第百八十六話 ユリア
セルリー様の背が見えなくなると同時に、バタンと音を立てて扉が閉まる。
一族の話を始める前に精霊達は住処に帰ってしまったので、これで部屋の中には私とドイル様の二人だけだ。
「……そんな大切な杖を俺にどうしろと?」
そう零しながら困った様子で杖を眺めていたドイル様は、諦めたように溜息を一つ吐き手に取る。セルリー様の思い出の品だからか、杖を亜空間に仕舞う仕草はひどく丁寧だった。
彼のそんな動作を眺めながら、私はこれから聞かれるだろう情報を思い出していく。
『――頑張ってドイル君の役に立ちなさい。それが貴方達の生き残る唯一の術です』
セルリー様の囁きどおり、私や静かに暮らす同胞達が助かるにはドイル様にすがるしかないのだ。
思い出すのは、私を背に庇いセルリー様と戦う姿。
面と向かって向けられた憎悪は恐ろしく、その悲しみの深さに身が竦んだ。
殺されても仕方ないと思い生きてきたけど、いざ直面してみると死にたくないと思った。けれども、セルリー様に気圧された私は呼吸するのがやっとだった。
こんなことならば村を出たりせず、父や母と共に穏やかに過ごせばよかった。そんなことを考えながら怯え震えるしかできなかった私を、ドイル様は守ってくれた。
業の深い我が一族であっても罪なき命があると、すべての者に大戦の責任があるわけではないと示してくれた。
一族の命運を賭けるのに、これ以上ない人だと思った--いいや、私達を庇い守ってくれる人など、ドイル様以外いないだろう。
人はすぐに負の感情に引きずられる生き物だもの。四英傑と称えられたセルリー様でさえそうであったように、悲しみや怒りに囚われやすい。
大戦が完全に歴史の一部と化す二百年後や三百年後ならばいざ知らず、いまだあの日の記憶を持つ者が多く生きる現在、当時私達はまだ生まれていなかったからと言ってどれだけの人間が受け入れてくれるというのか。
同情し私達の存在を容認してくれる人々は少なからずいるだろう。しかし、他の大勢の人間から非難を受けた時も庇ってくれるかと言えばそれは恐らく否だ。
私達は人間じゃない。そんな生き物を、己が体を張って守ってくれる者なんてそうそういないだろう。
それだけのことをした、という自覚はある。むしろドイル様の反応がおかしいのだ。大戦の真実を知ったのならば、セルリー様のような反応が正しい。
そう同胞達も思ったからこそ生き残った者達は皆、戦後の混乱に乗じて人里離れた土地に逃げたのだから。
私達の一族は多くの人間に恨まれている……。
それも尋常ではないほど激しく。
恐らく私達はドイル様の背に隠れているだけでは生き残れない。たださえ、負の感情を喰らうという人を不幸にする性質を持つのだ。高い身分と類まれなる力を持っていたとしても、側に置いておいても何の利もない罪深き一族を庇い続けることは難しい。
過去の行いを帳消しにとまではいかなくても、生かしておく価値があることを人間達に示さねばならない。だからこの人の役に立つべく、記憶を掘り起こしていく。
「――またせたな」
聞こえた声に顔を上げれば、ドイル様は椅子を引き私の正面に座り直す。
「それでは大戦後の同胞達の動きを教えてくれるか?」
「はい」
向かい合い尋ねるドイル様に頷き、私は己が知っている情報を吐き出す。
「人に混ざり大戦に参加していた者達の大半は戦死したそうです。運良く生き残った者達は逃げ帰ってきました。そして村の外に出ていた同胞達が仕出かしたことを知った当時の長は、皆を連れ人村離れた森の奥深くに移り住むと決めました。それから我々はその森の中を定期的に移動しながら、暮らしています」
「……人に見つからないためか?」
「いいえ。森自体、人間の国々とは離れた未開の地にありますから。主な理由は狩猟のためです。村の者は動物や魔獣から糧となる負の感情を得るために……一般的な狩猟よりも残酷な殺し方をします。そのため、しばらくすると村の近くに生き物が寄ってこなくなってしまうんです」
嫌悪されるかもしれないと思いながらも村のことを説明したのだが、ドイル様は「そうか」と言って頷いただけだった。
本心なのかは定かではないが、薄い反応に胸を撫で下ろし私はドイル様が聞きたいであろう本題に入る。
「近年私やマリスのような先祖返りは極僅かです。それこそ、十年の間に一人二人生まれるかどうか……私が村を出てから八年経ちましたが、出会ったのはマリスだけです。彼奴は私以外の同族と会ったことがあったようですが」
そう告げた瞬間、ドイル様の眉が跳ねる。
紫色の瞳に視線で話の続きを促され、私は再び口を開く。
「アグリクルトで魔王が討伐された時に出会ったことがあると言っていたのを聞いたことがあります」
「アグリクルトの魔王というと父上達が二十年前に討伐した奴か? マリスはもう一人の同族について他に何か言っていなかったか?」
「二十代後半くらいの男性だったとしか……あ、でも私に接触してきた時『メイドに商売人……偽る相手が多い職にわざわざ就くとは酔狂な奴らだ』と言っていましたから、どこかの商隊に混ざっていた可能性が高いかと」
私の言葉を聞いたドイル様は、情報を吟味するように黙り込む。真剣に考え込んでいる姿に私は続きを口にするか迷う。しかし、これは教えておいた方がいい情報だと判断し、恐る恐る告げる。
「あの、」
「ん?」
「恐らくですが、男もマリスもエーデルシュタインとマジェスタにはいないと思います」
「理由は?」
考えるのを止め私の話に興味を示したドイル様にホッとしつつ、伝えたかった内容を口にする。
「暗黙の了解として、同胞が準備している国には助力を求められない限り関わらないことになっています。それから同じ場所で事を起こすのは警戒されている分難しいというのもありますし、短期間に何度も深い絶望を与えるのは至難の業だからです。説明しにくいのですが……人は苦しみに慣れるというか、辛い目に遭ったあとだと受ける衝撃が小さいのです。だから私達は一度事を起こし負の感情を味わったら移動します。そして以前の悲劇を忘れた頃に再びその国を訪れるのです。その方が私達の存在が明るみに出る可能性も低い。マジェスタにはマリスが目をつけていましたし、エーデルシュタインには私が居たので、彼やもう一人の同族が今いるとしたら他の国だと思います」
「マジェスタとエーデルシュタイン以外の国か……」
そう零したドイル様は本格的に考え込む。傭兵や騎士、クレア姫との婚約式で仕入れた情報をもとに、マリス達がいそうな国を思案しているのだろう。
……他にドイル様が必要そうな情報はあったかな?
長や村の大人達、両親から聞いた話を順々に思い出していく。
そうして最後に浮かんだのはマリスだった。
彼と出会ったのは一昨年のことだった。エーデルシュタイン城に勤めて早六年目となり、念願のブリオ殿下付のメイドになったばかりの頃。
隣国のマジェスタの姫と殿下がお見合いをすると言って出かけ、恋に落ちて帰って来たかと思いきや、マリスまで引っかけてきたのだ。
***
クレア姫に思い人が居ると知り嫉妬に狂うブリオ殿下から美味しい負の感情をいただき、ご機嫌で宛がわれた帰った部屋に男はいた。
「――王子に芽を植えたのはお前だな」
「きっ」
侵入者を見つけたメイドの正しい反応として悲鳴を上げようとした私の口を塞ぎ、マリスは告げた。
「騒ぐな。お前と同族だ」
『同胞』の言葉に驚き男を見れば、たしかに黒髪の明かりが当っている部分が赤い。
「まだ若いな。しかし王太子殿下の側に侍っている手腕は見事だ」
里の外に出て六年目にして初めて会った同族にえも言われぬ感動を味わっている間に、男は私を観察していた。
「それにしても、メイドに商売人……偽る相手が多い職にわざわざ就くとは酔狂な奴らだ。外に出るような変わり者だからか?」
失礼なことを言う奴に「あんたも外に出ている変わり者でしょう!」と言ってやりたくて手を離すよう男の腕を叩こうとする。しかし、寸前のところでスルリと拘束が解かれた。
「――まぁいい。それではな、若き同族よ」
そして私が文句を言う前に、男はそういって帰ろうとする。なんて身勝手な奴なのか。
――勝手に納得して帰るなんて!
転移の使い手なのか、その場から消えようとしている男の腕を慌てて掴み問いかける。
「ちょっと待って! 貴方は何しに来たの?」
「? 同族がいる国では事を起こさないのが暗黙の了解。だから確認しに来たんだ。そしてお前はやはり俺と同じ存在だった。だからエーデルシュタインは候補から外す。そして用事が済んだから帰る」
淡々と用件を告げた男に唖然とする。
か、勝手すぎる……。
己の欲望のために人間を不幸にしようとしている己は随分自分勝手だと思っていたが、この男はそれを上回る。
こんなのが初めて外で出会った同胞だなんて……とちょっとがっかりしていると男は、「もういいか?」といって私の手から腕を抜くと再び転移しようとする。
「私ユリアって言うの! 貴方は?」
透ける男に思わずそんな言葉が零れた。
この機に及んで名を問う私に驚いたのか男は僅かに目を見開く。そして、
「――マリスだ。機会があったらまた会おう、若き同族よ」
ほんの少しだけ笑って、消えた。
***
マリスとの再会はそれからすぐのことだった。
唐突な邂逅から一年と少し経った頃、マジェスタに目をつけた彼が『下調べしていたら一族を追う手がかりになりそうな魔道具を見つけた』と言いに来たのだ。
転移で何処へでも侵入できるのだから自分で破壊すればいいのにと思う私に、マリスは『細かい作業は苦手なんだ。俺がやるとなると結界の上から力づくで壊すことになる。とすると保管されている建物が半壊してしまう』とのたまった。
それでは折角準備している計画が無駄になるというので、交換条件のもとマリスの頼みを引き受けた。
こんな結果になろうとは、私はおろかマリスも思わなかっただろう。
マリスは私よりもずっと強い。魔力量も多いし、転移など便利なスキルを多く持っていそうだった。
それでもしくじった。大戦と同じことをしようだなんて欲をかいたからだ。
私は貴方がわからない……。
私がマリスの狙いを理解したのは、水牢の中からドイル様を見送ったあとだった。
見張りを任されたシオンという傭兵の『今この城が魔獣に襲われたら、使者を出してる各国が黙ってねぇな』という呟きを聞いてはじめて、私はマリスが大戦を再現しようとしていたのだと気が付いたのだ。
同胞達に迷惑をかけないようにするという暗黙の了解はどこにいったのか、村のことなど構わず大戦をなぞるつもりだったのならなぜ魔道具の存在を気にしたのか。
わからないことばかり。でも過去には戻れない。
マジェスタの人間は私達の存在に気が付き、ドイル様とセルリー様は大戦の真実を知った。私や森の奥で暮らす同胞達が生き残るためには、マリスを差し出すしかなくなってしまった。
――私やマリスは自業自得だけど、村の皆は違う。だからごめん、マリス。
私と同じ、一族の中でも異端な人。片手で数えられるほどしか会っていないけれど、多くの同胞が静かに終焉の時を待つ中、充実した短い生を選んだ貴方とならわかり合える気がした。
願わくば、共に――。
そんな淡い想いは、彼の目的を知った時に散ってしまった。マリスは私が想像していた以上に恐ろしい人だった。
同胞達の平穏を気にするそぶりを見せながら、素知らぬ顔で大戦を繰り返そうと企んでいたマリスはきっと誰よりも魔王としての本能が強い。数少ない言動を冷静に振り返れば、彼は暗黙の了解だったからなんとなく従っていただけで、心の底から同胞達の安否を心配していたわけではないと思う。
恐らくマリスは、己の邪魔になると判断したら同胞を手にかけることも厭わないだろう。
魔王として君臨しながらも他者と共存することを夢見た始祖とは違う。
破壊と悲劇を好み、己以外を必要としない孤高の人。
――私はあなたのようには生きられない。
外に出て初めて出会った同胞へ抱いた憧れか初恋かもわからぬ想いに蓋をして、私は心の中でマリスと袂を分かつ。
生きたいと望むのならば私は進むしかないのだ。ドイル様と共に。
マリスの影をかき消しドイル様を見れば、強い意志を宿した紫色と視線がぶつかる。いつの間にか考えをまとめ終えていたようだ。
にもかかわらず、思い耽る私を待っていてくれたらしい。
――マリスと違って思いやりがある人。
だからこそ私や同胞達にも手を差し伸べてくれる。
そんなことを考えていると、ドイル様がゆっくりと口を開く。
「――ユリア。もう少し詳しく聞かせてほしい話があるのだが」
「なんなりとお聞きください。ドイル様」
再開を促すドイル様の言葉に、私はそう言って頷いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




