第八十五話
『気持ちいいですねー。ご主人様』
「そうだな」
爽やかな草木の香りと木漏れ日が心地いい雑木林の中を、ブランの背に揺られながら進む。時折聞こえる小鳥の囀りや風に揺れる木々の音が耳を楽しませ、ゆったりとした時間が流れているように感じる。
己の以前の住処だった雑木林が懐かしいのか、時折耳をぴくぴく動かし歩くブランはご機嫌だ。
「ドイル、雛達が鳴きだしたぞ」
「……貸してください」
雑木林の静寂を切り裂くようにピヨピヨピヨ! とけたたましく鳴く雛達の籠を、黒毛の馬に跨ったグレイ様から受け取り覗き込む。
『ママ!』
『お腹が空きました!』
『ごはんの時間!』
『ママ、ごはんー! お腹すいたのー』
『ごはんー?』
「ほら」
『『『『『わーい』』』』』
「なんだ、お腹が空いていたのか」
「……此奴らは体内時計が正確なんです。朝・昼・晩とおやつ。毎回きっかり同じ時間に鳴きだします」
「便利だな」
「ドイル様。この辺りで一度休憩されてはいかがでしょう? 雛達が鳴いたということは、お昼の時間でしょうから」
「「賛成ー! いいですよね? グレイの兄御!」」
「そうだな。止まれドイル。休憩にしよう」
雛達の生態を告げれば、グレイ様は感心したように頷く。
俺達の会話を聞いていたバラドが昼休憩を提案すれば、リェチ先輩とサナ先輩が諸手を挙げて賛同してグレイ様に伺いをたてた。
先輩方の言葉にグレイ様が賛成の意を示したことで、俺の意見を挟む隙なく昼休憩をとることが決定する。
「リェチ先輩、サナ先輩。支度をしますのでお手伝い願えますか?」
「「よ、喜んで!」」
「では、こちらをお願いします。グレイ様はドイル様とご一緒にこちらでお休みください。直ぐに昼をご用意いたします」
「わかった――――何をしている、ドイル。早くこっちにこい」
「……はい」
バラドのお願いに素晴らしい速さで準備を手伝い始めた先輩方と、用意された敷布に当然のように腰かけ俺を呼ぶグレイ様。
まるでピクニックにでも来ているかのような、和やかな光景に俺は頭を抱えた。
……何故こうなった。
馬術指導初日を無事終えた帰り際、ヘングスト先生に呼び止められ『頼みごと』されたのが昨日の夕刻。
ヘングスト先生の頼みごとはそう難しいことでなく。どうも放し飼いにしている馬達がそわそわして落ち着きがないので、雑木林の中を見てきてほしいといものだった。
馬牧場の職員用に作られた一室。
目の前に出されたお茶を飲みながらヘングスト先生の話を聞く。
「ここ二~三日、林で放し飼いにしてる馬達の様子がおかしくてなぁ。一年達の馬選びがあるんで、俺達も慌てて見て回ったんだがさぁぱり原因がわからん。危険がないのは確かなんだが、馬達がどうにもそわそわしてるんだぁ」
「危険はないんですか?」
「危険はない。怪我した馬とかも見ねぇし、それは確かだぁ。生徒達を入れるんで見回りには他の先生方の手も借りたからなぁ。なぁんにもないんだが、とにかく馬達がそわそわしててパートナー決めどころじゃないみたいでなぁ。去年のアギニス達は異様な早さだったが、それでも毎年十人前後の貴族は初日で馬を見つけてくるもんなんだが……今年の貴族達は誰も馬を捕まえてこなくてなぁ。これはどうにかしないといけないだろうと、さっき学長や教師達と会議してきたところだぁ」
「それで俺ですか?」
「学園側の不手際を生徒に後始末させるのはお門違いだと思うんだが…………セルリー様がなぁ」
何気なく。
本当に何気なく聞き返しただけだったのだが、最後に付け足された一言で会議中に何があったのかを察した。
要するに危険はないのは確かなので、馬達が浮ついている原因を見つけてきてほしいという話である。林に住む馬を見つけて話を聞けば一発で解決する簡単な仕事だ。それを見越してセルリー様は俺を指名したのだろう。まぁ、危険はないようなので問題はない。
半日もあれば終わるだろうということで、俺が担当する後輩達に事情を告げて代わりの指導者としてジンを紹介してきた。馬術の腕は確かだがジンだけに指導を頼むのは不安だった為、ルツェ達もおいてきた。何かあったらルツェがそつなく対応してくれるだろう。
後輩達に代役を紹介し終えた俺は、他ならぬヘングスト先生の頼みだし早く解決してあげようと意気揚々と雑木林に向かって出発した。
すると何故か、雑木林の入り口にグレイ様と先輩方が待機しており、今に至る。
心配してきてくれたのはわかるんだがな。
ブランから降り、グレイ様の元に向かいながら合流した時のことを思い出す。
『ジンを貸してしまったから、部屋で待機するしかなくてつまらん。お前と居るなら問題ないだろう?』
なんて言っていたが、俺を心配してきてくれたことはわかっている。
部屋から出られないからといっても王太子であるグレイ様が、暇を持て余すなどあり得ない。やることはいくらでもあるはずだ。
大方、ヘングスト先生の話の中にセルリー様の名前があったことをバラドから聞き、心配して駆けつけてくれたのだろう。
戦士科のほぼ全員と手合せなど、己の目の届く範囲ではさらっと俺を売る癖に目が届かない場所に行くとなった途端心配してついてくる幼馴染は過保護としか言いようがない。発端はバラドだろうが、先輩方がここにいるあたりレオ先輩も一枚噛んでいるのだろう。二人は確か、治療班の長を任されているレオ先輩のサポートをしていたはずだから。
……過保護だよなぁ。
俺が魔王を両断した瞬間をその目で見ているはずなのに、この身を案じる彼等の気持ちがむず痒い。
心配してグレイ様に連絡をとるバラドも、忙しいはずなのに己の両腕を寄越すレオ先輩も。そんなに心配しなくて大丈夫だというのに心配性なやつらだ。
それにグレイ様も。信用されていない訳ではないと思うが、自身の命以外で俺が一人で行動させられることを極端に嫌がるグレイ様は、本当に仕方ない人である。
「雛達は?」
「まだ食べてます」
「どのくらい食べるんだ?」
「全員合わせて、一食で五分の一ぐらい持っていかれますね」
「……それは大丈夫なのか?」
「学園をでなければ。まぁ、野生のフェニーチェは自然界で生活しているんですから、雛の内だけでしょう。あと一~二か月位ですよ…………多分」
「ドイル」
咎めるように俺の名を呼ぶグレイ様に、笑って誤魔化す。そんな俺に厳しい目を向けつつもそれ以上口を挟まなかったのは、俺にこの雛達を手放す気がないことを知っているからだろう。これ見よがしに溜息を吐くグレイ様は、俺に甘い。
……確かに、これ以上食べるようになったら困るけどな。
溜息一つで言いたい言葉を飲みこんだグレイ様に、心の中でお礼を言いながら雛達をみる。確かにグレイ様の仰るとおり、このまま毎食この量の魔力を喰われ続けるのはよろしくない。
体が大きくなった影響か、それともよほどお腹が空いていたのかはわからないが、痛いぐらい手をつついて魔力を貪る雛達は本当によく食べる。
賄えないということはないが、それは戦闘用の魔力を残さず全ての魔力を与えた場合だ。ゆっくりと休息をとれば回復するといっても、常に魔力残量が少ない状態を強いられるのは不味い。
グレイ様もクレアも学園内に居るのでそう危険な目に合うことはないだろうが、何時何処で何が起こるかはわからないしな。国内外に不穏な動きがあるのも確かだし、ある程度余力を残しておき、何かあったら対応できるようにしておきたいのが本音である。
魔力が空になり剣のみとなった場合、果たして俺はグレイ様を守りきれるのだろうか。
「グレイ様、ドイル様。昼食の準備が整いました」
「流石ローブ。手際がいいな」
「ありがとうございます。ドイル様? いかがされましたか? まだ雛達は食事中でしたか?」
「――いや。今、行く」
バラドの声にはっとし、立ち上がる。
籠の中の雛達はとっくに満足し、昼寝の時間に入りかけていた。
すよすよ眠る雛達の安らかな顔を見ながら、俺は先ほど浮かんだ考えを胸に刻んだ。
「「ドイルお兄様ー?」」
守りきれるだろうかではなく、守りきりたい人達がいる。
その為には、何時如何なる状況であっても戦える術が必要だ。疲れていたから、魔力が無かったからなど言い訳にはならない。失いたくないと願うなら、相応の努力が必要だ。
ーーここには、それを与えてくれる人がいる。
「――今、行きます」
俺を呼ぶ声に返事をしながら、高笑いの似合うセルリー様を思い浮べこれからを考えた。
何が何でも守りたい人達がいる。
その為の努力は惜しまないと、そう思った。
思ったのに――――
「――グレイ様! バラド! リェチ先輩! サナ先輩!」
雑木林の中、ブランを走らせ叫ぶ。
ブランを全力で走らせたことで、バキバキと木々が折れ道端の草花が散っていった。
雑木林が荒れるのも気に留めず、俺はブランの速度を上げていく。命に従い走るブランの戸惑いを感じていながら、俺はブランに声をかけなかった。かける余裕がなかったのだ。
「グレイ様! バラド! リェチ先輩! サナ先輩! ――っ一体どこに!?」
姿のみえないその人達の名を叫ぶ。
しかし、幾度その名を呼ぼうとも返事が返ってくることはない。しぃんと静まり返った雑木林の中、俺の声とブランが駆ける音だけが響いていた。
厳重に守れた学園の、多くの大人達に管理された雑木林の中。
多くの先生達が見回り、危険はなく、安全な場所のはずだった。
「グレイ様! バラド! リェチ先輩! サナ先輩!」
しかし俺は今。
その安全な場所だったはずの雑木林で一人叫ぶ。
「グレイ様! バラド! リェチ先輩! サナ先輩! ――――誰かっ!」
『……ご主人様』
『『『『『ママー?』』』』』
つい数刻まで和気藹々と昼食をとっていたはずの人達の姿は何処にもなく。何度気配探知をおこなおうとも、求める気配は何処にもない。
突然姿が見えなくなったグレイ様達に後悔と自責の念、そして混乱と焦燥が俺を襲う。
当然、俺を心配するブランや雛達の言葉など耳に入る訳もなく。
「――っ何故!」
何故こんなことに。
ただその思いだけが、俺の思考を占めていた。
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