背筋を伸ばすランプロン伯に、ルスティラは苦笑いを浮かべる。

 ――この方は、若い頃から変わりませんね。

 二人の出会いは、ランプロン伯が社交界デビューした時に始まる。以来、年若く覇気に溢れる青年の面倒をなにくれと見ていたら、いつの間にか、すっかり懐かれてしまったのだ。

 ――しかし、帝国の官吏と共にここに来るというのは、どんな意味があるのでしょうね? 昔の彼ではこんなこと、考えられなかったけれど……。

 そんなことを思いつつ、メイドが紅茶を淹れるのを眺めていた。

「それで、今日いらっしゃったのは、なにゆえのことかしら? ランプロン伯はただのご挨拶でしょうけれど……帝国の方には、なにかお話があったのではありませんか?」

 二人の殿方を前にして、花やケーキについて楽しく会話を楽しむのも一興かとは思ったが。老人の暇つぶしに付き合わせるのも申しわけない。

 聞きたいことがあるなら遠慮なく、っと水を向けてみれば、ルードヴィッヒは特に緊張した様子もなく、深々と頷いて……。

「実は、オリエンス大公家について、お聞きしたいことがあり、こうしてランプロン伯にご一緒させていただきました」

「あら……当家についてですか?」

「はい。単刀直入にお聞きしたいのですが……オリエンス大公領、いや、辺境伯領は『サンクランドの自浄の確かさ』を国の内外に証明するための存在でしょうか?」

 ――あら、本当に単刀直入……。

 ルスティラの見立て通り、その口調は極めて知的であった。が、いささか直截に過ぎて、思わず、ルスティラは思わず目を瞬かせる。

 これは、性格ゆえのことなのか、それとも、なにか、こちらの心を揺らそうということなのだろうか……。

 老練なる前大公夫人は、優雅な仕草で紅茶のカップを回しながら、一呼吸おいて。

「ええ。その通り。そして、私の代でその機能は不全を起こした。オリエンス辺境伯の大公への格上げと、私と王弟の婚儀によってね」

 それを聞いて、ランプロン伯が息を呑む。されど、ルードヴィッヒのほうは特に気にする様子もなく……。

「それがわかっていながら、なぜ、そのようなことを?」

 またしても、踏み込んだ質問が来る。

 他国人であれば、それに答えることは容易だ。恐らく、このルードヴィッヒという男は、かなり頭が働く。だから話すことに意味はあるかもしれないが、問題は……。

 ルスティラはランプロン伯のほうに目をやった。

 ――どうしたものかしら……。

 彼は、別に悪い男ではない。善性の男だ。それに、頭も決して悪くはない。いささか頑ななところはあるかもしれないが、まずもって信用のおける人間ではある。

 だが……本当に良いのだろうか……? 彼に本心を告げることは……などと考えたところで、ルスティラは考えるのをやめた。

 自分は前大公夫人である。すでに、権力の第一線から引いた身。重責からは解放された身だ。

ではあるけれど、否、だからこそ、一人の暇な老人として、若い者たちに自身の見識をひけらかすのも悪くない。

 それに、サンクランド保守派の中に、自分と同じ物を見る人間を作っておきたかった。

 そうでなければ、いずれこの国は周辺国にとって憎悪の対象と成り果てる。力ある王の出現と共に恐れられるようになり、やがては、国のシステムがその王の心を殺し、破綻する。

 この二人が、今日ここに来たことにも、何かしらの意味があるのかもしれない

 ――ふふふ、老人の暇つぶしに付き合わすのも悪いなんて思いながら、結局は、楽しくお話ししてしまいそうですね。

 ルスティラは賢い人だった。そして、他人と会話するのが好きな人だった。

 だから滅多にない、ナホルシア以外の知者との対話を、ついつい楽しみたくなってしまったのだ。

「では、その話の前にランプロン伯に聞いておきたいのですけど……」

 口元に品の良い笑みを浮かべて、ルスティラは言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
未来がどうなろうと、それは未来の者の決断。 そもそもミーア様がそういう人だものね。 まあミーア様はベルまではきちんと御目付する気では居そうですけれど。 何事かを言うにも先ず見せるべきは背中であるから…
圧倒的な程の知的会話 温度差で風邪ひきそう
シオンがどうなるか解ってて何もしないんだね〜 ほんとうに賢い人って明日世界が終わるとしても、働く意欲が湧かないなら自分からは絶対動かないんだよね⋯ 忠誠を誓う存在の為とか、唯一愛を捧げる相方の為にとか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ