159 雲に乗りたい!あの日の挫折と実現する夢 実を結ぶ千剣破の科学教育
さて。来国光によって部屋で休憩することを命じられた剣奈である。
「退屈だなぁ……」
剣奈はぼんやり窓を眺めていた。窓から青い空が見えた。空は広かった。青かった。雲が……、美しかった。
昔は……、雲に乗れるって思ってた……
「お母さん!ボク!あの雲に乗って空を飛びたい!」
その一言が始まりだった。その週末、千剣破は剣人を連れて高尾山に来ていた。二人は高尾山の登山道入口に立っていた。剣人は高尾山を見上げていた。
高尾山は標高五九九メートルの低山である。この山は多摩丘陵と関東山地の境界にあり、地質学的には中生代白亜紀の「小仏層群」に属している。
登山道中、露頭に砂岩や泥岩が交互に層を成すのが見える。岩盤は七十度近い急峻な傾斜で地表に顔を出している。黒色粘板岩が所々で見られる。かつて硯石として利用されたほど硬い石である。
剣人は麓から山を見上げていた。山頂はすっぽりと白い雲の中に隠れていた。
「雲があるね!今日は雲の上に行けるの?乗れる?あっ!でも、雲が邪魔でそこから上に行けない?」
剣人ははしゃいでいた。千剣破は静かに微笑んだ。そしてノリノリで言った。
「我ら雲を求めし冒険者なり。我がパーティー仲間よ!あそこに雲が見ゆる!さあいざゆかん!我らの手で雲をつかみ取るのだ!」
「おう!」
千剣破が冒険開始の宣言をした。剣人は大喜びで「冒険」を開始した。
――千剣破……。謎が解けてきたぞ?そうか!剣人ワールドを作り上げたのは、君だな?
時々剣人ワールドが分からなくて頭を抱えてる千剣破くん……。君だよ?君!君のそんな一言一言が、剣人ワールドを作り上げてきたたのだよ。自覚……、ある?
ザッザッザッザッ
二人はそろって登山道を歩き始めた。しばらくすると、濡れた地面に砂岩と泥岩が交互に露出しているのが見えた。
「おおお!二つの岩が交互に重なってる!」
「ええ。地層っていうのよ?成分が違う地面が重なってるのよ」
「おおおお!」
剣人はますます高揚していった。
高尾山。一億年前、中生代白亜紀に深海底で堆積し、その後のプレート運動で盛り上がって形成された山である。小仏層群の一角である。
急峻な地層には断層と褶曲が見える。地面のうねりが見えるのである。構成されるのは粘板岩や頁岩である。
「高尾山など低山だ。簡単なハイキングコースだ」
そう思う人は多い。インバウンドの外国人がサンダル履きの軽装で訪れるのを見るのも多い。
しかしそれはとんでもない誤解をはらんでいる。高尾山はしっかり登山なのである。初心者が軽装で登れる登山道があるのも事実。なのでサンダルでも登れはするのだが……
「ふんふんふん♪」
剣人が鼻歌を歌いながら千剣破と山を登っていった。高度が増すにつれ、森が乳白色の霧に覆われるようになった。
そして二人は山頂にたどり着いた。山の上は霧の中であった。視界は白いヴェールに包まれていた。
「あれ?一面の霧だよ。雲、どっかいっちゃったのかなあ?あーあ。雲に乗りたかったなあ」
タタタッ
ピョン
剣人は走り出した。そして手を伸ばして上空にジャンプした。
千剣破がゆっくりと剣人に話しかけた。
「これが雲よ?」
「えええ?」
「雲はね、水の粒なの。下から見れば雲。でもたどり着けば霧になる。空に浮かぶ白い雲も同じ。この霧も同じ……」
「えっ!?じゃあ……!じゃあ……、雲には乗れないの?」
「手で掴むことはできるわ。ほら?」
千剣破が霧をギュッと手で掴んだ。
「でも……、乗るのはちょと難しいかな……」
――――
剣奈はぼんやりと昔の「冒険」を思い出していた。
「あーあ。雲に乗りたかったなぁ……」
剣奈はそう呟いた。剣奈は寝っ転がったまま何気なく手を伸ばした。先ほどの訓練の名残で剣奈は身体の中に剣気が満たされているのを感じた。
「ボクがもっと軽かったら雲に乗れるのかなぁ……?」
剣奈は何気なく伸ばした手で空中を押した。
「え?」
剣奈の手に……、何かを押した感触があった!
「えっ?えっ?えっ?」
今の感触は何だったのか?剣奈はまた空中を押してみた。
スカッ
なんの抵抗もなく手はそのまま伸びた。
「あれ?あ、でも?ん?ん?もしかして……、剣気結晶?まさかね?」
剣奈は再び手を空中に伸ばした。
「ん♡」
剣奈は手に剣気を集めた。そして手のひらに薄い板状の剣気の結晶を作ってみた。
そして……、押した。
スッ
剣気結晶は瞬時に空中に溶けた。
「あれ?」
しかし剣奈の手は感じ取っていた。確かな感触を感じていた。手のひらに伝わった……、押し返される感触を……
ガバッ
剣奈は上半身を起こした。そして部屋の空気を見た。何も見えなかった。しかし剣奈には確かに感じられた。部屋の中に剣気や神気のようなナニカが漂っているのを。
――剣奈が感じたナニカ。それは霊脈気である。読者様は剣奈が心眼を会得した時のことを覚えておられるだろうか(六九話)。今の剣奈の周りには……
来国光は感じていた。剣奈の周りに常にわずかながら剣気や神気のようなもの、すなわち霊脈気が漂っているのを。
はたして本人が無意識的に周りに放出しているモノなのか?それとも剣奈が剣気を身体に流すことで剣奈の体表に剣気が薄く纏われるが、ソレが身体から剥がれ落ちたモノなのか?あるいはご加護なのか?
来国光にも理由はわからない。しかし剣奈の周りに霊脈気が存在するのは事実なのである。
剣奈は立ち上がった。
「ん♡」
足をわずかにあげた。恐る恐る足の裏に板状の霊脈気結晶を作った。
そして……、乗った……
「あっ!」
ドスン
剣奈の足が床に落ちた。しかし、その前。一瞬である。一瞬ではあるのだが……、剣奈の身体は確かに浮いた。
階段を上るように。足の裏にできた霊脈気結晶を踏み台にするように。すぐにその結晶は瞬時に空中に溶け消えたのではあるが……
「クニちゃ、クニちゃ!」
『うむ。なにやらまたとてつもないことをしておるのぉ』
来国光は瞠目していた。剣奈がぼんやり空中に手を伸ばして遊んでいる。そうおもったらいきなり立ち上がった。そして……次の瞬間、剣奈は確かに浮いたのである。空中に。何かを踏み台にしたように。
「見ててね。ん♡」
剣奈は左足をあげて足裏に極薄極小の霊脈気結晶を作った。そして踏み出した。剣奈の身体が浮いた。
次の瞬間、剣奈の右足が踏み出された。剣奈の身体がさらに高く空中に浮いた。そしてさらに左足……
「あっ」
ドスン
剣奈が落下した。そしてその勢いのまま尻もちをついた。
「ああん。痛あい」
剣奈がお尻を抱えながら悔しそうに声をあげた。来国光は……、絶句して言葉を発することができなかった。
『剣奈は何をした?人が……、人が空を飛ぶじゃと!?』
来国光の心に驚愕が広がった。そして。
(これが本当にできるのなら……、空での跳躍も……)
来国光の高ぶる心とは裏腹に剣奈の心は子供じみた憧れが広がっていた。
(ボク……、雲に乗れるかもしれない……!小さい頃の夢だった。雲に乗る。ボクは……、空飛ぶ魔法で夢を実現できるかも!)
そんな希望が剣奈の心に溢れていた。




