第十六話 初めての迷宮探索(4)
スティルフの徒党と別れて、暫く歩いていくと辺りが暗くなってきた。肌寒く、風も僅かに冷たくなってきた気がする。このまま無理をして進めば、まあ野営をせずに帰還の転移石へと向かう事は出来るだろうが、夜間に疲れた身体を引き摺って地脈を横切る事になる。それはぞっとしなかった。
ロルフ達の歩みは、スティルフと会った後、迷宮探索とは別種の緊張を孕んだものになっていた。それはもしかしたらロルフの気の所為なのかも知れない。いや、恐らくそうなのだろう。だが、それでもやはり気になった。
ロルフの中にはこの十年で蓄積されてきた拭いがたい劣等感がある。だからこそ、フェーラン流の俊英であるアッシとの面会に、心安らかにはなれなかった。
「……はぁ」
溜め息一つ零す。
勘違いなのかも知れない。だがこのどっちつかずの空気を一方的に感じ続けるのは、酷く辛かった。
――どったの?
そんな眼差しで横を歩くリタがこっちを見詰める。それに首を振って、応える。
「あそこ辺がいいんじゃないか?」
突然イーナが口を開いた。一瞬なんの事だと意図を掴みかねたが、何の事はない、野営の場所の事だろう。ロルフは僅かに口籠もりつつも、辺りを見回す。どうやらイーナが指し示しているのは、木が捻り絡まりまるでちょっとした洞窟のようになっている場所の事らしい。野外活動においては、ロルフはイーナほどの知識は無い。さして迷う事もなく、ロルフは承諾の返事を返した。
「じゃ、あそこら辺にテントを張ろうか」
ロルフの決定を受けて、リタが動き始める。それにマウリもイーナも、そしてロルフも続いた。
「テントはまあ……二つでいいか」
「ああ、私とリタは一緒でいいし、ロルフとマウリも一緒でいいだろ。どうせ見張りは必要だしな」
「ん? 別に俺とマウリが見張りをして、その後にお前とリタでもいいぞ。別に見張りの質自体は大して変わらないだろ?」
ロルフにしてみれば、別に大した考えがあった訳ではない。ただ男女別でも別におかしくないのではないかと思っただけだった。だが、イーナはそれに対して凄く困った顔になった。あー、うーなどと、呻き声とも付かぬ声を上げている。それに対して助け船を出したのが、リタだった。
「それは出来れば勘弁して欲しいなぁ」
いつも浮かべている爛漫な笑みを苦笑に変え、リタは頬を掻いている。
「なんでだ?」
「あー、うん、貴方を信用していない訳じゃないんだけど……」
言いにくそうにリタは言葉を紡ぐ。美しい金色の瞳が形作る視線が、答えを探すように暫しロルフの頭上辺りをさ迷った。
「やっぱりイーナと一緒に寝入っちゃうっていうのは避けたいんだ。以前の徒党に入っていたときに襲われたのが、そんな感じの時だったから」
まあ、内と外とで協力されれば大して変わらないのかも知れないけどねぇー等と、リタが朗らかに云う。
「…………」
「ほら、一人が起きて外にいれば、中で何かあれば気付くでしょ。やっている最中に押し入られるかも、なんて男だったら避けたいみたいで……」
「あっ、ああ、そうだな」
リタの言葉を遮るようにして、ロルフが口を挟む。その慌てた態度がおかしかったのか、リタは困ったような笑みを無邪気なものに変えた。
「あははっ。そんなに気を使われると困っちゃうんだけどねー」
ふとロルフの視線が、リタの姿態へと向かう。美しい褐色の肌にそれとは対照的な銀糸のような長髪。そこから飛び出るように出た特徴的な耳に、印象的な大きめの金色の瞳はどこか天真爛漫な猫のようで――。
リタには、その女性らしい凹凸を伴った身体と整った目鼻立ちとが合わさり、あどけなくもどこか妖しく艶やかな雰囲気があった。
――っ。
まるで吸い寄せられるように、リタの姿に目を奪われていた事に気が付いたロルフが慌てて視線を逸らす。イーナが面白く無さそうな色をその瞳に浮かべるのが視界の端に映った。そんな時だった。
「――食事にしよう」
今まで我関せずと云った感じで黙々と食事の準備を進めていたマウリが、口を開いた。
視線を向ければ、準備万端と云った感じのマウリの姿がある。簡易の焼き台に素材を乗せた皿がその横にあり、マウリはその前に胡座を掻いて陣取っている。
「はぁ」
毒気を抜かれたように、ロルフが息を吐く。その吐息が隣にいたリタと重なって、思わず視線を見合わせ、お互いに苦笑した。後ろではイーナが「ぶーぶー」と幼稚な方法と口調で不満を訴えていた。
「まあ食べるか」
ロルフはそんなイーナを無視して、席へと着く。席とは云っても、地面に適当に座布団を敷いただけの簡易なものだ。一応は魔除けの護符を張り、魔除けの水も撒いてある。更にはイーナの手によって、警報も設置し終えた。少しは気を緩めても平気だろう。
全員が席へ着いた事を確認すると、マウリが肉を焼き始めた。野菜や香料、それに何種類かの垂れもある。どこにこんなものを持っていたのかと思ったが、どうやら収納用の魔具を以前に購ったらしい。
物体を魔力に分解して、持ち運ぶスキルである【収納】。持ち運んでいる状態では常にその質と量に応じて負荷が掛かり、スキルを発動している人間が死亡すると、特殊な作業をしなくては物品を回収できないという危険性はあるが、それでも定期的に同じような物品を運ぶような商人には非常に便利に扱えるスキルだ。
そしてそんな【収納】のスキルを、限定的ながら再現した魔具も売られている。収納できる魔素の量に限界がある為に、魔物から得られる素材などについては中々使えないが、小物を入れるには便利だ。マウリが出した食材なども、そこから出したものだろう。
「あれ? ベリメースに来る時には持ってなかったよな?」
「安くなってたのを見付けた」
ロルフの問いに、マウリが少し自慢げに答える。肉の焼ける良い匂いが辺りへ漂う。食欲をそそる匂いだ。今までは気付かなかった空腹が、その匂いをかいだ瞬間に途端に意識された。
「たれは幾つかある。お好みで」
そんな事を告げるマウリの声は僅かに弾んでいた。口数も少し多い気がする。何よりその尻尾が、本人の感情を表すように動いていた。
「んじゃ、遠慮句無く頂くかな」
「私も」
肉というのは、この世界では最も一般的な食材だった。何せ魔物がいる。幾ら倒しても何処からか出てくる上に、倒さざるを得ない存在だ。そんなものの相手をしながら農作業など至難の業だし、自然とその魔物の肉は食用になる事になった。
肉を炭火や石炭などで焼く。そんな料理は、この大陸の至る所で――少しずつ異なりながらも――偏在している。それは野菜や香草、そして魚などが豊富に取れるベリメースにおいても同じ事だ。
「よっと……そろそろいいか」
肉の脂身が泡立つ音が聞こえ、赤く色づいていた肉はいつの間にか焦げ茶色へと変わっていた。それを一個ずつ裏返し、焼き上がりを確認する。そして良さそうなのを警戒のため外の方へ向いているイーナとリタに渡す。二人は礼を言うと、それを受け取った。ロルフも一つ手に取り、口に運んだ。
肉の種類は判らない。だがしっかりとした歯応えに、香辛料の利いた味付け。更には脂身のしっかりと乗った旨み。そして焼き立て特有の熱さ。一度に噛み切る事は出来ず、苦労しながら少しずつロルフは咀嚼していく。口の中が熱く、火傷してしまいそうだ。飲み込むと、喉の中を熱いものが滑り落ち、胃の中へ運ばれていくのがはっきりと判る。そこから身体中に熱となって広がっていくようだ。
外側は程よく焦げ、僅かに固いが、中は弾力があり柔らかい。だが充分な歯応えがあり、少し噛み切りにくい程だ。それがまた野趣に富んだように思えて、非常に旨く感じられた。
「……はふっはふっ」
「~~~……っ」
視線を横に滑らせれば、リタが黙々と旨そうに食っている横顔が映る。イーナはまばらに掛けるべき薬味を掛けすぎたのか、鼻の頭をきつく押さえ、涙ぐんでいる。何やってるんだか、とロルフが自らの分の肉をもう一口、口に運ぶ。串に刺さった肉は中々取れない。苦労して歯で挟むようにして取ると、肉の中の熱さと肉汁の旨みが歯を通して伝わってくる。はふぅっと、幸せにも間抜けにも聞こえる吐息を何度か漏らしながら、ロルフは肉を口内に入れる事に成功した。
たっぷりとした歯応えのある肉は相変わらず旨い。だが少し香辛料が固まっていたらしい。辛い。舌にくるような辛さではない。どちらかと云えば喉に直接来るような、身体全体に利いてくるような辛さだ。身体全体が熱を持ち、軽く汗ばんでくるのが判る。口直しという訳でもないが、ロルフは付け合わせの為の葉を、そのまま口に入れて肉と共に咀嚼する。香り付けなどに使われる葉だが、苦みが程よいのだ。香辛料の辛さと肉の味が蔓延した口内では、それが程よいアクセントとなった。
最後に果汁水を飲んで、口の中を洗い流す。さっぱりとした蜜柑系の果汁水だ。その酸っぱさと甘味が、今の舌には丁度良かった。ちらりと視線を向ければ、マウリはまだ串焼きを口に運んではいなかった。別に腹を空かしていないとかそういう事ではないだろう。単純にまだ焼き上がっていないのだ。何故ならマウリのだけは、串に刺さった一つ一つが他のに比べて明らかにでかい。
マウリはそれをじっと見詰めている。正座だ。視線はまるで動かない。酷く真剣な表情で、ぴくりともしない。ただ待ちきれないようにその尻尾が時折うねるように動いている。
やがて出来上がったのか、マウリはそれを口に運んだ。トカゲのような口は普通の料理を食うのには余り向いているとは云えないが、このような物を食うのには便利そうだ。だからこその特別製の串焼きなのだろう。
マウリが肉を咀嚼する音が微かに響く。その顔は幸せそうだ。恍惚としているようにすら見える。ロルフが真似しようと思っても、同じようには出来ないだろう。そもそも口の大きさが、そして身体の構造が違う。羨む事ではないのだろうが、旨そうに食っている目の前のマウリの顔を見ていると、ふとそれが羨ましくなった。




