第二百十二話
パカラッ、パカラッ、パカラッ――。
先頭を駆ける白馬を筆頭に六頭の馬が蹄の音を力強く響かせながら、アグリクルトとハンデルを繋ぐ街道脇の道なき林の中を疾走していた。
時刻は早朝。
木々越しに見える冒険者や旅人、荷を運ぶ商会の馬車に護衛や傭兵、様々な目的をもった人々が舗装された道を行き交う光景を横目に、俺は自身が駆る白馬へと語りかける。
「ブラン。街道に戻るから少し速度を落としてくれ」
『畏まりました!』
元気に嘶いたブランに小さな笑みを零し、街道がある方向へ手綱を操る。
フォルトレイスを出発してから五日目。旅慣れた者であっても十日はかかる距離を半分の時間で駆け抜けてもらったが、ブランはまだまだ余裕があるようで足並みは軽やかだ。
後ろを走るリヒターさんとユリアそれからリエス、シオンやスムバ殿の馬には少々疲れが見えるがハンデルまでは持つだろう。
――もうすぐだ。
木々を抜け出た少し先に見えるハンデルの関所を眺め、手綱を握る手に力を籠める。
傭兵団【古の蛇】が集めた情報によると、ゼノスは相も変わらず薬師として店を構えているらしい。といっても今回はどれほど言い繕っても正規店とは言えない、いわゆる闇市場と呼ばれる一帯にゼノスの店はあるそうで、居場所を特定するのに苦労したとムスケ殿は不快さを前面に押し出した顔でぼやいていた。
元来、ハンデルは商売を主軸に据える国柄故に他国よりも清濁併せ呑む傾向が強く、よほど悪質でなければ多少の悪さは見逃されることが多かった。そんな悪しき体質にメスを入れたのが前王ピネス・ドール殿であり、現在は引き継いだプラタ陛下によって急速に改革されていると俺も聞いたことがある。
実際、ムスケ殿達が在住していた数十年前には『ハンデルの沙汰は金次第』なんて言葉も存在していたそうだが、それは過去のこと。昔は黒に近い灰色だったそうだが、現在は白に近いとムスケ殿とスコラ殿が言っていた。
しかし、そんなハンデルの王達が未だ手を出しあぐねているのがゼノスの潜む闇市場という場所らしい。
盗品等の表では売買できないものが扱われており、売人も客も叩けば埃の出る人間ばかりが集まっているため誰もかれも口が固い。また、追われることに慣れている連中なため危機察知能力が高く、逃げ足も速い。
そのため【古の蛇】の面々であっても、ゼノスの拠点を探すには並々ならぬ注意と努力が必要だったそうだ。
戦に備えてフォルトレイスに残ったムスケ殿達の言葉を思い出しながら林から街道に出れば、カッとブランの蹄が音を立てて蜂蜜色の石畳で覆われた街道を踏む。
林の中から現れたことで何人かがこちらに目を向けていたが、そのまま何食わぬ顔で街道を行く人に混ざれば、先を急ぐ人々はすぐに興味を失い己の旅路へ戻って行った。
そうして、間近に迫ったゼノスとの対峙に逸る心を隠しつつ進むこと数分。
列の真ん中で衣服を整えていたスムバ殿が、俺の横へ並ぶ。
「――ドイル殿。そろそろ先頭を代わろう」
「ええ」
その言葉に逆らうことなく俺はスムバ殿と付いてきたシオンへ前を譲った。
関所を潜る手続きはハンデル国王への使者としてやってきたスムバ殿が行なった方がスムーズだからな。
スムバ殿達と順番を入れ替え、手続き待ちをしている人々の横を通り過ぎれば、迷うことなく国使専用の門へと進む立派な青毛の登場によって兵達の間にさざめきが広がる。
『ご主人様。また「今日どこかの使者が訪れる予定なんかあったか?」って言って騒いでますよ』
「ああ。問題はない」
道中何度も繰り返されたその光景にため息を吐くブランの首筋を宥めるように撫でる。次いで関所を見れば、兵士の一人が慌てて脇にある建物の中に駆け込み、数分と経たず上官であることが見て取れる男が関所から出てきた。
「――ようこそ、ハンデルへ。この度はどのようなご用件でございましょう?」
探るような視線を気に留めることなく、スムバ殿は上級兵の眼前に一枚の紙をかざして言い放つ。
「フォルトレイスより参ったスムバ・シャムス、以下五名。国王陛下の命によりプラタ王へ火急の知らせを奏上せねばならん。至急門を開けてもらおう」
スムバ殿のその言葉に上級兵は突き出された紙をたっぷり十秒凝視した。そして一拍おいて振り返ると、様子を窺っていた兵達へ開門の指示を飛ばしたのだった。
スムバ殿の活躍により手早く関所を越えてから、さらに馬を走らせること十数分。
ついにハンデルの王都へ辿り着いた俺達は待ちかまえていた炎蛇の面々と合流し、スムバ殿へつかの間の別れを告げる。
「――それではこのあたりで」
「ああ。俺はプラタ王の元へ向かわせてもらうことする。のちほどまた会おう」
「ええ。ありがとうございました」
「武運を祈る」
そう言って拳をぶつけ合ったあと俺はブランの背へ、スムバ殿は炎蛇の面々が準備していた馬車に乗り込む。
これからしばしの間、スムバ殿とは別行動だ。王弟である彼には、マリス達の暗躍によるエルフとの衝突を避けるためプラタ王に知らせを届けるという重大な任がある。
先を急ぐ旅路故に多くを聞くことはできなかったが、スムバ殿が同行した父上と母上の旅の話は中々興味深かった。たまたま駆け抜けただけだったが、父上が魔王を討伐した地も知ることができたしな。
――すべてを片づけたあとで、ゆっくりと聞かせてもらおう。
そのためにもスムバ殿の護衛は合流したペイル殿達に任せ、俺達はゼノスがいるという闇市場がある区画へ向かう。
「じゃぁ、そっちは任せたぜ。姐さん」
「あんたこそ上手くやりなさいよ?」
「わかってる。うちの名前に傷つけるようなことはしねぇよ」
そう言い切ったシオンにペイル殿は艶やかな笑みを浮べて「しっかりやんなさい」と言い落すと、俺達へ手をひらひらと振りながらスムバ殿が居る馬車へ乗り込んでいった。
スムバ殿の護衛として馬車の中にはペイル殿の他に女性が一人、それから白や焦げ茶色の馬に乗った三人の男性、計六名が側に付き、それ以外にも雇われた御者や小間使いに扮して炎蛇の面々がついて行く予定だ。
殲滅を得意とする炎蛇の隊長が直々に護衛につくなど滅多にないことらしくスムバ殿はえらく恐縮していたようだが、今回は頭領や副頭領の計らいもあり特別に、とのこと。
ペイル殿が付くと知るなりスムバ殿の顔色が若干悪くなった気がしたが……。
お蔭で俺達も安心して別行動ができるので、余計な口出しはすまい。
スムバ殿に心の中で手を合わせつつ二人が乗っている馬車から目を背ければ、準備を終えた一団が隊列を組んでいるのが見えた。
「――それでは出発します」
御者に扮した傭兵の一人の声が空気に溶け、馬車の車輪がゆっくりと回り出す。徐々に回転数を上げ走り出した馬車はそれからあっという間に、朝市で賑わう町中の景色の一部となり数分と経たずに俺達の視界から消え去った。
「――――んじゃ、俺達も行こうぜ若様」
「ああ」
ヒラリと馬に乗ったシオンの言葉に頷き、辺りを見渡す。そうして、リヒターさんやユリアやリエス、それからラファールやアルヴィオーネへ目を配り皆の準備が整っていることを確認した俺はブランの手綱を手に取り告げる。
「出発だ」
***
――ハンデルの片隅に根付く闇市場。
陰鬱な空気が常に漂うその場所では、限られた土地を奪い合う形で建物がひしめいていた。地面へ適当に埋め込まれ傾いた柱で構成されている店は適当に打ち付けられた木壁から隙間風を好き放題に吹かせており、稀に見受けられるきちんとした造りの建物はすでに至るところが崩れており空いた穴から虫やネズミが自由気ままに出入りしている。その上、店や家から土地の所有を主張するように張り出された布製の庇が重なり合っている所為で日光が遮られ、朝と呼ばれる時刻であるにも関わらず薄暗い。
闇市場の店主や客達が活動を終え寝静まっているというのに、どこからか見られている気もする不気味な場所である。
『……ゼノスがいる辺りは闇市場の中でも一際、後ろ暗い奴らばかりが集まった場所だからな。気を付けろ』
ムスケ殿の忠告を思い返しながら、リヒターさんやユリア、リエスと共に古の蛇の面々が残してくれた印を辿るシオンの後を追って密やかに歩く。
ここの住人達は軒並み警戒心が強く危機察知能力が高いとの前情報があったため、乗ってきたブラン達は闇市場から少し離れたところに置いてきた。
正直、急く心を押し殺して人目を盗みつつ抜き足差し足で進むのはストレスがたまる行為だ。しかし正面から馬で乗り込んだ場合、関係ない者達からの妨害を受けるかもしれないし、逃げられる可能性も高いように思えたのだ。
そして、その判断は正しかった。
闇市場の道は狭く、競うように張り出された軒先によって上にも逃げ難い造りになっている。地の利に長けた者達の逃亡を追うのが困難であることは想像に容易く、これでは揉め事が起こったしても闇市場の外に出る前に内輪で解決されてしまうに違いない。
……前王とプラタ陛下が手を出しあぐねているというのも納得だ。
探索や隠密行動に長けたバラドがいればこのような場所でも楽に散策できたかもしれないが、ないものねだりをしていても仕方ない。
ジリジリと喉元に込み上げるため息を吞み込みながら俺達は足を動かす。
そうして辿り着いたのは、道中にあった崩れかけと比べると比較的綺麗な建物が並ぶ通りだった。
「――あそこだ」
呼吸音に交じって吐き出されたシオンの声に従い視線を動かせば、色褪せた深紅の庇が付いた建物を見覚えのある傭兵二人が監視していた。
「シオン」
「……やっときたか」
俺達に気が付くと二人の顔に安堵が浮かび、そんな彼らの様子にシオンの顔に険しさを増す。
「随分と疲れてるじゃねぇか」
「こんな場所だからな」
シオンの言葉に応える声には憔悴が滲んでいた。どうやら闇市場での見張りは古の蛇の頭領達から使命を受けるほどの実力をもってしても神経をすり減らす仕事だったらしい。
闇市場にあるには珍しく朝から煙が上がっているゼノスの店の周辺の建物を探るように耳を澄ませば、押し殺した息遣いと金属が擦れ合う音が微かに聞こえてくる。
皆、我が身になにかあれば反応できるように家屋の中で武器を構えているのだ。
……こんな環境では、ため息を吐くことさえままならなかっただろう。
周囲に潜む人々の気配にそんな感想を抱きつつ、俺はゼノスの店へと意識を集中させる。
「窓から見えている人影がゼノスだ。昨晩からずっとああして鍋の前に立ってる」
傭兵のそんな言葉を意識の端で聞きながら気取られぬよう慎重に、周囲に魔力を溶け込ませながら【気配察知】を使えば店の中に人間大の気配が一つ。恐らくゼノスだろう。彼らがずっと見張っていたのだから間違いない。
しかし、窓にある人影を見た瞬間から拭えぬ違和感と逸る心臓に押されるように跪き、地面へ手を伸ばした俺は【地中探索】のスキルを発動させていた。
『ご主人様』
「ドイル様」
頭上を漂うアルヴィオーネと背後にいるユリアが同時に俺を呼ぶ。
警戒を促すような二人の硬い声が耳を打つのと時同じくして探り終えたゼノスの足元には、木の根のようなものが地中深くまで伸びていた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




