第十四話 初めての迷宮探索(2)
ロルフ達が飛ばされた場所は、帰りの転移石がある中央部分から南西へ大体歩いて丸一日と云った距離にある場所だった。尤もこれは不眠で歩いてという事なので、夜間などに休憩をする事を考えれば、二日みておいた方が無理がない。当然ながら野営の準備はしてあるので、それについても問題はない。
今回は様子見という事で、生きて帰る事を第一の目標としている。なので、当然帰りの転移石がある北東の方向へと真っ直ぐ進む事になる。地図によると途中目立った難所は無いが、大体三分の二が過ぎた辺りで、地下を流れる大きな魔力の流れ――俗に地脈とも龍脈とも云われているものが横切っている。もしかしたら何か影響があるかも知れない。
機動力に長けるマウリが後列で、接近戦の能力に欠けるイーナが中央。その前方を守るようにロルフとリタが付く。そんな隊列で四人は進んでいった。
道はまだ比較的歩きやすい。
所々に木々の根が張っているが、それでも迂回しなくてはならない程ではない。
ロルフは意識を集中させながら、進んでいく。今のところ異常は見られない。ただ張り詰めた神経が、この場所の危険性を訴えていた。見た目はカラトの樹海と大して変わらない。だが魔力が澱んでいるのが判る。不思議な感覚だ。見た目は穏やかな森の筈なのに、どこか異常で、そこはかとなく不気味に感じられる。
ちらりと横を見遣れば、まだ見慣れたとは言い難いリタの顔が映る。此方の視線に気が付くと、にっこりとあどけない笑みを向けてきた。後ろからはそれに気が付いたイーナが、何事か不平みたい事を口にする。
ロルフは肩に入っていた力を抜くように大きく息を吐いて、歩を進めた。
柔らかな土の感触が分厚い靴底を通して伝わってくる。穏やかな風が通り抜け、葉擦れの音が耳に届く。魔物の気配はない。だが油断は出来ない。
辺りには木々が立ち並び、草木が生い茂っている。魔物の隠れる場所は幾らでもある。
この階層に出るような魔物だ。高度な知能は持っていないだろうが、それでも知恵がない訳ではない。爪猿は木の上から襲撃を掛けてくると云うし、森林狼は茂みから不意を打って飛び掛かってくるのだと聞いた。
カイトシールドを身体の前へと引き付け、ロルフはゆっくりとした歩調で進む。このような調子で歩いていたら先に神経が参ってしまうとも思うのだが、警戒を緩めて歩くのも怖かった。
「……ん?」
暫く歩いた後、それを見付けたのはレンジャーであり【樹海探索】のスキルを持ったイーナだった。
「どうした?」
ロルフが立ち止まり、肩越しに訊ねる。完全に振り向いたりはしないが、事情は確認する必要がある。警戒を緩めないように意識を割きながら、イーナへ視線を向ける。
イーナはしゃがみ込み、地面を調べている。
「なに? なんか良いものでも見付けたの?」
「良いものかは判らないが、人間大の足跡だな。この大きさと形の野生動物は此処にはいない筈だ。まず間違いなく魔物のものだ。向こうの森に続いている」
「魔物の種類は判るか?」
「恐らくは、獣鬼。体付きは少し大きいな」
「まあ、無視だ。警戒しつつ先へ進むぞ」
此処に出現する獣鬼の殆どは2の下から2の中の位階。襲われても今のロルフ達なら苦戦する事は無いだろう。わざわざ追い掛けて倒す程のものでもない。どうせ帰るまでに一度も魔物と遭遇しない等という事は無い筈だ。
ロルフ達四人は再び先へ進む。
「はぁ……、仕方ないっちゃ仕方ないけど、迷宮の中っていうのはどうしても結構神経使うね」
暫く歩いていると、リタがぽつりと言葉を零した。
「一応は経験者なんだろ? やっぱり慣れないもんなのか?」
「慣れちゃ、いけないんじゃないかなぁ……」
そんな事をどこかのんびりとした口調でリタが答える。そして肩越しに振り返ると「ねえっ?」とイーナの方に話を振った。
「うむ。迷宮というのは常に危険をはらんだ秘境の地。財宝と名誉、超常の力。それと死が紙一重の場所なのだ。例えこのような探索済みの地といえど、探索された時と同じだという保証はどこにもない。緊張を緩めるなど以ての外だ」
「…………」
鹿爪らしく一席ぶつイーナに、思わず曰く言い難い視線を向けてしまう。何となくむかついたのだ。
「リタ、久し振りに再会した幼なじみが冷たい」
「よーしよし。きっと照れてるんだよ。年頃の男の子は繊細だから」
「断じてそのような類の感傷とは関係ないと表明させておく」
「……照れ隠し?」
「違う」
此方を覗き込むように首を傾げるリタの言葉を、ロルフは一言に切って捨てる。油断しているのなら注意しようと思ったが、辺りは見晴らしがよい平地だ。魔物の姿は見えない。リタも最低限の注意は払っている。油断するなの一言も云えず、ロルフはふて腐れたように黙り込んだ。
そのまま再びロルフ達は歩き始めた。
ここら辺は俗に初心者向けだと云われている。まだ地図も出来ていない場所なら判らないが、ここら辺は比較的魔物の強さも低い。南東の沼地に居る主――ドルインと名付けられた蛇型の魔物の領域に近付くか、まだ未確認だがドルインとは別の主が居るのでは目されている北西部の高地へ近付かなければ、危険は最低限に抑えられる筈だ。
そんな初心者向けの階層だからか、地形は基本的に平坦だった。抜けられないような高度な段差も、行く手を阻むような巨木なども存在しない。比較的素直に目的地までの道程を歩む事が出来そうだ。
そんな事を考えながら暫く歩いていくと、ふと話し声が聞こえた。戦闘の音は聞こえない。声に緊張も感じられない。どうやら敵でも切羽詰まっている訳でもないらしい。
「どうするの?」
リタの声にロルフは暫し考え込む。「どう思う?」と、ロルフは後ろの二人の判断を求めた。
「敵意は感じない。判断は任せるよ」
「同じく」
イーナとマウリは、換言すればどちらでも良いという事らしい。ロルフはその意見を聞いて、再び考える。結論はさほど時間を掛ける事もなく出た。
「まあ、顔を見せるくらいはしても、損にはならないだろう」
迷宮での犯罪行為は無い訳ではないが、黙認されている訳ではない。それを専門にやっているような人間なら兎も角、そうでないのならそこまで非道い事にはならないだろう。それよりも下手に隠れてこじれる方が問題だ。
ロルフ達は気配を消す事もなく真っ直ぐと歩み出た。
「お?」
赤毛の男がロルフの方へと視線を向ける。どうやらこの男がリーダーのようだ。数は全部で5人。平均的な数と云えるのかも知れない。だが随分と軽装の装備の人間が多い。見たところ、魔術師や狩人など遠距離に偏った編制らしい。装備の質や身のこなしを見るに、位階はロルフと同程度だろう。正直、不意を受けて接近されたら一気に崩される恐れがあるような気がする。
尤もロルフ達に他人の事は云えない。近距離専門と遠距離専門。どちらが良いというものでも無いだろう。
「よう、そっちは何も異常はないかい?」
ある程度近付くと、徒党のリーダーらしい赤毛の男が話し掛けてきた。どうやらボウガン使いらしい。直ぐ取り出せる位置には矢が番えたままのボウガンが置かれている。
「いや特にないな。そっちにはなんかあったのか?」
「いや、幸いな事にね。ただこの区画も最近少し騒がしい気がするからね、ちょっと気になっただけさ」
「あいにく、こっちは駆け出しも駆け出しだからな、そっちに返せるような情報は何もないさ」
「ふーん……」
もの言いたげな視線を男は、ロルフ達に向ける。
その視線の先にはエルフであるイーナと、ダークエルフであるリタ、そしてリザードマンであるマウリが映っているようだ。男の徒党は全員がヒューマンである事を考えれば、やはり物珍しいのだろう。
だが関わる事ではないの考えたのか、男は軽く肩を竦めると口を開いた。
「まあ、いいや。俺はハヴェル・バルターク。徒党の名前はナイスドットだ。何かあったらよろしくな」
「ああ、ロルフだ。徒党の名前はまだ無いが、こっちこそ何かあったら頼む」
そんな風に簡単に返事をすると、ロルフ達はその場を後にした。
「私たちとは随分と違ったね」
「何がだ?」
リタの呟きに返したのはイーナだった。
「うん、あのナイスドットっていう徒党は、長弓にボウガンを持ったレンジャー三人に魔術師二人。種族は全員がヒューマンで、女が一人。こっちは近接戦の戦士が三人にレンジャーが一人。その一人のレンジャーも鎖鎌なんていう中衛の武器を持っているし、ヒューマンは一人だけ。徒党の半分は女だしね」
「確かにな。だがあんな風に女一人で周りが全員が男っていうのも中々気苦労が多そうだぞ。少なくとも私は御免だ」
「あははっ。それは私も御免だなぁ。でもそういえば、女一人で他が全員男ってベリメースでは有名な徒党があったよね? ……なんて名前だっけ?」
「ああ、ノードセックな」
「なんだ、それ?」
リタとイーナの会話にロルフが口を挟んだ。
「ああ、ロルフは知らないか。このベリメースでもトップクラスの六人組の徒党なんだが……まあかなり黒い噂があるような奴らが名を連ねていてな。だがそのリーダーを務めているのがどちらかと云えば華奢な少女な上に、戦闘には向かないとされる治癒士で……まあ色々と有名な訳だ」
「そういえば、あの徒党も六人のうち戦士が一人だけっていう随分と変則的な編制だったよね」
なんだか聞いていると、基本通りの編制をしている奴の方が少ないんじゃないのか?
そんな言葉を口にしようとしたロルフの感知野に、魔物の気配が捉えられた。ロルフは立ち止まり、他の三人に対して警戒するように手で指図する。一瞬遅れて右方前方の茂みから魔物の姿が現れる。
醜悪な獣のような顔。人間の子供ほどの身長の二足歩行。手には原始的な武器を持ち、瞳には理性の感じられない殺意に塗り潰されている。
――獣鬼だ。
数は七匹。
「イーナ」
敵の位階を見抜く【看破】のスキルを持つイーナへ声を掛ける。視線は獣鬼から逸らさない。左手に持ったカイトシールドを掲げるように身体の前方に構え、その上方から敵を見据える。
「位階は二の下から中。それほど特殊な個体はいない」
「よし」
ほんの数秒で求める情報は返ってきた。
ベリメースの道中で遭った獣鬼よりは多少は上かも知れないが、この迷宮の魔物としては最下級だ。数は少ないとは云えないが、この程度は相手に出来なくては話にならない。
ロルフの新装備を試す意味でも、徒党の動きを確かめる上でも最適の相手と云えた。
「陣形は打ち合わせ通りに。――手早く仕留めるぞ」
その言葉と同時に、マウリとリタが素速い動きで両翼に動く。そしてそれとほぼ同時、獣鬼達が奇声を上げて襲い掛かってきた。




