第二百三十八話
アストラが話し合いを承諾してからしばし。
彼はラファールや風の精霊達によって穴の中から救出された。
そして白み行く空の下、アストラはエルフの里の中央にある広場で大人しくその巨体をうつ伏せている。周囲を警戒しているのか黄金色の双眼を忙しなく動かしてはいるものの今のところ戦う気はないようで素直に治療を受けており、広場の大半を占拠する黒竜の周りには数人のエルフとレオ先輩やリェチ先輩達が集まっていた。
どうやら聖刀はマリス達の影響を消し去るだけではなくアストラの魔力をもふっ飛ばしてしまったようで、治療してもらっているところである。
いざ話そうとしたら大人しいを通り越してぐったりしてきて、かなり焦ったからな……。
力なく四肢を伸ばしたアストラに慌てて、ラファールにレオ先輩達を呼んできてもらった記憶は新しく。そっと息を吐けば、丁度俺が最初につけた傷口を診察していたレオ先輩達が顔を上げた。
「足の傷の出血はもう止まってるし、少しずつ治りはじめてますね」
レオ先輩がそう口にすれば、一緒に傷を診ていたエルフ達が頷きながら竜について説明していく。
「竜は自己再生能力も高いので、むしろこの程度の傷が未だ塞がってないことの方が異常なのだ。使用されたのが神々に祝された武器故だろうな」
「魔力切れを起こしていたようなのでその影響も少なからずあるのだろう。しかし竜が魔力を切らすなどほぼない。これは珍しい症例だ」
「「へぇ~」」
しげしげと竜を見上げるエルフ達の言葉に、リェチ先輩とサナ先輩が感心した声を上げる。
魔力切れを起こしたことが恥ずかしいのか悔しいのか、アストラはレオ先輩達の会話に気まずそうに目を逸らしながらも、他のエルフ達によって口の中に流し込まれる魔力の回復薬を黙々と飲み込んでいた。
「エルフの秘薬を水のように……」
「ヴェルコ殿の気持ちはよくわかるぞ。いくら掛かるか計算してしまうのは商人の性だな」
ラファールによって強制的に避難させられていたヴェルコ殿やピネス前王、エルフの族長達も戻ってきており、里は活気を取り戻しつつある。そんな中、難しい顔を浮かべているのはシオンとアルヴィオーネだ。
「死なれちゃ困るが、あんなに回復薬をやる必要はねぇんじゃねぇか若様」
『そうよ。これで元気になってエルフ連れて逃げられちゃったらどうするの?』
いつでも手に取れるようハルバートを隣に置いたままそう呟いたシオンにアルヴィオーネが賛同すれば、二人の声が聞こえたのか黄金色の瞳がこちらを見る。
少しずつ顔を出す朝日に照らされた金は澄んでいて、アルヴィオーネが言うようなことを企んでいるとは思えない。
それに元来竜は誇り高い種族である。正気に戻っただろうアストラが、負けた上に治療してもらった相手に狼藉を働くとは考え難い。
「――大丈夫。アストラはそのようなことはしない」
アルヴィオーネとシオンにそう答えてながら黄金色の瞳を見つめ思うのは、戦いの最中に耳にしたアストラの呟き。
『なぜ、わからなかったんだ? もしやすでに我も……』
『我らには時間がない故、急がせてもらう』
竜の顔色など読み取れないが、思わずといった様子で零したあとに告げられたあの言葉には悲壮な覚悟があったような気がするのだ。
アストラが言う『我ら』はマリス達ではなく、もっと別の大切な誰か――。
そしてその誰か達のためにアストラは俺の提案を受け入れることにしたのだろう。
落ち着いて思い返しながらそんなことを考えていると、久方ぶりにアストラが動いた。
「――もうよい。これだけ魔力が戻れば十分だ。礼を言う」
用意された回復薬の大半を消費したアストラはそう呟くと、エルフ達やレオ先輩達を気にかけつつゆっくりと起き上がる。背を伸ばしたアストラの足にあったはずの傷は、すでに治っていた。
朝日を背に佇む黒竜はどこか威厳があって、美しい。
――グレイ様達に話したら羨ましがるだろうな。
そう漠然と考えているとアストラが大きな口を開く。
「【人化】」
スキルを唱えると同時にアストラの体が光り、微かに見えるシルエットが瞬く間に縮んでいった。そして光の収束と共に黒髪の青年が現れる。
アストラと思わしき青年の外見はレヴィやダボル殿のような竜人とは違い、裾から覗く手や襟元から伸びた首や顔に鱗はなく、白く滑らかな肌や顔つきは俺達人間と相違ない。ただしその造形はエルフの女性陣が息を呑むほどの美形だった。
「人型は小さく不便だが、協力することになるやもしれぬ相手をいつまでも見下ろしているわけにはいかんからな」
人の体で歩くことに慣れてないのか顔を顰めつつもこちらへ歩み寄ってきたアストラは、二歩分くらい残した位置で足を止めて地面に座り込むと、まっすぐな眼差しで俺を見上げる。
「座り、名を紡げ。神々に選ばれし人の子よ。互いに胸の内を晒すのはそれからだ」
そんなアストラの姿に年配のエルフ達が騒めき「竜が人型を」、「先に座ったぞ」、「見下ろされること許容するなんて」といった言葉が聞こえてきたので、これは珍しい状況なのだろう。
竜王の息子にここまでされて、なにも返さないというのはな……。
なにやら礼を尽くしてくれたらしい状況でただ座るというのは些か失礼な気がしたので佩いていた聖刀を外し、アストラ同様地面に腰を下ろしながら二人の間に置く。次いで俺はようやく同じ高さになった黄金色の瞳を見つめながら、己が立場を伝えるための口上を述べた。
「炎槍の勇者を祖父に持ち、雷槍の勇者と聖女セレナの子としてこの世に生を受け、マジェスタの次期国王であらせられるグレイ殿下にお仕えしている。アギニス公爵家の継嗣、ドイル・フォン・アギニスだ。長くなるので経緯の詳細は省くが、フォルトレイスや獣人の国々へ侵攻しようとしている竜の国を止めるため行動している」
そんな俺に頷くアストラは満足気な表情を浮べており、竜の姿の時よりもその感情が格段に読み取り易く、なるほどと心の中で一人ごちる。
恐らく、竜達にとって人化して他種族と向かい合うというのは、目線を合わせるだけでなく相手に表情をわかり易くするという役割があるのだろう。さらにエルフ達の反応を加味して考えると、対等な条件で話そう的な意味があるようだ。
突然人化した意図を理解して聖刀を置いてよかったと安堵の息を吐いていると、アストラは表情を引き締めて語りだす。
「では我も改めて名乗るとしよう。竜王オルビスの長子アストラだ。戦を止めたいという気持ちはあるが、優先すべきは竜の国で猛威を振るっている死病の特効薬に必要な材料を手に入れること。それ故に、植物を生き返らせることができるスキルを求めエルフの里にやってきた」
それで『我ら』には時間がない、なのか……。
引っかかっていたアストラの台詞の意味を知り納得していると時同じくして、襲撃理由が固有スキルである【緑への回帰】だと明らかになったことで様子を窺っていたエルフ達の間に動揺が広がる。そんな中、死病という言葉にピクリと反応したレオ先輩達を視線で制止し、アストラに続きを促せば彼は再び静かに語りだした。
「症状は魔力切れと酷似しているが回復薬を使用しても効果はなく、徐々に力を失い精霊はおろか魔力の感知もできなくなり死に至る。ゼノスという薬師が持っていた素材を用いて病状を抑える薬を作ってくれたし、我らの寿命はエルフよりも長く体の強度も高い故、その内治療法が確立するだろうと悠長に構えていたが最初の患者が亡くなってから一年も経たないうちに死者が二桁を越えた。つい先月のことだ。特効薬を作るためには人間の国々が広がる地のどこかに生えている植物、それもゼノスが所持していた乾燥したものでなく、新鮮なものが必要だと判明している。悠長に人間の国々に伺い立てて探す時間はなく父は苦渋の決断の末、人間の地に踏み入る決意をした」
「それで、フォルトレイスへ開戦に繋がるという訳か……」
「是。わざわざ開戦を告げたのはフォルトレイスの降伏を願ってであり、またその先にある人間の国々を無駄に荒らさぬためだ。獣人の国々が瞬く間に焦土と化し、フォルトレイスがあっけなく落ちたとなれば人々は恐れ国を明け渡すだろうとマリスは言った。我は止めたのだが父はその案を採用し、戦の準備を皆に命じたんだ。そんな折にエラトマがエルフ達の固有スキルがあればゼノスが持っている素材を復元し量産できる、仲間達はもちろん獣人や人間の国々を焼かずに済むと教えてくれてな。その上、侵入しやすいよう里を守る結界を綻ばせておいてくれるというので、我は一人この地にやってきた」
「なんだって!?」
「おい! 本当にエラトマがそう言ったのか!?」
アストラの説明に、縛られたまま転がされていたエルフの青年達が思わずといった様子で叫んだ。その顔は族長や長老の話を聞いた時に以上の驚愕と失意で彩られており、彼らはようやく己達がエラトマに騙され利用されたことを理解したようだった。
「……酷なことをすんな」
「ああ」
背後で小さくそう零したシオンに俺も頷く。
一族の未来を想い憎まれ役を買ったつもりが、知らず知らずのうちに誘拐犯を里に招き入れるための手伝いをさせられていたのだ。
青年達の絶望は、深い。
そして、それはアストラにも言えることだった。
「エラトマを知っているのか?」
この世の終わりといった様子のエルフの青年達とシオンの呟きを聞いたアストラは、訝し気な表情で俺に問う。進むべき道を示してくれたエラトマへの信頼が、自身が今見聞きしている状況によって揺らぎはじめたのかその顔はどこか不安げだった。
……どこまでが事実で、どこからがマリス達の策なんだ?
竜の間で流行っている死病、特効薬の鍵となる植物とその所在、それからエルフさえいれば素材の復元量産できるという話。一体どこまでが現実に起こったことで、どこからがマリス達による作り話なのだろうか。
事の次第によっては、アストラはエルフの青年達以上の絶望の淵に立たされる。
浮かんでは消えて行く可能性に心臓がドクドクと嫌な音を鳴らすのを感じながらアストラを見れば、その顔がさらに歪んだ。
エラトマを信じたい。
しかし本当に信じていいのか。
アストラの顔にはそんな葛藤がありありと浮かんでいた。
「……エラトマとは直接会ったことはないし、彼らが語った情報が正しいのかどうかの判断はしかねる。故に、事実だけ言うぞ」
「ああ」
佇まいを直して口を開けば、アストラが息を呑んで頷く。
俺の言葉をアストラが信じてくれるかどうかわからない上に、彼が信頼している者達を否定する嫌な役である。
けれども、ここでちゃんと知っていることを告げておかねば。
グレイ様やクレア達を悲しませることになろうとも成し遂げると決めてマジェスタを出てて来たのだ。スムバ殿やピネス王、シオンや古の蛇の面々やセレオス大神官やエルフ達など多くの者達を巻き込み、助けられてここまで来たのに今さら躊躇していられない。
それにここで言葉を濁したところでアストラや竜の国もフォルトレイスも誰一人、救われないのだから。
「マリスとゼノスは王太子殿下の謀殺やマジェスタに向けて魔獣の群れを放ち亡国の危機の誘発した犯罪者であり、エラトマは甘言を用いてそこのエルフの青年達に里を守り一族が聖木と崇め大事にしている木を切り倒させて売った上に、ヴェルコ殿やハンデルの前王であるピネス殿を誘拐させた張本人だ。恐らくハンデルとエルフの里の戦争を狙っての行動だと思われる。それからここに来る前まで、エラトマと共に獣人の国に寄らなかったか?」
「…………何度か寄った。ほとんど言葉を交わしてないが里に侵入する準備が整うまでの間、エラトマの友人達に寝床を貸してもらった」
「獣人の国々はフォルトレイスを裏切る代わりに自国は見逃してもらうという密約の元、盗賊と名乗り竜の国がフォルトレイスを攻略し易いよう内密に拠点づくりなどの工作を行っていた。密約の使者は竜王の息子だそうだ」
「密約など我は知らぬ!」
俺が語るマリス達の立場に顔色悪くしつつも大人しく耳を傾けていたアストラが、ついに声を荒げた。聞き覚えのない話ならば当然の反応である。
しかしアストラのこの反応によって、獣人達がエラトマに騙されていたことが証明された。それに安心したのか小さく息を吐くレオ先輩達を横目に、俺は荒ぶるアストラと向き合う。
「だろうな。お前に密約を結んだつもりないと気が付いた獣人が口封じに遭い、なんとか逃げ延びた一人が仲間達にその事実を知らせ、フォルトレイスと獣人の国々は同盟を結び直したと知らせを受けている」
そう言って先輩達が届けてくれたスコラ殿からの手紙を亜空間から取り出せば、アストラはひったくるようにして受け取り乱雑に広げて目を走らせる。読み進めるにつれて震える手を眺めながら俺は、ここに至るまでに塵が積もるように膨らんだもう一つの疑惑をたしかめるためにアストラに問いかける。
「ちなみにマリスという男は祖にドライアドの魔王を持つ一族の末裔で、彼等は他の生物の負の感情を糧に生きている。同族の者に聞いた話では種の固有スキルとして他者の負の感情を増幅させるスキルを持ち、黒と見紛う赤い髪と瞳が一族共通の特徴なんだがエラトマという男は普通の人間だったか?」
「――いや。エラトマは人ではなく、我々に近しい気配がしていた。マリスもだ。エラトマは白髪を好かぬから魔道具で染めていると言って日によって色を変えていたが、瞳はマリスの髪や瞳と同じく暗がりでは黒く見える赤だった……」
震える声で紡がれた答えに、やはりなと思う。
竜王の息子や獣人の国々、それにエルフの青年達。人間とほとんど交流することなどなく警戒していたり、見下していたりしていた彼らを手玉に取ってエラトマが成した事は、ただの人間が行なうには大業すぎる。
しかしエラトマが人ならざる者だというならば納得できる。ユリアがマリスから聞いたという商人をやってるもう一人の同族は、エラトマのことだったのだ。ハンデルを戦地にするとなるとシャルツ商会も大打撃を受けるが、エラトマがマリスやユリアと同族であるならば十分甘い汁を吸えるから事を起こす価値はあるしな。
――パサ。
アストラの手から零れた手紙が地面に落ち、唇が戦慄く。
彼が受けた衝撃は大きく、処理しあぐねているのが手に取るようにわかる。しかし時が刻々と過ぎ去る以上、立ち止まっている暇はあまりない。
追い込んだのも俺だし、責は取らねばなるまい。
叶わぬ恋に悩む王太子や道を逸れた公爵家の継嗣、一族の繁栄を願う無知な青年達、それから両親を失い悲しみに暮れる若き王など、マリス達の一族は人の苦悩や悲劇を利用してきた。ならば、竜の国が病の話すべてがマリス達の築いた虚構だと考えるのは早計。死病は事実である可能性が高い。
言葉を失い今にも卒倒しそうな顔色をしているアストラの意識を引き戻すように肩を掴み、俺はその名を呼ぶ。
「アストラ! マリス達の一族は起こった不幸を元に行動している。だからすべてが嘘なわけではなく、お前の国が危機に瀕している事実は変わらない。竜の国で流行っている死病は本当に病か? 瘴気の影響とか魔王の類が巣食ってる可能性はないか? ゼノスが持っていたという植物で本当に特効薬が作れるのか? その植物は本当に人間の国々のどこかにあるのか? 仲間達を助けるためにここまで来たんだろう? なら、ここで膝を折っている場合じゃないだろう! しっかりしろ!」
そう耳元で叫べばゆっくりとアストラの焦点が合い、黄金色の瞳が俺を映した。
「――――死病は昔からあったから、事実だと思う。ただ、ここまで多く死んだのは初めてだと長老達は言っていた。数百年おきに発病者が出ていて特効薬はなかったが、ゼノスが持ってきた花を用いて作られた薬はたしかに効果がある。これは国の薬師達も確認して効能を確認しているから間違いない。ただ保存用に乾燥されたものではどう加工しても薬効が足りないから、新鮮なものでないと完治に至る薬にはならないそうだ」
「その植物が見つかれば、特効薬は間違いなく完成するんだな?」
「ああ。完成するという結論に至ったから父も進軍を決めたんだ。我らが長らく恐れてきた死病とこれで決別できるならば他種族にいくら恨まれても悔いはない、と言っておった」
それならば、救いはある。
アストラを離し、俺は成り行きを見守っていたエルフの族長や長老達へと目を向けた。
「――ということなので、此度の俺の動きによって借りができたと思ってくださるなら協力していただけませんか?」
俺の言葉に顔を見合わせた族長達は目で会話し、小さく首を縦に振った。次いで視線でなにやら牽制し合うと、申し訳ないというか苦々しいというかなんとも複雑そうな表情を浮べた族長と長老が俺達に歩み寄ってきた。
「他種族よりも長い寿命と頑丈な体を持つからこそ、病による死を恐れる気持ちはわからんでもないし、ドイル殿には聖木の件だけでなく竜から里を守ってもらった。故に協力するのは構わんが……」
「我々も万能ではない。実物を見ないことには、生き返らせられるかどうかはわからんぞ」
族長と長老から告げられた内容に、以前リエスが聞かせてくれた『対象が有る程度形を残している必要がある』という条件を思い出す。
薬草等は大抵そのままの形で乾燥されている場合が多いが、マリスや長年ハンデルの人々を欺き続けたエラトマがエルフの固有スキルの条件を調べていないはずがない。それに、エルフ達は元々竜の国がある地で暮らしていたのだ。いくら一族至上主義の傾向があったとしても、さすがに竜王がエルフ達の固有スキルを知らないなんてことはないだろう。
しかし竜王は進軍を選んだ。
それが答えのような気がして嫌な予感が募る中、アストラが懐から白い布で大切に包まれた片手ほどの塊を取り出す。
「これが、素材となる花だ」
黄金色の瞳に僅かな期待を灯したアストラが丁寧な手つきで白い布を解くと同時に、甘く優しい香りが鼻先をくすぐった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




