第七十六話
今日から更新を再開させていただきます。
また更新再開にあたり、第七十五話を書き直させていただきましたので、そちらもお読みいただければ幸いです。
歩みを進めるにつれ濃くなる薬草の香りに酔いそうになりながら、目当ての扉を探す。人の気配はするのに人影のない薬学科の廊下は、様々な薬草の香りと相まって不気味だ。レオ先輩と出会ってからと幾度となく足を運んでいるが、ここに来ると妙にそわそわするというか、つい足早になってしまうのは俺だけではないだろう。
…………心なしか暗い気もするしな。
雰囲気故か、薬草の香り故か。他の学科と同じ明りを使っているはずなのに、何処か薄暗い気がする廊下を足早に抜け、目当ての扉をノックする。
コンコンコン。
…………………………。
しかし返ってきたのは静寂で。念の為もう一度ノックしてみたが、返事が返ってくることは無かった。もしや部屋を間違えたかと思い確認するが、そこは確かに普段レオ先輩方が使っている研究室だった。
…………おかしい。
部屋の中には確かに複数の気配を感じるというのに、誰も出てこないことを疑問に感じながら俺はもう一度、今度は強めにノックする。しかし、結果はなしのつぶてで。首を傾げつつ、俺は扉に手をかける。
そして約束の時間も迫っているのでレオ先輩が不在ということは無いだろうと、そっとその扉を開け、
「失礼しま――、」
「ど、どうしましょう! 兄貴」
「私が余計なことをしたばっかりにっ!」
「すみませんでした!」
「お、おお落ち着け! 何か、何か手があるはずだ!」
「……俺達、終わったな」
「……短い人生だったな」
「やめて頂戴! 私はまだ人生捨ててないわ!」
閉めた。
そして音も無く閉じた扉のノブを開かないようしっかりと握り、扉が閉まっていることを確認した上で、俺は今見た光景をゆっくりと反芻する。
扉を開けた先には顔を一様に青ざめさせ、白い何かが積み重なっている籠の乗ったテーブルを取り囲み、この世の終わりといった表情で慌てふためくレオ先輩方が見えた。何かに酷く怯えていた先輩方は、机の物体を前に泣き崩れ、謝り倒す者や既に生を諦め、世を儚んでいる人達さえ居た。正に阿鼻叫喚といった表現が似合いそうな、絶望感に満ちた空間だった。
人脈作りに入る前の軽い顔合わせのつもりで訪ねたというのに、これは何事か。
一体、中で何があったんだ?
なんだか凄く良くないタイミングで訪問してしまった気がする。
大人しく繊細そうな雰囲気とは裏腹にその実、図太く愉快犯なレオ先輩の取り巻き方の取り乱しようが半端無かった。それだけでも異常な事態だと認識するには十分だが、その上、頼れる兄貴なレオ先輩が青ざめ吃っていた。
どう考えてもやばい事態である。
許されるなら、今すぐ回れ右して鍛錬場に帰りたいと思わされる光景であった。
…………でも、ここで帰るわけにはいかないんだよな。
レオ先輩や取り巻きの先輩方は卒業後、俺がいただく予定の薬師や治癒師の卵。どのような状況であろうとも、見捨てるという選択肢は無い。それにレオ先輩に謝り倒していた二人は、見慣れない顔だった。恐らく俺が渡りをつけてくれるよう頼んだ生徒達だろう。
レオ先輩に謝っていたということは、二人もあの異常事態に少なからず関わっているというわけで。俺が頼んで呼んでもらった人達が関わっているのならば、なおさら逃げる帰るわけにはいかない。
――――――行くか。
長いような短い時間を使い部屋の中の厄介事に首を突っ込む覚悟を決めた俺は、ごくりと息を飲みながら握っていたノブを回し、そっと扉を押す。
徐々に開く扉に息を飲みながら腕に力を込め、恐る恐る扉を開けていく。そして扉が完全に開いたところで、覚悟を決めて顔を上げた。
顔を上げれば青ざめ、絶望を垣間見たような表情をした先輩方が居る。室内のあまりに重い空気に再び扉を閉めてしまいたい衝動に駆られたが、その気持ちはぐっと押し込め室内に足を踏み入れる。
そして大きく息を吸い、未だ俺の存在に気が付いていないレオ先輩方に己の来訪を告げる為に口を開いた。
「これは何事ですか。レオ先輩」
「――――っ! ドイル様!」
「「「「ドイルお兄様!」」」」
腹に力を入れて声をかけた途端、バッと音が聞こえそうな勢いで俺を見た先輩方に思わず一歩後ずさりかけて、寸前の所で思い留まる。部下(予定)達が縋るような目を向けているというのに、ここで引いては男が廃る。
「ドイルお兄様! じ、実は、」
「大変なんです!」
「逃げませんから、取りあえず落ち着いてください先輩」
「ドイルお兄様!」と叫んだ直後、凄い勢いで入室した俺に走り寄り、逃がさんとばかりに掴み話し始めようとする先輩方を宥めながら、部屋の奥に向かって歩き出す。
今日はこんなんばっかりだなと思いつつ、ため息がでそうになるのをぐっと我慢して、俺にしがみつく先輩方をずるずる引きずりながらレオ先輩の元に向かう。
「きゅ、急にどうした。ドイル様」
「すみません。何度もノックしたんですが返事が無かったので勝手に入らせていただきました。そろそろ約束の時間ですし」
「…………まじか。悪りぃ全然気が付かなかった」
「お気になさらず。で、何事です? 随分と困っていた様子でしたが」
「えっ!? えーと、その、ちょっとな。――――――そうだ! ドイル様、此奴らが同じ場所を担当するナディ・フォン・トレボル。んで、こっちがレオーネ・フォン・エンテスだ。ナディは研究連、レオーネは王城の薬師を志望している。二人とも同学年だから細かい紹介は要らないだろうが此方が俺達の雇い主のドイル・フォン・アギニス。お前達と同じ初心者向けのところで馬術指導を任されている!」
俺にしがみついていたのは男の先輩だけだったので、レオ先輩の元についた途端ペイッと遠慮なく剥がす。ワルドと違い簡単に剥がれ落ちた先輩方は「ドイルお兄様が優しくない!」とかなんとか文句を言っていたようだが、彼等の『主人』ならまだしも『お兄様』になった覚えはないので黙殺して、レオ先輩に話しかける。
そんな俺の態度を咎めることなく「ノックした」との言葉に謝罪するレオ先輩の態度に先輩方への対応が間違ってなかったことを確信しつつ、取りあえずこの現状の原因を問う。するとレオ先輩は彼にしては珍しく視線を泳がせた後、言葉を濁し、あろうことか思いっきり話を逸らした。
そんなレオ先輩の態度に正直かなり驚いたが、だからといって突然紹介され驚く客人二人を無視するわけにはいかず、俺は簡易な自己紹介と共にゆったりとした動作で腰を折る。
「…………ご紹介にあずかりました、ドイル・フォン・アギニスです。本日はお時間をいただきありがとうございます。どうぞお見知りおきを」
「ご丁寧にありがとうございます! 申し遅れましたが、僕はナディ・フォン・トレボル。我が家は子爵位を賜っており、主に薬草や薬となる魔素材などを扱っております。こちらは従妹のレオーネ。彼女の家は男爵位を賜っております。この度はアギニス公爵様にお声掛けいただき光栄です! どうぞよろしくお願いいたします」
「よろしくお願いいたします!」
俺の気を逸らそうとしたレオ先輩に言いたいことは沢山あるが、初対面の挨拶は大切である。きっちり腰を折った後、二人になるべく良い印象を抱いて貰えるよう、そして出来れば見惚れて黙ってくれるよう、お母様の笑みを思い出しながら今の俺が出来る最上級の笑顔で柔らかく微笑む。
血縁を感じさせる揃いの栗色の猫毛にヘーゼル色の瞳の小柄なレオーネと、背丈はあるのに全体的に細くセピア色の瞳を持つナディ。見るからに温和で人のよさそうなナディと小動物の様なレオーネにこのような対応は良心が痛むが、仕方ない。
「――――こちらこそ、よろしくお願いします」
「「っ!」」
良心の呵責にかられつつ、全力の笑みを彼等に向ける。そうすれば急な展開に目を瞬かせながらも慌てて自己紹介していた二人は一度目を見開いた後、呆けたような顔で固まった。聖女と勇者の美貌を受け継いだ顔は、こういった時大変有効だ。
ぽーと見惚れる同級生二人にこれでしばらくは大丈夫と結論付けた俺は、今度は柔らかさを抜いた笑みで、俺達が自己紹介している間にこそこそ話し合っていたレオ先輩方に笑いかける。
「で、先ほどの騒ぎは何事ですレオ先輩? これは一体何の卵ですか?」
「! いや、それは、その、」
笑みを浮かべた俺に肩を揺らした先輩方の間に割って入り、先輩方が取り囲んでいた机に手を付く。机の上には白い卵の様なものが十個入った籠一つと、同じく白い卵が小さく積み上げられた籠が一つ置いてあった。それをレオ先輩方は俺がナディ達と自己紹介している間に、こそこそ隠そうとしていた。
その行為によからぬ気配を感じとったので、先輩方の間に割って入ってみたのだがどうやら正解だったようだ。俺が机に近寄り卵に意識を移したことで明らかに動揺したレオ先輩方を見るに、この卵に興味を持たれたくないのは明白である。
しかし、そうと分かったところで見逃すつもりはない。先ほど垣間見た光景もある。彼らが何かに激しく動揺していたのは確かなのだ。入室した途端縋ってきた先輩方がいい証拠である。
我に返り、俺に知られる方が不味いと思い直したようだが、もう遅い。この卵に後ろめたい何かがあるようだし、なにより俺には雇い主としてレオ先輩方が何をしているか知る権利がある。レオ先輩に至っては既にサイン入りの雇用契約書がある以上、俺に何しているのか報告の義務があるのだ。
どういうつもりなのか、キッチリ吐いてもらおうじゃないか。
話すか話さないか迷っているレオ先輩方を見る限り、恐らくこれは先輩方が俺に内緒で、誰かから請け負った仕事もしくは、誰から貰った物なのだろう。
それも貴族関係。
レオ先輩方の態度は、貴族関係の仕事や贈り物等は全て俺を通すように言ってあるにもかかわらず、内緒にしていたからだろう。
…………やらかしてくれる。
手遅れになってからでは遅いのだ。貴族に対して借りなど作ってはいけない。あとで何を要求されるかわかったもんじゃないからだ。その辺りの危機管理を含めて、貴族が関わる事象は全て俺に報告するように言っていたというのに。
いくら国王に次期アギニス公爵と認めてられていても、未だ学生の身分でしかない俺では『守る』にしても限度がある。新薬や珍しい素材に目が無いのは知っているが、自衛はしっかりしてくれないと困る。
貴族という生き物は、総じて揚げ足取りや詭弁が上手いのだから。
手遅れでないといいが……。
解決した暁にはもう一度じっくり話し合う必要があるな、とやらかしてくれたらしい先輩方へのお説教を心に決めつつ、手遅れでありませんようにと祈る。どこの貴族と接触したのは知らないが、話し合いで片の付く相手であることを祈るばかりだ。
先輩方に接触してきそうな貴族達を思い浮べながら、どうにか誤魔化せないか足掻く先輩方を見据える。そして困った事態になっているというのに、往生際悪く隠そうとする先輩方の態度に沸々と湧いてくる怒りを感じながら、取りあえずその内心は笑みで隠し、何食わぬ顔でレオ先輩に優しく続きを促す。
「その?」
そしてしばしの間、言葉を発することなくレオ先輩をじっと見つめる。すると本当に珍しいことにレオ先輩は俺から目を逸らし「あー」とか「うー」とか「そのなぁ」と文章にならない言葉を繰り返す。
己の腕と知識に確固たる自信を持ち、いつだって真っ直ぐに見返してくるレオ先輩の挙動不審な態度に、「この卵はどれだけやましいものなんだ!?」と募る不安のまま他の先輩方を見渡せば、さっき縋ってきたのは何だったんだと思うくらいの素早さで、先輩方はさっと顔を伏せた。そして微かに聞こえてきた「やべぇ」、「……修羅場」という先輩方の言葉に、俺は眉を寄せる。
…………どうあっても俺に知られたくない、と。
先ほど見た阿鼻叫喚といった光景に、珍しく歯切れの悪いレオ先輩とやましさ全開な態度を見せる先輩方。大変困ってはいるがどうあっても俺に知られたくないらしい先輩方にしびれを切らした俺は、スッと目を細める。
大人しく白状する気が無いのなら、口を割らせるまでである。
雰囲気を変えた俺に肩を揺らした先輩方を横目に、どうやって口を割らせるか思案する。そして取りあえず原因と思われる机の上に積まれた白い卵のようなものを一つ手に取った。
同時に「あっ」と声がどこから漏れ聞こえたが、気にせず手に持った卵を観察する。籠の中に積まれた鶏の卵より一回り大きいくらいの白い卵のようなものは殻の質感といい、重さといい、どこからどう見てもただの卵だった。
そもそも、この卵は一体何なんだ?
どこからどう見ても普通の卵にしか見えないが、レオ先輩方の態度からみて、この白い卵はとても希少な物、もしくはとても危ない物のだと推測できる。
ちらりと先輩方を見れば、皆ハラハラした表情で俺、というか俺の手の中の卵を見ている。試しに卵を持った手を動かせば、レオ先輩の目が確実に白い卵のようなものを追っていた。
―――――なるほど、ね。
そのレオ先輩方の過剰な反応に、この白い卵が先輩方にとって大切なものであることを確信した俺は、手の中の卵で机をコンコンコンと軽く叩く。そんな俺に「ああっ!」「そんな!」と声を上げる先輩方に一旦卵で机を叩くのを止め、にっこりと笑いかける。
そして卵をしっかりと握り直し、その手を全力で机に振り下ろす、フリをした。
「「「「「「「ぎゃー!!?(きゃー!!?)」」」」」」」
途端に上がる先輩方やナディやレオーネの悲鳴に、白い卵のようなものを握っていた手を机スレスレで止める。次いで悲鳴を上げた体勢で固まっている先輩方ににっこり笑いかけ、再びゆっくり手を持ち上げてみせる。
「話す! 話すから、それだけは!」
「「「「勘弁してください!!!!」」」」
希少な物だと予想している俺に、卵を割る気など毛頭無い。事の次第を素直に白状しない先輩方に対する若干の嫌がらせと、お仕置きを兼ねた心理的圧迫だ。
しかし、元々フリだけのつもりだった俺とは違い、その一連の動作は薬学科の皆様には効果てき面だった。
手の中の白い卵は俺からすればちょっと大きい卵にしか見えないが、薬学科からすれば恥やプライドを捨てるのに十分な代物だったようだ。
俺の暴挙にぱくぱくと声が出ないナディとレオーネ。一糸乱れぬ土下座を見せてくれた先輩方と、必死に卵を取り返そうとするレオ先輩に少しやり過ぎたかなと思いながら、ようやく「話す」と言質を取った俺は手に握っていた白い卵を山の天辺に戻す。その代り、卵の山のすぐ隣に手を置いてレオ先輩方に向き直る。
そして彼等に、ゆっくりと宣告した。
「一切合切、包み隠さず、話すように」
「「「「お兄様の仰る通りに!」」」」
「………………この状況で、それをやるのか」
俺の宣告にビシッと敬礼して叫んだ先輩方に口元が引きつる。言葉だけ聞けば従順だが、ぴたりとあった動きで決められたポーズはふざけているように見えなくもない。先輩方の顔にうっすらとやりきった感が見てとれるから尚更だ。
一方で、正しく状況を理解し、俺が多少なりとも怒っていることを感じとっているレオ先輩は、先輩方のその行動に頭を抱えていた。
――――随分と余裕だな、おい。
こんな状況下でもぶれない先輩方の姿に、顔を手で覆い力無く呟いたレオ先輩を眺める。同時に俺は、彼等に対する説教はどの様な理由があろうとも、かなり厳しくしようと固く心に誓った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今後は火曜日と金曜日の十二時に更新させていただきますので、ご了承のほどよろしくお願いいたします。




