178 藤倉の怪談談義 見逃された赤い影
「これは伝承というよりは伝承の種みたいな話なんだけどね」
「伝承の種だぁ?なんだそりゃ」
「個人の経験談として釣り人がブログにあげてる話なんだよ」
『ありうる話じゃな。人の体験が語られる。それを信じる人が増えれば噂となる。噂は人の想いを良き寄せる。想いが引き寄せられるとそれが核となり、さらにもっと多くの想いを引き寄せるようになる。そうして様々な現象が、中には偶発的減少や見間違いもあるのであろうがの、それが理由をもって語られるようになる。そして体験がやがて伝承となってゆく。よくある話じゃよ』
「へぇ。なるほどね。それでそれはどこのどんな話なんだ?」
「諭鶴羽ダム、別名金山ダムだよ。さっき話した美女池に近い場所にある」
「金山ダムだぁ?聞いたことあるぜ。でも淡路島じゃねぇだろ?」
「そうだね。心霊スポットとして知られている有名な場所だよ。千葉県鴨川市のダムで金山湖とも呼ばれている場所だ。関東の有名な心霊スポットだよ」
「ちなみにどんな場所なんだよ。その千葉の金山ダムはよ」
「いろんな噂がささやかれてるよ。ダムで赤い服を着た女性を見たとかね。その女性はダムやつり橋、トンネルなどで目撃されてるんだ。それでね、たいてい目撃者はその女性を不気味に感じて遠ざかろうとするんだ。でも気配は消えない。いつまでたっても追いかけてくる気がする。そしてある時、ふと後ろの気配が消えるんだ」
「逃げ切れたのか」
「そう思うだろ?追いかけられていた人も(逃げ切れた)、そう思って一息つくんだ」
「よかったじゃねぇか」
「この話はそこからが怖いんだよ。ほっと一息ついたその人は、ふと目をあげるんだ。するとね…… いるんだよ。目の前に。追いかけてきた赤い服の女性がたっているんだよ……」
「普通に怖えーよ。怪談としてより、その粘着と執着が怖えぇよ」
「そうだね。これはおそらく日本古来から伝わる、のっぺらぼう伝承の傍流なのかもしれないね」
「話がまざってやがるぜ」
「そうだね。でも伝承ってそんなことも多いんだよ。怪異からの連想もね。今回の話で連想を引き起こすものは「赤」「女性」「トンネルの暗闇」、そして「水」かな」
「なんだそりゃ?」
「トンネル内では子守歌や赤ん坊の泣き声がするというよ?トンネルは暗いし、女性の膣、つまり産道を連想させる。赤ん坊の怪異とは相性がいいんだよ」
「スケベなだけじゃねぇのかよ」
「まあ連想には性的なものも多いからね。あとはつり橋を渡っていると、いつの間にか手が伸びてきて水中に引きずり込まれそうになるんだそうだ。これは水のある場所で、よく言われる伝承だね。関東に伝わる手長婆の伝承なんかもそうだし、河童の伝承もそうだ。そして海坊主や海の怪異とかもね。「水」はこの世とあの世の境目としても、よく使われる。冥界の門、境界という感じかな。実際、水難事故の死者は多いしね」
藤倉はふと、ゾクリとする感覚を覚え、身を震わせた。
「キーワードの根本は赤い服の女か。その手の話はよく聞くな。なんで赤なんだ?」
「これは推測なんだけどね。赤は血の色だろ?だから赤い色に不吉な恐ろしさを感じる人が多いんだ。テレビがこれをステレオタイプ的に使ってね。子供を失ったり未練のある亡くなり方をした女性に、赤い服を着せて表現したことがよくあったんだ。だから金山ダムには赤い服の女性が出るという伝承が生まれた。そして「赤」と「女性」からの連想で「赤子」が連想され、赤子の怪異伝承が生まれた。さらに「水」との関係で「引きずり込む手」の伝承が生まれる。もしかするとそんな感じかもしれないね」
「なるほどな。で、それが淡路島となんの関係がある?」
「不思議なことにね。淡路島の金山ダムでも「赤い服を着た女性の目撃談」「すすり泣く声」「子守唄」「赤ん坊の声」などの怪談話が語られているんだ」
「なんだそりゃ。千葉の金山ダムと勘違いして話してんじゃねぇの?」
「そうかもしれない。でも聞き逃せない伝承として「サンマ」の話があるんだ」
「サンマ?うまそうじゃねぇか。食いてぇのか?」
「いや魚のサンマじゃなくてね。仏教用語なんだよ。三味と書く。もともとはサンスクリット語からきていてね、「サマーディ(samādhi)」の音がもともとなんだ。その意味は心を一つの対象に集中させる瞑想状態とか、精神統一の境地を意味してるんだ。ほら、よく「贅沢三昧」とか、「ゲーム三昧」とか、「温泉三昧」とかいうだろ?その「三昧」と同じだよ」
「テメエは「剣奈三昧」だな。まあそれはわかったけどよ。淡路島と何の関係があんだよ」
「話は平安時代にさかのぼるよ。九八六年(寛和二年)に比叡山横川の首楞厳院に二五人の僧が集まったんだ。そこで極楽往生を願って念仏三昧を唱えたそうだよ。それを二十五三昧会という。極楽浄土、つまり死後に行く場所だね。そこから日本仏教では死者の供養や葬儀での読経の儀式が三昧会と呼ばれるようになったんだ。そこから儀式の場や死者を供養する場所、さらには墓地や埋葬地のことを三昧と呼ぶようになったんだ」
「なんだそりゃ。ほとんどこじつけと連想ゲームじゃねぇか」
「その通りだね。でもこのこじつけと連想のパターンは伝承で極めてよくみられるんだ。日本だけじゃないよ?例えば有名な珈琲銘柄にモカってあるよね?」
「はぁ?なんだ?藪から棒に。そんなにアタシの珈琲がうまかったってか?」
「うん。とってもおしかったよ」
藤倉の言葉に玲奈の頬が少しだけ赤く染まった。
「そうかよ。ならまた入れてやるよ」
「ありがとう。楽しみにしてるよ」
「いいから話を続けな」
「それでね。モカというのはもともとイエメンの紅海沿岸にあったモカ港(Port of Mocha)の名前なんだよ。ここはかつて一五~一九世紀ごろに珈琲の輸出港として栄えたんだ。今はモカ港はないんだけどね、積み出し港からの連想で珈琲の銘柄として名を遺した。こんな感じで元は地名だったものが銘柄の名前になったとか、元の意味とは違う形で名前が残るのは、よくあることなんだ」
「は、極楽行きたくてお経ばっかよんだら、お経ばっか読むことがお墓をさすようになったってか。ただのギャグじゃねぇか」
「そうだね。でもそれが隠語となる。遺体をね、池に沈めたんだよ。そしてそこをサンマと呼ぶようになった。遺体を沈めたサンマ池に不吉な赤い服と赤ん坊。そんな噂の種が伝承に変わりつつあるのかもしれないね」
藤倉の声が途切れた。あたりはすっかり闇に包まれた。ランプの炎が二重にきらめいた。
現世と幽世の位相が重なった。その瞬間、「赤い影」が鍾乳洞の入り口に揺らめいた。そして赤い影は鍾乳洞の中に消えていった。
ピチャン、ピチャン
かすかな水音を立てながら……
ザザァ
波の音が響いた。藤倉も玲奈も海を見た。日はすっかり落ちていた。あかね色の線が海をわずかに照らしていた。
洞窟の赤い影と水音は二人の意識から完全に見逃された……




