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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
183/262

第百八十三話

 気が付いてしまった。

 両親やお爺様にセバス、ウィン大叔父様やセルリー様、皆がアメリアお婆様の話になると言葉を濁していた本当の理由に。

 跳ね起きた俺は枕元に置いてあったランプに火を灯し、仕舞ったばかりの本を亜空間から取りだす。己が巻いた布をもどかしく感じながら五冊の本をベッドの上に広げた。

 思い出すと悲しくなるから、もうこの世にいないのだと実感するのが辛いから誰も語らないのだと思っていた。

 土の精霊ティエーラがあれほど慕う人だ。たしかにアメリアお婆様は人格者であり、多くの人に心から愛されていたのだろう。でもきっと、それだけではなかった。


 ――今さらそんなことに気が付くなんて。


 アメリアお婆様の話を尋ねる機会はほとんどない。数少ない記憶をいくら思い返してみても、聞いた覚えがない。病死や事故死といった無難な原因で偽られることさえなく、誰もかれもが話題に触れず口を閉ざしているなど異常だ。

 ドクドクと心臓が脈打つ。

 改めて二冊の赤い本を手に取ってみる。掌が隠れるくらいの大きさで厚みのあるそれらは、同じ型だが装丁の傷み具合に差があることに気が付く。並べてみると片方は日に焼けているのか若干赤色が薄い。

 アメリアお婆様は、どのような気持ちでこの日記を残したのだろうか。

 アギニス家や王城といった場所に隠すのではなく、土の精霊だなんて人知を超える存在に託してまで確実に後世へ託さねばならなかった理由とはいったい……。

 俺は年季を感じさせる方の日記に手を伸ばす。

 そして、震える指先で色褪せた赤い装丁を開いた。


○月×日 晴れ

 今日は私の誕生日!

 十歳になったお祝いにと沢山の方々から贈り物をいただいて、とても嬉しかった。今、日記を書いているこの白紙の本もメイドの一人がくれたお祝いの品。飽きずに続けてくださいねって言って三冊もくれたの。

 厚みがある本だから使いきるのに時間がかかりそうだわ。

 

 日記はそんな文面から始まっていた。

 その日にあったことを簡単に書き記しているらしく、一行だけの時もあれば半ページを埋め尽くしていることもある。たまに期間が空いている時などもあった。

 メイドから「飽きずに」なんて言葉をもらうくらいなので、アメリアお婆様は気分屋というかそういった面をもっていたのだろう。

 父親から剣を習った話やはじめて魔法が成功した日、楽しかったことや悲しかったこと、勉強で褒められた、といった内容が幼さを感じさせる文字で綴られている。

 幸せな少女の日常を読み進めていく最中、目に留まった国名に俺は思わず手を止めた。

 

×月×日 曇り

 念願叶って、かの有名なファタリア王国に行けることになった!

 ロウェル国王の戴冠十年目を祝う使者にお父様が選ばれたみたい。御年二十六になる若き王が治めるかの地は、小国だけど素晴らしいところだと聞くから楽しみだわ。


 興奮しているのか、その日の字はよく踊っていた。

 四十五年前、狂王ロウェルの名と共に地図から消えた小国。大戦の引き金となったと言われる場所にアメリアお婆様が足を運んでいたという事実に俺は息を呑む。

 王の没年はたしか三十歳なので、お婆様がファタリアを訪れたのは大戦の四年前だ。


×月△日 晴れ

 ロウェル陛下と対面した。

 暇を持て余した賓客のために開催された非公式なお茶会だったから、私も参加させてもらえていたんだけどまさか陛下がいらっしゃるなんて!

 お父様よりずっと年下なのに、陛下は大変落ち着いた雰囲気の方だった。噂通り優しく穏やかで、私のために庭園の花を摘んでくださった。

 この花はしおりにして記念に持っておく予定!

 陛下の側にいらっしゃった騎士の方は、ファタリアの建国時代から王家に仕えている公爵家の方みたい。まるでマジェスタ王家に仕える我が家みたいだわ――。


 お婆様は丸々一ページ使って、ロウェル王と側近の騎士を褒め称えていた。

 当時の陛下は大変素晴らしい方だったらしく、帰国の日までお婆様は陛下と側近の騎士の話ばかり書いている。

 挟まっていたしおりを手に取れば、何十年も前に摘み取られたとは思えぬほど鮮やかな青い押し花が白い紙に貼られていた。陛下がくれたというこの花はファタリアの名産品だったらしい。

 しおりを元に戻し、続きに目を落とす。

 やがて一冊目を読み終えた俺は二冊目を手に取った。

 

△月○日 雨

 今日はファタリア前国王と前王妃様の告別式。

 土砂崩れに巻き込まれての事故だったというけれど……。

 陛下も民も悲しみに暮れていたわ。

 三年ぶりの訪問がこのような形であることを、とても残念に思う。


 日付を見ると、大戦の一年前のようだった。

 書かれている文字は一冊目よりも大分大人びていて、女性らしいものへと変わっている。


△月○日 晴れ

 マジェスタに帰る私と父を騎士様と新しく入った文官だという方が見送りにきてくれた。

 陛下のお気入りだという黒髪の文官様を騎士様も随分と信頼しているみたい。


 その文官は大層美しい人だったらしく、「夕日の所為か一瞬文官様の瞳が紅玉のように輝いて見えた」なんて記述もあった。

 ファタリアの前国王と王妃の告別式に参加し帰国したあと、しばらくの間お婆様は日記を書いていない。時期からいって、アメリアお婆様の父上が亡くなった頃なので、爵位を継いだりと忙しく、日記どころではなかったのだろう。

 再開されたのは、大戦に入ってからだった。


○月○日 雨

 生まれて初めて、人を手にかけた。


 久方ぶりに書かれていた日記はそれだけだった。

 震えた筆記で書かれている一文に、お婆様の深い動揺と恐怖を感じる。

 その日を境に再び綴られはじめた日記は、戦での懺悔をしているようだった。

 人の恐ろしさや仲間を失う悲しみ、守るべき民を戦場に送りださなければいけない苦悩。

 十四歳の少女が過ごした日々が記されたそこに、一冊目を書いていた時の無邪気さはなく、マジェスタを守るため戦ったアギニス公爵がいた。

 簡潔に書かれた日記からアメリアお婆様の心情を紐解くのは難しい。

 しかし震えていることの多かった文字が綺麗な線へと変わりゆく中に少女の成長を感じ、羽ペンを折ったと思われる痕跡に戦争への憤りを感じた。

 そうして見つけたお爺様との出会い。


△月□ 晴れ

 雇った傭兵の中にもの凄く強い槍使いがいた。

 彼のお蔭で沢山の兵が死なずに済んだ。だからお礼を言いにいったというのにあの男!

 平手ではなくて拳を叩きこんでやればよかったわ!


 報告書のように端的だった日記の中に感情のまま書きなぐったものが交じりはじめる。

 お爺様らしき人物が出て来る時のアメリアお婆様は大抵苛立っており、よく結婚に至ったなと素直に感心した。

 そうして中ほどまで読み進めた頃だろうか。

 日記の中のお婆様はとある者達に注目するようになる。


□月○日 曇り

 荒れた戦場だと思っていたら、不思議な術を使う敵兵が捕えられたという報告があった。


 特殊なスキルなのか一族秘伝の魔法なのかわからないが、よろしくない能力を使う者達が戦場にいると書かれている。

 お婆様はその者達を異能者と称し、戦場に出る度に彼らと出会うようになったようだ。


□月×日 雨

 今日の戦場にも異能を持つ者がいた。彼らの異能には兵の恐怖や苛立ちを煽る効果があるらしく戦が必要以上に荒れる。何が目的なのかは知らないが、恐ろしい能力だ。


□月△日 曇りのち晴れ

 異能を持つ彼らにも友人がいて家族がいて愛する者が居る……。

 陽光の下、剣を手に取り恋人の仇討を叫んだ彼女の瞳は血のように赤かった。

 異能を持つ彼らの共通点は黒目黒髪だと思っていたが、黒と見紛うような赤だったのだと私は今日初めて知った。

 なぜ今まで気付けなかったのかと不思議に思ったが、日記を読み返してみると彼らに会った日は曇りと雨ばかりだった。

 思わず魅入ってしまいそうになるあの赤色。見覚えある気がするのは気のせい?


 珍しく長い文章だと思いながら読んだ内容に息を呑む。

 黒と見紛う赤。ユリアとマリスが纏う色だ。

 また『彼らの異能には兵の恐怖や苛立ちを煽る効果がある』という文面で思い出すのは、婚約式前にユリアが魔術師団本部に侵入し壊した魔道具。あれにはたしか人を暴れさせる効果があったと聞く。

 それから嫉妬と憎悪に囚われたゼノスの姿と、俺になんらかの魔法を掛けようとして『お前はもう使えない』と言ったマリス。

 ユリア達の一族が持つ異能は恐怖や苛立ち嫉妬や憎悪といった負の感情を煽るものだと仮定すると、地下牢でマリスが俺に向かって発した言葉の意味が理解できる。

 槍の勇者になれないと知り絶望していた頃と違い、立ち直った俺には煽るべき負の感情がなかったから異能を使おうにも適さなかったのだ。


『――いい駒になっただろうに、残念だ』


 目を伏せそう呟いたマリスを思い出しゾッとする。

 彼奴はアギニス公爵家の継嗣を手駒にして、なにをさせようとしていたのか。

 ドキドキと逸る心臓を抑えながら、俺はお婆様の日記の続きを読む。

 どうやら異能者達の正体を掴みきる前に大戦は終結したようで、『明日はエピス学園の入学式』という文章があった。

 片面が白紙だったのでここで終わりかと思いつつ、残り僅かとなったページをめくる。すると、終わり間近に再びアメリアお婆様のものと思われる字で日記が綴られていた。

 一冊目に書かれていた文字の面影を残しつつも、遥かに美しく流れるように綴られた貴婦人の筆記だ。


○月×日 晴れ

 生まれたばかりの我が子と散歩していたら、十年ぶりにあの黒と見紛う赤を見た。

 民も私達もようやくあの頃を忘れようとしているのに……。


○月△日 雨

 ……思い出した。

 ファタリア王国にもあの赤を持つ者がいた。

 ロウェル陛下のお気入りなのだと騎士様が連れてきた黒髪の文官。

 一瞬だったけど、彼の瞳が最高級の紅玉のように輝いたのを私は見ている!

 なぜいままで思い出せなかったのっ! 

 思い出せていたならいまもまだ――。


□月○日 晴れ

 彼らについてもう一度調べ直そうと思う。

 ゼノ様やセバス、セルリーお兄様に守られながら我が子を愛しむ日々は捨てがたいけれど、私はアギニス公爵家の直系。マジェスタを守る者だもの。

 ゼノ様に公爵位を譲った今も、父から継いだ誇りは胸にある。

 なによりアランには平和な世を生きてほしい。

 だから私は戦うわ。父や祖父、祖先がそうしてきたように。

 もしかしたら、志半ばで命を奪われるかもしれない。

 だから親愛なる我が友に、この日記とアギニス公爵家の歴史を預けることにする。

 教えたとしてもゼノ様では口伝を覚えきれないと思うし……。


 生まれたばかりの我が子のために、異能を持つ一族の者と戦うと決めたアメリアお婆様の覚悟が力強い字で書かれていた。

 俺は震える指先で、最後の一ページを捲る。



アギニス公爵家の子孫へ

 

 これを読んでいるってことはあの子に会ったのよね? 

 人見知りだけれど、純粋で可愛い子だから仲良くしてあげてね。

 私は草葉の陰から見守っているわ。

 

 私が目的を達成し、正しくアギニス公爵家の歴史が継がれていることを祈っている。

 でも、もしも歴史が途絶えることがあったなら、一緒に入っていた青い本を役立てて。私が父から教わった我が家の軌跡を書いておいたから。

 それから、この日記に書かれていた異能の操る一族を探してほしいの。

 第二の狂王が生まれる前に。


 私はマジェスタを守るだけで精一杯だった……。

 ファタリアを、優しかったロウェル陛下や騎士様、かの地に住まう人々を助けてあげることができなかった。

 どうか同じ過ちを繰り返さないで。

 アギニスの血を継ぐ貴方ならできるわ。絶対に。


 アメリアお婆様の署名と共に、日記はそこで終わっていた。

 上がる脈拍と比例するように冷えゆく手で俺は本を閉じる。

 次いで無意識のうちに詰めていた息を吐いた。


 ――俺が第二の狂王だったかもしれない。


 いや、少なくともマリスはそのつもりだった。

 深淵の森で出会ったマーナガルムやエーデルシュタインの王太子と侯爵子息が起こした誘拐騒ぎ。それからマジェスタの王都に集められた傭兵達とゼノス、アラクネが率いていた魔獣の群れ。

 どれも、事が成っていたら国が揺らいだだろう。

 マリスはどこかの時点で俺を手駒に加え、アギニス公爵家継嗣という立場を使って戦争の引き金を引かせようとしていたのだ。


 ファタリアのロウェル国王陛下と同じく、この俺に!

 

 沸々と込み上げる怒りと同時に想うのは、アメリアお婆様とファタリアの民、それからロウェル陛下の無念である。

 賢君と名高かった王の突然の変貌は、仕組まれたものだった。敬愛する王に裏切られた民と、大切に愛しんできた国を崩壊させたロウェル陛下の絶望はいかほどか。

 その手を血で染め築いた平和を甘受する間もなく謀殺されたであろうアメリアお婆様と、彼女を守りきれなかったお爺様やセバス、セルリー様が味わった感情など想像もつかない。


 ――はっきりさせなければいけない。


 マリスと再び相間見える日に備え、ユリアやその同胞達が敵なのか味方なのか白黒つける必要がある。彼女が話してくれるのを待つなんて悠長なことは言っていられない。

 マリスは地下牢での邂逅で俺を使えないと判断した。ならば、次の準備に取り掛かっているはずだ。


 ――マジェスタは勿論、何処の国もファタリアの二の舞にはさせない。


 そう強く誓った俺は寝台に広げた本を丁寧に布に包み亜空間しまう。次いで予備として入れてある服へ着替え、エスパーダとオレオルを腰に佩く。

 向かうは魔法科のセルリー様の研究室。そこでユリアはセルリー様やフィアと共に寝起きしている。


「ラファール」


 彼女との繋がりを引きながら呼びかければ慣れ親しんだ風が頬を撫でる。


『――なぁに? 愛しい子』

「人目につかないようユリアを訪ねたいから運んでくれ」


 そう言って掌を差し出せば、実体のない手が重なった。


『貴方が望むなら』


 ふわりと温かい風が俺を攫う。

 魔力の揺らぎを感じるか否かといったところで、笑みを浮かべたラファールが告げる。


『ついたわ』


 天井近くに浮き上がった彼女を追うように緑の髪が踊り俺の視界から消えゆけば、驚き固まるユリアが目に映る。

 メイド服を着たままの彼女は休んでいたわけではなさそうで、表情に出さないものの俺はこっそり胸を撫で下した。


「急に悪いな」

「い、いえ」


 俺が纏う固い雰囲気に気が付いたのか、いつも以上にユリアは委縮する。

 怖がらせているとわかっていても、込み上げる感情を抑えられないことを自覚している俺は、せめて彼女に八つ当たりしないよう気をつけながら会話を進めていく。


「時間があれば、心の整理がついて自分から話してくれるのを待ちたかったのだが、そうはいっていられない事情ができた」

「!」


 俺の意図を察し顔を強張らせたユリアへ募る罪悪感に蓋をして、最終通告を突きつける。


「四十五年前の大戦でユリアの一族がファタリアのロウェル陛下にしたことを話してくれ」


 俺がそう告げた瞬間、ユリアは完全に言葉を失った。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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