179 赤いナニカに追われ 剣奈は恐怖でお漏らし
フワリフワリ
「なんだろう。光ってる。蛍かなぁ」
剣奈は鍾乳洞の中で、ふわふわとした光に包まれていた。それは青白く小さな光るナニカだった。
剣奈は数十もの、小さな青白く光るナニカに囲まれていた。鍾乳洞のなかで幻想的に光るナニカは、とても美しい眺めだった。
例えるなら、満天の夜空の星。剣奈は光りに包まれて、ぷかりぷかりと星雲の中、漂っている錯覚にとらわれた。
夜の海でシュノーケリングやダイビングをやったことがある人ならわかるだろう。夜光虫に囲まれ、幻想的な気持ちになるのを。
夜光虫は海に生息する小さなプランクトンである。手で水をかき分けたり、フィンで水を蹴ったり、刺激を与えると、青白く美しく発光する。青白き光に囲まれた夜のダイビング、まるで幽玄の世界を漂うようである。
剣奈は青白い光に囲まれ、うっとりと周りを眺めていた。青白く光るナニカに照らされるつらら石。とても幻想的だった。
足元から伸びる石筍も、光に照らされてぼんやりと輝いていた。
「うわぁ。夜の鍾乳洞って、こんなきれいなんだ。これなら全然怖くないや」
ジュッ ジュッ
青い光は剣奈に接すると、まるで蒸発するように空中に解けて見えなった。剣奈は気づいていない。それは剣奈の神気に引き寄せられた霊魂だと……
玲奈が見た海から湧き出る青白い光。今、剣奈を取り囲んでいる光である。その光は海難事故で亡くなった方の彷徨う霊魂だった。剣奈の神気に惹かれ、現世から幽世に、位相を超えて漂ってきたのだった。
成仏しきれなかったソレらは、意識もないまま、誘蛾灯に惹かれる虫が如く、剣奈に群がった。そして剣奈を薄く覆う神気に接すると、瞬く間に浄化された。篝火に飛び込んだ虫が炎につつまれるように、ソレらは静かに消滅して輪廻の輪に帰っていった。
剣奈はもちろんそのことに気づいていない。青白い光は蛍だと思っている。もし剣奈がそれが霊魂だと気がついたなら、とても平静ではいられなかっただろう。
ジュッ ジュッ
ジュッ ジュッ
剣奈はしばらく、青白く光る霊魂と戯れつつ、霊魂の光に照らされた鍾乳洞の織り成す、美しく幻想的な風景に見とれていた。
野島鍾乳洞の鍾乳石は、派手さはないが数多く存在する。その多くが小型のつらら石や石筍である。
鍾乳洞の入り口付近は鍾乳石の数は少ない。しかし洞窟の奥に進むほど、鍾乳石の数は増える。洞窟を進んでいくと、成長した鍾乳石を見ることができるのである。
さらに注意深く見ると、野島鍾乳洞を形成する鍾乳石に、多くの化石を見ることができる。カキやフジツボをもとにして形成された石灰岩層ならではの珍しい光景である。
ジュッ ジュッ
ジュッ ジュッ
剣奈を取り巻く無数の霊魂は、どんどん浄化されていった。
ア……リ……ガ……ト……ウ……
剣奈はどこからか響く声を聴いた気がした。海難事故で亡くなり、成仏しきれずに漂っていた霊魂たちである。いったいどれほどの時間さまよい続けてきたのであろうか。
意思も持たない浮遊体になっていたソレラは、浄化され、成仏するときに、一瞬だけ人だったころの意識を取り戻した。そして成仏させてくれた剣奈に、お礼の言葉を伝えたのである。
剣奈はそのことを、まったく自覚していない。
「あれ?蛍がいなくなっちゃった。真っ暗になっちゃったよ……」
これである。
「あぁあ。また暗くなっちゃったよ。気を付けて進まないと」
剣奈はポケットの小型のLED電灯を探り、スイッチを押そうとした。その時である。
ピチャリ ピチャリ
ピチャリ ピチャリ
剣奈の背後で、音が聞こえた。
「あれ?湧き水かなぁ?水滴の音がするよ」
ピチャリ ピチャリ
ピチャリ……
「え?なんだか、だんだん…… 近づいてきてるような……」
ピチャリ ピチャリ ピチャリ ピチャリ
はじめは遠くに聞こえていた水音だった。しかし時が立つにつれ、その音はだんだん近くなってくる気がした。
剣奈は慌てて、ポケットの小型LEDライトを探り、スイッチを押した。
カチャリ
「え?」
カチャリ カチャリ
「嘘。新しい電池を入れたはずなのになんでつかないの?」
ピチャリ、ピチャリ
ヒュー
イ……タ……イ……
ヒュー
クル……シ……イ……。
ふと剣奈の耳にナニカ言葉のような音が聞こえた。
「か、風の音だよね。ボク、知ってるよ?」
ク…………ル…………シ…………イ…………
タ…………ス………………ケ………………テ…………
風の音に紛れていた言葉のような声。それが、今やはっきりと意味のある言葉として、剣奈の耳に届いた。
「え?なに、なに?れ、玲奈姉なの?いたずらはやめてよぉ」
明らかに意味のある言葉に、剣奈は玲奈のいたずらを思った。剣奈は玲奈(仮想の)に向かって声をかけた。
「ははは。ビビりやがって。この怖がりが」
そんな玲奈のからかいを期待した剣奈である。しかし玲奈からの返答はなかった。
ただ、水音だけが響いた。
ピチャリ ピチャリ ピチャリ ピチャリ
ピチャリ ピチャリ
水音はどんどん剣奈に近づいてきた……
剣奈はパニックを起こしたようにLED電灯のスイッチを押し続けた。しかし、ポケットの中のそれが光ることはなかった。
ピチャリ ピチャリ ピチャリ ピチャリ
明らかに水音は近づいていた。ふと剣奈は気づいた。石灰岩の壁の奥が、ぼんやり光っているのを……
赤かった……
赤いナニカが、そこにいた……
ソレは腕を伸ばし、剣奈に近づいてきた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
剣奈は恐怖に駆られ、やみくもに走り出した。暗闇で何も見えないまま。ただ恐怖に駆られ、赤いナニカから遠ざかるように……
「はぁはぁはぁ」
どれくらい走っただろう。気がつくと後ろの気配は消えていた。
「あ、あれ?気配が消えた。逃げ切れたのかな」
剣奈は後ろから追いかけてくる気配がなくなったことに安堵した。
逃げ切れた。
剣奈はほっとした。そして前を向いた。顔を、あげた。
赤いナニカがそこにいた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
剣奈は腰を抜かして尻もちをついた。あまりにもの恐怖に両手で頭を抱えた。
「い、いやだ、怖いよぉ」
剣奈は涙目で震えていた。尻もちをついておしっこをちびりそうになっていた。
ワ……タ……シ……ノ…………
「あっ」
限界だった。剣奈はあまりにもの恐怖に体を震わせた。そして……
ジュワン
ピチャ、ピシュ、ピシュ……
「れ、玲奈姉ぇ……」
剣奈はか細い声をあげて泣き出した。尻餅をついた剣奈のお尻の下で水音がした。恐怖のあまり、剣奈はおもらしをしてしまったのである。
怯えた剣奈のお尻の下で、黄色い水たまりはじわじわと広がっていった。




