第二百五十四話
――フォルトレイスや獣人の国々の連合軍と竜の国との衝突から数か月後。
夏の肌を焦がすような日差しも和らぎ、木々に生い茂る葉が赤や黄色に色づき始めたとある日の朝。
休日ということもあり、エピス学園ではゆったりとした時間が流れていた。
食堂が開くのを待っているらしく、談話室は一鍛錬終えた生徒などで結構にぎわっている。朝食を取るにも早い時間帯であるにも関わらず、今日という休みをどうやって過ごすか楽しそうに友と相談する生徒達を眺めながら、俺は少し懐かしい談話室の中を進んだ。
ほどなくして一等日当たりの良い席に座る幼馴染の姿を見つけた俺は、口元を緩めながら静かにその背に近づく。
「おはようございます。グレイ様」
声をかければ、優雅にお茶を楽しんでいたグレイ様が茶器を置き、ゆっくりと振り返る。次いでバラドを連れた俺の姿を捉えると、浮かべていた微笑みが固まり深緑の瞳が僅かに見開いた。
そうしてまじまじと俺を観察すること数秒。
グレイ様の顔に鮮やかな笑みが浮かぶ。
「――ああ。おはよう、【氷刀の勇者】殿」
呼ばれたのは、数か月前からフォルトレイスの人々や獣人の国々の間に広まり、定着しつつある呼称で俺は思わず苦笑う。
フォルトレイスと獣人の連合軍が山脈の麓で竜の国と衝突し、駆けつけた俺とアストラが止めに入ったあの日からおおよそ三か月。短くはないその期間、俺は竜の国や獣人の国々やフォルトレイスやエルフの里を行ったり来たりしながら過ごしていた。
アストラが俺を『我が友』と呼んだこともあり、竜の国は連合軍との戦後交渉に対し協力的な姿勢を見せただけでなく、仲介役としてエルフの里が名乗りを上げてくれたため賠償問題などは比較的すぐに片付いたのだが、死病の方はそう簡単にはいかない。
シエロの花を量産し、特効薬を完成させなければならかったからな。
戦後交渉に関して竜王は俺に助けてもらったというアストラの言葉を重く受け止め、おおいに譲歩してくれた。それに鍵となった花がお婆様やロウェル陛下達が残したものということもあり、俺は竜の国で蔓延している病の収束を最後まで見届けることにした。
そうして竜の国の死病の特効薬の研究が始まったわけだが、薬の開発など専門外なので主に頑張ったのはエルフや竜の国の薬師やレオ先輩達である。
また、その際に最も活躍したのは竜の国にゼノスが残した研究記録だった。
竜達を扇動する餌として提供されたシエロの花びらと共に残されていたそれは、ゼノスの薬師としてのプライドもあってか死病やその治療に使った薬について詳しく書かれており、ところどころ暗号化されていたもののリェチ先輩とサナ先輩によって簡単に解読され、特効薬の完成に大変役立ったそうだ。
リェチ先輩達から聞いた話によるとゼノスが研究内容を隠すために使っていた暗号は家族間で使っていたものと同じだったらしく、二人は嬉しいような悲しいような複雑な表情を浮べていた。
ちなみに、ゼノスの行方は不明のままにしてある。
先輩達が奮闘していた一方で俺はなにをしていたのかと言うと、リヒターさん達やアストラと共にシエロの花以外の素材集めに奔走していた。
なにしろ国一つに行き渡る量の薬を作るのだ。
市場に出回っている物を買い占めても足りないし、素材の中には希少な物も多い。
取れる場所がなかなかの危険地帯だったりしたため道中に結構色々なことがあり、そんなこともあって【氷刀の勇者】という呼び名が広まっていった、というわけである。
この地にはまだ届いてないと思っていたが……。
獣人の国々やフォルトレイスなどマジェスタからほど遠い場所での出来事だというのに、グレイ様には筒抜けだったらしい。
恐らく、ヴェルコ殿やヘンドラ商会の面々が喜んで売ってたんだろうが、他にどんな情報網を持っているのか一度詳しく聞いてみたいところだ。
「耳聡いですね」
「部下の動向把握もできないようでは、【王太子】など名乗れないからな」
鼻で笑いながらそう応えるグレイ様は半年ぶりの再会だというのに相変わらずで、俺は変わらぬ態度にどうしようもなく安堵する。
お元気そうでなにより。目の前にいるグレイ殿下は勿論、エピス学園やマジェスタにも大きな変化はなく、皆、穏やかな時を過ごしていたようで俺も頑張った甲斐があったというものだ。
アグリクルトでは祝福の鐘が鳴り響いたことで人々が大神殿に殺到する中、獣人の国々やフォルトレイスへ多くの神官達が派遣されたことで慌ただしくしていたようだし、ハンデルでは老舗商会が崩壊しその悪事が明るみになったことで国内に大きな衝撃が走ったと聞く。
その混乱に乗じてピネス前王とプラタ陛下が闇市場の解体に乗り出そうとしていたのでハンデルは今しばらく騒乱が続くだろうが、お二人とも生き生きとした表情で腹黒い相談をしていたので問題はないと思われる。多分……。
「クレアが支度を終えて出て来るまで、まだ時間がある。朝食まで話に付き合え、ドイル」
「はい」
目で座るように促すグレイ様に従い向かい側の席に腰を下ろせば、控えていたバラドが「ご準備をいたします!」と嬉しそうに告げて、お茶を淹れ直すべく卓上にあった茶器を回収していく。
そんな中、殿下の側で控えていたジンはいつもと違う返答をしたグレイ様とご機嫌なバラドを見てようやく状況を理解したらしく、驚愕の表情を浮べた。しかし、驚きの声を上げる前にバラドがジンの口を塞いだため談話室に居る生徒達の目を集めることはなく、緩やかな空気のまま時が流れて行く。
「ジン。ドイルの分を追加するよう伝えてきてくれ」
「畏まりました!」
バラドに注意されて口を閉ざしたものの平常通りに振る舞うのは難しかったのかチラチラと視線を寄越していたジンは、グレイ様の命に勢いよく応える。
次いで意を決したように俺を見据えると、興奮が抑えられないといった様子で叫んだ。
「ドイル様! お手が開いたら手合わせをお願いしたく!」
「ああ」
パッと見ただけでせっせと鍛錬に励んでいたのがわかるほど筋肉量が増したジンは、頷いた俺に目を輝かせるとグレイ様の命を遂行すべく喜び勇んで出て行った。
相変わらずジンの頭の中は強くなることで一杯らしい。
頼もしいことだが、あんなにわかりやすくては城で共に働く際に気を揉みそうで若干心配である。
しかし俺が居ぬ間にどのくらい強くなっているのか、気になると言えば気になるわけで。
グレイ様やクレアとの再会を楽しみ、セルリー様に色々と報告し終えたら、久しぶりに手合わせしてみようと思う。まぁ、勝つのは俺だけどな。
なんて考えていると、グレイ様が俺を呼ぶ。
「――ドイル」
前を向けば、それだけで深緑の瞳と視線が合った。
「色々寄り道して楽しんできたようだが、もちろん土産はあるのだろうな?」
「勿論。期待していてください」
「それは楽しみだな。色々なところへ行ったんだろう?」
楽し気な様子で問うグレイ様と俺を隔てるものはなく、奇異の目を向ける者も居ない。
この僥倖をなんというべきか。
――帰って、来たんだな。
久方ぶりに間近で見た深緑に、俺はその事実を噛み締める。
見上げることなく自ずと目が合う距離間は、まるで王城の庭を駆け回っていた頃のようで懐かしかった。
長かった。
こうして王太子殿下の近くに寄っても周囲から咎められることなく、負い目や引け目を感じることなく同じ高さで深緑の瞳を見返すことができるようになるまで、とても。
入学式で陛下をはじめとする大勢の前で、人生の転機となる宣誓をしてから二年半。
多くの人と出会い、様々な経験をした日々を思い出しながら、俺は子供の頃のようにグレイ様に話しかける。
「――竜の背に乗って空を飛んだんだ。それで山脈の向こう側にある亜人の国々もちょっとだけ見せてもらってな。初めて見るものばかりで、すごく楽しかった」
悪戯の相談をするように声を潜めてそう自慢すれば、グレイ様が驚いたように目を瞬かせる。
その顏がなんだかおかしくて小さく笑えば、非難の籠った眼差しを向けられた。
「俺が大人しく勉強している間に、一人で随分楽しそうなことをしているじゃないか」
「次期竜王と親しくなったんだ。また乗せてくれると言っていたから、今度はグレイも一緒に行こう。エルフ達とも仲良くなったから、頼めば運んでくれるだろう。彼らの転移を使えばすぐだ」
「ばれたらリブロ達が煩いぞ?」
「エルフの中にはセルリー様の知人もいらっしゃるからあの方を巻き込んでもいいし、行くのが難しいなら竜王のご子息をマジェスタへ招待すればいい。人間の国に興味を持ったようだから呼べば二つ返事で来てくれると思うぞ?」
「それも面白そうだな。一度、ゼノ殿の故郷や深淵の森の向こう側を見てみたかったんだ」
好奇心をくすぐられたのか、グレイ様は「招待と訪問、どちらを先にしようか迷うな」などと口ずさみながら楽しそうに思案し始めた。
完成した特効薬のお蔭で蔓延していた死病は収束し、竜の国は再び穏やかな日々へと戻っていっている。俺達が学園を卒業する頃には完全に落ち着いていると思われるので、マジェスタを代表して会いに行くのも悪くない。
一連の騒動の最中に築かれたエルフの里や獣人の国々、亜人の国々が広がる山脈の向こう側にある竜の国との縁は俺達の世界を広げてくれることだろう。
そうこう考えているうちにお茶を淹れ終わったようで、俺とグレイ様の前に音もなく茶器一式と砂糖やミルクポットが現れる。
「お待たせいたしました」
そして一滴も雫を跳ねさせることなくお茶を注いでいくバラドに、俺は思わず目を瞬かせた。
――まてまて。今バラドはどうやって茶器を置いたんだ? 一瞬だったぞ!?
たった今目にした手品もかくやといった出来事に言葉を失っていると、ドライフルーツが載せられた小皿が新たに出現する。しかしよくよく見てみると、皿の下には見え覚えのあるクリーム色の毛玉が居た。山の妖精である。
目が合うなり、パッと消えた山の妖精が置いて行った小皿をまじまじと見つめていると、どこか疲れた様子のグレイ様の声が耳に届く。
「……色々あって、一時期ローブはクレアと一緒に土の精霊様の元に入り浸っていたからな。その時に親しくなったらしい」
「入り浸る……」
「土の精霊様の住処に行けばわかる」
「そ、そうですか」
思わず敬語に戻るくらいバラドとクレアという組み合わせと「色々あって」という言葉が気になるのだが、グレイ様の顔には詳しくは聞くなと書いてあったのでそれ以上追及することは出来なかった。
俺の知らぬところで、一体何があったんだ……。
知りたいような知りたくような、なんとも言えない複雑な気分である。
なんだか嫌な予感がするなと思いつつ、バラドや肩に陣取る山の妖精達をチラ見していると、なんだか廊下の方が騒がしくなってきた。何事だろうか?
一瞬ジンが戻ってきたのかと思ったが、それにしては早すぎる。こんな朝早くからなにか問題でも起こったのだろうか。
活気づく空気に首を傾げていると、呆れたようなため息がグレイ様の口から零れる。
「……来たようだな。いつもよりもずっと早いが……まぁ、今日はお前が居るからな」
紡がれた言葉の意味を理解すると同時にバッと入り口を見やれば、美しい黒髪をたなびかせながら談話室へ飛び込んで来る一人の少女の姿。
相当急いできたのか、駆け込んできたクレアは息を切らせながら部屋の中を見渡す。
「――っドイル様!」
そしてその瞳に俺を捉えると、花綻ぶような笑顔を浮かべたのだった。
***
――グレイ様やクレアとの再会から数か月後。
色付いた葉が大地に落ちたあとに降り積もった雪もすっかり解け、若葉芽吹く頃。
俺はグレイ様やバラドやジンやルツェ達と共に、エピス学園高等部を卒業した。
「グレイ殿下と比べても遜色ない在校生達からの惜別の声は、ドイル様の人徳に外ならず。入学してからドイル様が打ち立てた数々の記録やご活躍ぶり、また戦士科を首席でご卒業されたことを考えれば皆が憧れ慕うのは当然のこと――いえ。自然の摂理でございます。そのことは重々承知しておりますが、やはりドイル様が皆からの称賛を浴びる姿を拝見するというのは、従者として格別の喜びでございました。在校生代表を務めあげられましたクレア王女が手ずから作られたという紙薔薇をお受け取りになっているお姿は、まるで聖女から祝福を授けられる騎士を描いた絵画のような光景で……。かくも美しく神聖な情景があるのかと感動するとともに、バラドは今日という日にドイル様の従者としてお側に在れることを改めて神々に感謝し――」
アギニス公爵家へ向かう馬車の中、卒業式の感想を滔々と紡ぐバラドの声を聞き流しながら俺は少し歪な紙薔薇を眺める。
ルツェから教わってクレアが作ったという枯れぬ花を手に思い出すのは、エピス学園に一人残る彼女と交わした約束。
『一年経ったらすぐに参りますから、待っていてくださいね。ドイル様』
愛の女神様の加護を持つクレアが変わらぬ愛を願い作ったという紙薔薇を受け取り、紡がれたその願いに頷いたのはほんの数時間前のことである。
待つ側、というのは初めてだな……。
この期に及んで心変わりする己など想像すらできず、クレアの言葉に一も二もなく頷いた。これまで散々待っていてもらったのだ。彼女が口にした約束を守るのは当然であり、異論などあるはずがない。
しかし多くの人間を待たせてばかりだった身であるが故に、待つ側になるというのはとても新鮮で、なんとも不思議な気分だった。
……まぁ、俺が待たせていた人々はこんな穏やかな気分ではなかっただろうけどな。
申し訳ないと心の中で謝りつつ馬車の窓へ目を向ければ、懐かしい王都の街並みが目に映る。
俺よりも先に出発したグレイ様はすでに城へ着いただろう。
久方振りの帰宅ということでお休みをいただいているので、再び会うのは三日後に開催されるグレイ様の帰還を祝う宴の場だ。それが終ったら、俺は王太子として本格的に働き始めるグレイ様の右腕として仕えることになる。
まことしやかにその存在が囁かれ始めた【氷刀の勇者】として。
――カラカラカラ、ガタン。
これからの日々に想い馳せていると馬車が少しずつ減速し始め、間もなく止まった。
家に、着いたらしい。
間もなく馬車に歩み寄る足音が聞こえてきたかと思えば、カタンと足台を置く微かな音が耳に届く。
そして響く、馬車の戸をノックする音。
「ドイル様」
「ああ」
頷けばバラドが嬉しそうに外に居る者へ応え、ゆっくりと扉が開かれていく。
差し込む光に目を細めながら馬車の外を見れば、セバスやメリルを筆頭に門から家へ続く道の両側を埋めるように並ぶ家人達。その中にはレオ先輩やリェチ先輩とサナ先輩だけでなくリヒターさんや何故かガルディの姿もあり、彼らが作る花道の間で待つお爺様や母上や父上も見えた。
――ここからだ。
俺の恩返しは、まだ始まったばかり。
二度と途絶えさせることなく、与えられた名に相応しい道を進んでみせよう。
皆の期待を背負って。
決意新たに立ち上がり馬車の外に出れば、居並ぶ人々の目が一斉に俺を映す。
向けられたのは、期待や羨望や愛情がこれでもかと込められた眼差し。
三年前は恐ろしくてたまらなかったその視線をしっかりと受け止めながら俺は一段、また一段と足台を踏みしめ、門の前へ降り立つ。
そして俺は胸を張って皆に告げた。
「――ただいま、帰りました」
父上や母上やお爺様、出迎えてくれた皆の前ですっかり身に馴染んだ拝礼を披露して顔をあげれば、寸分の狂いもない動きで居並ぶ家人達が一斉に腰を折る。
「「「「「お帰りなさいませ。ドイル様」」」」」
皆の笑顔に迎えられながら色とりどりの花で彩られた道を歩き、家族の元へ向かう。
そんな俺を、馬車の屋根に腰掛けた純白の髪の青年が精霊達と一緒に見守っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




