第十九話 初めての迷宮探索(7)
爪猿を何とか殲滅させた後、ロルフ達はその始末に追われた。
まず第一に匂い消しなどを撒き、新たな魔物の出現を抑える。同時に爪猿の素材部分である爪を取るために、手首ごと切り落とす。全部で六匹の爪猿の両手首だ。当然十二個にもなる。一個はそれほどでなくても全て合わさればそれなりの大きさと重さだった。
それと同時に簡単な応急処置を施す。
幸いロルフとイーナにはそれほど大きな怪我はない。リタは太腿と上腕にやや大きめの怪我があるが、止血を施す事で何とか戦闘は可能なようだ。一番怪我が重かったのは、マウリだ。肉体そのものがヒューマンと比べれば頑強に出来ているから大分ましだが、それでも右の太腿に負った傷は浅くはなかった。きつく縛り出血を抑え血止めを塗るが、それだけで何とかなるかは専門的知識のないロルフ達では判らなかった。
「一刻も早く帰還の転移石へ向かうぞ」
「マウリはどうするの?」
無理をすれば歩けない事もないだろうが、どうしても歩調は遅くなる。傷にも余り良くないだろう。担架のようなものを作り、それに乗せるという手もあるが……。
ロルフは一瞬考えたが、すぐに決断を下した。
「俺が背負っていく」
どちらが正しいのかなどロルフには判らない。いや、誰にも判らないだろう。だが決断を下さなくてはならない。ならばすぐに決めるべきだろう。ロルフは決断を下す事に慣れ始めていた。
異論はなかったのだろう、ロルフの言葉にリタが頷く。その顔色は決して良くない。怪我の影響もあるのかも知れないが、【増強】のスキルの影響もあるのかも知れない。
「……行くぞ」
マウリをロルフが背負い、戦利品をイーナとリタの二人で手分けし、ロルフ達は出発した。身体に巻き付けるようにしてしているので、ロルフの両手は空いている。通常通り盾は装備できる。戦闘時には少し不便だが、マウリがその爪で布を切り裂くかすればよい。
地図によれば、帰りの転移石のある場所まであと少しだ。魔物が出るかどうかは半々だろう。何の魔物と遭遇しない可能性も高い。だが先程の爪猿と同じレベルの敵が出てきたら――。
……凌ぎきれるのか?
ロルフの脳裏にそんな疑問が浮かぶ。答えはすぐに出た。恐らく無理だ。マウリは戦闘力を半ば失っているし、リタはもう一度【増強】を行う事は厳しい。恐らく死人が出るだろう。
やはり取り得る戦術の種類が足りないのだ。自分たちから仕掛ける場合は良いが、受け身になった場合にぼろが出る。だがまずは無事に帰る事だ。
「……ごめん」
背負ったマウリが申し訳なさそうに呟く。それに対し、ロルフは首を左右に振った。そもそもはロルフのミスから出た事だ。謝るのなら自分が謝るべきだ。そうロルフは思っていた。
だが同時に、仕方ない事だとも思っていた。失敗を気にしないと云う訳ではない。だが気にしすぎてもしょうがない。取り返しのつかない事もある。だが犯してしまった過ちは取り返せないのだ。次から気をつけるしかない。
ロルフはマウリを背負い、歩き始めた。陣形は、マウリの代わりにリタが後方の警戒に当たる形だ。地面は相変わらず木の根があちこちに張り巡らされており、細かく不規則な段差となっている。普段ならば意識もしないが、疲労が溜まっている時にはうっとうしい。
背負ったマウリについては思ったよりも邪魔にならなかった。戦闘時なら兎も角、移動時ならば何とかなるだろう。どうせ背負うのだったらリタかイーナが良かった。少し体温の低いリザードマンの顔を近くに感じながら、そんな事を考える余裕があるくらいだ。
息を吐きつつ、ロルフは先へ進む。そろそろ地脈の流れている地点を通り抜ける事が出来そうだ。横にはレルヌの樹があるのが目に付いた。それほど貴重ではないが、一応はその樹皮が素材として使えると云われている樹だ。確か属性は水が強かった筈。恋占いなんかにも使われており、その樹皮を使った装飾具は露店なんかのアクセサリとしては定番だ。
この地脈が交差する場所に居を構えているドルインの傍が沼地である事と何か関係あるのだろうか。
そんな事を考えながら一心不乱に歩いていると、やがて拓けた土地に出た。そこにはぽつりと小屋が建っており、警備の兵隊らしきものも複数入り口付近に見受けられる。
「……ふぅ」
誰からともなく安堵の吐息が漏れた。帰りの転移石がある小屋だ。どうやら無事に着いたらしい。自然と歩調が速くなるのが判った。
一瞬の浮遊感が身を包む。
転移石へ触れ念じると、そこは石の壁に包まれた一室だった。その中央にぽつりと転移石が置いてある。最もこれは目印としての役目しかない。転移石は基本的に一方通行なので、もしもこの一室からあの迷宮区画に転移したいのだったらあそこに目印を置き、ここにも一つ起点となる転移石を置かなければならない。
「……まずギルド医に見て貰うぞ」
五級の内は、迷宮内で負った怪我については基本的に無料で見て貰う事が出来る。位階が高すぎたり、余程の重傷でなければの話だが。
これもある意味、新人育成の制度の一環だが、高位の治癒スキルを持ったギルド医にとって駆け出しの治療がそこまで負担にならないという理由もあるのは確かだった。
尤も治癒魔導というのは、決して万能ではない。特に位階が高くなるにつれて、怪我をした部分の損失を埋めるのは難しくなる。治癒後も治癒前と変わらぬ動きを保証しようと思うのなら、治癒士がその怪我人を普段からよく知っている必要がある。
そんな理由もあり、冒険者の徒党は出来るだけお抱えの治癒士というものを持ちたがる。だが同時に、戦闘について行ける治癒士が少ない事も確かで、完全に治癒士を護衛できるような大規模な徒党以外では、自衛も出来る治癒士というのは常に需要過多の状態が続いていた。
だからこそ、迷宮から出た時にしか利用できないとはいえ、大抵の怪我は無料で見てくれるギルド医は探索者の間では重宝されていた。
「うん、マウリは早く治してあげないとねー」
他人事のようにリタが呟く。ロルフはそんなリタを半眼で睨んだ。
「お前もさっさと見てもらえ。なに他人事みたいな顔してるんだ」
「えっ? 私? ……私は平気だよ。ほら、血も止まっているし」
リタが意外そうに目を瞬かせる。ロルフは呆れまじりの溜め息と共に言葉を吐き出した。
「あのなぁ……お前、【増強】の時に服用した丸薬、あれ自己流のやつだろ?」
増強というスキルは外部のナニカを利用して能力を一時的に上げるスキルだ。無論、危険はある。正直余り人気のないスキルだ。リタの場合はまだ未熟な腕で作った丸薬を利用している為、恐らくその副作用が大きいのだ。爪猿との一戦の後、調子が悪そうにふらついていたのをロルフは見逃してはいなかった。怪我もそうだが、一度は医師の診察を受けておくべきだろう。
そんな事を告げると、リタは一瞬苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「……はーい」
そして一拍の沈黙の後、不承不承といった感じで答えた。
その顔は、がみがみと小言を云われる未来の自分でも想像したのか余り嬉しく無さそうだ。ロルフはそんなリタを見て、もう一度溜め息にも似た息を吐き出した。吐き出された息は、呆れの他に何処か安堵を含んでいた。その事にロルフは気が付き、無事に生還できたんだと云う事実を今更ながらに実感した。
同時に、自らの身体に感じる倦怠感にも気が付いた。気が張っていたのか、今までは気が付かなかったが身体を動かすのが億劫になる程に疲れていた。
「随分とリーダーっぷりも板に付いてきたんじゃないか?」
「うるせぇよ」
にやにやと、からかい混じりのイーナにロルフは乱暴に言葉を返す。だがイーナは気にした様子も見せない。その顔を見てロルフはトーレに居た頃によく見掛けた猫の事を思い出した。よく壁の上から屋内を、皮肉混じりの笑みのような、そんな風に顔を歪ませ観察している肥満体の猫だ。餌を貰う癖に人には懐かないと云う、余り可愛げのない猫だった。
そんなものと自らが対比されているとは思っていないのだろう、まじまじと自らの顔を見られイーナが小首を傾げた。
「……なんだ?」
「なんでもない。取り敢えずお前はリタとマウリを頼む。ほれ」
背負っていたマウリを背中から下ろし、イーナに押し付ける。流石に女性に背負われて医務室に行くのは嫌だったのか、マウリが抵抗した。仕方ないので肩だけ貸して貰う事にしたようだが、それでも決まりが悪そうだ。マウリが助けを求めるようにロルフの方へと視線を向ける。哀れを誘うような眼差しだった。だが、ロルフはあっさりと無視した。
「ロルフはどうするんだ?」
「俺はギルドの窓口に行って手続きしてくる。取り敢えず爪猿の爪とかも全部現金化するって事でいいよな?」
爪猿の爪は素材として扱えるので、アンテロの所へ持っていけば利用は出来るかも知れないが、そこまで貴重な物でもない。工房の規模を考えるとそこまで高い値段をつける事も出来ないだろう。だったら取り敢えずロルフ達の徒党が安定するまではギルドで売り払ってしまった方が問題がない。この事についてはアンテロの同意も取れていた。
「――無事の生還、おめでとう」
ギルドの窓口に行くと、迎えてくれたのはやや陰気な顔をした女だった。女にしては筋肉質でがっしりとした体付きをしている。身長は不明だが、並の男よりはありそうだ。年は少なくともロルフよりは、だいぶ上。受付『嬢』などという言葉が不適切なほどに目付きに貫禄と迫力がある。
「……ありがとう、ございます」
思わず敬語で返しながら、出発時に借り受けた魔具や地図を変換する。それを受付の女は慣れた様子で確認しながら、何事かを呟いている。
「ふむ。位階が3の上の爪猿、それが六匹と交戦か。……で、それがその素材か?」
「ええ」
「全部、売却でいいのか?」
「はい」
ロルフが布にくるんであった爪猿の爪を受付台の上に載せると、受付の女はそれを慣れた様子で鑑定し始めた。爪が伸びた猿の手首が都合全部で十二個ある訳だ。正直余り気持ちの良い光景とは云えないと思うのだが、受付の女は眉一つ動かさない。
「爪猿が討伐報酬が一匹600ラクマだ。それに5級の間の補助を入れると、1100ラクマ。爪猿の爪に関しては一匹1000ラクマで良いんだったら引き取ろう。それに獣鬼との戦闘報酬が2450ラクマ。合わせて15050ラクマだな」




