第百四十話
大きな窓に揺れるベージュのカーテンと藍色の絨毯が、落ち着いた雰囲気を漂わせる国王陛下の執務室。
扉を開けた従者の先導に従い入室すれば、まず国王陛下の執務机が目に入る。後方に設置された大きな窓からは沢山の陽光が降り注ぎ、国王陛下と側に立つ父上を照らしていた。
部屋の右手ではグレイ殿下が机に向かっており、その背後にはジンが立つ。左手ではリブロ宰相とその補佐官が仕事に精をだしていた。
それぞれの机の側には官吏や報告にきた騎士、陳情の順番待ちしている貴族達の姿がある。そんな中、俺は目当ての方の元に進み、人が途切れた瞬間を見計らい問いかけた。
「失礼致します。リブロ宰相、少々お時間よろしいですか?」
多くの人に対応しながらも決して手を止めず、書類から顔を上げなかったリブロ宰相は俺が声をかけた瞬間、羽ペンを動かすのを止めた。次いでゆっくり顔を上げると、口を開く。
「――――なに用だ、ドイル? グレイ殿下でなく俺に用とは珍しい」
意外そうな表情を隠すことなく、リブロ宰相殿はそう告げた。
……この方も歳を取られたな。
相も変わらずきっちり分け撫でつけられた髪の白さに、流れた年月を想う。
幼い頃はよくグレイ殿下と共に叱られ、陛下の後ろに見える庭園に放りだされたものだが、あの頃よりもずっと皺が増えた。久方ぶりに間近で見たリブロ宰相の顔に、思わず昔との差異を探す。しかし、そうして昔を懐かしんでいたのは俺だけであった。
「早くしろ。俺は暇ではない」
こちらを真っ直ぐ見据えるその人の、変わらないもの言いに俺は苦笑する。相変わらず歯に衣を着せぬ人だ。
「失礼致しました。本日はこちらに署名をいただきたく、参上しました」
リブロ宰相だけでなく隣に座られている補佐官、国王陛下や父上、グレイ殿下やジンのものだろう視線を方々から感じつつ、俺は手に持っていた書類を執務机の上に置く。
俺が差し出したのは、魔術師団の客室棟への立ち入り許可書だ。
名目は客室棟に宿泊されている賓客達の安全向上のため、結界を点検、強化をするというもの。書類の下には、客室棟の責任者である貴族達の署名が連ねられており、あとは宰相以上、つまり国王陛下かグレイ殿下、リブロ宰相の署名があれば完成となっている。
淡い魔力の残滓を追いかけ辿り着いた、客室棟へと続く回廊。
そこでジョイエ殿に「助力してほしい」と告げられた俺は途中で別れ、高位貴族達が集まるサロンへ向かった。
残滓の行く先、客室棟をジョイエ殿達が自由に調べられるように根回しするためである。
現在マジェスタには元王であるピネス殿や王弟のスムバ殿を筆頭に、各国の様々な身分の者達が使者として集まっている。そんな彼らにマジェスタも王族だけでなく、多くの貴族達を城に集めお相手していた。
城内に滞在している賓客達は王妃様やグレイ様達、宰相殿ら四英傑の皆様などが率先して対応しているが、城から離れた棟に宿泊している賓客達は若干優先度が下がるので、高位貴族達が歓待している。
正直なところ、魔術師団が客室棟へ立ち入る許可を得るだけならばグレイ様に頼めば済む話だ。しかし、グレイ様を頼りにするのは俺自身にとって好ましくなく、またのちのち厄介なことになるだろう。
元々客室棟を任されているのは、それなりに身分が高い者達だからな。存在を丸っきり無視して、許可書を作成してもらっては彼らの矜持を傷つけてしまう。その怒りの矛先が向かう先はセルリー様が去った魔術師団。
それでは駄目だ。
『私は動けませんからねぇ。お願いできますか?』
『寂しいですが、別れの時なんですね――これからは僕が』
思い出すは弟子の行く末を案じるセルリー様と、師から継いだ立場を全うすると決めたジョイエ殿の姿。
覚悟を決めた途端、彼は迷うことなく年下である俺に助力を求めた。成すべきことのためなら矜持を捨てられるジョイエ殿の覚悟は好ましく、彼の行動がマジェスタのためであるかぎり、力になってあげたいと思った。
なんだかんだ言ってセルリー様にも世話になっているしな。
……きっと、ジョイエ殿とは長い付き合いになる。
お爺様とセルリー様のように。
円滑に国を回すには、魔術師団や騎士団との付き合いは必須。折角セルリー様がお膳立てしてくれたこの機会、今後のためにものにしなければならない。
そのためにも俺は今回緩衝役として、魔術師団が高位貴族達から文句や言いがかりをつけられないよう根回しておく必要があった。
だから、高位貴族達が集まるサロンを訪ね、一人一人に頭を下げ、責任者達の署名をわざわざ集めたのだ。
『メイドや従者を送っても、現状の待遇と変わりません。それでは不満も解消されないでしょう。しかし貴族位を持つ皆様にご機嫌窺いさせるのはいかがかと。皆様が他国の貴族に遜ってはマジェスタの威信にかかわります。騎士団の者に行かせるといった手もありますが、鍛えられた彼らの見目では威圧感があり過ぎてご婦人方には不評でしょう。その点魔術師達ならば、線が細く視覚的な迫力はありません。結界の強化や点検など表向きの名目が作れるのでこちらの面子も保てますし、そうまでして宮廷魔術師達がわざわざご機嫌窺いにきたとあれば客人達の自尊心もくすぐられましょう。小間使いのような仕事に魔術師達から不平が出るかもしれませんが、それは私が言い聞かせます』
といったようなことを言って。
そこはかとなく魔術師達を馬鹿にした言い方を俺がしたことと、実際に城から遠い棟に案内された数組が不満気だという報告がメイド達からあったこともあり、皆快く賛同の署名をくれた。
素直に賛同してくれた方や、これを機に問題が起こることを期待している野心家、他人に遜る行為を厭うていた気位の高い者、俺と親しくなりたい者やジョイエ殿が准男爵程度で魔術師長に就いたことよく思わない者と様々な思惑を胸に。
……まぁ、すでに俺とジョイエ殿が繋がっている時点で、野心滾る奴らの思惑は叶わないのだが。
俺の提案に下心いっぱいだった面々を思い浮べ、小さく口端を上げる。
魔術師長と王女の婚約者の地位は取って代われるなら美味しい。そして俺を追い落とすなら、今ほど絶好の機会はない。今城内で問題が起きそれをきっかけに外交で揉めれば、この式典の主役である俺の名に傷がつくからな。
しかし、それは大変なリスクが伴う。もう一人の主役はクレアで式典の主催は王家、余程上手くやらなければ、王家の不興を買う。野心滾る者達は、上手く行った時の利益と失敗した時のリスクを天秤にかけ、迷っていたはず。
そんな折、俺がそこはかとなく魔術師達を馬鹿にしたものだから、『魔術師団とアギニス家の仲違い』という構想を描いたようだった。俺やセルリー様が推すジョイエ殿に表立って手を出すのは危険だが、そんな俺達が互いに潰しあえば労せず利を手にできるからな。都合のいい夢を見たくなったのだろう。
俺としては、このまま式典が終わるまで魔術師達の繋がりに気が付かず、奴らが大人しくしてくれれば万々歳である。唯でさえゼノスや不審なメイド、客室棟に向かった侵入者と外部からのお客様で忙しいのだ。国内の奴らくらい大人しくしていてほしい。
魔術師団を貶め利用した形だが、ジョイエ殿ひいては今後の俺のためだ。それに彼らに署名させるための手間を思えば、これくらいの利用は許されるだろう。
そんなことをつらつら考え視線を戻せば、渡した書類を手に考え込んでいたはずのリブロ宰相と目が合う。
いつから俺を見ていたのかわからないが、向けられる眼差しに慌てて口元を引き締める。そんな俺の表情の変化に難しい顔をしたリブロ様は、おもむろに名を呼んだ。
「――ドイル」
「はい」
「これはアレが一枚噛んでいるのか?」
可能なかぎり声量を落としセルリー様の存在を尋ねてきたリブロ宰相に、頷くことで答える。そんな俺の動きを見ていたリブロ様は、眉間にこれでもかというほど皺を寄せた。
――はぁ。
そして疲れ切った様子で大きなため息をつくと、許可書に署名してくれる。
「持っていけ」
「ありがとうございます」
己が眉間をぐりぐりと揉み解しながら、書類を差し出すリブロ宰相に礼を言う。
……なにも、聞かないんだな。
見透かしているのか信頼しているのか、それ以上なにも聞かないリブロ宰相の優しさに敬意を込めて、ゆっくり頭を下げる。
「それでは失礼致します、リブロ宰相」
そう告げ、退出すべく足を踏み出せば俺の背に声がかけられた。
「……なにを考えているのか知らんが、ほどほどにしとけよ」
その言葉に、足を止める。
振り向いて見たリブロ様はすでに書類に目を落としていた。そして顔を上げることなく、羽ペンでグレイ様達と父上達を指す。
「お前になにかあると煩い奴らがいるからな」
羽の動きを追うように目を動かしていたため、慌てて書類に視線を戻す陛下やグレイ様、その後ろに立ち直す父上とジンの姿を俺はばっちり見ていた。
彼らの姿を視界に収めた後もう一度視線を戻すが、それ以上リブロ様が言葉を発することはなかった。そんなリブロ宰相をフォローするかのように、静かに成り行きを見守っていた補佐官殿が告げる。
「私もリブロも皆、待っていましたからね。君はこの式典を無事に過ごすことを第一に考え、あまり危ないことに首を突っ込まないように。それから、アレに影響され過ぎないように気を付けてください。頼りにする分には構いませんが、間違っても見習っちゃ駄目ですよ?」
柔らかな笑みを浮かべさらっとセルリー様をこき下ろした補佐官に、頬を引きつらせた俺を他所に彼は一枚の紙を取りだす。
「これもどうぞ。役に立つでしょう」
そうして渡されたのは、客室棟の護衛やメイド達を含む名簿と部屋割りだった。
「……ありがとうございます」
「いえいえ。どうか、気を付けてくださいね」
「はい」
差し出された紙に書かれた内容に、俺は見透かされていると感じた。
……この人達に、悪戯が見つからなかったことはないしな。
どれほど丁寧に計画を立て実行しても、最後は必ずこの人達に見つかり叱られた。四英傑と称えられるリブロ宰相と、そんな彼に長年付き従ってきた補佐官の名は伊達ではない。城内で彼らが知らぬことなど、ないのではなかろうか?
すべてを知っているくせに、なにも言わない二人に背筋が冷える。
しかし、補佐官が浮かべた笑みが温かく、名簿を受け取った俺に気が付きながら無言を貫くリブロ宰相の空気が優しかったから。
「失礼致します」
「ああ」
「はい」
俺は与えられた言葉と気遣いに深く頭を下げ、二人の返事を背に歩き出す。
最後に執務室の扉の前で静かに腰を折り、部屋を後にした。
そんな俺を見送るグレイ様達の表情は見えなかったが、笑ってくれている気がした。
魔術師団本部の廊下。
両脇に並ぶ扉の向こう側からは、多くの人と様々な魔力の気配を感じる。しかし、俺が歩いている廊下に人影はない。それぞれの部屋に籠り仕事をしているのだろう。
手が空けば仲間を誘って訓練や手合せやらと騒がしかった騎士団とは大違いだ、といった感想を抱きながら、俺は静かな廊下を歩く。
同時に手の中でカサリと存在を主張した紙に、先ほどのリブロ宰相達を思い浮べた。リブロ宰相も補佐官殿も、明らかに怪しい許可書に対し尋ねてこなかった。
セルリー様の存在を確認していたので、彼の人への信頼もあるのだろう。お二人の言葉や態度からは、セルリー様への信頼がちらついていたから。
しかし、いかにセルリー様の関与があれど、黙って行かせるどころか背を押してくれたのは破格の対応だ。それだけではない。陛下も父上もグレイ様も誰もなにも言わなかった。あのような態度をとるリブロ宰相は、明らかに不審だっただろうに。
信頼されているのだと思う。
自由に行動すればいいと、思ってもらえるほどに。
そう思ってもらえる今の己を、嬉しく思う。
だって、それはつまり、俺はマジェスタのためにならないことはしない、と信じてもらえているってことだ。
――かけられた期待に、相応しい結果を出したい。
感じる紙の感触にそんなことを考えながら、俺は今朝セルリー様と訪れたばかりの扉に手をかけた。開け放たれた部屋に漂う独特な空気を肌に感じながら、雑多な室内を一歩、一歩進んでいく。そうして辿り着いた最奥、今朝と変わらないその場所で凛と背を伸ばし、多くの魔術師達に指示を出す人の名を呼ぶ。
「お待たせしました、ジョイエ殿」
「アギニス様」
部下達に指示を出すのを止め俺を見たジョイエ殿に、持っていた二枚の紙を差し出す。それと同時に、ジョイエ殿の側にいた副官殿や魔術師達も手を止め、紙を覗き込む。当然その中に、セルリー様の姿はない。
「どうぞ。こちらが客室棟の立ち入り許可書、こちらが護衛達を含む名簿と部屋割りです」
「早いですね……」
持ってきた書類を手渡せば、言葉とは裏腹にジョイエ殿は待ちかねた様子で受け取った二枚の紙に目を通す。
その後ろでは副官殿や魔術師達が『これが権力って奴か……』などと言っていた。
「それだけの期待を背負っていますから――そして、それは貴方方も一緒のはずです」
「ドイル様」
俺の言葉に顔を上げたジョイエ殿や視線を向ける魔術師達に、宣言するように告げる。
「こうして背を押してくれる方々に相応しい結果を、出しましょう」
「――はい」
こちらを見つめ返し力強く頷いたジョイエ殿や魔術師達に、俺は笑みを浮かべることで答えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




