165 闘いおわり船上パーティー 玉藻は優雅に微笑み 藤倉驚愕す
「お帰り。剣奈ちゃん。お疲れ様でした。さあ、乙女舞に行こう!」
帰還した剣奈を見た藤倉が開口一番言った。よっぽど楽しみにしていたようである。
剣奈は目がぐるぐるナルトになった。猿との闘いは苛烈だった。九尾との闘いでは死に追いやられた。
藤倉との約束は……
剣奈の頭からすっかり消えていたのである。
「藤倉ぁ。悪ぃがそんな余裕はなかったんだ。剣奈はいっぺん死んだ。戻ってテメェを連れて乙女舞をする余裕なんぞなかったんだ。空気読みやがれ」
玲奈がじろりと藤倉を睨みながら言った。
「そ、そうなんだ」
藤倉は残念そうに目を伏せた。しかし剣奈が死に追いやられたということを聞き、ここで駄々をこねるのは得策ではないと大人の判断をした。
「ごめんなさいね。そんな約束をされていたのね」
玉藻が言った。
「あれ?え?いつの間にか増えてる?えーっと、その美人さんはどなたかな?」
藤倉が尋ねた。
「あ、あのね、色々あって……」
剣奈が顔を赤らめてはにかんだ。藤倉は可憐に紅潮した剣奈に釘付けとなった。
「コイツ、何でも拾ってきやがるからな。あぁ、アタシもそのうちの一つか」
玲奈が自嘲するように吐き捨てた。
「まあ話を聞こうじゃないか」
山木がにこやかに言った。
「さあ乗船しよう。そしてその新メンバーの話を聞かせてもらって良いかな?」
「うん!あのね……」
――――
剣奈たちが土生港からクルーズに出発した。山木の尽力により借り受けたおのころ丸である。
山木たちはどこからかスロープを調達していた。スロープを使って玲奈のバイクをおのころ丸に積み込んだ。時間は午後四時を回っていた。
眩いほどの真夏の太陽が、西の空に高く輝いていた。雲ひとつない青空が、さわやかに天空に広がっていた。
淡路の海は深く澄んだ紺碧に澄み渡っていた。海面に陽射しが反射し、波がキラキラと光った。
ブォー
おのころ丸の排気音が響いた。ブルルルル。振動が船体全体に伝わった。甲板が揺れた。船はゆっくりと発進した。
ゴォォォ
港を出ると推進音が変わった。山木がエンジンを強めたのである。
甲板に波しぶきが舞った。陽射しに海がキラキラと輝いた。穏やかなさざ波が時折、水しぶきをあげた。
ヒュウ
潮風が青く透明に吹き渡った。剣奈たちは風に包まれた。
闘いを終えて火照った身体に、潮風はひんやりと心地よかった。夏草と潮の香りが感じられた。
夕方を回ったというのに真夏の太陽がいまだ高く輝いていた。どこまでも青い空の下、見渡す限り、瀬戸内海は紺碧に澄み渡っていた。
釣り船が遠くに数艘見えた。遠方に大型船が通るのが見えた。
陽を浴びて銀色に瞬く波頭の合間を、白いカモメが飛び交った。おのころ丸の白い航跡が後方に長く伸びた。
「剣奈ちゃん。お疲れ様」
藤倉が声をかけた。デッキにはキャンプチェアが四脚並べられていた。剣奈、玲奈、山木、藤倉の四人の乗船の予定だった。そのため椅子が一脚たりなかった。
山木が運転席から声をかけた。
「私はしばらくキャプテンに専念するよ。四人でゆっくりと座ってくつろいでいてくれたまえ」
山木、紳士である。
藤倉は…… 遠慮もなく剣奈の左隣に座った。剣奈の右隣には玉藻が座っていた。玲奈がしぶしぶ藤倉の左隣に座った。
「剣奈ちゃん。海が綺麗だね」
藤倉がそう言いながら右手をそっと剣奈の肩に伸ばそうとした。
ガタッ パシッ
「このセクハラ野郎。立て!席を変われ」
「えええええ…… そんなぁ…… 俺、留守番してたんだよ?もうちょっと優しくしてくれても……」
「ああ。優しくしてやるよ。海に叩っこむのは勘弁してやる。さっさと席を移りやがれ」
シュン
藤倉が渋々左端の席に移動した。ちゃっかりイスの向きを変え、身体ごと剣奈の方を向いていた……
「それで…… この美人さんを紹介してもらっていいかな?」
「うん。きゅうちゃ、自己紹介できる?」
「もちろんですわ。私は玉藻。鳴門海峡の海底に長く封じられていましたの。それが悪い闇に取り憑かれて…… それを剣奈ちゃんに救っていただきましたの」
藤倉は仰天した。鳴門海峡の海底に長きにわたって封じられてきた存在。そんなもの一つしかない。そして名前……
「えっと、もしかして藻女と呼ばれていた方かな?」
「あらぁ?昔のことですのによくご存じですわね」
玉藻が優雅に微笑んだ。藤倉は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
(藻女、玉藻。それに当てはまる存在は、大怪異「九尾の狐」しかないではないか。剣奈ちゃんはなんてモノを拾ってきたんだ……)
「あの。失礼を承知でお伺いしたいのですが…… こちらの世界で、昔の様に華やかな生活をお望みですか?」
「いいえ。そんな生活…… いままでも自ら望んでしたことはありませんわ。そう…… 宮廷で生活させられた時も…… 無理やりこの島から連れ出されましたの……」
「そうなんですか?」
「ええ。浜辺で舞っておりましたところ、運悪く高貴な方に目をとめられてしまって…… あれよあれよという間に……」
藤倉はじっと玉藻を見つめた。山木はとんでもない話の流れに、船のエンジンを止め、錨を下した。そしてアンカーボールをマストに掲げたのち、デッキに出て話を聞き始めた。
「私、船が難破して、この海岸に流れ着いたの。優しい夫婦に拾われて育てられましたわ。あの時、父が漁にでるのを見送って、無事を祈って舞っておりましたの。それが目に留まってしまって…… 都に出なければ両親に迷惑がかかることになってしまって…… それで……」
「そうだったんでね。言い伝えによると、天皇や上皇に、色、いや好意をしめして宮中を騒がせたと聞いたことがあるのですが……」
「そうね。優しく言い寄られたわ。でも…… その時、私には好いた方が心にいたので…… できるだけ距離を取ろうとしておりました」
「そうなんですね」
「ええ。なるべく静かにしていたかった。でも…… 皆様方は…… ことあるごとに宴を開かれ…… 香をしたためた手紙や、和歌、お言葉を沢山いただきました」
「そうですか……」
「けっ。嫌がってんのにうぜぇよな」
玲奈が眉をしかめて吐き捨てた。玉藻が話を続けた。
「無下にお断りするわけにもいかず、微笑で流していたのですが…… ある時、帝と親しい女性の方が騒ぎだしまして…… いつのまにか正体が露見してしまい…… 追われることになってしまいましたの……」
「はっ。嫉妬かよ。醜いねぇ」
「それで東の地まで逃れたのですが…… 追い詰められ…… 殺生珠に封じ込められてしまいましたの……」
「ひでぇ話だぜ」
玉藻は顔を伏せ、唇をかんだ。眉根をギュっと寄せて瞳を閉じた。それから顔をあげ、わずかに微笑んだ。
「石に封じられた後は…… 意識がもどったり…… ふっと意識が遠のいたり…… まるで夢の中にいるようでした」
「伝説によると九尾の狐が那須野が原で封じられたのは一一五六年(保元元年)ごろ。今から九〇〇年ほど前の話かな」
藤倉が言った。
「あら?そうなのですの?私の記憶では千年ほど封じられていた感覚ですのに」
「そうなんですね。あまりに長い時なので玉藻さんの記憶があいまいになってるのか、伝承の方が作られたものなのか……」
「はっ。どうでもいいじゃねぇかそんなのは。九〇〇年だろうが千年だろうが、そんな長い間閉じ込められてきたんだ。どんな違いがある?屁理屈ばっかこねてんじゃねぇよ。このクソロリが」
玲奈がうんざりしたように藤倉をにらんで言った。
「い、いや……そんなわけじゃ……」
藤倉がたじろいだ。
「はははは。学者にとっては一年でも大きな違いなんだよ。でも…… これは学問じゃない。藤倉君、別にいつだったかなんてどうでもいい、そういうことにしようじゃないか」
山木が助け舟を出した。
「そうだよ。きゅうちゃは、きゅうちゃ。ボクたちの新しい仲間。過去のことなんてどうでもいいよ。それにお母さん言ってた「女の秘密を暴くものには死を」だって」
剣奈が口を開いた。
「まったくだぜ。クソ藤倉。女の秘密を暴こうとすんじゃねぇ」
玲奈が追撃した。
「え、い、いや、そういうつもりじゃ」
藤倉がたじたじになった。
「ははは。その通りだよ。女性の秘密には手を触れない。それが男のたしなみというものじゃないかね…… ところで剣奈ちゃん、玲奈さんお腹減ってないかな?船上パーティをしようと思ってサンドイッチとか、おにぎりとか、からあげとか、ポテトチップスとか、いろいろ買い込んできたんだよ」
山木がさりげなく話題転換を試みた。
「うわぁ。食べる食べる!きゅうちゃの歓迎パーティだよ!」
剣奈が元気よく言った。
山木がキャンプテーブルを出し、食事やお菓子を並べはじめた。
「手伝うぜ」
玲奈が立ち上がって準備を手伝った。
「ほら。ジジイは椅子に座んな。あたいは若いからここでいいよ」
玲奈が船べりに腰を掛けてニヤリと笑った。
船上パーティーが始まった。五人はいつまでも和やかに話し合っていた。




