第百五十三話
――オォォオオォォォ!
その雄叫びは、吹き荒んだ風が洞窟内でこだましたような音だった。
マーナガルムや魔獣と対峙する時に聞く、死への恐怖や敵への怒りが籠った雄叫びとは違う無機質なそれは、声というよりも音に近い。
魔獣の体長は目算で九メートル。見上げるには少々首が疲れるが、以前対峙したスライムを思えば小さいと表現できるサイズだ。恐怖心は湧かない。
見えているのかいないのかよくわからない空虚な目は、何もない宙を見つめている。方々に伸ばされている蔓は、何かを探すようにゆらゆら揺れていた。
……自我があるというよりは、本能的に捕食している感じか?
未だ攻撃してこない魔獣に、そんなことを考える。
試しにエスパーダを振って氷の塊を飛ばすも、反応はない。動いているものに反応しないのなら温度かと、己から少し離れたところに火球を作る。
野球ボールぐらいの子供でも作れるサイズだというのに、先ほどよりも多くの蔓が一斉に火球へと向かっていった。
どうやら魔獣は獲物の動きというよりも、熱源に反応しているようだ。しかし、エスパーダを握っている所為か俺には反応しないし、後方に撤退した魔術師達を襲う気配はない。温度に対する感度は低く、感知できる範囲もそう広くないようだ。
群がる大量の蔓をエスパーダで斬れば、凍り付いた蔓の先端が音を立て床に落ちる。火球を消し、残りはオレオルで斬る。
大量に蔓を減らされた魔獣が再び、雄叫びを上げる。魔獣の感情を表した声というよりも蔓を減らすと反射的に出る音なのだろう。風が鳴るような音を聞きながら、俺は魔獣が広げている蔓を観察する。
凍った蔓は再生しないみたいだな……。
ゆらゆら揺れる蔓の中には、先がとがっているものと断面を晒したままのものがあった。オレオルで斬った蔓はすぐに再生していたので、氷魔法の影響だろう。
氷魔法が有効ならば、すべて凍らせてしまえば済む話だ。
しかし、それはサナ先輩を救出した後の話。健康な状態ならばまだしも、今のサナ先輩を急激に冷やすのはよろしくない。
サナ先輩の顔色は、先ほどより明らかに悪かった。気の所為かもしれないが、見えている面積も減っているようにも見える。植物型の魔獣は、獣型の魔獣や人を襲い糧とすることが多いため、サナ先輩がこの魔獣の餌にされている可能性は高い。魔獣を凍らせてからの救出では、先輩の体が持たないだろう。
蔓の性質を観察するためもう一度、先ほどよりも離れた場所に火球を出す。思った通り火球に向かった蔓を、エスパーダで斬る。しかし今度は、斬った断面だけ凍るよう威力を下げた。
全体を凍らせるのが不味いのなら、断面だけを凍らせるしかない。その場合、本体から離れた蔓がどんな反応をみせるのか知りたかったのだ。
落ちた蔓の先端は、本体と離れたというのに動き続けている。しばし観察すれば、凍った断面に動きはないが、やがて蔓の先端が丸まり葉をつけて動かなくなった。
よくよく周囲を観察すれば、先ほど魔術師達が削いだ蔓からも葉が出ており、中には小さな芽を出しているものまである。
落ちた蔓から芽吹く様に、俺はマザーリーフと呼ばれていた植物を思い出した。
火球を消し、床に落ちた蔓すべてが凍るよう氷魔法を使う。
マザーリーフは無性生殖の植物で、成葉を土に埋めたり水につけておくと数週間で多くの不定芽を出す。理科の授業などで、たまに教材として使われるやつだ。他にも挿し枝や分球など、種子を残す以外の方法で個体数を増やせる植物は多い。
目の前の魔獣がそういった性質を持つならば、散らばった蔓を放置するのは危険だ。芽が育つには時間がかかるようなのが、不幸中の幸いである。
これ以上成長しないよう芯まで凍らせ、魔獣を見上げる。
――早くサナ先輩を助けて、燃やそう。
思い出した植物の性質と徐々に埋まっているサナ先輩の姿に、俺は刀を握り直す。
これ以上奥深くに呑みこまれては、先輩の居場所がわからなくなり危険だし、攻撃もし難くなる。そうなる前に、救助してしまわなければならない。
俺はラファールに声をかけ、走り出す。
「ラファール、サナ先輩を蔓ごと斬りだすから受け止めてくれ」
「任せて!」
彼女の返事を聞きながら、魔獣を斬る。
救助方法は単純。だるま落としの要領で、魔獣の胴体からサナ先輩の高さ分抜く。蔓から芽が育つには時間がかかるようなので、すぐに蔓から引き離せば問題ない。
まずは上部。サナ先輩の頭の上辺りを、十分な余裕を持たせエスパーダで斬る。次いで足先から下も余裕を持たせ斬り離し、横に蹴り出した。
少々手荒だが、ラファールが優しく受け止めてくれるので問題ない。
宙に浮くラファールと蔓の塊を見届けた後、俺は魔獣と向き合う。
雄叫びというには甲高い、虎落笛のような音を出しながら失った胴体を再生している魔獣に駆け寄る。そして、今度は全力で斬った。
「【氷柱】」
魔獣の双眸を斬り分けるよう、縦に一閃。
同時にスキルを使えば、天井を支えるように魔獣入りの氷柱が立つ。
「【乱斬り】」
念には念を入れて、氷柱ごと魔獣を斬り刻む。オレオルとエスパーダ、二刀で行った所為かスキルが終わる頃には、魔獣は木くずのようになっていた。
部屋の中央にできた氷交じりの木くずの小山から目を逸らし、俺はラファールを呼ぶ。
「ラファール、サナ先輩を」
「はい」
刀を鞘に仕舞った俺は、ラファールからサナ先輩を受け取る。そしてお礼を言いながら、もう一つお願いをした。
「ありがとう。それから、扱き使って悪いんだが、下からエルヴァ様を呼んできてくれないか。さっきいた牢の近くに、ガルディやリェチ先輩と一緒に居るはずだ」
「気にしないで。ガルディ達と一緒にいるエルヴァさんね? すぐに連れてきてあげるわ、愛しい子」
ふんわり笑い姿を消したラファールを見送り、俺は蔓を引きちぎりに入る。一本一本氷魔法をかけ引きちぎっていくのは面倒だが、体温低下はサナ先輩の体力を奪う。
なるべく負担をかけないよう表面の蔓を取り除き、塊の中に両腕を突っ込んだ。締めつけようと蠢く内部をこじ開け、先輩の背に腕を回す。そして、蔓の塊を片足で押さえ引き抜く。ズルリとサナ先輩を取り出し終えたところで顔を上げれば、駆けよってくるジョイエ殿達の姿が見えた。
「――ドイル様、なにか我々に手伝えることは?」
「それならば、あそこの木くずと床に散らばった切れ端、あとここにある蔓も焼いていただけますか。跡形もなくすべて。どうやらこの魔獣は、斬り落とされた蔓からも増殖できるみたいなので」
ジョイエ殿の言葉に答えながら、近くにあった蔓に足を乗せ示す。行儀悪く大変失礼だが、両手はサナ先輩で塞がっているので勘弁してほしい。
ゴロ、と踏んでいた蔓を転がし生えた芽を見せれば、ジョイエ殿の表情がみるみる変わる。
「ただちに――皆、聞いていたな? 中央には僕が行く。皆は手近にある蔓から焼き払え!」
「「「「「はい!」」」」」
ジョイエ殿の命に従い散った魔術師達が、近くの蔓へと火魔法を繰り出す。その際、蔓が凍っているため一撃で焼けず、苦戦している魔術師が見えた。
その様子に氷魔法を解こうかと思ったが、一人で無理と悟ると彼は近くの者と協力し蔓を焼き始める。
――流石、宮廷魔術師。冷静だな。
己の能力不足を認め、落ち着いて場へ対処する姿に感心する。この様子ならば、わざわざ氷魔法を解く危険を冒す必要はない。
そう考えている間に、ジョイエ殿はサナ先輩を包んでいた塊を焼き終えていた。次いで、彼は俺の足元に転がっている蔓へと目を向ける。
「足元、失礼します」
「こんな体勢で、すみません」
燃やしやすいよう移動し謝れば、ジョイエ殿は小さく笑う。
「お気になさらず。それよりも後始末は僕達に任せて、ドイル様はその子を――」
火魔法で蔓を処分したジョイエ殿は、次いで俺に告げる。
とその時、彼の後ろに俺が待ち望んでいた姿が現れた。
「すみません、ジョイエ殿。エルヴァ様、急患です!」
真剣な表情で忠告しようとしてくれたジョイエ殿に詫び、叫ぶ。
ラファールに連れてこられたエルヴァ様達は、急な移動に目を白黒させていたが、『急患』の言葉に素早く反応した。
「サナ!」
そう叫んだのは、誰だったのか。
エルヴァ様もリェチ先輩もティム殿も、俺の腕の中にぐったりしているサナ先輩を見つけると、血相を変えて寄ってくる。
「ドイルお兄様、ここにサナを寝かせてください」
清潔そうな白い布を広げたリェチ先輩の指示通りサナ先輩を寝かせれば、ティム殿に状況を問われる。
「サナはどういった状況で、このような状態に?」
「俺がきた時には取り込まれていたので、どういった経緯かはわかりません。蔓が寄り合わさった、木型の魔獣の中に取り込まれていました。位置的には幹の上方でしたし、助け出した時に根を張られていると言った様子はみられず、締め付けられていた形です。助け出す際氷魔法を多用したので、体温低下の一因は俺にもあります」
「わかりました。そこの魔術師! それは焼かずにこちらへ持ってきなさい!」
エルヴァ様は俺の答えを聞くなり、近くにいた魔術師を怒鳴りつける。その剣幕に指名された魔術師はビクッと肩を跳ねさせると、いざ焼かんとしていた蔓を抱え走る。
「ど、どうぞ!」
「ありがとうございます。もう仕事に戻っていいですよ。ティム殿、毒性の解析をお願いします。リェチ君は私の手伝いを」
「「はい」」
魔術師から差し出された蔓をティム殿に渡したエルヴァ様は、リェチ先輩を助手に指名し診察を開始する。
ティム殿は受け取った蔓を検分すると、ハンマーとのみのようなものを手に蔓や葉、芽を削りだしていた。そして部位ごとに分け、試験管の中に入れていく。
三人の周囲にはいつの間か薬箱や様々な器具が並び、真剣な空気が漂っていた。
「……僕は魔獣達の後片付けをしてきます」
「……私も手伝いましょう」
声をかける隙もないその様子に、俺はジョイエ殿と顔を見合わせそっとその場から離れた。
サナ先輩が目覚めたのは、それから間もなくのことだった。
散らばった魔獣の残骸もすべて燃やし、灰も回収し終えた他の魔術師達は副官殿と共に周囲を見回りに行った。俺とジョイエ殿は残された数名の魔術師と共に、エルヴァ様達の邪魔にならないように控えている。
俺が散々素手で触っても大丈夫だったので、それほど心配はしていなかったが、魔獣に毒性はなかったようで。症状的にいえば、サナ先輩は魔力切れの状態に近かったようだ。
三人の治療の甲斐あって、白かったサナ先輩の顔はすっかり血色がよくなり、青ざめていた唇も赤く色づいている。
「もう大丈夫でしょう」
治療を終え、脈拍などを一通り確認したエルヴァ様が告げる。
その言葉に皆がほっと息を吐いたのを見届けたエルヴァ様は、道具を片付け始めた。
「ありがとうございました、エルヴァ様」
俺がお礼を言い終えると、時同じくして小さい声が辺りに響く。
「――ん」
「サナ!」
弾んだ声でリェチ先輩が呼びかければ、瞼が震える。
それから間もなくして、ゆるゆると瞼が持ち上がり、見慣れた浅緑色の瞳が現れた。
サナ先輩はぱちぱちと瞬きをした後、ゆっくり体を起こす。そして、きょろきょろと辺りを見回した。
忙しなく辺りを窺う姿に、異変はなく。体調に問題もなさそうで、俺は胸を撫で下ろす。
とその時、感極まったリェチ先輩がサナ先輩に抱きついた。
「よかったっ!」
そんな兄の様子に状況が呑みこめないのか、彼女は不思議そうに呟く。
「……リェチ?」
「無事でよかったよ、サナ」
「……ティムさん? え、なんでいるの?」
居るはずのない人の登場に、サナ先輩は目を瞬かせる。
驚きと混乱に満ちた彼女の表情に、片づけを終えたエルヴァ様が優しく問いかけた。
「貴方の身に何があったのか思い出せますか?」
「……起きたらリェチがいなかったから、探しにでて……それで、考え事してたら遠くまできちゃって……ドイルお兄様に迷惑かける前に、部屋に戻らなくちゃって思って……」
エルヴァ様の言葉に一旦考え込むと、サナ先輩は記憶を探るように言葉を紡ぐ。
「そうだ……三日後、王都に何かが来るから逃げろって、その人言って……男の人は消えちゃって女の人怒ってた。ドイルお兄様に伝えなくちゃって、思って!」
記憶があやふやなのか、たどたどしく言葉にしていたサナ先輩は、ハッと顔色を変えた。
「ドイルお兄様は!?」
「落ち着いてサナ」
「もう! ドイルお兄様に早く伝えなくちゃいけないんだってば! 赤い髪をした男の人と言い合ってたお姉さん、エーデルのメイドさんで! 王都は危ないから早く逃げろって、男の人が言ってて! メイドさんの目が赤く光って!」
病み上がりの妹を心配して制止する兄の肩を掴み、ガクガク揺さぶるサナ先輩の言葉に息を呑む。
赤い髪の男、赤い目をした女、同胞。
地下で会った男と交わした会話が、サナ先輩の言葉と共に頭の中で巡る。
地下牢で男と対峙していたあの時、他の大きな魔力にかき消されサナ先輩の魔力なんて感じなかった。だから、男の言葉に俺は動揺した。
同胞と対峙しているのがサナ先輩だと、なぜ言い当てることができたのか不思議だった。余程魔力探知に長けているのかと考えていたが、牢にきた時点で、奴が同胞とサナ先輩の邂逅を知っていたのなら納得だ。
恐らくサナ先輩が見た赤い髪の男は、俺が会った奴と同一人物。そして男の言う同胞、俺とジョイエ殿が追っていた人物は、エーデルの王太子付のメイドというわけだ。
クレア達の件があって今回エーデルの王太子達が宿泊しているのは、城から少し離れたところに建てられた客室棟だ。ジョイエ殿と追った魔力の残滓は、客室棟に続く回廊で途切れていたし、辻褄も合う。
となると、男が同胞に逃げろと忠告した理由が気になる。男とゼノスが親しげだったことを思えば、どう考えてもマジェスタにとって悪いことが起るのだろうが。
ストンと収まった考えに、ギリッと歯を噛む。悔しいが、後手に回っている。
猶予は三日、いやもうすでに日をまたいでいるので二日だ。
二日後は、俺とクレアの婚約式かある。恐らく、わざと重ねたのだろう。祝いのために国内外から多くの人が王都に集まるから、なにかするには丁度いい。
……あと二日で、何とかできるか? 何が起こるのかもわからないのに?
一抹の疑問が脳裏を過るが、その考えはすぐに振り払った。
この場で考えたところで答えなどでないし、行動しなければなにも変わらないのだから。
「あれ、絶対危ない人達だよ! 声聞いただけでぞわっとしたもん、ぞわっと!」
「……それはとても正しい感覚だと思いますよ、サナ先輩。俺も彼奴らは危険だと思います」
俺はそれ以上考えるのをやめ、未だリェチ先輩を揺さぶっているサナ先輩に声をかける。
今は少しでも情報がほしい。
「ドイルお兄様!」
「サナ先輩、そいつらは三日後にくる何かについて、他になにか言っていませんでしたか?」
「えっと、『あれらはすでに管理から外れてしまったから、変更はできない』みたいなこと言ってた気がします」
パッとリェチ先輩から手を離したサナ先輩は、俺を見て立ち上がるとそう答えた。
あれらは管理から外れた、か……。
男の能力は、転移となんらかの精神操作だ。俺に対し男は「もう扱えない」と言っていた。となると、男の支配下に置くにはなんらかの条件がある。そして、一度条件から外れたものを操作し直すのは難しい。
「――他は、ごめんなさい。覚えてないです」
耳に入ったサナ先輩の声に、我に返る。視線を落とせば、しゅんとした表情の先輩がいた。
落ち込んでいる様子の先輩を前に、俺は一呼吸置く。
サナ先輩は、逃げろと言って男が消えたと言っていた。消えた男の行く先が地下牢であったのなら、サナ先輩が男達を発見しあの魔獣に取り込まれるまで、そう時間はかかってない。俺が男と対峙していた時間より少し長いくらい。それで詳しい情報もなにもないだろう。
急く己の心にそう言い聞かせ、サナ先輩に話しかける。
「サナ先輩が謝ることではありません。病み上がりなのに、無理を言ってすみません。体調は大丈夫ですか?」
エルヴァ様の治療を受けたとはいえ、病み上がりは病み上がり。薬師という非戦闘職にある人だし、ましてやサナ先輩は女性、俺達と一緒にしてはいけない。
そう思っての言葉だったのだが、サナ先輩には不本意な言葉だったらしい。ムッとした表情を浮かべたかと思えば、勢いよく口を開いた。
「大丈夫です。それより、あの人達のこと調べないと!」
急に憤り始めたサナ先輩に、どうしたものかと思案する。
と、その時だった。
ザザ、ザザと波打つ水の音が何処かから聞こえる。
響く水の音に、そういえば魔獣に向けて水を撒いてもらったきりアルヴィオーネの姿を見てないことに気が付いた。時同じくしてフッと顔に影がかかり、俺は反射的に顔を上げる。
そして目に入ったのは、間近で俺を見下ろすアルヴィオーネと室内には不釣り合いな巨大な水球。
『詳しいことは、この子に聞いたら?』
得意げに笑うアルヴィオーネが示した水球の中では、地下牢で会った男と同じ、黒と見紛う赤を纏った女性が不機嫌そうに座っていた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




