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盾と迷宮と冒険者  作者: 坂田京介
第二章 迷宮探索、事始め
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第十七話 初めての迷宮探索(5)



「……んぅ」


 軽く揺すられ、目が覚めた。寝起きは悪くない方だ。そこまでの苦労もなく目を見開くと、見慣れぬ天井と、そして見慣れぬ顔があった。そこで、ああと寝起きでのんびりとなっていた思考が漸く答えに行き着いた。


「時間か?」


 瞼を軽く擦りながら、ロルフは身体を起こす。


「そう。特に異常はなかった」

「そっか。それは何より」


 短いやりとりを済ませて表に出ると、星の明かりだけが頼りの深い闇が広がっていた。そこに仄かに灯る明かりが見えた。そしてその前に座っている金色の髪の女――イーナだ。


「よう、起きたか」

「ああ」


 地面に腰を下ろし、背中越しに振り向き声を掛けてきたイーナにロルフは簡単に言葉を返す。そしてそのままイーナの傍に近付き、自らもその隣に腰を下ろした。死角をカバーしようとすると、自然とお互いは背中合わせのような形になった。イーナの華奢な肩が、ほんの少し自らの肩に触れている。その事が単純な物理的な意味以外のものを持っているように、ふとロルフには感じられた。


 木々が多い所為だろうか。空気がひんやりとしていた。ほんの一瞬だけ視線を上に向けると、落ちていってしまいそうな星の海がある。そんなロルフの耳には、自然とあちこちから響く虫の声が届いていた。一度気になると、少し五月蠅いくらいだ。だが慣れてしまうと、それがふと止んだ時が怖くなる。


「……ふぅ」


 息を吐く。

 視界の端で、イーナの長い耳がぴくりと震えたのが判った。

 不思議な関係だと思う。

 イーナとの事だけではない。マウリやリタとの事も含めて、不思議な関係だと、そうロルフは感じていた。


 イーナとは十年まではいかなくとも、それに近い間、会っていなかった。リタとはまだ会って一週間と経っていないし、マウリとだって似たようなものだ。それなのに、迷宮なんてものに潜って寝食を共にして互いに命を預け合っている。

 友人などと云う関係でも、同門という関係でも、無論、家族でも恋人でも無い。そのような関係について、ロルフはどうも慣れる事が出来ない。いずれ慣れるのかも知れない。それともずっとこの違和感は続くのかも知れない。もしかすると、同じメンバーと付き合い続ける事によって、自然と『何か』が醸成され、違和感が少なくなっていくものなのかも知れない。今のロルフには判らなかった。


 だがこんな機会でも無ければ仲間を作る事に踏み切れなかったのは、確かだ。それを考えれば、偶然がもたらしたイーナとの再会にロルフは感謝していた。


 やがてイーナが静かに豆を挽き始めた。視線を向ければ、珈琲を作っているらしい。この大陸の飲み物と云えば酒や水を除けば、ハーブティーや果汁水が主だ。豆を使う珈琲は、それほど広がっていない。ある意味このベリメースの特産とも云えた。


 豆を挽く音がゆったりと響く。低く、何処か落ち着く抑揚だ。それと同時に肌寒い夜の静寂に、珈琲豆の不思議と格調高い香りが漂った。イーナは湧いていたお湯を注いで、かるく馴染ませると、カップに注いでそれをロルフの方に差し出した。


「飲むか?」

「ああ」


 イーナはロルフの左隣にほんの僅か背中合わせになるように座っていた。その所為で右手にカップを差し出すと、触れる面積が大きくなった。温かくはなかった。服に覆われているというのもあるだろう、だがそれ以上にイーナの身体がひんやりと冷たい所為だと、そんな事をロルフは思った。

 手渡されたカップをロルフは慎重に受け取る。ほんの僅か指先が触れた。イーナの指は、細くしなやかで白い。そしてやはり、ひんやりと冷たかった。


 ロルフは受け取った珈琲を啜るようにして一口、口に含む。熱い。そして苦みと紙一重の旨さ。寝起きの頭が急に覚醒していく。


「旨い」

「……そりゃ良かった」


 思わず呟いたロルフの言葉に、イーナが微かな笑みと共に言葉を返した。その様子はどちらかと云えば、陰気な雰囲気を強く漂わせている。

 他人が居る所では余り見せたがらないが、時折イーナがこのような状態になる事をロルフは思い出した。


「…………」


 ロルフは闇に目を凝らし辺りの気配に注意を向けながら、もう一口、珈琲を口に運んだ。臓腑に、酸味と苦みが程よく入り混じった熱が落ちていった。





 次の日の朝。

 澄んだ青空が広がっていた。夜の間、魔物の襲撃などは無かった。運が良かったのかも知れないし、探索者などからお守りみたいな物だと云われている魔除けの水などが効いたのかも知れない。だが兎も角、何も起こらなかったのは良い事だ。

 日が昇ると、ロルフはマウリを、イーナはリタを起こしに行った。ただマウリはロルフが起こす前に半分起き出していたようだ。天幕の中へ入ると、それだけで向こうから声を掛けてきた。

 支度自体も殆ど無いのだろう。マウリは直ぐに起き出してきた。


「……おはよぉー」


 それに比べると、リタが少し遅れた。眠そうな顔をして、ゆったりと歩調で天幕から出てくる。だが、足取りに不安なところは無い。傍らには愛用の斧槍を携えている。彼女は何処かリタ・アスターという人間を『作っている』ようなところがある。どこまで本当なのか、今のロルフには掴みかねた。


「で、今日も真っ直ぐに転移石を目指すんだよね?」


 朝食が終わった後、四人で地図を囲み、今日の予定を確認する。


「ああ、何も無ければ今日の昼過ぎには帰還の転移石へと到着する。ただ……」

「地脈か」


 ロルフの言葉をイーナが引き取った。ロルフが無言で一つ頷く。

 現在、この区画で発見されている地脈は二つ。簡単に言ってしまえば、転移石の北にあるものと南にあるものだ。これは両方とも南東の方へ向かって伸びていき、ある地点で合流する。その辺りが竜穴、いわば魔力の溜まり場となっていると考えられ、この区画で唯一発見されている『主』である位階5の蛇の魔物――ドルインが縄張りとしている。


「ま、最初から想定はされていた事だ。余り気にしすぎても仕方ない。一層の注意をしつつ前進って感じか」

「うん。正直、もう一戦くらいはしたいよねぇ」

「生きて帰れる事を考えなければ、魔物と戦う手段は幾らでもあるんだがな」


 ロルフの言葉にリタは苦笑した。


「あははっ。そりゃあ勘弁願いたいね」


 ロルフはそんなリタを見て一つ頷くと立ち上がった。こんな場所でじっとしていても仕方ない。ロルフは最後にもう一度だけ地図を確認すると、三人を伴い出発した。隣にリタ、その後ろにイーナ、最後尾にはマウリという昨日と同じ隊列だ。昨日は簡単な戦闘だけだった事もあり、疲れは余り感じなかった。


 暫く歩き続けると、緑が濃くなってきた。それまでまばらだった樹の間隔が狭まり、樹の幹なども太くなっているようだ。戦闘力が皆無と云える位階が1の魔物や、魔物とすら云えない位階が0の小動物の姿もそこここに見える。どうやら地脈上の地点まで着いたらしい。帰りの転移石がある場所までもう少しといった所だろう。と云ってもそのもう少しが、中々大変な訳で……ロルフは息を吐き、気分を入れ替えてから歩を進めた。


 ここの樹林に共通する事だが、一つの木の大きさはそれほど無いものが中心だ。大体は簡単に切り倒せてしまいそうな幹の太さしかない。尤もやたらに太い樹も散在しており、そのようなものは数人掛かりでないと抱える事も出来なさそうだ。


 樹が増えた事で、周囲は少し暗くなっているようだった。だがまだ正午にもなっていない。まだ陽は充分に明るかった。これについては、一泊した事による恩恵だろう。宵闇の中を進むよりは遥かにその気配を掴みやすい。


「……よっと」


 リタが大きめの根を跳び越えるようにしてよけて進む。ロルフもそれに続いた。

 樹の根があらゆる場所に張り巡らされている所為で、足場も少し悪くなっている。慣れていない所為で中々動きづらい。注意しなくてはならないだろう。そんな事を考えていた時の事だった。


 寒気がした。


 首の後ろ、触れるか触れないかの距離に氷柱でも出現したのかと思えるような、そんな寒気だ。一瞬で血の気が引き、全身の毛が逆立った。


「っ!」


 それが何に因るものなのか、思考を巡らす前に身体が動いていた。前のめりに倒れ込むようにして、頭と首を動かす。一瞬遅れて、下げられた後頭部の上を、鈍い重低音が掠めていった。そして感じる風圧。かなりの大きさのものが突っ込んできたのだと知れた。少なくとも飛び道具としては大きすぎる。まるで一抱えほどある岩か何かを投石機で思いっきり投げ付けてきたような、そんな音と風圧だった。


「ちっ!」


 ロルフが舌打ちと共に立ち上がるのと、事態に気が付いたリタが斧槍を構え、マウリが腰を落とすのは殆ど同時だった。陣形は基本的に移動の時と同じ。イーナを中心として、マウリが最後尾。敵がどこから来るか判らない以上、これが最善だった。

 ロルフは慎重に辺りを見回す。先程は、どこから来るのか判らなかった所為で、咄嗟に盾を使う事が出来なかった。だが何度も同じように躱す事が出来るか判らない。そもそもそのような巨大な飛び道具を使う魔物は、この階層には存在しない筈。ならば獣鬼の変異体か、もしくは違法行為に手を染めた冒険者。そしてそのどちらかでも無いのならば、可能性はそれほど無い。


 米神が痛むほどに神経を集中させる。耳を欹て、肌に触れる風を感じる。あれで終わりの筈がない。必ずまた仕掛けてくる筈。


「しぃっ!」


 感知野が捉えた右からの攻撃。適当に放った【挑発】のスキルが効いたのか、狙いは幸いにもロルフのようだ。右の小盾で弾くようにして返す。重い。金属製の盾が立てた鈍い音と振動が、心臓に直接響いてくるようだ。だが弾き返す事には成功した。突っ込んできた時の重く鋭い感触とは裏腹に、弾き返されたソレは物音を立てる事もなく軽やかに地面に着地した。


「……爪猿」


 イーナが呻くように呟く。

 ロルフは後方にいるイーナにちらりと視線を向けると、視線を前方へと戻す。そして一瞬だけ自分の右腕を視界の端で確認した。相手の攻撃が掠っていたのか、袖が大きく斬り裂かれ、金属製の防具がそこから覗いていた。そこには強く引っ掻いた跡のような傷がある。もしも防具が無ければ肉が抉れていただろう。


 ――爪猿。


 朽葉色の体毛に、白蝋のような肌。瞳だけが鮮やかな琥珀色を湛えている。ききっ、と云うような甲高い鳴き声の所為か、それともその表情の所為なのか、どこか狡猾で凶暴そうだ。

 だが最も特徴的なのは、その名前の由来となった爪だろう。やたらに長く、そして鋭い。


 ……あの爪を武器に樹の上から飛び移るように突進してきたのか。


 ロルフは首筋がぞわりと粟立つのを感じた。ほんの少し反応するのが遅くなっていれば、あっさりと首を刎ねられたかも知れない。

 その気配の消し方といい、爪を使った攻撃の鋭さといい、少し前に戦った獣鬼とは雲泥の差だ。敵の数は恐らく5匹か、6匹。獣鬼の時と大差ない筈。だが何よりも各個体の持つ戦闘力が違いすぎる。


 肌が粟立ち、足下の感覚がどこか遠くなるのが判った。

 ロルフは苦労して唾を飲み込む。

 からからになっていた喉が微かに痛んだ。



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