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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
79/262

第七十九話

「ついにばれましたか」


 聞こえるか聞こえないかといったギリギリの声でそう呟いたセルリー様は、孫を見るような優しい笑みを浮かべ箱の蓋を閉めるとこちらに向き直る。そして「どうぞこちらに」と、俺とバラドをテーブルへと招いた。

 テーブルの上に置かれた蔓で編まれた箱の中からは、時折カサカサ動く音が聞こえており気になる。大変気になるのだが、わざわざセルリー様を訪ねてきた本題を見失っては元も子もないので、取りあえずセルリー様に簡易な礼を取りながら俺は口を開いた。


「――御寛ぎ中のところ、失礼いたします。本日はご注文の品をお持ちいたしました」

「ああ。出来ましたか」

「こちらになります。つきましては、今後は私を通してご注文いただけると幸いです、セルリー様」

「すみませんねぇ。言おう言おうと思ってはいたのですが、入学式の日に殿下と挨拶に来てくださったきり、まったく会いに来てくださらないので言い忘れていました」

「……それは大変失礼いたしました。仰ってくださる気はおありだったんですね?」


 小さな声とはいえ、開口一番に「ばれてしまった」と口にした癖に平然と「言う気はあった」と言い放ち、さらにサラッと嫌味を交えてきたセルリー様に顔が引きつりそうになるのをぐっと堪えて笑顔で尋ねる。

 避けていた俺が悪いのだが、だからと言って周囲の人間に手をだされては困るのだ。ここできちんと釘を刺しておかないと、この方は素知らぬ顔で再び同じことを繰り返すだろう。


 セルリー様に不満を述べるのは勇気がいる。しかし二度と同じ轍は踏むまいとドキドキする心臓を隠して、笑みを深め返事を待つ。

 そんな俺の態度に目を細めたセルリー様に悪寒を感じたが、そんなことはおくびにも出さず微笑んでみせる。

 長年王城で過ごしてきたセルリー様からすれば、この程度の腹芸は呼吸に等しい。ここで動揺しては、この人の思う壺である。

 

「それは勿論。しかし、歳を取ると部屋を出るのさえ億劫でしてねぇ。ついつい、会った時にでも伝えればと思いまして。…………しかし、もっと早くドイル君の方からお叱りがくるかと思っていたのですが、随分と遅かったですねぇ。もしかして、レオパルド君から報告を受けていなかったのですか?」

「…………ええ」

「――――おやおや。その様子だと、監視するどころか定期報告もさせていなかったのですね? 信じる心は美徳ですが、上に立つ者がそれではいけませんねぇ。どれほど信頼している部下であっても、手綱はしっかり握らなければ。甘い誘惑は何処にでもありますからねぇ。監視は己の為だけではありません。高貴な者の部下にはいつだって甘い誘惑が付き纏うのです。部下が堕ちぬよう、周囲に目を光らせてあげるのも上司の仕事ですよ? 信頼して裁量を与えるのと、放任は別物です。気を付けなさい」


 そう簡単にこの人の手の上で転がされてたまるかと思うものの、はっきりと指摘された己の甘さにぐっと言葉に詰まる。

 そしてようやく俺は、セルリー様がわざわざレオ先輩方に接触した理由を察した。


 素直に忠告してくれない辺りが、セルリー様らしいというか……


 己の甘さを突き付けられながら受ける忠告は耳に痛い。

 しかし同時に、ありがたいと思う。俺の様な立場の人間に対し真っ向から否定し、忠告をくれる人は貴重だ。

 決して気分の良い方法では無いが、わざわざ希少なフェニーチェの卵を用意してまで忠告してくれたことを、俺は感謝せねばならないだろう。


「――――貴重なご忠告、ありがとうございました。以後、気を付けさせていただきます」


 そう言って、深く腰を折る。

 正直、レオ先輩方の一件は大変胸に痛い事件であったが、いうなれば自業自得である。俺の部下になるということはひいてはグレイ様の部下でもあるのだ。グレイ様に近しい俺の部下など、美味しいに決まっている。なぁなぁの馴れ合いでいいわけが無い。

 レオ先輩方やルチェ達が簡単に俺を裏切るとは思わないが、甘い誘惑は何処にでもあるし、誘惑されて裏切るとは限らない。

 親類縁者、友人、恋人。

 部下が増えれば増えるほど、狙う相手も付け入る隙も増える。足元を掬われてからでは遅い。それら全てを管理してこそだと、セルリー様は仰っているのだ。

 やり方に物申したいのは山々だが、表舞台で生きることを望むのなら先ほどのセルリー様のお言葉は素直に重く受け止めるべきものである。

 俺の所為でグレイ様に何かあってはたまらない。


「セルリー様?」

「………………ドイル君の察しの良さと素直さは、アラン殿やセレナ殿の教育の賜物ですかねぇ」


 やり方はどうあれ、貴重な忠告をしてくれたセルリー様に素直に礼を述べて頭を上げれば、何故かセルリー様は目を瞬かせていた。何やら驚いている様子に声をかければ、セルリー様は毒気が抜かれた表情で「本当に、ゼノに似なくて何よりです」としみじみと仰った。


「――――お座りなさい。貴方に伝えておきたいことがあります」

「失礼いたします」


 俺を通して別の誰かを思い浮べているのか、何かを噛みしめる表情を見せたセルリー様は振り切るように一度目を閉じた後、いつもの笑みを消して俺に着席を勧める。

 ピリっと変わった場の空気に俺も気を引き締めて席につく。

 向かい合って座ったセルリー様は俺よりも小さな老人なのに、とても大きく見えた。






「――今年の合宿は中止になるでしょう。代案として、現在砦か王都警備があがっていますが、恐らく王都警備でしょう。今月からゼノが王都の警備隊で指南役をしていますからねぇ。それから現在、エーデルシュタインを中心に周辺国でオピスと思われる者達が多数目撃されています。このマジェスタ国内でも。――――この意味が分かりますね」


 疑問符のつかない問いかけにバラドが息をのむ。

 セルリー様の口から語られた「話しておきたいこと」は、大変ありがたいことにどれも今の俺では手が出せない場所の情報であった。


 お爺様が発見した武器の最終地点がエーデルであったこと。

 王城の内部に仕掛けられていた魔道具が盗聴系の物だったこと。

 深淵の森で人為的に魔王が造られていたこと。

 その後も強力な個体が次々発見されていること。

 深淵の森は危険なので、今年の合宿は変更になること。

 各国の傭兵達に動きがあり、その中にオピスと思われる者達が多数目撃されていること。


 それらの情報が示している可能性は一つ。


「戦、ですか」

「そうならないよう、陛下達が色々動いているようですけどね。意識の端に置いておくとよいでしょう。――――――今聞いた情報をグレイ殿下に伝えるかはドイル君に任せます。好きになさい」


 俺の答えに「正解です」と頷き、人外な従者に用意させたお茶を飲むセルリー様が浮かべる表情は涼しい。

 セルリー様が与えてくれた情報は、どれも学園を出ることができない俺達には入手困難な情報であり、今知ることができてよかったと思わされるものばかりである。

 俺達に出来ることは限られているが、今ならまだ打てる手がある。気付いたら渦中にいるよりも、己の意志で飛び込む方が心構えもできるというものだ。


 ……とてもありがたい情報だが。


 ただ、何故セルリー様が俺に情報を与える気になったのか、という疑問は尽きない。

 しかし俺なんかよりもずっと経験豊富なこの方の考えを、その表情や態度から読み取ることは不可能だった。穏やかな笑みを浮かべてお茶を飲むセルリー様の姿からは、真意の欠片も見えない。決してこちらに内心を読ませない完璧な仮面は経験の差だ。


 セルリー様が俺に偽の情報を掴ませる必要は無い。聞かせてくれた情報は間違いなく本物だろう。しかし陛下や父上が隠していた情報をわざわざ教えてくれる理由も分からない。

 この方は欲しい物を無償で与えてくれるほど生易しい方では無い。

 俺に情報を与える代わりにこの方は一体何を得るつもりなのか……。


「……何故、とお伺いしてもいいですか?」

「何故でしょうねぇ?」


 考えても出ない答えに駄目元で理由を問えば、やはり返ってきたのは曖昧な言葉と笑みで。「自分で考えなさい」と微笑むセルリー様の真意を探ることは、やはり今の俺では不可能だった。


 …………いつか、この人の度肝を抜いてやりたいな。


 読めない意図に歯噛みする俺に優しく目を細めるセルリー様にそんなことを思う。

 いただいた忠告も情報も大変ありがたいが、完全に子供扱いされている感覚に己の中にむくむくと反骨精神が芽生えていくのを感じた。

 父上やお爺様を前にして思う気持ちと同じだ。

 己よりもずっと広い視野を持ち、遥か上段に居る人だと分かるからこそ並び越えてみたいと思う。こうやって子供扱いされると尚更。

 

 完全に子供の成長に一役かってやろうって、態度だしな。


 セルリー様から与えられた意図の分からない親切に不安を感じない訳では無い。

 しかし、レオ先輩方を使った忠告も貴重な情報の扱いを委ねられたことも、そういうことなのだろうと思う。与えられた情報をどう活かして行動するか。敢えて俺を自由に泳がすことで、今後の動き方を試されているのだ。

 お爺様も父上も直球だし、セバスもメリルも臣下故に一線を引いた教え方をするのでセルリー様のような方は新鮮だ。

 いいように転がされている気がするが、その一方で見守られている気もする。

 不思議な感覚である。


 ……今はまだ、この方の掌で転がることしかできないが。


 取りあえず己に出来ることをしようと思う。

 折角、四英傑様が直々に俺を育てようとしてくれているのなら、乗るべきだ。

 まずは与えられた情報の真偽を確かめる必要がある。本当に戦の気配があるのか、一刻も早く調べなければならないだろう。

 セルリー様が俺に嘘の情報を掴ませる必要は無いが、全てを与えてくれているとは限らない。大事な部分はわざと言わないとか、平気でやりそうだからな。


 またレオ先輩方やルチェ達、念の為エレオノーラ先輩方の周囲も洗い直しておかないといけない。今日出会ったナディやレオーネの周辺もだ。

 それからバラド達ローブ家と、父上やお爺様の動向も。母上やメリルの周囲も探っておこう。やることは沢山ある。

 この人から学ぶことも。


「また、お伺いしてもよろしいですか? セルリー様。魔法陣も含め、貴方に教わりたいことが多くあるのです」


 まだまだ敵わない方だが、大人しく転がされるのも癪である。避けようともこうやって関わる羽目になるのなら、精々この方から多くのことを教えて貰おう。

 側で動向を見守ってないと、次は何を仕掛けてくるかわからないしな。今回のように知らぬ間に仕掛けられているよりは、近くで予兆を感じてから仕掛けられる方がずっといい。


「勿論。それ相応の覚悟をもって生徒が学びたいというのなら、応えてあげるのが教師ですからねぇ。ドイル君が望むなら、私の持つ全てを教えてさしあげますよ」


 そう結論付け、セルリー様に教えを請えばセルリー様は微笑み頷いた。

 同時に体を襲う悪寒と、「待っていました!」とばかりに瞳を輝かせたセルリー様に「早まったか?」と思ったがもう遅い。

 「まずは何から始めましょうかねぇ。やはり当初の予定通り、精霊から……」と呟きながら上機嫌に今後の計画を立て始めるセルリー様を見て不安が募るが、言ってしまった言葉は戻らない。


 『当初の予定』って、まさか今の一言を言わせる為に、今回の件を仕組んだとか……?


 いや、流石にそれは無いだろうと一人心の中で突っ込む。背筋に冷たいものが走るのを感じながら、流石に偶然であって欲しいと切に願った。

 もしも、レオ先輩の一件を重く受け止めた俺が戦の可能性を示唆され、監視を含めてセルリー様に教えを請おうと思い至るところまで、全てが計画通りだったならば恐ろし過ぎる。


「――そうそう! 忘れるところでした。フィア、アレをドイル君に」

「はい、主様」


 不意に頭を過った可能性を振り払うように軽く頭を一振りしたところで、思い出したように顔を上げたセルリー様は、側に控えていた人外な従者に声をかけた。

 ふよふよと浮かんでいた少女はその声に反応すると、入室当初に目を引かれた蔓で編まれた箱を俺に差し出す。

 幼児特有のまろみを帯びた顔は無表情さ故に能面のようだが、小さい体で少女には大きな箱を抱えて差し出すさまは、人外な美貌と相まって非常に愛らしかった。


「……どうぞ」

「ありがとうございます」

「ん」


 何らかの生き物が入った箱を少女の手から受け取る。セルリー様から渡される生き物など怪しさ満点なのだが、見た目五~六歳くらいの小さな女の子に大きな箱を持たせておくのは気が引ける。

 己のすぐ側にあったにも関わらず、わざわざ彼女に渡させたのはセルリー様の計算なのだろう。

 素直に箱を受け取った俺に、満足そうな表情を見せたセルリー様に「手玉に取られているな」と己の現状を分析しつつフィアと呼ばれた彼女にお礼を言えば、彼女はほんのりはにかんでセルリー様の元に戻っていった。


「……可愛いですね。ドイル様」

「……ああ」

「でしょう? フィアは精霊としては若いですが、将来が楽しみな強い子なのですよ。――そうそう。フィアには劣りますが、箱の中身も中々可愛いですよ?」


 飛んでいるはずなのに「てててっ」と効果音が聞こえそうな彼女の後姿を見送れば、その可愛さにバラドが思わずといった風に呟く。

 人見知りしている幼児のような反応をする彼女にちょっとほっこりしつつ、俺の内心を見透かしたような言葉に同意すれば、セルリー様からそんな言葉を告げられる。


「大丈夫。危険なものではありません」

「……大丈夫でしょうか?」

「恐らくな」


 箱の蓋を開けるよう促すセルリー様に、心配そうに呟いたバラドに返事を返す。箱の中の生き物から感じる魔力はとても弱弱しく、セルリー様の仰る通り危険は感じられない。

 蔓で編まれていること以外何の変哲もない箱は、魔法の類もかけられておらず本当に普通の箱である。

 そんなどこからどう見ても普通な箱と気配に、俺はそっと蓋に手をかける。無論、警戒は怠らない。セルリー様が関わっているなら、警戒しすぎるということは無いだろう。


「――開けるぞ」

「はい」


 固唾を飲んで見守るバラドに声をかけ、カサカサ箱の中で生き物が動く音を聞きながら、そっと蓋を開ける。


 ――ピヨピヨピヨピヨピヨピヨ!


 途端に聞こえてきた、けたたましい雛の鳴き声に思わず蓋を閉める。ちらりと見えた箱の中では、箱一杯に詰まった淡い水色の毛玉達が黄色い嘴をこちらに向けて一生懸命餌を強請っていた。

 先ほどまで静かだったというのに、開けた途端鳴きだした雛達は一向に鳴き止む気配をみせない。何が切っ掛けになったのかは分からないが、蓋を閉めてもなお聞こえる「ピヨピヨピヨ!」という鳴き声が、雛達がお腹を空かせていることを物語っていた。


 ――スキル【フェニーチェの気持ち】を取得しました。


『ごはんー、ごはんー』

『ごはんはー?』

『ごはん!』

『お腹すいたー』

『ごはん。まだ?』


 そして同時に脳裏に踊るスキル取得の文字と、途端に聞こえてくる雛達の声。止むことなく箱の中から聞こえるごはんコールに、俺とバラドはセルリー様を見た。


「セルリー様。これは?」

「フェニーチェです。折角の機会なので試しに孵化させてみました。ちなみにこの子達の食事は魔力のようです。食物も与えれば食べますが、どうも食物に残る魔力を食べているようです。これが結構な量食べる子達でしてねぇ。今までフェニーチェの養殖が上手くいかなかった理由はこれでしょう。一般人の魔力じゃ一匹養うのも難しいと思います。都合のいいことにドイル君は戦士科所属ですから、普段はあまり魔力使わないでしょう? ドイル君の魔力量なら何の問題無くこの子達を養えます。一通り調べましたが、危険は無いようなのでドイル君にあげますよ。前例はありませんが、上手く養殖できればいいお小遣いになるでしょう」

「いや、いりま――」

「――そうそう。レオパルド君達にあげたフェニーチェの卵のお礼は、その子達の育成日記でいいですからね。この子達の生態が解明できれば、薬学界は勿論、様々な関係部署が喜ぶでしょう」

「……ありがたく、頂戴いたします」


 もっともらしい理由を述べながらにっこり笑ったセルリー様に断りの言葉を紡ごうとした瞬間。

 思い出したように付け加えられた言葉に、礼を言ってフェニーチェの雛達を受け取る以外の選択肢など俺にはなかった。


『『『『『ごはんー』』』』』


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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