168里の長
エルシィは自分の支配領域と判定された場所はどこでも見ることが出来るし、どこにでも行くことが出来る。
元帥杖の持つ『ピクトゥーラ』という権能は、そういう能力である。
ではこの「判定」を誰が行っているか。
この杖をはるか昔に人へと授けたティタノヴィア神か。
それとも領地の引継ぎを行っていたイナバ神か。
はたまた人神の知を解さぬ杖自身に定められた判断基準によるものなのか。
それはエルシィには解らない。
だが、そうした考えても解らない謎についてはどうでも良く、「どうしたら判断されるのか」という事象の方が大事だと、エルシィは考えていた。
現状の話であれば、ハイラス領は大陸南西に突き出した四角い半島全土にわたるわけだが、その境はアンダール山脈の領域に入るまでである。
アンダール山脈を越えて向こう側の領域を超えると、今度はセルテ侯国領となる。
つまり、人間たちの意識ではなく杖の権能によれば、アンダール山脈はどちらにも属さない独立領域と判定されるのだ。
ちなみに人の意識の上では、旧ハイラス伯国人もセルテ侯国人も「自国の領土」だと思っている。
両国のごく一部の首脳のみが「両属であり、都合の良い時は自国、都合の悪い時は他国」と思っている。
さて、ではこの地図の塗り替えは、どうやったら起こるのだろうか。
ハイラス伯国がエルシィの支配領域と認められたのは、主城においてイナバ神による「引継ぎの儀」を行い国璽を手に入れた後からであった。
ではアンダール山脈にもそうした場所か国璽に準じるものがあるのだろうか。
それとも支配者を倒す、または恭順させ、支配の実行権力を握るだけでいいのか。
エルシィはその辺りを確定させたいと思っていた。
昔、我々の住む世界で先進国たちがまだ地球上に未踏の地をたくさん抱えていた時。
その頃は現地にいち早く行き、自国の旗を立てた場所を領土として得る。
そんな不文律があった。
ではアンダール山脈にも同様のことが起こるだろうか?
これは実験してみたのだが否であった。
アンダール山脈に入った時点で、持参した小さな旗を立ててみたのだが、元帥杖の示す地図には残念ながら変更はなかったのだ。
ならば次の検証は……さて。
山里の門外においての争いは、エルシィ側の勝利に終わったと言っていいだろう。
指揮官と思われる石塁上のクヌギ氏はカエデによってナイフを突きつけられている状態であるし、エルシィたちを取り囲もうとした一〇人もその隙を突いてフレヤ、アベルの両名によって抑えられた。
「エルシィ様、クヌギはこの場で殺しといていいにゃ?」
この状況においてカエデがそんな事を訊ねる。
けろっと怖いことを言う子供だな。とエルシィはちょっと引いたが、まぁエルシィ暗殺に送り込まれるくらいだ。
そういう訓練をされているのだろう。
エルシィはちょっとだけ迷った。
はたして殺してしまっていいものだろうか、と。
その迷っている間に新たな登場人物が石塁の間から姿を現した。
それは山里の住人にしては比較的身なりの良い老人だ。
もちろん、頭にはねこ耳がついている。
「エルシィ殿かにゃ?
この場はどうかお収めいただけぬかにゃ」
老人は手にしている真っすぐな杖を支えにしながら、ゆっくりと腰を折る。
どうやら年相応に体の自由は効かぬらしい。
エルシィはこの人物の詳細を求めるようにカエデへと視線を向けた。
その途中、ちらっと見えたフレヤがその老人に対して憮然とした表情を向けているのに気づいたが、それはあえて無視だ。
どうせ「エルシィ様に対して不敬です」とか思っているのだろう。
「大公家の姫様にしてハイラス鎮守府総督閣下に対し『殿』とは、これは許しがたい不敬ですね……」
思っているどころか、次の瞬間にはそう述べていた。
~殿とは同格者から下位の者に対して使う敬称である。
つまりこの老人はエルシィをそう見ている証だとフレヤは判断したようだ。
これはフレヤにとって耐えがたいことだったらしい。
こういうことには詳しくて厳しいね。
エルシィは肩をすくめながら、やはりあえて無視することにした。
さて、少々遠回りになったがこの老人のことである。
エルシィの視線を正しく受け取ったカエデは、未だいつでもクヌギを殺せる位置でナイフを突きつけながら小さく頷いて答えた。
「このジジィが里長のホンモチにゃ」
「ああ、この人が。道理で妙に堂々としていると」
エルシィは納得気味に頷き返してそう呟く。
そして改めて里長ホンモチ氏に向き直った。
「こちらに収めろ、と言う前に、そちらの門衛を諫めるべきなのではありませんか?」
エルシィも特に謙るわけでなく、毅然とした態度でそう答える。
それはそうだ。
エルシィとしては里の刺客であるカエデを拘束もせず連れて、穏便に訪ねたのだ。
なのに門衛クヌギは手勢を以てエルシィを害しようとした。
こうまで面と向かって敵意をあらわにしたのなら、それはもう誰が見ても里側に非があると言っていい。
まぁ、もちろん暗殺を仕掛けた時点でそうではあるが。
ホンモチは眉をしかめて石塁上のクヌギを一瞬睨みつける。
口には出さないが、その目が「この間抜けが」と彼を叱咤していた。
さて、ホンモチは迷った。
エルシィの言う通りクヌギを下げて良いものかと。
この山里の民たちは、今住む者の誰が生まれるより前からハイラス、セルテ両国の依頼に応じて密偵、工作など従事してきた。
とは言えそれはビジネスライクな付き合いであり、これまで里にやって来るのはどれも国のお偉方の「遣い」でしかなかった。
この地にそのお偉方が、それもトップが直接やって来るなど初めてのことだった。
ゆえに、長く里長などを続けて来たホンモチとしても、どう対応するのが正解なのか測りかねたのだ。
端的に言えば経験がないのだ。
実質国のトップたるエルシィが里に来て何を要求するかまだ判らない。
だが彼女が来た以上、これは政治だ。
『里の民』の本質は密偵であるので政治は解る。
解らなければスパイ行為など務まらない。
だが解ることと、それを執行することは別なのだ。
ゆえに、ホンモチは大いに迷った。
その迷いに業を煮やしたかは判らないが、エルシィは無言のままのホンモチに現実を突きつけることにする。
「此度の暗殺未遂実行犯として、この里の民にはことごとく死罪を申し付けます」
ホンモチは心臓が数センチ跳ねあがった様な感覚に襲われた。
これまで綱渡りのようにして生き残って来た里の終焉が、ついにそこまで迫ったように感じられたからだ。
だが、次にエルシィの手勢を数える。
カエデを入れたとしてもわずか四名。
これなら里を上げて襲い掛かれば行けるのではないか?
そういう考えがよぎった。
ホンモチは無意識にカエデに視線を送る。
暗殺実行に際し、現状のハイラスやエルシィの周りを調査はしたが、失敗したということは集めきれなかった要因があったに違いないのだ。
その要因を知るのは、もはや里ではカエデしかいない。
果たして、そのカエデはホンモチの視線から、そっと自分の目を伏せて首を振った。
やめておいた方が良い。
ホンモチはカエデがそう言っていると捉え落胆のため息を吐いた。
「此度のこと、すべてワシの指示によって起こったことですにゃ。
なにとぞ、ワシの首だけで収めてほしいにゃ。
なにとぞ……なにとぞ……」
ホンモチは突いていた杖を捨て、ゴツゴツとした山の大地に膝を折る。
「条件次第ですね。
さぁ、お話をしましょう!」
エルシィはここにきて厳しい表情をコロっと笑顔に変えてのたまった。
続きは来週の火曜日に




