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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
151/262

第百五十一話

 扉が開け放たれたことで、ひやりとした風が俺達の間を吹き抜ける。地下牢の中では、心ばかりに設置されている明りが揺らめき、鉄格子が鈍く光っていた。


 ――暗い。


 扉の先に広がる情景に、ふるりと背筋が震える。

 地下牢は入れられた人間達の日付感覚を無くすため光が差し込まない作りになっており、朝晩関係なく壁に設置された僅かな光源だけが頼りだ。故にいつ来ても薄暗く、また地下にあるため肌寒い。

 その性質上、地下牢は不気味な雰囲気が当然といえば当然な場所だ。しかし深夜という時間帯とゼノスと対面するという状況がそう思わせるのか、今日はより一層気味悪く感じた。

 悪寒とまではいかない些細な感覚だったが、どうも気にかかる。この先になにかあるのかと気配察知を使って探ってみるがゼノスと見張りの騎士二人、計三つの気配以外は感じない。しかし、ゼノスがいる最奥へと目を向けると、肌があわだった。

 注視するも、鉄格子が並ぶそこは普段と変わりなく。気の所為とも思える寒気に首を傾げながら、浮かんだ鳥肌を誤魔化すように腕をさする。

 丁度その時、エルヴァ様が振り向き告げた。


「行きますよ」


 言葉と共に視線で促され、俺達はその背を追う。

 エルヴァ様を先頭に俺、リェチ先輩、ティム殿と続き最後にガルディが中へと足を踏み入れた。そうして全員が牢の並ぶ通路へと足を踏み入れたところで、ギィと音を立てながら扉が閉ざされる。次いで、扉の向こう側でガチャンと錠が落とされる音が聞こえた。

 それからほどなくして地下牢に静けさが戻り、風で揺らめいていた明りが動きを止め俺達を淡く照らしだす。

 そんな中エルヴァ様は扉が完全に閉まったのをその目で確認すると、ゆっくり歩き出しながら今回の目的を口にした。


「今日はゼノス・ヴェルヒから話を聞くために集まってもらいました、と言いたいところですが、彼は相変わらずなので会話が成立しません。呟きを聞く限りドイル君やリェチ君達にご執心のようですが、実際顔を合わせたところで君達を認識できるか甚だ疑問です。しかし、ドイル君とリェチ君はあと七日も経てば学園に帰ってしまうでしょう? ゼノスと顔なじみだったティム殿にも来てもらったことですし、一度会わせてみるのも悪くないと思いまして」

「というのは建前で、実際は俺がゼーゲンと話をさせてほしいとお願いしたんです」


 エルヴァ様の言葉を引き継ぐように、ティム殿が告げる。


「……ゼーゲン」


 ティム殿の口から零れた名を、俺は口の中で転がす。

 話の流れから言って、ゼーゲンというのがゼノスの本名なのだろう。

 リェチ先輩達と同じテラペイアではなくヴェルヒという姓を名乗っていたくらいなので、名前の方も偽名だろうとは思っていた。しかし知る必要はないので、あえて尋ねることもなかった。

 先輩達と彼奴の関係は隠すと決めている以上、俺は彼奴がゼノス・ヴェルヒとして裁かれることを望んでいる。故に、リェチ先輩達との繋がりを示すようなものは知らない方がいい。だから、自身の兄の本名を呼ばないリェチ先輩が気になりつつも、わざわざ彼奴の名を問いかけたりはしなかった。

 こうして知ったところで、俺がゼノスをその名で呼ぶ日は来ない。リェチ先輩達の兄、ゼーゲン・テラペイアという名の人間はすでにこの世におらず、彼奴はゼノス・ヴェルヒとして裁かれるのだから。


 ……ゼーゲン・テラペイア、か。


 リェチ先輩達と過ごす未来を望むが故に屠ると決めた存在を、胸に刻む。

 その胸中は痛いほど理解できるが、したくない男。

 俺はその名を生涯忘れないだろう。


「ゼーゲンがゼノス・ヴェルヒの本当の名です。正直、二度とこの名を口にすることはないと思っていました……彼奴がいなくなった時の話は、もうリェチから聞きましたか?」


 胸中に広がる苦い感情は呑み込み、前を見据える。

 そしてティム殿の問いかけに、振り向くことなく答えた。

 

「リェチ先輩の首を絞めた後行方不明になり、状況から魔獣に食い殺されたと判断され葬儀が行われたと聞きました」

「そうです。でも、最初にリェチから何があったのか聞いた時、俺も親父達も信じられませんでした。ゼーゲンは、リェチとサナのことをとても可愛がっていましたから。彼奴がリェチ達を手にかけたなんて、認めたくなかった。なにかの間違いだと思いたかった。でも二人の首には手形が浮かび、ゼーゲンは消えました」


 淡々と、事実だけを語るティム殿の声色に変化はない。

 落ち着いた口調で語られる当時の話を聞きながら、俺はその胸中に隠された感情を想う。ティム殿はゼノスと顔なじみだとエルヴァ様は言っていた。このような事態になって、きっと俺以上に思うことがティム殿にはあるに違いない。


「――リェチ達の首に残っていた絞め跡と証言を聞いた俺達は、彼奴が使っていた物や彼奴を思い出すような物を集め、すべて埋めました。共に成長し、暮らしてきたゼーゲンは二度と帰ってこないと感じたから、墓代わりに。でも実際は死んでいませんし、サナが彼奴のことを覚えていなかったこともあって、他の墓のように名を刻んだ石は置きませんでした」


 淀みなく話すティム殿の声を背で聞きながら、進む。

 過去を語る彼に気を使っているのか、先頭を進むエルヴァ様の歩みは遅かった。


「『せめて知識くらいはリェチ達に抜かれないように』といって熱心に勉強していた彼奴なら、自作した薬で眠らせるなり動けなくするなりして簡単に逃走できたはずなんです。それなのにわざわざ首を絞めるなんて、それほど二人を憎んでいたなんて認めたくなかった。優しかった彼奴が、偽りだったなんて思いたくなかった。だから墓に名も刻まず、参ることもせず、『ゼーゲン』の名を禁句として今日まで過ごしてきました。そうすることで、俺達はすべてなかったことにしたかったんです。凶行もゼーゲンの存在も、すべて」


 そう吐露したティム殿の声が苦しげで、俺は振り返る。


「まさかこんな形で再会することになるとは、夢にも思いませんでしたが……丁度いい機会だと思います。正直に言えば、ゼーゲンが二人を殺そうとしたなんて、俺は今でも信じられません。確かに、彼奴はリェチ達の才能を羨んでいました。でも、同じくらい誇りに思っていたし、二人のことを可愛がっていました。いい兄だったんです」


 そこまで言い終えたティム殿は、悲しみを堪えるようにそっと目を伏せた。次いで前を向くと、彼は静かに告げる。


「だから、俺は彼奴に直接会って聞きたいんです。共に過ごしてきた日々も、二人を可愛がっていた日々もすべて演技だったのかと」


 ティム殿の目は前を歩く俺達を通り越し、ゼノスが待つ地下牢の最奥へと向けられていた。


 ――それを聞いて、どうするんですか?


 地下牢の最奥を見据えるティム殿に、素朴な疑問が湧きあがる。

 しかし、その問いかけを俺が口にすることはなかった。

 ティム殿の言葉には強い感情が込められていたのを感じたし、地下牢の最奥を見据えるその目が、過去を悔やむというよりも何かを心に決めている気がしたのだ。

 恐らく、ティム殿は過去と決別しにきたのだろう。なんとなく、そんな気がした。

 ゼノスの返答次第で逃がす気ならば見過ごすことはできないが、エルヴァ様が連れてきたのならそういった心配も要らないだろう。

 ならば、俺が余計な口を挟むべきではない。これはティム殿の問題だ。

 そう結論付けると同時に、それならば何故俺とリェチ先輩も呼ばれたのかという疑問が首をもたげる。

 しかし、その疑問はティム殿とエルヴァ様によってすぐに解消された。


「どのような答えであれ、聞いていて気分がいいものではありません。だから本当は一人で済ませたかったんですが……」

 

 リェチ先輩を心配そうに見つめながら話すティム殿の言葉を、遮るようにエルヴァ様が告げる。


「私がリェチ君も同行させるべきだと言ったんです。会話が成立するかどうかという問題はありますが、リェチ君が前に進むためにもゼノスの答えを知っておいた方がいい」


 毅然とした口調で告げるエルヴァ様に、ティム殿は情けなく眉を下げる。そんな二人に、誰も口を挟んだりはしなかった。

 エルヴァ様の主張はもっともだ。リェチ先輩の心情を想い、気遣ったティム殿の気持ちはわからなくはないが、どれほど辛い現実があろうとも目を逸らしてはいけないものがこの世にはある。現実から逃げてばかりでは、人は前に進めないのだ。

 リェチ先輩も、わかっているのだろう。目を向ければ、硬い表情を浮かべながら頷いた。


「兄が僕とサナをどう思っていたのか、知りたいです」


 ちらりとリェチ先輩の様子を窺っていたエルヴァ様は、その答えに満足そうに頷く。


「君には知る権利があります。とはいえ、ドイル君が連れてきた薬師を私が個人的に呼び出しては、公になった時に面倒なことになりますから」

「それで俺も、ですか?」


 そう問いかければ、エルヴァ様は振り向き俺を見る。

 向けられた瞳は、とても強い意志を感じさせるものだった。


「ええ。それに、君には人が人を裁くということがどういうことなのか、後に何を生むのか知ってもらわねばなりません。ドイル君がもう少し子供のままでいてくれれば、私もここまでは求めませんでしたが……貴方は陛下や私達が遠ざけようしたことに、自らの意志で足を踏み入れた。ならば知るべきです。ゼノスがどのように生き、どのような末路を辿るのか。彼が裁かれることでどれほどの人に影響があり、彼と親しかった人々がどのような感情を抱くのか。それが、彼を捕えた君が果たすべき責任です」


 エルヴァ様が告げた言葉は、重かった。

 己で首を突っ込んだのだから、逃げることは許さない。最後までゼノスを見届けろ。

 そう言外に伝えるエルヴァ様の目は、どこか非難めいていて。俺がこの件に首を突っ込むことをエルヴァ様は快く思っていないのだと、今になって悟る。

 物事には様々な側面がある。大多数にとって良いことでも、そのために少数の人間が切り捨てられ泣くこともある。多くの感謝と尊敬を受ける裏で、恨まれることもある。

 少なくとも、ここにいるティム殿とリェチ先輩はゼノスの末路を悲しんでいる。あの時こうしていれば、という後悔を抱いているのがわかる。

 悲しみや後悔。その感情の矛先が、巡り巡って俺に向かわない保証などない。

 そういった負の感情を受け止める覚悟はあるのか、とエルヴァ様は俺に問うているのだ。

 いつの間にか足を止めたエルヴァ様は、じっとこちらを見ている。その目を見返しながら、俺は口を開いた。


「――承知しております」


 心配と忠告を込めて言い渡された言葉の意味を噛みしめ、答える。

 そんな俺に、エルヴァ様は小さくため息を零した。


「……そうですか。では、行きましょう」


 エルヴァ様は、呆れともつかぬ表情を浮かべ告げる。

 そうして、再び歩き出そうとしたエルヴァ様に返事をしようとした瞬間だった。

 地下牢の最奥、ゼノスが居るそこに気配が一つ増えた。


「――ガルディ!」

「はい!」


 ガルディが剣を抜くと同時に、俺はゼノスが居る牢へと走る。


「ドイルお兄様!?」

「っと、駄目ですよリェチ殿。ドイル様の邪魔になります。エルヴァ様とティム殿もこちらに――」


 ガルディ達の会話を背に、俺はオレオルを抜き駆けた。




 そうして辿り着いたゼノスの牢の前で俺が目にしたのは、鉄格子の前で倒れ伏す二人の騎士と、薬瓶片手に牢の中から騎士達を見下ろすゼノス。

 それから、鉄格子の中でゼノスの隣に立つ侵入者。

 頭のてっぺんからつま先まで黒に身を包んだ侵入者は、駆け込んできた俺を緩慢な動きで見た。

 下を向いていた男がこちらに顔を向けたことで、黒に見えた瞳が灯りを反射し輝く。


「――ドイル・フォン・アギニスか」


 ひたりと合わさった無機質な赤に、俺は全身があわだつのを確かに感じた。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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