174 鍾乳洞奥に置かれた宝 ツンデレ玲奈は一人で赤くなる
ヒュウー
異界に風が吹いた。小高い丘の広場に剣奈、玲奈、藤倉が現れた。剣奈の天に掲げた両の手には来国光が載っていた。
玲奈と藤倉の後ろには二台のバイクが並んでいた。丘から海が見えた。潮騒の音が聞こえた。
「やったぁ!成功!」
剣奈がぱっと顔をほころばせた。玲奈と藤倉はそんな剣奈をやさしく見守っていた。
「さてと、設営するか。藤倉、剣奈、頼んでいいか?アタイはちょっと周りの様子を見てくる」
「了解!任せてっ!」
「わかった」
剣奈はキャンプの設営という重大任務を任されたと思い、胸を張って答えた。藤倉は玲奈の意図を察し、短く返事を返した。
玲奈はさりげなく藤倉のリュックを持つと、広場横の坂道に入り、野島鍾乳洞へ向って坂を下っていった。
谷の底にたどり着くと、草に覆われた野島鍾乳洞の入り口が現れた。黒い闇のようだった。
今は午後四時過ぎである。八月の陽射しはまだ強かった。気温は三十二度を超えていた。
玲奈が洞窟の入口に立つと、ひやりとした空気が頬を撫でた。水気の匂い、そしてほのかに石灰の匂いが感じられた。
「涼しいな。天然の冷房だぜ」
玲奈は独りつぶやいて、LEDライトを点けた。野島鍾乳洞の入り口は狭かった。かがんでやっと通れるほどだった。小川から水が流れ込んでいた。
野島鍾乳洞は奥行きおよそ二百五十メートルである。玲奈はライトを照らしながら慎重に洞内を下っていった。
「なんだぁ?何かの残留気がありやがる。まぁ、悪さするようなもんじゃなさそうか……」
玲奈がつぶやいた。その目にはぼんやりと白い靄のようなものが見えていた。人の見えざるものを視る玲奈にとって、珍しいものではなかった。
悪意があれば黒っぽく、そうでなければ白っぽく見える。白っぽいなら大丈夫と判断した。
玲奈はゆっくりと先に進んだ。通路は奥で少し膨らんだ。湿った石の柱が見えた。
ピチャン ピチャン
足元に水が細く流れていた。天井から落ちた水滴が水にあたって音を立てた。
「剣奈め。きっと怖がりやがるぜ」
玲奈は怖がってビビる剣奈を想像してニヤリと悪い笑顔を浮かべた。玲奈はさらに慎重に進んだ。靴底から伝わる岩がひんやりと感じた。ライトに照らされた壁面は水に濡れていた。
「……ここかな?」
玲奈は奥の開けた空間にたどり着いた。そこにはわずかに空気の流れがあり、外光が細く差し込んでいた。地面に滑らかな岩棚が突き出していた。ちょうど短刀を置くのに適していた。
玲奈は藤倉のリュックを下ろした。玲奈は紫の刀袋をほどき、包みから短刀を取り出すと、両手で丁寧に置いた。
鍾乳洞の奥深く、岩棚に置かれた白地に黒の斑点模様の鞘の模擬短刀。それは神々しい雰囲気を醸し出していた。
「ふふふ。剣奈が見つけたら、きっと喜ぶぜ……」
玲奈はにやにやしながら、短刀の位置を見栄え良く調整した。そして周囲の石をさりげなく積んでカモフラージュした。
ザザァ ヒュウ
洞内の冷気に混じって、遠くから潮と風の音が響いた。
「よし。任務完了っ」
玲奈はほっと息を吐いた。しばらく歩いて玲奈は背後を振り返った。石に隠された短刀は見えなかった。
ヒュウ
外から吹き込んだ風が柔らかく通路をかけ抜けた。
ピチャン
洞壁の水滴が落下した。
キラリ
外光を受けて、刀が一瞬、光った気がした。しかしすぐに短刀は見えなくなった。
玲奈は身体を丸めて狭い鍾乳洞の入り口をくぐり抜けた。急に強くなった外光に、玲奈は目を細めた。蝉が激しく鳴いていた。
玲奈の肌に熱く湿った空気が張りついた。鍾乳洞のひんやりとした冷気に慣れた身体に、外は一段と熱く感じられた。
玲奈が背後を振り返ると、鍾乳洞の黒い割れ目が細く口を開いていた。玲奈はライトのスイッチを切ってリュックに放り込んだ。
玲奈は細い坂を上り始めた。坂は湿っていた。足元には木の葉が敷き詰められていた。時おり白い破片が見えた。
坂を上る途中で海が見えた。水面は穏やかだった。陽を受けた波が細かに光り輝いていた。
玲奈は立ち止まって風を受けた。潮の香りがさわやかだった。右手に明石海峡が見えた。橋は架かっていなかった。
「いい島だな」
ぽつりとつぶやく声は、海風に混じって消えた。
玲奈は坂を登りきり、広場を目指して歩みを進めた。陽射しはまだ強かった。鳥の羽音がした。
やがて視界に二台のバイクが見えた。ドヤ顔の剣奈が誇らしげに立っていた。藤倉は手ぬぐいで汗を拭いていた。
「あ!おかえりっ、玲奈姉っ!ボク、テント張れたよっ!」
剣奈が満面の笑みで駆け寄ってきた。
「おー、上出来じゃねぇか。よし、そんじゃあ飯にするか。設営に頑張った剣奈と藤倉は休んでな。アタイがうまい飯を作ってやるからよ」
「うわぁぁぁ!楽しみ!」
「俺も手伝うよ」
剣奈はキャンプチェアに座り込んでワクワクしていた。玲奈は焚き火シートを広げた。藤倉がその上にコンロ、焚き火台を少し離して並べた。
玲奈が焚き火台に薪を積んでいった。風がやわらかく吹いていた。藤倉はコンロの周りに防風板を立て、風をやわらげた。
「オメェ案外、働き者じゃねぇかよ」
玲奈がかいがいしく食事の準備をしていく藤倉をみて、意外そうにつぶやいた。
「そりゃ、一人暮らしだし、キャンプも慣れてるからね」
藤倉がなんでもなさげに返答した。
これまで玲奈が付き合った男たちは、玲奈が食事の用意をするのを当然のように眺めていた。
玲奈には食事の支度を手伝う異性の存在が珍しかった。少しだけ嬉しかった。ほんの少し、胸が温かくなった。
(けっ。藤倉のくせに)
玲奈は嬉しさを隠すように心の中で悪態をついた。
藤倉は折り畳みウォータータンクにペットボトルから水を満たし、台の上に設置した。さらに飯盒に研いだ米を入れ、水を注いた。手際が良かった。
(けっ。藤倉め……)
玲奈は心の中で悪態をつき続けた。しかしその頬はほんのり染まり、耳まで赤くなっていた。
(くっ。おさまりやがれアタイの心臓……)
玲奈の鼓動が速まった。胸がどきどきした。心の奥に熱い気持ちが湧き上がってきた。玲奈は懸命にそれをねじ伏せた。
彼女はジャガイモ、ニンジン、玉ねぎをカットしながら、藤倉から目をそらした。そして短刀の眠る洞窟を思い返した。
ひんやりとした闇の奥、小さな祈りのように置かれた短刀――光を放っていた。
ヒュウ
潮の匂いがした。玲奈の心の中でその短刀は、いつまでもほのかに静かに光り続けていた。




