第七十八話
――――――― 入学式終了後 ―――――――
「静粛に! それでは最後に、本日より魔法科で教鞭をとられることになったセルリー・フォン・テルモス先生からお言葉を賜る。心して拝聴するように。もう一度言う。静粛に、心して拝聴するように!」
司会進行を務めていた教師のその言葉に、入学式も無事終わり気を抜きかけていた生徒達の間に衝撃と緊張が走る。突然上がった大物の名に会場は騒然となり、そんな人々を鎮める為に進行役の教師は必死に「静粛に!」と言葉を繰り返すが無駄だった。
静かにするよう求める魔法科教師の頑張りも虚しく、会場中に広がった喜びの声は口頭での注意で収まるようなものではない。
それも当然。長年の間、魔術師長を務めあげた四英傑に直接教えを乞えるなど生徒達からすれば青天霹靂である。魔法科の生徒の中には歓喜のあまり卒倒する者まで見える。
英雄譚で語られる人が教師になるのだから、当然と言えば当然の反応だ。
しかし生徒達が喜びに湧き、参列者達から感嘆の声が上がる一方で、王や貴族といった賓客達の表情は暗く、空気も重い。
先ほどまでのお祝いムードから一転して通夜のような雰囲気である。
そんな騒然とした会場を、セルリー様は長い藍色の髪を靡かせながら颯爽と歩いていく。
そして壇上に上がるなり、宙に向かって魔法を放った。
セルリー様の杖から放たれた謎の球体は上へ上へと昇っていき、会場の中心部の真上でパァン! と凄まじい破裂音と共に弾ける。
肌にビリビリ感じるほど鳴り響いた音に、会場中が静まりかえる。無論、セルリー様がその一瞬の静寂を無駄にするわけがなく、その瞬間から会場内はセルリー様の独壇場だった。
「『静粛に』と言った言葉が聞こえなかったのですか。私よりも耳が遠いなんて若いのに嘆かわしいですねぇ。『老人は労わりなさい』と教わったでしょう? 歳を取ると大声出すのも一苦労ですから、私の話が終わるまでは私語を謹むように。か弱い老人を粗忽に扱うと罰が当たりますよ。――――何分、私も歳ですからねぇ。何かの拍子に間違えて魔法を打ってしまうかもしれませんから、皆さんも私の前では行動に気を付けてくださいね。未来ある子供達に怪我をさせては悪いですし」
名乗るでもなく話し始めたセルリー様の言葉に、会場中が静寂に包まれる。
今、絶対に「誰がか弱い老人だって?」と大半の人間が思ったことだろう。遠回しのようでその実、直球で告げられた『礼を欠いたらヤル』との言葉は、その柔らかい表情と声色と相まって生徒達にごくりと息をのみこませた。
一気に物騒な空気になった会場にちらりと陛下達を仰ぎ見れば、とても微妙な表情でセルリー様を見守っている。また、心配そうというよりはハラハラした表情でセルリー様を見つめる王城関係者達に、一抹どころでは済まされない不安を抱いたのは俺だけではないだろう。
不安や戸惑いから静まりかえる会場の空気は重い。
しかしだからといって、セルリー様に変化は無い。
流石お爺様と一緒に引退ついでに城の一角を吹っ飛ばしただけある。偉大な四英傑様は、賓客達からの視線や恐ろしいほどの静寂に包まれた場の空気などものともせずに己の言いたいことを告げる、鋼鉄製の心臓をお持ちだった。
「私は主に魔法陣の授業を担当しますが、勿論それ以外に聞きたいことがあれば質問に来てくださっても結構ですよ。教えを請う子供を導いてあげるのが教師の役割ですからねぇ。ああ、でも覚悟は済ませてから来てくださいね? 生半可な覚悟で聞きに来て苦労するのは貴方達ですよ。私の教えを受けて出来ないなど言わせませんからね。出来るまで、手取り足取り教えてあげましょう。大抵は研究室に居るので、用事がある場合は従者に声をかけてください。間違っても無断で研究室に立ち入らないようにお願いします。うっかり間違えて、実験材料にしてしまうかもしれませんからねぇ。――――ふふ。冗談ですよ、冗談。流石に生徒を実験材料にしたりはしませんよ? まぁ、おイタする子供にはそれなりのお仕置きが必要だとは思っていますが。子を叱るのは大人の仕事ですから、問題ありませんよね? ふふっ、これからが楽しみですねぇ。どうぞよろしくお願いしますね? 子供達」
そう言って「ふふふ」とわらったセルリー様は、静まり返る生徒達や参列者達と異なり、それはそれは上機嫌でした、マル。
…………よく、あの人の甘言に乗ろうと思ったよな。
たかが数十分。しかし真っ当な神経をしていればヤバイと感じるセルリー様の言動を思い出し、そんなことを思う。何度思い出しても、教える気があるのかないのかよく分からない挨拶である。
あのセルリー様から与えられる甘言など、裏しかなさそうなのによくぞといった気分だ。研究者という生き物は何故ああも、己の探求心に忠実なのか。
卵が混ざってしまった時は世を儚むほど絶望していたというのに、判別できると分かるや否や楽しそうにフェニーチェの黄身と殻を粉末に変え、何に使うか熱い議論を開始した先輩方にはマッドサイエンティストの素質がある。戦士科とは別の意味で、生存本能に欠陥があるとしか思えない。
それが薬学科の生徒の特徴だというのなら、嫌過ぎる特徴だ。
「――――――本当に行かれるのですかドイル様。ドイル様が自らセルリー様の元に足を運ばれなくとも、必要でしたら私が!」
「いや、俺が直接行かないと意味が無い。まぁ、あまり関わることは勧められないから、お前は戻っていても――」
「いいえ! ドイル様が行かれるのでしたら、例え火の中でしょうが水の中でしょうが、バラドは御供いたします!」
「…………そうか」
「はい!」
脳筋な戦士科とマッドサイエンティストな薬学科、とくれば魔法科はどんな変人の巣窟なのだろう、と考えていると意を決したバラドの声が耳に入る。
レオ先輩方から預かってきた瓶が入った籠を抱えながら、魅力的な提案をしてくれたバラドに断りの言葉を告げ、ついでに「危ないから来なくてもいいぞ」と遠回しに伝えれば、バラドは従者の見本のような言葉を返してくれる。
教師の元を訪ねるだけだというのに、まるで戦場に送り出すかのようなバラドの言動は流石に大げさだと思う。しかし、俺を置いて帰ろうとしないバラドにほっとする己が居るのも確かだった。
…………こうやって、お爺様達もセバス達に頭が上がらなくなっていったんだな。
妄信的な追従は心地よく。甘えてはいけないと思いながらも、ついつい甘えてしまう。
お爺様とセバス。父上とモルド。
多少形は異なるものの、俺とバラドも彼らのように切っても切り離せない関係になっていくのだろうなと確信めいた気持ちで思う。
卵の提供者に俺が頭を抱えた直後、バラドはリェチ先輩とサナ先輩を引きつれて部屋の中に駆け込んできた。
どうも姿が見えないと思っていたら二人は既に絞られた後だったようで、合宿以降完全にバラドに頭が上がらない二人は部屋の入り口で燃え尽きていた。どうやら俺の元に来る途中に出会った二人のご機嫌さを不審に感じたバラドは、二人から【フェニーチェの卵】の一件を聞き出し、レオ先輩を問い詰めようと急ぎ薬学科にやってきたらしい。
駆け込んできたバラドの様子は表現し難く。とにかく、凄かった。思わず先輩方をかばってしまうくらいには、バラドはお怒りだった。庇いきれず、先輩方へのお説教をバラドに一任することで宥めるしかなかった俺をどうか許して欲しい。
何はともあれ、バラドの俺への忠誠心をずっしりと感じた瞬間だった。
その後何とかバラドを宥めた俺は、レオ先輩方にこれ以上セルリー様に関わらないよう言い渡した。
当然、バラドの剣幕に本気で怯えていた先輩方は激しく頷き同意した。灰になりかけているリェチ先輩とサナ先輩を見てしまった分、彼等は必死だった。そんな中、顔を引きつらせる程度で済ませたレオ先輩は立派だったと言っておく。
そうして一悶着あった後、完成した粉末をセルリー様に届けに行くといった俺に、バラドが一も二もなく「お供します!」と志願し、今に至る。
本音を言えば、セルリー様には本能的な危険を感じるので極力関わりたくないのだが、セルリー様がわざわざ俺の部下であるレオ先輩達に声をかけたという事実を無視する訳にはいかず。こうして足を運んでいる訳である。
…………あの人を前にすると、こう、なんというか、ぞわぞわくるんだよなぁ。
セルリー・フォン・テルモス元王国魔術師団長。
精霊に愛され、魔法の才に恵まれた、天才魔術師。
魔法ならば右に出る者はいないと称されるほどの適正と豊富なスキルを持ちながら、魔力さえあれば誰でも使える魔道具の仕組みに目をつけ、適正もスキルも必要としない【魔法陣】を考案した魔術師の革命児。
予め適性やスキルを持つ者に魔法陣を組ませ刻むことで、魔力を流すだけで魔法を使えるようにした。魔法陣を組むには特殊なスキルと道具、刻む為の素材が必要な為、一般には浸透していないが彼の功績は計り知れない。
魔術師達からすれば殿上人なセルリー様はテルモス伯爵家の次男として生まれ、子供時代は見習い魔術師として王城で過ごし、エピス学園を卒業すると同時に再び王城へと上がった生粋の宮廷人である。
そして、お婆様の幼馴染だったと聞いている。
現在テルモス伯爵家は長男の忘れ形見である甥が継ぎ、本人は辺境伯の位を持つ。
近隣各国を巻き込んで起こった四十五年前の大戦で、テルモス伯爵の長男が亡くなりテルモス家の家督を継がなければ、アメリアお婆様がお爺様と出会わなければ、アメリアお婆様の婚約者になる予定だったらしいが真偽は不明だ。
実際のところ、セルリー様から何か実害があった訳では無い。むしろあの人が以前俺に与えてくれた情報は、とても有益であった。お蔭でクレアの救出にも行けた。
思い切りがよすぎる方だが、偉人や英雄と呼ばれる類の人間は何処か普通の人間とは違うものである。あの程度の性格は許容範囲だろう。
ただ、そうは思うものの、初対面の時に見た玩具を与えられた子供みたいな笑顔と、同時に新人魔術師方からいただいた憐憫の籠った目が忘れられなくて。関わりを避けていたツケがこの状況なのだから笑えない。
レオ先輩達を利用してまで、セルリー様は俺に何の用事があるというのか。
考えるだけで憂鬱である。
「ドイル様。こちらが、セルリー様のお部屋です」
「わかった。――――失礼いたします。ドイル・フォン・アギニスです。レオパルド先輩がお受けした物をお持ちいたしました」
セルリー様の部屋に近づくにつれて人気が無くなっていく廊下に、もの悲しい気分になりながら歩くことしばし。バラドの言葉に足を止めた俺は、目の前の扉をノックして簡潔に用件を述べる。
ここまで来て心の準備などしない。
そんな時間を取れば取るほど帰りたくなるのは目に見えているからな。
「――――どうぞ、こちらへ。主がお待ちです」
「失礼いたします」
ノックから間をあけずに現われた、明らかに人外な従者の案内に従い入室する。真っ赤な髪を靡かせて、滑るように移動する彼女の足元は浮いていた。
「主様」
「ついにばれましたか」
ふよふよと浮きながら俺達を案内する人型の彼女についていきながら本と紙の山の中を進めば、彼女の声に箱の中を覗いていたセルリー様は顔を上げてこちらを見る。
そして俺の姿とバラドの持つ籠の中身を目に止めると、愉しそうな笑みを浮かべ小さな声で呟いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




