第二百三十五話
――今から百年ほど前。
里で暮らすエルフ達はフォルトレイスや獣人の国々の先にある大きな山脈を越えた向こう側、竜の国やその眷属たる竜人、ドワーフ達などが住まう地の一角で暮らしていた。
その地は人間の国々があるこちら側とは桁違いなほど濃い魔力が漂い、様々な属性の精霊が集う世界樹や月光樹の森があり、薬草や魔石の品質も比べものにならないほど高い。ただ魔力が濃い分瘴気も強力で、こちらでは数少ない魔王と成った魔獣がそこかしこを闊歩するような危険度の高い地でもあった。また種族ごとに国をなしているためか一族至上主義を掲げる者が多く、弱肉強食の気風が強い。
そのような土地柄だったため魔法の扱いに長け基礎能力が優れているエルフの地位は高く、他種族から一目置かれる存在であり。所有する国土は広く、得意の魔法を使い周辺に溢れる魔力を利用して高い文明を築き、豊かな生活を送っていた。
そんな穏やかな日々はエルフの国の中に大きな瘴気の吹き溜まりができたことで、終わりを迎える。
瘴気に惹かれて、魔王や魔獣の群れがエルフの国へ押し寄せたのだ。
善戦はしたものの数の暴力とは侮れないもので、国の中に魔獣達の侵入を許してしまったエルフ達。魔獣達が弱く無力な者から狙い己の糧にしていくのは自然の常であり、多くの幼い子供達が犠牲となった。
エルフ達にとって子は宝。
失意に沈む者も多く、このままでは種としての存亡にも関わる。
そんな折にたまたまエルフの国を通りがかったラファールが彼らの状況に同情し、近隣にいた風の精霊を集めて、生き残ったエルフ達と彼らが大事にしていた聖木をハンデルの側にあるこの森の中に移した。
それが百年前に行われた里の大移動の全容であり、ラファールとエルフ達の出会い。
まぁ、実際はもっと随所でエルフがいかに優れた種族であるかを語っていたけどな……。
己の正当性を示したかったのか、口枷を外された青年の一人が俺達に聞かせた内容をおおまかにまとめるとそんな感じであった。
彼ら曰く、エルフのような有能で高尚な文化を持つ種族が森に閉じこもりなにもなさないのは、世界の発展を妨げるのと同意義らしく、多少人間の領土は減るが彼らが栄えることで恩恵もあるとのこと。
随分とまぁ、身勝手な話である。
そのような考えがまかり通ると本気で思っているのか。
思ってしまったからこその暴挙だったのだろうが……。
俺と共にいたシオンや治療を終えて輪の端に合流したレオ先輩達やピネス前王やヴェルコ殿が厳しい表情を浮べ、そんな我々の反応を族長や長老達が憂慮し、眉を寄せていることに気が付いていない青年達を眺め、やりきれないような、なんともいい難い感情を抱く。
元いた土地で培われた一族至上主義に、従来の住処を追われた悔しさと森に閉じ籠っていなければならない鬱憤、また幼心にあったエルフという種族への誇りと自尊心が彼らに現状をより惨めだと思わせたのだろう。
その最中でマリス達と出会ってしまったのならば、最悪としか言いようがない。
青年達の境遇とマリス達の種族が持つ固有スキルがある意味相性が良かったため、高い魔法耐性を持つエルフを手中に収めることができたのではとユリアは言ってたが、まさしくその通りだったわけだ。
マリス達のスキルの性質上、青年達が暴挙を働くまで何度か顔を合わせていたはず。
その間に、誰かが気付いていたら。
苦々しい気持ちを噛みしめる俺の胸中など知らぬ青年達は、散々過去の栄光を口にしたことで少し気持ちが落ち着いたのか、族長や長老達へ己の心の内を訴えかけている。
「――多くの者が子を亡くした失意の中にいた当時、エルフが持つ領土を狙う他種族との争いに勝てぬと判断し国を捨てたことは誤りだったとは思いません。魔獣達の駆除をしながら国を立て直し、他種族と戦などやってられませんから」
「さほど豊かでなくとも、我々にとって脅威がない場所を求めてこの森の中に身を隠したことも、当時の皆の疲労や生活基盤を一から作らなければならなかったのを考えれば、必要なことだったのだと思います。しかし、いつまでも身を隠し続ける必要はないかと」
「下の世代も増えています。まだこの森に余裕はありますが、やがて手狭になる。以前のようにとはいかずとも、これから生まれてくる者達のためにも領土を広げ、よりよい国を作るべきです」
「数こそ脅威だが個としての人は弱い。また百年の時を経て里も力を取り戻しつつある。竜の国がフォルトレイスに向かっているらしく、今ならば他国からすぐに増援が駆けつけることはない。勝算は十分にある」
竜の国の行動まで知らされていたのかと驚くと同時に、青年達の背を押したのはこの情報かと小さく舌打ちを零す。
青年達の身勝手な考えが根本にあるため被害者とは呼べず、さりとて自業自得だと言い切るにはマリス達の影響が強い。
此度の一件の落としどころを決めるのは、ハンデルとエルフの里でなければならない。故に口を挟むことなく傍観しているが、なんとも後味の悪い状況だ。
鉛を飲み込んだような重苦しさを感じながらエルフ達の動向を見守っていると、そこでようやく族長が再び口を開いた。
「――お前はそこな人の子を前にして、個としての人が弱いと言い切るのか」
そうして告げられたのは、そんな言葉であり。
声を震わせ憤然とした様子の族長に、青年達の顔にも困惑が浮かぶ。無論、俺やシオン達も族長の変化に戸惑っているのだが、彼だけでなく長老達や青年達を囲むエルフも唖然としており、嫌なざわめきが広がっていく。
緊張感が増した空気に不安になったのか青年達が顔を見合わせるが、そんな彼らを咎めるように族長が持っていた杖でドンと地を叩き、厳しい声を放つ。
「答えよ!」
その剣幕に驚いたのか、怯えたのか、青年達はビクッと肩を跳ねさせて固まるが、杖が再度鳴らされたことで族長に見据えられていた一人が恐る恐る口を動かした。
「………………人の子にしては高い魔力を持ち、魔法や剣の扱いに慣れているようですが、勝てぬ相手ではないかと」
「他の三人も同様の意見か」
「「「……はい」」」
青年達の返事を聞いた族長は眉間の皺をさらに深くする。次いでその口から飛び出したのは、罵声だった。
「風の精霊様のみならず、水の精霊様や土の精霊様の寵愛を一身に受け、勇者の証となる剣を携えた者相手に『勝てぬ相手でない』など、どれほど傲り高ぶっておる! 精霊様方の意に反する覚悟をもっての行いかと思い理由を問うてやったが、よもや精霊様の加護の持ち主が誰かも見抜けぬほど身を落とし、あまつさえその自覚もないとはあきれ果てたわ!」
空気を震わすその怒声に目を見開き、族長が発した言葉の意味を考えようとしたその時、視界の端で緑と青の髪がふわりと舞う。
『――なんか話しが嚙み合わないと思ってたけど、そういうことだったのね』
「どういうことだ?」
『種族全体が精霊を信仰してるエルフは代々清らかな魔力に囲まれた生活をしてるから、魔力の質が私達や神様方の力と近くなってて、相性がいいのよ。だからムスケやスコラも器に入らなくても私達の姿を見て声を聞けてたし、ご主人様との繋がりも視えてたじゃない? でもあの四人は魔力が汚れちゃったから、精霊の力を感じられなくなってきてるってわけ』
俺の肩に手をかけエルフ達を覗き込んでいたアルヴィオーネに発言の意図を尋ねれば、彼女は肩を竦めてそう答えた。
「魔力が汚れるなんてことあるのか?」
『……そうね。神殿の神官が資格を失って徒人になった、とでも思えばいいわ。ご主人様の母君は別として、神殿から退いた神官って浄化とかできなくなっていくでしょう? それと同じよ。彼らは代々続く精霊信仰によって身に宿していた加護を失いつつある。だから彼らは精霊の加護の先がどこにあるかまでは視えてなくて、ラファールに名を呼ぶことを許されているリエスに私達が付き合ってあげてて、その流れでご主人様のお手伝いをしてあげたと思ってたのよ』
わかりやすいアルヴィオーネの説明に思い出すのは、シャルツ商会での青年達の言動。精霊達を敬っている様子ではあったが、リエスやムスケ殿やスコラ殿のようにラファール達の機嫌を損ねないように俺を気にかけたりはしていなかった。
敵対している立場だからだと思っていたが、俺の想像とは少し違っていたらしい。
……族長達は視えていたから、渋々でも俺とシオンに森の中で自由にさせていたのか。
俺が精霊の加護を受けた人間だったから。
それならば納得である。
色々と腑に落ちたところで脳裏を過るのは、再会したリエスと楽しそうに話していたラファールの姿。
深い縁があるエルフ達の現状に、彼女は今なにを感じているのだろうか。気になってついっと目を動かせば、ラファールは惑うように笑みを浮かべていた。
『リエスが何度か教えてあげてたのに、聞こえてなかったみたい』
そう言って苦笑する彼女は、寂しげと形容するのがしっくりくる顔をしていて。
なんと声をかければいいのかわからず逡巡していると、ラファールは『気にしないで』と言ってエルフ達へと視線を戻す。そんな彼女に釣られるように輪の中心を見やれば、怒りや後悔などが入り交ざる族長となにを言われたのかわからないといった様子の青年達がいた。
そんな彼等に苦渋の色を浮かべた長老が、重い息を吐く。
「――生き残ってくれた子供らだからと、甘やかしすぎたな」
「ええ」
深く頷いた族長は苦々しい表情で青年達を見下ろすと、話し難そうな様子でゆっくり口を開く。
「まず、我々は聖木の結界の外では生きていけん」
「え?」
「ムスケやスコラほどの才があれば話は別だが、力なき者が聖木より作られた結界で守られた里の外に出ると、遅かれ早かれお前達のように精霊の加護を失う。それは我々が魔法の扱いに長けた種族であることに起因しているため、どうしようもない」
そうして告げられた言葉は衝撃的で、青年達は目を見開く。
族長や長老達は、そんな彼らを悲し気に見つめていた。
「我々はこの世に生まれ落ちた時から無意識のうちに魔力を操り身体を強化しているため、他種族より頑丈だし、成長に応じて魔力の保有量も多くなる。しかし幼いうちは魔力量が少なく、周辺に漂う魔力を吸収し身体を強化している。故に育った土地の魔力の性質に引きずられやすく、瘴気に満ちた場所だと魔獣達のような魔に転じやすい。だから我々は清らかな魔力を蓄える聖木で住まう地を囲み、結界を張るのだ。幼き同胞が魔獣のような存在にならんように。そして精霊の加護を失わないように。我々は魔力が足りなくなると周辺から魔力を吸収する性質があるため、里の外で力を使いすぎると瘴気や魔獣から漏れ出た魔力さえ身に取り込んでしまう。純粋な力を好まれる精霊様は瘴気が混じるのを嫌うので、そうなると加護も失うというわけだ。我々がかの地で一目置かれていたのは、精霊様達の協力あってのこと。ただ魔法の扱いに長けているだけではかの地で栄華は誇れんし、精霊の加護がなければ聖木は育てられん。そして聖木がなくては、幼き同胞が無事に育つことはない」
だから聖木を大切に守り、精霊を崇め信仰しているのだと言った族長に俺は百年前、エルフの国でなにが起こったのかを思い描く。
魔王や魔獣の群れに善戦したものの、子供達が犠牲になったという点に疑問を抱いてはいた。宝と言い切るほどの存在ならば一番大事に守ってしかるべきであり、子供達が犠牲になる前に大人達に被害があるはずだからだ。
それなのに犠牲になったのは子供達、それも当時赤子に近い年代がほとんどいないということは……。
過った考えに息を呑めば、長老が哀愁を帯びた表情で頷いた。
「国内に吹き出た瘴気や侵入した魔獣達から滲む魔力によって赤子から順に魔へ転じていき、殺すしかなかった。生き残った子供らまで影響を受けんようにするので手一杯で、魔獣の侵入まで止められなくての。瘴気を取り除き、魔獣を討伐し、国を囲う聖木を育て直し、浄化するなど不可能。どうしようもなくなった我々を、風の精霊様達がこの森へ無事だった聖木と共に運んでくださり、事情を知ったハンデルの王はこの森を領土とすることなく国境を定めた。そしてこの百年、触れずにおってくれたと言うにお前達は」
そこで言葉を止めた長老の瞳にあるのは、深い悔恨。
自分達を責めているはずの長老が浮べたその表情に、族長や年長者達が自分達を見る目に、青年達も語られた話に嘘はないと感じたのか言葉を失い、顔を白く染めていく。
「森から出ないのは、国土が広すぎると瘴気が結界内に噴き出た時に対応できないと学んだからだ。魔獣も弱いこの地ならば子供らが魔に転じる危険性は少ない。聖木も育ちにくいが、範囲が狭くなったため結界や儀式に使うくらいならば十分育てていける。この森の中こそが今の我々の安住の地なのだ。我らの不甲斐なさから住み慣れた地を離れることになった上に、真相を知れば子供らは常に怯えて暮らすことになるのではと考え、事実を伏せていたことが仇となったな。子供らを亡くした悲しみから、もう少し強く、もう少し大人になるまでと甘やかし、事実を語るのを先延ばしにし続けた我らの責は重い」
長老はそう告げると己の過ちを理解した青年達からゆっくり視線を逸らし、ピネス前王とヴェルコ殿の元に向かう。
そしてその足元に跪いた。
「この度のことは――」
長老がピネス前王達を見上げ言葉を紡ごうとしたその瞬間、
――ドンッ!
空気が震え、大地が揺れた。
『――ご主人様! あっちよ!』
突然響いた爆発音に反応したアルヴィオーネが示した方向へ俺が走り出せば、シオンも後を追ってくる。
プラタ王との約束の日まで、あと三日ある。よもやリヒターさんやスムバ殿と分かれてから半日足らずで事態が急変したのか、プラタ王がハンデルの兵を抑えきれなかったのか、もしくは――。
様々な可能性が浮かんでは消えて行く中、ラファールによって逆方向に運ばれていくエルフやピネス前王達を掻い潜り進む。
そしてたどり着いたのは居住区と森の境目。
迫りくる気配に足を止めれば、森の奥からミシミシッと木々をなぎ倒す音が響く。
次いでゴゥッと吹き荒ぶ風に、思わず目を閉じそうになるのを堪えて森の中を見据えれば、一対の黄金色の瞳が闇夜に浮かんでいた。
「――――エルフはどこだ」
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




