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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
152/262

第百五十二話

「――ドイル・フォン・アギニスか」


 抑揚のない声だった。

 黒だと思っていた瞳は、灯された火の光を受け赤く輝く。その瞳が俺へと向けられた瞬間、ぞくりとした悪寒が背に走った。

 しかし、俺の目は縫い止められたかのように男から動かない。

 鮮烈な赤は妖しい輝きを放ち、恐ろしくも美しかった。


 ――吸い込まれそうだ。


 煌めく紅玉が、俺をじっと見つめる。

 周囲から音が消え、赤が視界を埋め尽くす。

 俺を包むその色に連想するのは、炎。身を包む炎は熱く、肌を焼く痛みを俺はよく知っている。炎を纏った槍は恐ろしく、掠っただけでこの身を削った。手合せ中のお爺様は容赦なく、身内に対する甘えは通じない。痛みに音を上げようものなら、俺に向けられたその瞳は瞬く間に失望に染まり――。

 

 ――違う。お爺様は、俺を己には勿体ない孫だと言ってくれた。


 思い出すは、お爺様から贈られた多くの言葉と温かく俺を見る真紅の瞳。

 確かに昔からお爺様は厳しかった。でも誰かのために纏う炎は熱くも頼りになって、厳しく見据える深紅の瞳の奥には思いやりがあった。お爺様の色は、こんな無機質な赤じゃない。

 そう思った瞬間、バチッと手の中にあったオレオルが爆ぜる。

 掌に走った痛みにハッと正気に返れば、そこは炎とは無縁な石壁で作られた地下牢だった。

 牢の中に目を向ければ、赤い硝子玉のような瞳が俺を見ている。


 その目を直視しないよう、僅かに視線を逸らす。

 どうやら俺は、あの男になんらかの攻撃を受けていたらしい。

 俺が見ていた光景は、男が創りだした幻というには、とてもリアルだった。お爺様の姿は勿論、槍を持ち直す時の些細なくせや炎が与える痛みまで、俺の記憶の中と寸分違わない。

 恐らく、男はこちらの記憶を元になんらかの影響を与える術をもっている。もしくは、俺と変わらないほどお爺様の動きを観察できる場所に居た。どちらにしろ、危険な男だ。


 侵入者を警戒しオレオルを握り直せば、手の中でもう一度、先ほどより小さい衝撃が走る。素材に龍が使われているだけあって、オレオルの魔法耐性は高い。故に、侵入者の魔法を弾いただけかもしれない。しかし、掌に二度感じた痛みは俺を叱咤しているようで、なんとなく心の中でオレオルに詫びる。

 次いで、男を警戒しながら辺りに視線を走らせた。

 ゼノスの手には、中身が半分ほど減った薬瓶がある。忌々しそうにこちらを見てはいるが、俺の態度に不自然さを感じている様子はみられない。


 そう時間は経っていないようだな……。


 ゼノスの様子を見るに、俺が惑わされていたのは少しの間だったようだ。

 倒れている騎士も目立った外傷はなく、血の匂いもしない。胸が僅かに上下しているのも見てとれるため、生きてはいるのだろう。

 駆けつけた時と変わらない状況に一息ついた俺は、改めて侵入者を見る。

 

「――やはり駄目か。早くに手を出し学園の教師に見つかっては面倒だと、機を待ったのは失敗だったな。いい駒になっただろうに、残念だ」


 じっと俺を観察していた男は、残念そうに目を伏せる。

 男の口ぶりからするに、あのまま幻影を見続けていたら俺は彼奴の手駒になっていたようだ。

 俺を使い彼奴はなにをする気だったのか。浮かんだ疑問に、胸がざわめく。

 とその時、男が動いた。


「行くぞ、ゼノス。もうここに用はない」


 そう言って男がゼノスに手を伸ばすと同時に、周囲の魔力が高まる。男は突然地下牢に現れた、とくれば移動に関するなんらかのスキルや魔法を持っていると考えるべきだ。

 奴には、どうやって現われたのか、ゼノスが持っている薬瓶はどこで入手し、どんな効能を持つものなのかなど、聞きたいことが山ほどある。みすみす逃がすわけにはいかない。

 そう判断した俺は、高まりつつある魔力を牢の格子ごと斬る。オレオルによって斬り裂かれた鉄格子は、ガラガラと派手な音を立てて転がった。

 鉄格子が石畳の上で弾む中、俺は侵入者と距離を詰める。そうして、牢屋と廊下の境目で足を止めた。

 逃がすくらいなら、とゼノス達ごと斬る気で放った一閃をひらりと躱した男は、牢の奥から俺を見つめていた。その片手にはゼノスが抱えられており、魔法だけでなく体術もいけそうな男の反応に内心で舌打つ。


 大の男を抱え、軽々とはな……。


 厄介な男だ。セルリー様達の目を掻い潜れる移動手段に、先ほど俺にみせた幻影、どちらもスキルによるものなのか、魔法や魔道具の類かもわからないため防ぐのは難しい。

 男はゼノスを抱え逃げても余裕があるくらいなので、腕力も反射速度もいい。直接戦っても、手強いに違いない。

 気を抜けば逃げられる。今だって、ゼノスがいなければ男はそのまま姿を消していただろう。

 男の一挙一動を警戒しながら、問いかける。


「そんなに急がず、ゆっくりしていくといい。お前には聞きたいことが山ほどあるんだ――俺を使ってなにをしたかったのか、とかな」


 男と目を合わせないように気を付けながら、反応を窺う。

 侵入者はゼノスを一瞥すると、俺へと視線を戻す。時同じくして、男を取り巻く魔力が動くのを感じた。


「安心しろ。俺ではもうお前を手駒にできない」


 そう告げた男が次の動作に移るよりも早く、俺は牢の奥へと跳ぶ。

 狭い牢屋内ということもあり、瞬く間に男との距離はなくなり、オレオルと男の武器が合わさる。

 ギリギリと金属が擦れる嫌な音が聞こえる。オレオルを受け止めた男の武器は、サバイバルナイフのような形をした、刃渡り二十センチにも満たない短剣だった。 

 片手でオレオルを受け止めた男の顔は涼しい。持っている短剣もごく普通の素材に見える。しかし、簡単には押し切れないほどの魔力が、短剣には込められていた。

 刃を合わせたまま、視線を一瞬落とす。どうも、ゼノスは気を失っているようだった。


 ……どうりで静かだと思った。


 一言も発しなかったゼノスに納得すると同時に、オレオルを握る手に力が入る。

 俺が鉄格子を斬る前までは確かにゼノスの意識はあったので、その後だ。俺の攻撃を避け跳んでいるうちに男はなんらかの行動をとり、ゼノスの意識を奪った。

 その素早さと、オレオルを片手で止めていることを合わせ考えれば、男が徒人でないのは明白だった。

 薄らと感じられる男の力の片鱗に、さてどうするかと思案する。

 戦って勝てるかと問われれば、答えは是である。男の動きは速いが、まったく見えないわけではない。魔法で補助すれば追える。本気で戦えば、負けることはないと思う。

 しかし、ここは城の地下だ。俺がここで暴れては、転がっている騎士を含め多くの人間を巻きこむだろう。お爺様との戦いのように、全力で戦うわけにはいかない。

 その上、男からは俺と戦う意思が感じられない。少しでも隙を見せれば、男はゼノスを連れ消えるだろう。

 逃げられないよう氷魔法でも使って足止めしたいところだが、水気のないここで男を氷漬けにするには数秒必要だ。男が転移する方が先だろう。

 オレオルに魔力を込めてこのまま押し切るか、とも考えるが全力を出すわけにいかない俺では魔力が籠った短剣を打ち破るのは厳しい。ラファールやアルヴィオーネの力を借りるにしても、彼女達を喚んでいる間に男は逃げる。

 男はそんな俺の葛藤を見透かしており、捕まらない自信があるのだろう。実際、少し怪我する覚悟で動けば、逃走する時間を作ることができる。

 俺と対峙しているのは、気まぐれだ。

 苦々しい思いで見つめれば、男はおもむろに口を開く。


「城に居る人間を見捨てられないお前に、俺を捕えることはできない。そう自覚しているのに、なぜわざわざ向かってくる?」 

「……お前には聞きたいことがある」


 答えれば、侵入者はしげしげと俺を眺める。そうして少し考え込むと、淡々と告げる。


「お前がもう使えないか確認するという目的は果たした。ゼノスも回収した。これ以上俺がこの城に留まる理由はない。この城に足を運ぶことも、もうないだろう。これでいいか?」

「なんのためにゼノスや俺が必要だったんだ?」

「それを知ってどうする? 聞いたところで、お前達と俺は相容れない」


 心底不思議そうな表情を浮かべた男に、肌が粟立つ。と同時に、俺は男の言葉にひどく納得した。

 最初に男と目を合わせた時にもあったこの感覚は、恐怖による悪寒でなく不可解なものに対する嫌悪だ。

 ゾクリと本能を刺激するこの男は、俺と同じ人なのだろうか。


「……お前は、一体何者なんだ?」


 気が付けばそんな言葉が、口から零れていた。

 そんな俺に、男は小さく笑う。


「何者か、か。また面白い質問をする」

「答えろ」

「二度と会わぬお前は、知る必要のないことだ。それより、俺に構っていていいのか? サナーレとかいったか。先ほどまでお前といた双子の片割れが、上で俺の同胞と対面していたようだが」

「なっ!?」


 男がそう言った瞬間、上で大きな魔力が動く気配を感じた。

 思わず天井を仰ぎ見れば、大きな魔力に次いで感じたことのある魔力が現れる。それはジョイエ殿のもので、彼の『大きな罠を張った』という言葉を思い出した。

 それはつまり、男の言うサナ先輩と対面している同胞とやらが、俺やジョイエ殿が追っていた者と同一人物ということで――。


「っ! まて」


 ハッと我に返った時にはもう遅かった。

 ゼノスを抱えた男の輪郭が揺らぐ。

 見る見るうちに二人の体は透け、石壁と重なる。


「今ので、人の子が集まっているようだな。彼奴は俺よりも弱いが、人間相手に後れはとらないだろう。早く行ってやった方がいいんじゃないか?」


 そう言い残し、男とゼノスは溶けるように消える。

 宙を切ったオレオルが石壁を傷つけるのと、短剣が床に落ちるのはほぼ同時だった。

 カランカランと短剣の転がる音が響く。

 一瞬の出来事だった。サナ先輩の名に気をとられ、男から注意をそらしてしまった。

 大した情報をも得ず男を逃がしたことに、チッと舌打ちしながら壁に食い込んだオレオルを抜く。とその時、背後に慣れ親しんだ精霊達の気配を感じた。


『客室棟に続く回廊の手前くらいのところで、この間の追いかけた魔力が大きく動いたわよ』

「そこに、この前会った魔術師達が沢山集まってるみたい」


 上の騒ぎを感じ俺の元へ姿を現したアルヴィオーネとラファールに、「もう少し早く来てくれれば」という言葉が喉元までせり上がる。

 

 ――二人に非はない。


 俺が喚ぶまでもなく、城内の異変を感じ自主的に来てくれたことを感謝すべきだ。

 ラファール達の力は目立つ。他国の護衛の中には二人の力を感じ取れる者もいるかもしれないと、アルヴィオーネが住処にしていた池周辺に留まるよう頼んだのは俺だ。

 人目を避けることばかりに意識がいき、ラファール達を側に置かなかった俺に文句をいう資格などない。

 今優先すべきは、サナ先輩だ。反省は後でいい。


「二人とも、来てくれてありがとう。早速で悪いがラファール、俺を上に運んでくれないか。アルヴィオーネも一緒にきて、騒ぎを収めるのに力を貸してくれ」


 そう頼みこめば、彼女達は朗らかに笑う。


「お安い御用よ、愛しい子」

『ご主人様ならそういうと思ったわ』

「ありがとう」


 快諾してくれた二人に礼を告げれば、ラファールが俺の肩に手をかける。

 慣れ親しんだラファールの気配に包まれたと思った次の瞬間、目の前の景色が一転した。




 客室棟へと続く回廊と、高位貴族用のサロンが立ち並ぶ廊下の間。


「土壁に阻まれている間に奴の足を止めろ!」


 最初に耳に入ったのは、そんな言葉だった。

 誰が発した言葉なのかは、わからない。しかし俺は、声が聞こえた方に視線を向ける。

 そうして見えたのは、なにかを囲うように立った四枚の分厚い土の壁と、壁の上から見える緑の葉。

 ゆらゆらと動く緑の葉の塊は壁の外に蔓を伸ばし、土壁を削る。

 魔術師達は土の壁から距離を取り、囲うように立ち並んでいた。

 ある者は土壁を作り、強化し、またある者は風魔法を使い這い出た蔓を切り刻む。しかし斬られた断面から新たな蔓が伸び、再生する。これではらちが明かないと思ったのだろう。火魔法を使おうとしていた者がいたが、側に居た魔術師達にとめられていた。

 その様子に気が付いたジョイエ殿が、鋭い声を上げる。


「まだ火魔法は使うな! 彼女を傷つけるっ」

「しかし火魔法以外決定打になりません。このままではっ」


 魔術師から悲鳴のような声が上がる。

 時同じくして、土壁の一部に蔓が生えた。一本の蔓が土壁を貫通し這い出てきたかと思えば、次から次と土壁を突き破り緑が顔を出す。

 無数のヒビが土壁に入り、ガラガラと音を立てて崩れた。


「ジョイエ様、土壁が崩されました!」

「土属性を持つ者は土壁の再構築と強化、風魔法が扱えるものは魔物の足元や蔓を狙って削れ! 彼女には絶対当てるな! 人命を優先しろ!」


 魔術師の報告にジョイエ殿が命ずる。

 土壁の崩壊と共に姿を現したのは、葉を茂らせた蔓の塊だった。大小様々な太さの蔓が何百、何千と絡まり合い、一本の木のようになっている。もう少しで天井に届きそうなその木型の魔獣は、大人が五人並んだよりも太かった。

 そして注目すべきは幹の中心。サナ先輩が埋め込まれる形で存在していた。意識はないのか、その目は固く閉ざされている。

 サナ先輩の頭の上には、拳大の穴が二つあった。恐らく、あの魔獣の目なのだろう。それは、深い穴のように暗く空っぽだった。


「どうするの?」


 サナ先輩を取り込んだ魔獣を取り囲む魔術師達と指揮を執るジョイエ殿を眺め、ラファールが俺に問う。

 様々な声が飛び交う中、俺の胸中はひどく静かだった。


「まずは彼奴の足を止める。アルヴィオーネ、水を――」

『魔術師達にかけないように撒けばいいのね?』

「そのとおり。頼めるか?」


 俺の言葉を攫ったアルヴィオーネに頷けば、彼女は鼻歌でも歌い出しそうな様子で宙を舞う。


『任せなさいな、っと!』


 アルヴィオーネが手をかざした途端、木型の魔獣の足元が三十センチほど水に沈む。

 明らかに植物な魔獣に水を与えるのはよろしくないが、俺がすぐに凍らせるので問題はない。

 魔術師達を巻き込まぬよう、木型の魔獣を中心に直径十メートルほど床を凍らせ、俺はジョイエ殿の元に向かう。


「この魔法は……」

「魔術師達を下げていただけますか、ジョイエ殿」


 突然水が現れ凍った魔獣の足元に、茫然と呟くジョイエ殿に告げる。


「アギニス様!? 一体いつの間に――」

「あれは俺が片付けます」


 驚くジョイエ殿にそう宣言して、魔術師達の間をすり抜ける。

 持っていたオレオルを握り直し、空いていた手でもう一本の刀を抜いた。同時に、俺へと向かってきていた蔓をエスパーダで斬り落とす。

 凍りついた蔓がゴトゴトと重い音を立てながら、白い霜に覆われた床に落ちる。


「邪魔にならぬよう全員速やかに撤退! 周囲に張った結界の強化に回れ!」


 蔓が落ちる音で我に返ったジョイエ殿が叫ぶ。下された撤退命令に、目の前の光景に固まっていた魔術師達も動き出した。

 慌ただしく移動する魔術師達を追う蔓を二本の刀で斬り落としながら、魔獣の正面に立つ。動きを封じられた魔獣は、俺に邪魔され不機嫌そうに蔓を揺らしていた。

 赤い目の男と違って、此奴は逃げる心配がないからいい。しかも、撤退した魔術師達が総力を上げて周囲に張った結界を強化してくれているようなので、ここなら多少暴れても大丈夫だ。

 白い顔をしたサナ先輩の位置を確認した後、俺はエスパーダとオレオルを構える。

 そして、魔獣を見上げた。


「――俺の部下に手を出して、生きてられると思うなよ」

 ――オォォオオォォォ!


 自分でも驚くほど低い声で宣告した俺に、魔獣は雄叫びを上げた。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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