第二十三話 買い物(上)
迷宮都市ベリメース。
それはカラトの樹海と云われる大陸でも第二の大きさを持つ大森林を切り開いて作られた都市である。そもそもこのカラトの樹海は、現在大陸で大勢を占めている民族がやってくる前からこの大陸で暮らしていた様々な先住民族、その中でも人間と比較的友好的な存在の避難場所という側面があった。
それはベリメースが出来てからも、本質的には変わらない。
アルケニー。アルラウネ。ドライアド。一部のゴブリン、オーク、そして獣人等々。
彼らがカラトの樹海から出て行く事は無かったし、表立って迫害されるような事もなかった。
だがその関係が全く変化しなかったかと云えば、それは少し違う。ベリメースが作られた事により、徐々にカラトの樹海と外の繋がりが増えた。ベリメースの北には大陸でも最大の大国アルネシアが、ベリメースの東には最古の国コトールが在り、ベリメースで貴重な食材などが作られる事により自然とその間の路は整備され、利用されるようになった。
外との関係が増えるというのは、カラトの樹海に暮らす少数部族にとって悪い事ばかりではなかった。なにせ種族としての力がまるで違う。個々の質では先住種族もそれなりだが、高度な技術や圧倒的な兵数。そしてその中に混じる化け物クラスの手練れとそれを有効に活かすための戦術。まともに敵対しては勝ち目など無い。だがそれ故に、そんな外の人間から得られる様々なヒト・モノ・カネは非常に有益だったからだ。
そして良いことばかりでも無かった。これもある意味当然だ。繋がりが増えれば、問題も増える。特に相手は征服者側、自らを追いやった相手だとも云える。差別意識、恨み、利害対立。そういったものが積み重なって、拭いきる事が出来ていないのは確かだ。
結果、彼らの一部はベリメースから少しだけ距離を置いて生活する事になった。そんな集落がベリメースの南西には幾つかある。またベリメース内の一部区画に拠点を持っている者もいる。
そんな亜人達全てを勘定に入れるとすれば、ベリメースに関係する亜人はかなり多い。
恐らく純粋なヒューマンよりも多いだろう。
だが外向きの理由もあり、行政のトップは代々ヒューマンが務めている。就任したヒューマンが亜人達と上手くやってきた事もあり、現在の所それが大きな問題になった事はない。
しかしそれによって、ベリメースの内部にある種の地域差のようなものが醸成された事は事実だ。
行政施設などが立ち並ぶ北部。
内外から様々な物が集まる東部。
鉱山が近く有名な工房が数多く存在している西部。
上級冒険者のみが挑む事が許されるという幾つかの迷宮が存在している中央。
そしてベリメースに来た食い詰め者たちが集まる南部。
大きく分けてこの五つだ。
ロルフ達は現在この中の南部に拠点を持っている。またロルフが最初に辿り着いたのもベリメースの南部だった。この地域は比較的亜人が多い区域でもある。特に、西に行くにつれてその傾向は顕著になっていく。
「……へえ」
ロルフは辺りを見回して、思わず感嘆の息を吐いた。
ベリメースに来てまだ日が浅いロルフは、必要な場所と近場についてある程度土地勘を身に付けたと云う程度でしかなく、ここまで来るのは初めてだった。
場所はベリメースの南西部。その端にあるクライフラウ地区だ。中央部と南部と西部、それらの境界域にあると云っても良いかも知れない。
ここら辺の特色としては、何といっても『水』だろう。
地面の中に所々水があるといった程度ではない。水の中に所々浮島のように地面があると云った感じだ。それは大きな川のようにも池のようにも見えるが、やはり少し違う。
あちこちに巨大な樹木が生え、それを刳り抜くようにして部屋が作られている。中は雑貨屋なのだろう、様々な光り物が覗いている。中空には巨大な枝同士が絡まり合い、それらが道として利用されているのか、時折小型の獣人達が手に郵便物などを持って駆けている。駆ける度に揺れる尻尾が小気味よい。
その下では水面に板を並べたような場所で、露店を開いているリザードマンもいる。その上には巨大な根がまるで大型の魔物の触手のようにうねり一種異様な迫力を醸し出している。だがそれを屋根代わりに露店が開かれている所為か、全体としてどこか牧歌的な雰囲気を感じさせた。
ロルフはそんな中を、簡素な木の船で進んでいた。定員は三名ほど。同乗しているのはロルフとアンテロとマウリ。そして船頭であるソナギットと云うリザードマンだ。イーナとリタは乗り切れなかったので、もう一艘の船で後に続いている。
ソナギットは同じリザードマンと云っても、マウリとは大分違う。緑が基調なマウリに比べて、ソナギットは青が基調となっているし、瞳も澄んだ水色だ。ついでにその纏っているローブも青が基調だった。
ロルフ達がこのクライフラウ地区へやって来たのは、目的の為に役立つアイテムを買いに来たのが大きな理由だが、直接的にはアンテロに勧められたからでもある。
そもそも目録に載っているようなものは、商会の正式な流通ルートに乗っているだけあって品質は保証される。だが、高い。だったらいっその事そこから外れたものを狙ってみればと云う事だった。品揃えは兎も角、掘り出し物がある可能性はそっちの方がずっとあるらしい。
「成る程ねぇ」
事情をロルフ達が伝え適当な店は知らないかと訊ねると、ソナギットは振り返りもせずそんな言葉を呟いた。マウリの少したどたどしい言葉遣いとは異なり、非常に流暢でなめらかだ。だが早口という訳ではない。寧ろゆったりとした独特の調子で話す。そんな穏やかでのんびりとした話し方と声音があわさり、ソナギットの言葉はどこか声がそのまま辺りに染み込んでいくような、そんな印象さえ抱かせる。
何だか焦っている事が馬鹿みたいに感じられ、ロルフは船の縁から少しだけ身を乗り出した。水は透明で非常に綺麗だった。だが底は見えない。何処までも続くような翠玉のような色合い。透明だが非常に鮮やかで幻想的だ。魚が悠々と泳いでいるのが見える。そこには人魚のような水棲型の亜人の姿もあった。まるで魚に混じって戯れているようだ。
小鳥の鳴き声が聞こえる。人のざわめきや、商談の声。誰かが歌っている弾き語りの声。そんなものも聞こえてくる。だがそういったあらゆる音が、森の木と水に吸い込まれて消えていく。
「ようござんす。一つ御案内いたしましょう」
マウリの知り合いの紹介だというソナギットは、同族が混じっているからか、それとも他に理由があるのか。少し考え込むと、そんな言葉と共にロルフの依頼を引き受けた。棹を両手で持ち直し、船の速度を少し上げる。柔らかな風がロルフの頬を撫でた。マウリは、やはり水が多いところの方が馴染むのか、声には出さないもののやたらと楽しそうにしている。アンテロはあちこちで並べられている商品にその視線が釘付けだ。後ろの船にいるイーナとリタは、水の中にいる人魚と何やら親交を深めている。
やがて船は一つの巨大な樹の下へと辿り着いた。上方では填め込んだように円形の建物が樹の幹を覆っていたが、ソナギットの目的地は其処では無いようだ。止まる事無く船を進ませる。目の前の巨木の根は巨大であり、それ以上に中空に剥き出しになっていた。その所為で、まるで樹が中空に少し浮いているように見える。巨大な根がまるで柱のように林立している中を、ロルフ達は進む。陽の光も天蓋を覆う樹の根に遮られ、薄暗い。そんな中をソナギットはまるで戸惑う様子も見せない。
ちらりと視線を後ろに向ければ、イーナとリタが乗った船も遅れずに付いてきているようだ。白いローブを着た船頭の姿が見える。
陽の光が射さない所為だろう。根の天蓋が上方を覆い、根の壁が自らを周辺から区分けしているその空間はひんやりと涼しかった。自然が作り出した何者かの住処。そんな感じがした。
目的地はすぐに見当が付いた。別にロルフが特別に勘が良かった訳ではない。単純に目立つ特徴があったのだ。薄暗い闇の中で、うっすらと明かりが灯されている場所がある。淡く柔らかい紅い光だ。巨大な樹の根に遮られるようにして、明かりの発生源は、直接は見えない。だが手の平からこぼれ落ちる水のように、柔らかな紅い光がそこから漏れ出ていた。
何事もなく、船はその光の前まで辿り着く。
そこには係留された筏のように、木の板が根に固定されていた。光晶石と呼ばれる発光する魔石が、透明の硝子製の容れ物に入れられ天井に張り巡らされた木の根の一つにぶら下げられている。そんな明かりに照らされ、様々な魔具が置かれている。幾つかはロルフにも見当が付いたが、大部分は見ただけではその効果が判らないものばかりだった。例えば石だ。色取り取りの石が置かれているが、それが一体何なのかロルフには判らない。また天井から吊り下げられている籠に入っている小鳥は、愛玩用なのかそれとも別の何かなのか。ロルフはその答えについて当て推量しか出来ない。
そして、そんな露店と云うには少し雰囲気のある店の中心部には赤を中心に様々な色が細かく縫い込まれた絨毯が敷かれ、その中央にはロルフが予想もしなかった相手が座していた。
「また肥えられましたか?」
ソナギットが船を係留しながらそんな言葉を紡いだ。やや太めの紐を使い木の根に結びつけるその手際は、流石に慣れたものを感じさせる。だがそんなに冷静だったのは、恐らくソナギットだけだ。
「……ぉ、おおぅっ?」
アンテロが思わずといった感じで蛇行した声を上げるのが、後ろから聞こえてきた。ちらりと後ろを向けば、マウリもやはり驚いて大きく目を見開いている。ロルフも二人と同じく冷静ではいられなかった。
店の中央には、でっぷりと太った銀灰色の猫が鎮座していた。美しい毛並みに丸々と太った体躯。ややつり目で少し濁った金色の瞳に性格の悪そうな顔つき。
そんな猫は、来客を睥睨するようにねめ回し――。
「ふんっ」
如何にも不愉快そうに鼻を鳴らした。
人によってはちょっと退屈かも知れませんが、こういった回も混ぜていかないと書いている側としても設定がいつまでたっても固まらないのです。
色々と手探りの部分も多いのでどうなるかは判りませんが、これからも寄り道めいた描写や話は入ってしまう気がひしひしと。




