第二十二話 対策会議(下)
「それで、そっちはどうなの?」
一通り報告を済ませたリタが、ロルフ達の方を見て訊ねた。リタが冒険者ギルド関連の事をやっていた間、イーナとロルフは別の方面から動いていた。その内の一つが、予想される敵の能力とそれに対抗する為の下調べだ。
「俺が此処に来る時にも調べたんだが、あのベリメースとトーレ間を繋ぐあの通商路には時折だが獣鬼の変異体が出現するらしい。問題はその変異体の性質だ。もしも前例通りなら変異体の位階は4。まともにぶつかった場合、どうなるか判らない」
「……その変異体によるものと考えられる犠牲者の遺体からは何か判らないの? 少なくとも特殊能力とかを使われたと云う報告はされていないみたいだけど……」
「それだけじゃあな。能力を隠す魔物なんていうのは珍しくもない」
例えば爪猿とほぼ同じ種類だと考えられている魔物にしたところで、もっと位階が高い場所にいる個体はロルフ達が苦戦した爪猿たちよりも更に多種多様なスキルを扱う。その中には自らが危機に陥った時にしか見せないようなスキルも含まれている。
本来ならば、どのようなスキルを持っているのか調査を完了してから準備を調え、そして決行に踏み切りたい。だが残念ながら、そのような時間は無い。
「位階が4だとした場合、イーナの看破でどの程度の事が判るの?」
「……まあ、隠蔽系のスキルを持っていなかった場合、余りに特殊な属性だったら判るぞ」
「……うーん」
リタがイーナの言葉に難しい顔をして考え込む。気持ちはロルフにもよく判った。どの程度イーナのスキルを当てにして良いのか、決めかねているのだろう。
「もう一つ、重要な事がある。樹海の中で目的の魔物を素速く追跡するようなスキルは、恐らく俺たちの中でイーナしか持っていない。まあイーナを除けば俺たち3人とも戦士に入るから仕方ないと云えば、仕方ないんだが」
「イーナの追跡から逃れるくらいの魔物だったら諦めるしかないと?」
ロルフが云わなかった言葉をリタが引き継ぐ。ロルフは簡単に一つ頷いた。
「そういう事だ」
「む~~」
「ちなみに今まで出てきた獣鬼の変異体は幾つかの種類に分類できてだな、単純に強い奴、暴走状態になると位階が5程度の力を発揮する奴、隠蔽能力に優れた奴、精神干渉をやってくる奴。こんな風に様々だったらしい。更には忘れちゃいけないのが取り巻きだ。いないかも知れないが、いるかも知れない」
「……なんにも判らないんだね」
そう答えるリタの声には明らかに呆れの色が、そしてその瞳には逸るロルフを掣肘するような色があった。
「今回はそれでも判っている方だ。本当なら変異体なんて云うのは、いるのかも判らない迷宮で突然出会うものだ。今回みたいに知れてる事も多々あるがな」
「今回はその為の予行演習って事?」
「そういう事だ。普通の魔物と戦って疲れている時に突然変異体の不意打ちをくらうよりは、此方から仕掛けられる時に適当な変異体との戦闘を経験しておきたい」
そしてそれこそが、ロルフが今回の事に踏み切った理由の一つだった。
まだ徒党での実戦を行ったのは、たったの二回。慣れているとはとても言い難い。だが今回の事はそれを行ったが故の、ロルフの判断だった。
爪猿との戦闘に、ロルフはそれだけ危機感を持ったのだ。
徒党として戦術の方向性を早急に定めなくては、早晩事故を起こす事になる。これは単純な実力の問題では無い。その方向性の問題だ。
そういった意味では、此方から攻められる変異体狩りは、難易度こそ高いものの得られる利益が大きく、内容はロルフ達が得意とする単純な戦闘となる。つまり相対的にロルフ達にとって『おいしい』。
この判断の結果が、吉と出るか、凶と出るか。それには間違いなく、これからの行動にも大きく左右される筈だ。
「で、そんな変異体を狩る為の準備をしておこうって話な訳だ」
ロルフは水の無くなったカップから氷を口に入れると、それを口内で転がした。四角い氷を舌でねぶるように舐める。冷たい感触が舌へ伝わり、その反対に舌の熱が氷に伝わる。溶け出した氷が水となって、ロルフの喉を滑り落ちていった。
「準備って云っても……なんか良いのあったの?」
リタの疑わしげな言葉にロルフは軽く肩を竦める。
「それをこれから検討する訳だ。――イーナ」
「はいよ」
イーナが床の上に積み上げられていた紙の束を机の上に置く。少し乱雑な手付きで置かれた為に、低い音がして微かにテーブルが振動した。銀色のケトルが、傍に置いてあった硝子製のカップと僅かにぶつかり、震えるように音を立てやがて止まった。
「それが?」
「ああ、使えそうな魔具とかの目録。大きな所のやつだけだがな。私が今日一日ベリメースを駆けずり回って集めてきた成果だ」
興味を持って身を乗り出すリタに対し、イーナが胸を張る。大きく、張りがあり、形がよい。そんな突き出された豊かな双丘に思わずロルフの視線が自然と釣り出される。そんなロルフに、リタが目敏く気付いたようだった。それはロルフの被害妄想だったのかも知れない。だが少なくともロルフはそう思った。
自然と言葉が口をついて出た。リタの機先を制するように、自らの表情を取り繕って。
「俺たちが先の探索で得たのは15000ラクマ。そっから食事代やら宿代やら消耗品やら雑費をさっ引くと、大体10000ラクマだ」
「結構引かれちゃうねー」
「四人いるし仕方ない。これでも結構無理してるしな。俺だってアンテロにこの盾の代金も待って貰っている状態だ」
まあ今の時点で無理して返されても実入りが少なくなると云う事なのだろうが、正直気分的に余り良くはない。出来るだけ早めに返してしまいたいと云うのが本音だった。
余程嫌な顔をしていたのか、そんなロルフを見てリタが突然吹き出した。
「ぷっ。それなら早く返さなくちゃね。――ちなみに私は借金ゼロだよ。ぶいっ!」
自慢げなリタの様子に、ロルフは何とも言い難い顔をした。何と返せばよいのか判らず、どんな表情を浮かべて良いのか判らない。そんな迷いがそのまま顔に写し出されたような表情だった。瞳が答えを探すように、さり気なくあちらこちらをさ迷う。そんなロルフの瞳が、やがてイーナの方へと向いた。
「それでイーナはどうなんだ?」
そんなロルフの問いに答えたのはいやらしく唇を歪ませたリタだった。
「イーナは本屋のつけがあるんだよねぇ?」
「ふんっ」
イーナは鼻を鳴らす。どんな意図を以てなされたジェスチャーなのか、ロルフはその意味を掴みかねた。何だか取り敢えず強がっただけのようにも見える。そんなロルフの推測を裏付けるようにイーナは自信に満ちた顔と共に口を開いた。
「蔵書を処分すればすぐにでも返す事くらい出来るぞ」
「じゃあそうすればいいと思う」
リタの突っ込み。イーナは鼻で笑った。
「はっ。本好きにとって、蔵書を処分するというのは真剣勝負なのだ。おいそれと踏み出す訳にはいかん」
「まあそりゃ別に好きにすりゃいいが……どんな本を読んでるんだ? 俺といた時は本なんて読んで無かったよな?」
それどころか文字すらまともに読めなかった。そもそも生き残れるのか判らない状況の中で、余分な事に注力する余裕は俺にもイーナにも無かった。だからイーナが本を読んでいるというのは、どうも想像しにくかった。
「まあ主に実用書だな」
「後はちょっと過激な恋愛ものを読んでたりするんだよねー」
「――ょっ!?」
揶揄するようなリタの言葉。瞬間、それを聞いたイーナの頬に赤みが差した。イーナは腰を微かに浮かして、右手を中途半端に伸ばそうとしている。止めようとしたのだろうが、恐らく過剰反応である事を気にして躊躇ったのだろう。泰然自若を気取ろうとして完全に失敗した形だ。似たところのあるロルフにはそれがよく判った。そして同時にいたたまれないものを少し感じた。
ふはははっ、見得を気にして躊躇ったのがうぬの不覚よ、などとリタが勝ち誇っている。きっとリタはイーナの事が大好きなのだろう。特にちょっと泣きが入っているイーナの顔は大好物です。そんな言葉がその顔に書いてあるようだ。
ほんの僅かイーナが助けを求めている気配を察したが、ロルフがそれを無視する形でイーナが机の上に載せた目録を手に取る。色取り取りの似姿と簡単な紹介と参考となる値段が書いてある。
「おいっ、助けろよ」
「悪いな。俺は有利な方につくのが信条なんだ」
ロルフは目録から目も上げない。
「可愛い女性を助けるのは男の甲斐性だぞ」
「残念ながら、俺の中でお前は可愛い女性枠には入っていないんだ」
「……ほう。良い度胸だ」
「まあな」
「酷いなー。イーナはこんなに可愛い女の子なのに……ロルフは女の敵だねっ!」
「…………」
「お前、今それも悪くないとか思わなかったか?」
「……思ってないぞ」
ロルフはついっと目を逸らす。そして視線を再び目録の方へと落とした。「あ、逃げた」などとリタが呟くが、イーナは溜め息一つで場を流した。
「まあ、いいや。……それで何か良さそうなやつはあったのか?」
そんなイーナの声にロルフは思考を切り替えて、目録をぱらぱらとめくる。
その種類の豊富さは流石に大手の商会が出しているだけあって、見事なものだ。質についても問題ないだろう。ただ――。
「……投げるだけで使える閃光弾。位階が4程度の相手には充分な効果が認められる。音と閃光を用い、物理、魔力の両面から敵を乱す。今なら大特価で7980ラクマより」
高い。
それにつきた。
位階が4の相手に効果があるような魔具に関しては、使い捨てでも5000ラクマは優に超える。今のロルフ達では気軽に買えると云う訳にはいかなかった。
「……安いのは無いのかよ」
「あるぞ」
「どんなのだ?」
「投げると対象が発光する投擲弾。300ラクマ」
「そりゃ演習用だろうがっ」
呆れたようにイーナが吐息を零しながら、自身も目録をめくり内容に目を通す。リタもそれに続いた。
「罠用の網とかはどうだ? 5000ラクマからあるみたいだぞ」
「対象の大きさが判らないのに網は使えない。仮に相手が大型の場合、それを扱うには特殊な技能と慣れが必要だ」
「いっその事、取り巻き連中の始末とか、変異体の探索に重点を絞ったらどうかな? そっちの方だったら幾つかそれなりのが買えない?」
「そりゃそうだが……取り巻き連中については道具が無くても何とかなるだろうし、探索についてはどうせ運任せの部分も大きい。出来れば変異体に使えるやつが欲しい」
ロルフは目録に目をやりながら、考え込む。時間はそれほど無い。そしてそれと同じくらい予算も限られていた。
単純な攻撃用の道具では値段対効果が悪い。だが小細工のための道具は効かなかった場合意味が無くなったり、使い方に特別な配慮が必要だったりするものが多い。
何を買うべきか、ロルフは起こり得る状況とそれに対する対処方法、そしてその為に最も有効な装備や戦術について思考を巡らし呻吟した。
日刊ランキングで100以内に入ったようです。
お気に入り登録してくれた方、評価ポイントを入れてくれた方、どうもありがとうございました。大変はげみになっています。
色々と習作の部分もある話ですが、これからもお付き合いいただければ有り難いです。




