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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
142/262

第百四十二話 エルヴァ薬師長

 エルヴァ・フォン・リカール、それが現在の私の名前である。

 ちなみに、エルヴァという名は女っぽいのであまり好きではない。

 養父からリカールの姓と伯爵位、宮廷薬師長の座を継ぎ、ゼノやセルリー、リブロと共に四英傑という仰々しい名で呼ばれるようになって何十年経ったのか。

 所謂、孤児というやつだった私は教会が運営する孤児院で育ち、元は爵位も姓も持たないただのエルヴァだった。

 残念ながら神官の才能はなかったが、そこで私は薬について学んだ。神に仕える道を選んでも大成しないのは目にみえており、他のことを身につけなければ将来生きていけなくなるという理由もあって目指した道だった。

 しかし思いのほか、薬作りは私の性に合っていた。元々植物を育てるのは好きだったし、原料を刻み量り組み合わせ生成するといった作業も苦ではなかった。

 そうして毎日部屋で黙々と薬を作り、研究していた私に転機が訪れたのは十四の時。先代の宮廷薬師長が私を養子として引き取った。

 子に恵まれなかったリカール夫妻は、私にとてもよくしてくれた。衣食住や家族としての愛情は勿論、貴族子弟が通うエピス学園にも行かせてくれ、卒業後は宮廷薬師の先輩として薬学に関する知識や技術を惜しみなく与えてくれた。

 その過程で出会ったのがリブロとセルリー、それからセルリーが大切にしていた年下の女の子、アメリア嬢である。


 当時、私はリカールの姓を名乗っていたが、養子であり元は孤児ということで貴族達からの風当たりは強く、平民達からは遠巻きにされていた。リブロとセルリーはそんな私をよく庇ってくれたものだ。セルリーには守られていた分、振り回されもしたが。

 アメリア嬢との出会いは卒業後、宮廷薬師として城に行き始めてからセルリーに紹介された。心広く優しいだけでなく、必要な時には毅然とした態度を取れる素晴らしい女性で、私の出自が気に入らない者達から誹謗中傷された時や、妬みから仕事で妨害を受ける度に助けてもらった。


 彼らと過ごした日々は、慌ただしくも愛おしく。エピス学園で過ごした日々や下っ端時代は、私の人生においてもっとも輝かしく大切な思い出だ。

 その後、宮廷薬師と出廷していた私は、動乱の初期にリカール伯爵と薬師長の地位を義父から継ぐこととなる。伯爵に血の繋がった兄妹はいなかったが、親類縁者はそれなりにおり爵位継承時には少々揉めた。しかし時宜柄私の薬師としての腕が必要とされたこと、またアメリア嬢やセルリー、リブロに加え学園で出会った者達が私を推してくれた。


 友人達の助力を受け半ば強引に伯爵となり薬師長の座に就いた私は、必死に働いた。それはもう我武者羅に、持てる知識と技術を駆使して薬を作り続けた。養父から爵位と地位を継いだことを後悔しながら。

 当時、薬師達の長となった私や宰相補佐となっていたリブロが城から出ることなど許されず、戦地に赴くセルリーや友人達を見送るしかできなかった。

 大切な友人達と二度と会えなくなるかもしれぬ恐怖と、危険が及ばないところで薬を作り怪我人を診るという安穏とした自身の日常への憤り。安全が確保された場所から出たことのない身でありながら、戦地から戻ってきた兵士に労わりの声をかけ、「まだ仲間がいる」と戻ろうとする怪我人を叱り留める、あの忸怩たる思いや。

 私はあの時、初めて養父を恨んだ。

 養父は早期から普通の戦火でないと見抜いていたのだろう。安全な場所に己が身を置くことをよしとせず、前線に従事することを望みリカール伯爵家と宮廷薬師達を託したのだと気が付いたのは、私が薬師長となり養父が衛生兵として城を出た後だった。

 動乱が終わり数年ぶりに養父と顔を合わせた時、これまでの恩も忘れ思わず手が出たのは仕方ないことだったと今でも思っている。


 その後、いつの間にか私達の中に馴染んでいたゼノがアメリアと結婚したり、動乱中に宰相となっていたリブロが実家の爵位を妹婿に譲ったりと色々あった。私も養父が戦時中に知り合った男の息女と結婚した。

 なにも持たないただのエルヴァだったはずが、いつの間にか親も友も妻もでき子にも恵まれ、昨年孫も生まれたばかり。薬師長として多くの部下を抱え、気が付けば四英傑と呼ばれ英雄に数えられていたりする。

 外交、医療、騎士団、魔術師団とそれぞれが活躍した分野が異なっていたこと、私とリブロとセルリー、それからゼノの妻となったアメリア嬢が元々親しい間柄であったことから、私達四人は同列の英雄として語られたからだ。


 手ずから治療した怪我人達や提供した薬で助かった者などを考えれば、確かに私は沢山の命を救ったのだろう。しかしついぞ安全な城から出なかった私よりも、英雄と称えられるべき者は大勢いる。

 兵達と共に戦地を駆け抜けたセルリーやゼノはまだしも、私に四英傑の名は分不相応でしかなく。その名で呼ばれる度に私はいたたまれず、今は亡き友人達に申し訳なく思う。

 それはリブロも同様らしく。なんやかんや言いながらセルリーやゼノ、周囲の尻拭いをしてしまうのは、友人達と共に戦地を踏むことができなかった後悔が今もこの胸にあるからだ。






 数種類の薬草と水を入れ煮ていた鍋を火からおろし、別の鍋に漉す。深緑の液体を沸騰させないよう、水面が僅かに波打つ程度の火加減を保つ。

 次いで、木の実や種子が入ったすり鉢をゴリゴリとすりこぎでかき回す。中身が潰れすられ、細かい粒へと変わってくると、独特な薬の香りが漂ってきた。

 程よい状態まで細かくしたそれらを一旦紙の上に出し、紙を上手く使い薬湯の入った鍋の中に入れる。さらさらと粒が動く感触を紙越しに感じながらすべて茶鍋に入れたら、火を強める。


 深緑の液体が満ちた鍋の中で、砕いたばかりの木の実や種子が踊る様を見つめ、待つことしばし。

 薬草と木の実や種子の香りが交じりあった独特な香りが部屋中に広がり、深緑だった液体が黒に近い茶に変わった頃合で二つの小さな杯に注ぐ。残りの薬湯を茶器に入れ、私は部屋の中央にある机に腰かけるリブロの元に向かう。

 出来上がった胃痛に効く薬湯を一つ、難しい顔で腕を組むリブロの前に置き、私は席についた。


「……まぁ、とりあえず飲め。今日のは精神を落ち着けてくれる薬草も入れてある」

「いつもすまんな」


 眉間に寄せていたリブロは、強張った表情を僅かに緩ませ薬湯に口をつけたかと思いきや、次いで酒を煽るかのように一口で杯を空けた。

 

 これは相当キてるな……。


 薬湯独特の味を気つけ薬代わりにしている様子に、リブロの胸中を慮りながら空になった杯に薬湯を注いでやる。その後、私は茶器をリブロの手に届かぬ位置に置いた。普通の茶と違い薬湯の飲み過ぎは体に悪いからな。

 一杯飲んで落ち着いたのか、二杯目は少しずつ啜っている苦労性の旧友を横目に私も薬湯に口をつける。 

 リブロの重い空気と表情を見るかぎり、どうせゼノかセルリーがまたやらかしたんだろう。そう思った途端ズキズキと痛みだした胃を労わるように、薬湯をゆっくり嚥下する。そして温かい薬湯が喉を流れ胃に広がる感覚を、じっくり追った。

 所詮現実逃避というものである。

 

「今朝方、魔術師団本部に侵入者があったそうだ」

「それはまた……被害は?」

「魔道具が一つ壊されたそうだが、人的被害はない。ただ、ドイルとクレア王女の婚約式を控えた今、侵入者を許したのはよろしくない」


 私とリブロの間に沈黙が落ちる。

 侵入者の目的はともあれ、今回の件が表沙汰になればジョイエの立場が危うくなる。アギニス公爵家自体は古くから続く大貴族、世継ぎの慶事の最中に侵入者を許すなど今の魔術師団をよく思わない連中にとったらいい攻撃材料だ。侵入を許しただけでも煩いだろうに、この時宜ではドイルとクレア王女の顔に泥を塗った、などと騒ぎ出すだろうと想像するのは容易い。

 先日一部の魔術師達がうちの馬鹿共と一緒にドイルに迷惑をかけ、グレイ殿下に処罰を言い渡されたばかりである。関わった連中には相応以上の罰を与えているようだが、今回の件が発覚すれば、前回の件と合わせて『魔術師団はアギニス家をよく思っていないのでは?』といった類の噂を立てられるだろう。そうすると、ゼノとアランを崇拝している騎士団は間違いなく魔術師団と対立する。


 ――い、胃が痛い。


 思い至った結論にズキズキした痛みを感じ、薬湯を一口飲みこむ。鼻を抜ける親しみ深い薬湯の香りと、ぬるい温かさが胃の表面を覆う感触に息を吐きながら、私はリブロに問いかけた。


「勿論、セルリーは動いたんだろう?」


 ジョイエはセルリーが後継にと可愛がっていた子だ。手厳しいセルリーとて、この状況では流石に手助けしたはず。

 そう自身に言い聞かせ、淡い希望を見いだそうとした私にリブロは皮肉げに笑う。


「ああ。ドイルを唆してジョイエにつけやがった」

「まさか、ドイルは――」

「勿論、喜々として首を突っ込んでいる」


 リブロの言葉に私は頭を抱える、と同時に先日妻経由で届いた手紙の内容を思い出した。

 我が妻はとある森の中にある小さな村出身だ。周囲に自生する豊富な植物を活用し、薬草や調合した薬を森の外にある村々や通りがかった冒険者や商人に売って生活していたと聞く。

 遡ること戦時中、当時養父が従事していた隊は、砦に退却途中だった。人目を避け森の中を進んだところ、彼らに助けられたらしい。多くの怪我人を抱え困っていた養父の隊は、彼らの腕と知識を見込み希望者を募り、砦までついてきてもらったそうだ。その道中、養父と妻の父は出会い、友好を深めたわけである。その後動乱も終わり、国々が落ち着きだした頃、王都で薬について学びたいと父を頼って出てきた男の息女と私は恋に落ちたのだ。

 妻の故郷の村はそう大きいものではなく、村全体が家族のようなものだと言っていた。故に数年前、村の者が学園に入学することになったそうなので気にかけてほしい、と妻に言われていた。そう、今ドイルの元に居るテラペイア兄妹だ。妻は彼らの祖母と知り合いらしい。


 ドイルが毒対策として薬師を連れてくるなら、レオパルド・デスフェクタ一人で事足りる。そもそもあの子に、毒対策の薬師など必要ない。ドイルは公爵家の者として、毒耐性が強くなるよう教育されているからだ。私も薬師長としてグレイ殿下とクレア王女、ドイルの茶などに混ぜて飲ませていた。

 ドイルが必要ない薬師をわざわざ三人も連れてきた理由と、私が知らない薬を所持していた地下牢に繋がれた男。テラペイア兄妹の出身地の特性を考え、村に男について心当たりがないか尋ねてみれば案の定である。

 テラペイア兄妹の実兄の可能性が高いなど、最悪だ。

 ドイルはグレイ殿下達を大事にしているが、聡く周囲を思いやれる子である。バラド・ローブの扱いを見れば、身内にとても甘いという予測もつく。

 男について探る過程で、己の部下との関係に気が付いたドイルは、不穏分子の解明とテラペイア兄妹の将来を秤にかけた結果、薬師を三人連れてくるという行動をとったのだろう。恐らくテラペイア兄妹と男を、すでになんらかの形で接触させていると私は見ている。兄妹と近しいというのも関係していたのだろうが、気付くのが早い上に行動力があり過ぎだ。

 とりあえず私も村と連絡をとり、男を知る者と村の薬に詳しい人物にきていただけるようお願いし迎えをやったわけだが、彼らの到着まであと二、三日かかる。

 この頭が痛すぎる問題をリブロに教えてやるべきか、彼の胃を考慮してこのまま私一人で対処するか迷っていたというのに、セルリーが魔術師団の問題にドイルを関わらせただと?


 ――ああ、アメリア! なぜ君はあんなにも早く逝ってしまったんだ。セルリーを諌め、ゼノをはっ倒せるのは君しかいなかったというのに!


 あの馬鹿共をどうにかしてくれ、と今は亡きアメリアに心の中で叫ぶ。

 リブロはまだ耳にしていない、というよりも彼の胃を慮って私が情報を止めていたのだが、ドイルに余計なことをさせようとしているのはセルリーだけではないのだ。

 実は最近王都騎士団から傷薬の注文が増えていた。それも時期的にドイルが訪れた後からだ。嫌な予感がしてそれとなく騎士達に理由を尋ねたら、ゼノの訓練に付き合わされて怪我人が増えたのだという。どうもゼノは、ドイルと本気でやりあうために、引退して鈍った勘を取り戻そうとしているらしい。

 式典開始まであと八日。セレナが三日前に登城するそうなので、それに合わせてくるのではと私は考えている。互いに大怪我を負っても、聖女の称号を持つ彼女がいれば安心だからな。


 ジョイエと関わるのも国内外の貴人達に見守られゼノを倒すのも、ドイルのためになるだろう。魔術師団と良好な関係を築くのは喜ばしいし、ゼノに完勝する姿を見ればドイルを見る目も変わる。しかし、どちらもどこからも横槍が入らなければ、である。

 万が一、侵入者を捕まえる前に事が露見したら?

 万が一、ゼノとドイルの勝負に八百長が疑われるような仕掛けがされていたら?

 どちらもドイルの害にしかならない。

 それに万が一、魔術師団の侵入者の件と地下牢の男に関わりがあったら? 

 いや、関わりがなくとも侵入者と男の件が表沙汰になったら終わりだ。ドイルはすでに両方深く踏み込んでしまっている。『ドイルがすべて裏で糸を引いているのでは?』といった疑心が生まれてしまったら、どうしようない。事実無根と陛下達が庇っても、ドイルの立場を悪くするだけだ。

 魔術師団の件は本部で起こったことなので、複数の人間が知っている可能性が高い。箝口令を敷くのは難しいと考えるべきだろう。


 となれば不穏分子である男とテラペイア兄妹の血縁関係は、絶対に隠し通さねばならない。幸い、彼らの出身地である村の認知度は低い。また村人の結束力は高いので、テラペイア兄妹のために彼らは口を噤んでくれるだろう。死んだと思われていたとはいえ、妹のサナーレのために長男の存在を無かったことにするくらいだからな。

 あとは迎えに行かせた部下と妻、ドイルと兄妹と地下の男と見張りの騎士達。こちらはどうにかできる。私と妻と部下を黙らせるのは簡単だし、地下牢の男を知っている騎士達は極僅か。機密事項のため、国に命を捧げ騎士の守秘義務を遵守できる者達が選ばれているからな。

 それに地下の男はその名を口にするのも嫌なのか、テラペイア兄妹の名を出すことはない。グレイ殿下やドイルに関しても『王太子』や『公爵家の出来損ない』と地位や立場を口にしただけで、直接名をあげたことはない。特筆すべき身分や立場を持たないテラペイア兄妹を、ゼノスの言葉と結びつけるのは難しいだろう。

 

 ――今ならまだ、いける。


 リブロの手を借り今から対策を講じれば、問題なくやり過ごすことが可能だ。

 そう判断を下した私は、半分まで減っていた自身の杯に薬湯を注ぎ足し一気に飲み干す。目の覚める味と共に薬湯が体に染み渡る感覚を感じながら、私はリブロにとんでもないことになりかけている現状を説明すべく口を開いた。


「リブロ、私からも誠に残念な知らせがある。実は――」


 すでに薬湯では癒しきれない痛みが、自身の胃を支配しているのを感じつつ。

 私は友人達の尻拭いをすべく、リブロが盛大に顔を顰めるだろう情報を紡いだ。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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