電子書籍化記念 番外編2/3
電子書籍化記念・番外編1/3の続きです。
「クユリが連れ去られた!?」
早朝からの神事を終えて一服していた皇帝のもとに、走りこんできた男が「申し訳ございません!」と膝を突いて頭を下げる。
クユリに付けていた護衛の一人だ。
まだ若い男は、皇帝が信頼する者の推薦で皇帝の近衛を務めている。彼を選んだのは大衆演劇場にいても目立たない形をしているからだ。周囲に紛れるように顔が平凡で、武に優れているが線の細い、小さめの男二人を皇帝自らが選んでクユリの側に付けた。
「謝罪はいい。それよりもクユリは無事なのか? 追っているのだろうな!?」
側に付けた二人以外にもウルハが厳選した多くの護衛が守っていたはずだ。それなのに何たる失態。皇帝が大切にする妃を目の前で誘拐された護衛たちは当然焦っているだろうが、知らせを受けた皇帝は彼ら以上の焦りを覚えていた。
「当然追っておりますがっ」
「追っているがなんなのだ!?」
「クユリ様を攫った男はカウル族の馬車にて逃走いたしました」
「カウル族だと!?」
驚きに息を呑む。
カウル族の族長は皇帝の友人だ。皇帝の強さに惚れ込んで、ギョクイが皇帝になる前に起きたギ国侵攻を食い止めるのに力を貸してくれた。
その見返りとして皇帝は、レイカン国内にカウル族が自治する土地を与えている。その際に彼らの風習である誘拐婚は止めると約束を交わしたのだ。
きちんとした文書ではなく口約束ではあるが、カウル族の誇りにかけて、異民族の娘を攫うのは止めると誓ってくれたのに。
以来、この約束が反故にされたとの報告は受けていないが……。
「クユリ可愛さに血迷う男がいてもおかしくない!」
と、飛び出した皇帝の背に、「陛下!」とウルハから静止の声がかかった。
「冷静におなりください」
「クユリが連れ去られたのだぞ、冷静になどなれるものか!」
「頭に血が上ったままでは失敗いたします」
「お前が冷静ならば問題ないだろう!」
と言い残し、皇帝は「馬を持て!」と飛び出した。
残されたウルハは珍しく虚を突かれたような顔をしていたが、「……そうですね」と一人つぶやいて。皇帝を追うべきかウルハに報告をするべきか迷う若い近衛に報告を促す。
「当時の状況は?」
「幕間にて人ごみに呑まれたところで何者かがクユリ様のお手を。どうやらお知り合いのようでしたので、我らは離れて警戒しておりました。すると男が突然、クユリ様を抱えてカウル族の馬車にて逃走を」
「クユリにカウル族の知り合いはいないはずですが……」
「攫った男はカウル族ではございません。我らと同じレイカン国の民です。離れていたので確実ではございませんが、クユリ様が男をライケイと呼んでいたかと」
「ライケイ、ですか」
ウルハは「うむ」と口元に指を持っていく。
なるほど、ライケイか。確かクユリの兄にそのような名の男がいたはずだ。
彼は父親の才を受け継いだようで、自身では店を持っていないが、国中を回って価値ある品を仕入れては都の店へと卸していたはず。カウル族との繋がりは分からないが、おそらくは顧客なのだろう。
カウル族の自治区は都から少しばかり離れているが、彼らの別邸はこの宮殿からさほど離れていない。クユリが連れていかれた先もそこだろうと、ウルハは中をつけた。
「ご信頼をいただけるのは喜ばしいところですが、陛下には冷静になっていただきたかったですね。今から追っても陛下には追い付けないのですから、まぁ仕方がないでしょう」
ふっと笑ったウルハに近衛が怪訝な顔を向ける。
「安心なさい。クユリを攫ったのは彼女の兄です。さて、後始末に向かいますよ」
別邸とはいえ、レイカン国の皇帝がカウル族の領内に土足で踏み入ることになる。族長と皇帝はとても気が合い仲がいいが、あの怒りようからして何かしでかすかもしれない。尻拭いをするのは信頼されているウルハだ。
クユリを誘ったのはウルハの妻でもある。無関係ではいられないので、今回は面倒がらずにウルハも馬に乗ってクユリが連れていかれたであろう場所へと向かった。
※
カウル族とは親交を深めているとはいえ、彼らは皇帝の臣下ではない。皇帝の妻と知っているならともかく、そうとは知らずにクユリを見初め、約束を反故にして攫ったのだとしたら厄介だ。
何しろクユリは可愛い。
あの可愛さを前にしてしまったら、返せと言っても素直に従うとは思えない。クユリは本当に可愛いのだ。彼女の魅力を知った男が手放すはずがない。が、絶対に取り戻すと、怒りに燃える皇帝は鞍を乗せるのも待てず、裸馬に飛び乗ると、鬣を握って馬を走らせる。
すぐにクユリに付けていた護衛の一人が隣に並び、連れていかれた先を教えられた。
彼らの自治区かと思ったが、宮殿からそう遠くない、都にある彼らの屋敷だった。
あっという間にたどり着き、問答無用で騎馬のまま門を潜る。その後についてきた護衛たちも続いた。
周囲を見渡してクユリに付けていた者を見つける。「どこだ!」と詰問するように問えば、「こちらへ」と案内された。
乱入者に驚いた屋敷の者たちが武器を持って現れたが、相手がレイカン国の皇帝と分かると、戸惑いながらも道を開ける。そのうちの一人に「族長は」と問えば、「族長は自治区に。こちらにはご息女のメメ様が」と返ってきて、クユリを攫ったのが族長でないことにほっとする。
あの男以外は敵ではない、と。
剣を鞘から抜き、音もなく扉を開いた。
怒りに震えているのに力任せではないことが自分でも意外だった。
客室と思われる室内には二人の男女と、十歳ほどのカウル族の少女が一人。おそらくこの少女が族長の娘、メメだろう。
メメは皇帝の姿を一目見た途端、「ひっ!?」と声を上げて椅子から転げ落ちたが、こちらに背を向けている男と、その陰にいる女は気づいていない。
二人して何やら言い争っているようだ。
皇帝は窓から差し込む光を剣に反射させ、その切っ先を男の首元にそっと、しかし素早く突き付けた。
「その手を離せ」
男女の肩が大きく弾け、背を向けていた男がゆっくりと振り返る。
年のころは皇帝と同じほど。剣を突き付けられてたいそう驚いているようで、目が真ん丸になっている。
そうしてもう一人。男と体を寄せている愛しい妻も、驚きに稀有な目を丸くして皇帝を見上げていた。
「動くな」
男に命令して、拘束されているクユリを片腕で救出する。クユリはびっくりしているようで顔をこわばらせていた。
ああいけない、愛しい人を怖がらせているのだと気づくが、どうにも怒りが治まらず、いつもの自分に戻れない。
皇帝は片腕に抱いたクユリに顔を寄せて、耳元で囁くように告げた。
「目を閉じ、耳を塞いでいなさい」
そう命じたのに、クユリは「ひゅっ」と息を呑んで声を絞り出した。
「や、やめてください」
「すぐにすむ。さぁ、目を閉じて耳を塞ぐんだ」
大切な大切な妻を攫われて黙っていられるはずがない。皇帝からたった一人の人を奪おうなんて、たとえカウル族であっても許せるものか。
皇帝は大切な妻を攫った男の顔をしかとみて。
……カウル族? なのか?
との疑問が脳裏を過る。
そこへ「やめて。ライケイを、兄を殺さないでください!」と、腕の中の可愛くて大切な愛しい妻が、泣きながら皇帝の胸倉をつかんで懇願した。
「……兄? ライケイ?」
「勘違いなのです。いろいろ間違いなのです。今説得して帰してもらうところだったのです。お願い殺さないで!」
愛しい妻の、クユリの言葉に、開ききっていた皇帝の瞳孔はゆっくりと閉じて平時に戻っていく。それにつれて思考も働いてきて。
「兄……ライケイっ!?」
クユリの兄ではないか!?
と気づいて剣を引いた時にはすでに遅く。
皇帝の鬼気迫る勢いに押されたライケイは、泡を吹いて気絶していた。




