第百八十話
『――――アギニス? ……あの子、アメリアも、そう名乗っていたわ』
そう尋ねる土の精霊の声は震えていた。しかし、焦げ茶色の瞳には喜びが滲んでおり、俺を真っ直ぐ見つめている。
「アメリアお婆様を、ご存じなのですか?」
『勿論! アメリアは私の親友なのよ』
零れ落ちた質問に顔を綻ばせた土の精霊は、胸を張ってそう答える。
『アメリアをお婆様って呼ぶっていうことは……?』
「私は孫にあたります」
『孫ということは、アメリアの子供の子供ね? そういわれてみれば、魔力の質が少し似ているわ』
嬉しそうに尋ねる土の精霊に頷いて見せれば、彼女は満面の笑みを浮かべ側に寄ってくる。
先ほどまでの人見知りは何処へやら。興味津々といった様子で周りをウロウロし始めた彼女は、どうやら俺を観察しているらしく『口元と鼻筋は似ているかも。それに旋毛の巻き方が一緒だわ。他には――』などと楽しそうに呟いている。
――まさか、アメリアお婆様の名が出て来るとはな。
アメリアお婆様の面影を探す土の精霊に気が付かれぬよう、俺はこっそり息を吐く。
生まれる以前に亡くなられたが故に、俺はアメリアお婆様についてほとんど知らない。
お爺様も父上やセバスもお婆様の話を避けている節があり、周囲の雰囲気を感じとったのか母上も話題にあげることはなかった。そのため俺も物心つく頃には、お婆様に関しては尋ねてはいけないのだと、なんとなく思っていたからだ。
決して興味がなかったわけではない。ただ、一度も会ったことのないお婆様よりも、目の前にいるお爺様や両親、セバスの方が俺にとっては大事だったのだ。
肖像画に描かれた姿と、一時とはいえ女の身でありながらアギニス公爵を継いでいたこと、セルリー様と幼馴染で優しく芯の強い女性だったこと。
たったそれだけの情報が、俺の中でアメリア・フォン・アギニスという女性を形作るものだった。
それが変化したのは今年の夏。
お爺様がご自身のルーツを口にする中で零された『儂を平手で打つような者はアメリアだけじゃて』という言葉から、勝ち気な女性だったのかなという予想が加わった。
そして最近見かけた夜間外出を申請した生徒の記録。深窓の令嬢といった風貌の人が、戦士科だったことに驚いたのは記憶に新しく、戦闘訓練の代表者として残っていたお婆様の名から、常に人の輪の中心にいる活発な少女の姿を想像した。
そしてたった今加わった【土の精霊の親友】という肩書。
ここ数ヶ月でお婆様に対するイメージは大きく変わり、それと比例するようにアメリア・フォン・アギニスという人物が肖像画の中の人から、俺の祖母として形を成していく。
――この出会いは偶然か、必然か。
お婆様について知りたいと考えるようになった矢先に出会った、祖母の親友を名乗る土の精霊にそんなことを思う。
今は亡き祖母の話を聞けるかもしれないという期待に胸を膨らませながら、俺は土の精霊の気が済むまでじっと待つ。
その最中、心配そうに様子を窺っているバラド達の姿が目に映る。大丈夫だと声をかけようかと考えたが、ラファールやアルヴィオーネが状況を説明しているようなので止めた。急に動いたりして、土の精霊を驚かせては大変だからな。
そうして、俺とお婆様の共通点を探す彼女を刺激しないよう待つことしばし。
一通り観察して満足した土の精霊は、しみじみと感嘆の息を吐いた。
『――以前アメリアが息子だと言って見せてくれた子は、こんな小さな赤ん坊だったのにもう孫がいるなんて。人の成長は本当にあっという間ね』
腕に赤子を抱く仕草をしながら、当時の父の大きさを伝えようとする彼女の言葉に息を呑む。わざわざお婆様が見せに来たということにも驚いたが、一体祖母はどうやって土の精霊と父上を対面させたのか。
契約している精霊は繋がりがあるので、どこにいようと呼びかけに応じてくれる。けれども、お婆様が精霊と契約していたという話は聞いたことがない。
なにか土の精霊と言葉を交わす方法があったのか。しかし、特別な連絡手段を用意するほど親しかったのならば、なぜお婆様と土の精霊は契約に至らなかったのか。様々な疑問が頭を駆け巡る。
――契約できない理由がお婆様か土の精霊にあったのか?
色々考えるも結論などでない。しかし、その答えを知っている人が目の前にいる。
俺は逸る気持ちを落ちつかせながら、彼女を怯えさないようゆっくり口を開いた。
「父に会ったことがあるのですか?」
『ええ。学園の外にある森までアメリアが来てくれたの。少し会わない間にとても綺麗になっていて、赤ちゃんを抱きながら幸せだって言っていたわ』
そう言って嬉しそうに目を細める土の精霊もなんだか幸せそうで、お婆様のことを本当に大切に想っていることが感じられたが、肝心の答えを得ることはできなかった。
なんと問いかければ、核心を突くことができるのか。
朗らかに笑む土の精霊を前に俺がそう悩んでいたその時、それまで黙っていたアルヴィオーネが声を上げた。
「――ねぇ、この地に住まう土の精霊さん。ご主人様と盛り上がっているところ悪いんだけど、そろそろこっちの子達にも見えるよう姿を現してくれないかしら? いちいち通訳するのが面倒だわ」
そう告げたアルヴィオーネの手は、逃亡防止のためか土の精霊の肩に置かれている。しかしいきなり本題に入ったりせず、一度呼びかけてから話し始めたあたり、彼女も土の精霊の性格を考慮しているようだ。
そんなアルヴィオーネの配慮が功を奏したのか、土の精霊は肩を跳ねさせたものの、再び土に潜ることなく辺りを見回す。そしてバラド達の姿を視界に収め頷くも、すぐに困った表情を浮かべた。
『わかったけど……私が姿を現しても大丈夫? アメリアの孫は平気そうだけど、人の目に映るほど魔力を高めたら他の子供達は辛いのではないかしら?』
「土人形に入ればいいじゃない。人の子に噂されるくらい姿を見せているのだから、土人形に入れは問題ないんでしょ?」
『! そうね。そうするわ』
アルヴィオーネの言葉にハッとした表情を浮かべた土の精霊は、いそいそと大地へ手を伸ばす。と次の瞬間、地面から発せられる魔力が高まり、土がサラサラと音を立てながら天に向かって渦巻いたかと思えば、徐々に見覚えのあるフォルムを形成していく。
そうして出来上がった黒猫の土人形に、土の精霊が喜々とした様子で入る。すると物言わぬ猫の土人形の毛皮が艶を持ち、その目に輝きが灯った。
「――これで、見える?」
高級感溢れる黒猫が焦げ茶色の瞳で俺を見上げながら、そう問いかける。
……なぜ黒猫?
そんな疑問が脳裏を過ったが、とりあえず期待に満ちた目で俺を見る彼女の質問へ答えるべく、バラド達に目を向けた。すると皆なんとも言えない表情を浮かべながらもしっかり頷いたので、俺は旨を土の精霊に告げる。
「見えているようですが……」
そこまで口にしたところで俺は土の精霊の性格を思い出し、続けたかった言葉を呑み込んだ。代わりに、恐らく皆も思っているだろう疑問を胸中で紡ぐ。
なに故黒猫なんだ? いや、可愛いけど。艶々の毛並とか、滅茶苦茶触ってみたいけど。なぜ人型ですらないんだ? というかこの案件は突っ込んでいいのか?
想像以上に繊細だった土の精霊を思い出し口にするのは思い留まったが、計り知れない彼女の思考回路に心の中で疑問符を飛ばす。
思い切って聞くべきか、触れずにスルーするべきか。バラド達から物言いたげな視線を感じながら葛藤すること十数秒。
これ以上黙り込んでいると土の精霊に不審に思われてしまう、早く結論を出さなければと俺が胸中で焦りまくっていったその時、アルヴィオーネが動いた。
「なんで黒猫なわけ? どうせなら自分の人形作ればよかったじゃない」
「自分の人形を作るのは、なんだか、恥ずかしくて……」
「まぁ、可愛いけどね」
黒猫の喉元を撫でながら躊躇なく尋ねたアルヴィオーネに、土の精霊はもじもじと尻尾を動かしながら答える。
そこにフィアとラファールも加わり、黒猫(土の精霊)を撫でまわす。
「すべすべ!」
「じんわり温かくて本物みたいね」
「人の子らを垣間見るために、頑張って練習したから」
照れながらも嬉しそうに答える土の精霊は、ご機嫌なのか声が弾んでいる。
――聞いてよかったのか。
アルヴィオーネ達に構われながら、尻尾で群がる山の妖精達を転がす土の精霊を眺めながらそんなことを思う。今一つ、彼女の琴線がわからない。
まぁ、それはどの精霊に関しても言えることだが……。
和気藹々としている彼女達を眺めたあと、どこかやりきれない感情を胸に抱きながら、ぼんやり夜空を眺める。
そうやってしばらくの間月の眩しさに目を細めていると、テシテシと靴を叩く感触がした。
ともすれば気の所為かと思うほど軽い感触に視線を落とせば、アルヴィオーネ達と戯れ終わった土の精霊様が、俺の靴に小さな手を乗せながらこちらを見上げていた。
「貴方達を、私の住処に招待してあげるわ」
俺やバラド達へ順々に視線を向けながら土の精霊がそう告げれば、ジェフやソルシエ達から嬉しそうな声が上がる。精霊直々に住処へ招待してくれることなどそうそうないので、当然の反応だ。
喜ぶジェフ達の反応が嬉しかったのか、黒猫は楽しそうに目を細め弾んだ声で告げる。
「アメリアも【秘密基地】みたいだって言って喜んでいたから、きっと楽しいわ」
「本当にいいのですか?」
「勿論。そこでもっとアメリアのお話を聞かせて?」
確認の言葉に頷いた土の精霊は、そう俺に告げるとスクッと四本足で立ち上がる。
そんな彼女に俺は「はい」と答えかけて、止めた。
アメリアお婆様の話をしようにも俺はほとんど彼女を知らない。そのことを土の精霊に伝えようとしたが、俺は時同じくして気が付いた違和感に息を呑む。
――そういえば、亡き友の孫と出会ったにしては明るすぎないか?
普通、親しくしていた故人を思い出させる人物が目の前に現れたら、多かれ少なかれ感傷に浸るものだろう。
しかし、土の精霊は俺がアメリアお婆様の孫だと名乗ってから、始終ご機嫌だった。
俺の中にお婆様の面影を探している時も、ずっと。
――もしかして彼女は、お婆様が亡くなられていることを知らないのではないか?
思い至った結論が、胸にストンと落ちる。
同時に、心臓をわし掴みにされたような痛みを感じた。
「アメリアを招くために作った入り口がこっちにあるから、皆着いて来て?」
「「はい!」」
歩き出した土の精霊にジェフとフィアが元気に応え、重なり合った二人の声を皮切りに皆が動き出す。
そんな中、俺は足を踏み出せずにいた。
お婆様の孫だというだけであれほど喜び、幸せそうに在りし日の思い出を語った土の精霊になんと言って祖母の死を伝えればいいのか。考えれば考えるほど胸が痛み、言葉が出ない。ついには、このまま誤魔化せたらという邪な気持ちが顔を覗かせるが、土の精霊からの無邪気な問いかけにそんな感情は霧散した。
「そういえば、最近アメリアから連絡がきてないのだけれど、元気にしているの?」
その言葉に、バラド達がピタリと足を止める。そして振り返り俺を見た彼らは目を見張り、息を呑む。
どうやら俺は随分と酷い顔をしていたらしい。バラド達の反応を見てそう気が付いた俺は、感情を落ちかせるため目を瞑り大きく息を吐く。
そうしてゆっくり目を開ければ、美しい黒猫が不思議そうに俺を見上げていた。
「どうしたの?」
いつの間に戻ってきたのか、土の精霊は俺の足元に座り込み首を傾げる。
「土の精霊様」
真っ直ぐ見上げてくる焦げ茶色の瞳に覚悟を決めた俺は、そう言って彼女の前に跪き、その小さな黒猫の手を取った。
「私は間違いなくアメリアお婆様の孫ですが、大変残念なことに彼女とお会いしたことがないのです」
「会ったことがないの?」
空気の変化に不安そうな表情を浮かべながらも、土の精霊様は俺にそう尋ねる。
「はい」
「それはなぜ?」
彼女から発された当然の疑問に、俺は言葉を詰まらせる。
しかし、逸らされることのない視線に意を決し、口を開いた。
「アメリアお婆様は、私が生まれる前にお亡くなりになられています。だから私は、肖像画に描かれたお婆様しか存じ上げません」
「!」
精霊であることを考慮して言葉を濁すことなく告げれば、彼女は目を見開いた。
そして、
「アメリアに渡した石が反応しないわ。いつも身に着けていてくれたのに……」
消え入るような声そう呟くと、黒猫の目からポロポロと透明な石を零す。
「アメリアは、死んでしまったの?」
「はい」
「もう、アメリアには会えないのね?」
「はい」
焦げ茶色の瞳を真っ直ぐ見返しながら、震える声で確かめるように問う土の精霊へ応えれば、その都度小さな滴が地に落ちた。
「――そう」
彼女の短い呟きが、胸を締め付ける。黒猫の目から涙の代わりに溢れ出る透明な石は、地面に吸収されることなく降り積り、彼女の悲しみを切々と感じさせた。
『……土の精霊様』
山の妖精達が泣き続ける彼女にそっと寄り添う。
しかし、フィアやアルヴィオーネ達はなにも言わなかった。
そうして体感としては長く、時間としては数分だろう時の間、零れる涙を見続けていると伏せられていた焦げ茶の瞳が俺へと向けられる。
「ついこのあいだ、幸せそうに息子を見せに来たと思っていたら、もうこの世にいないなんて、人の生は儚いわ」
土の精霊が呟いたその言葉に、俺は答えることができなかった。しかしそれでよかったのか、彼女は零れ落ちる滴を振り払うように首を振ると、再度俺へと視線を定める。
「とても寂しい……でも、アメリアはその命を次の世代へ繋いだのね。だから巡り巡って貴方が今、私の前にいる」
「はい」
土の精霊が自身に言い聞かせるように紡いだ言葉を力強く肯定すれば、彼女の雰囲気が和らいだ気がした。
「――アメリアはちゃんと人の営みを果たした。ならば、私が彼女の死を嘆き続けるわけにはいかないわ」
そう告げた彼女は数秒、黙祷を捧げるように目を閉じる。次いで目を開けた黒猫は、目尻に乗った透明な石を前足で拭い落とすと四本の足で立ち上がった。
そしてくるりと身を翻すと、声を弾ませ告げる。
「行きましょう? アメリアが【秘密基地】と呼んだ私の住処には、彼女が持ってきた物が沢山残っているわ」
「はい」
歩き出した土の精霊の背にそう応え足を踏み出せば、皆もゆっくりと動き出した。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




