少女は、クラスチェンジしたようです。
「ニンジャ……ですか?」
「ええ」
クトーに言われて、レヴィはギルドに赴いていた。
例のお祭りの用地選定を行ったので、建築職人の競売募集を行うチラシを貼ってもらうためだ。
説明されてもよく分からなかったが『知り合いの工房に頼む』というものではないらしい。
街中にも広く張り出すようだった。
利権とか法律とか色々ややこしい上に、建築職人の組合とか商会連合まで絡んで来る、ということだけは、かろうじて理解できた。
要は、建築する時に業者に金額を提示させて、一番安いところに工事を依頼する、らしい。
チラシを受け取った後、ミズチは去ろうとするレヴィを呼び止めて、こう言った。
「どうも、レヴィさんはクラスチェンジ出来るようです。登録を変更しませんか?」
「クラスチェンジ?」
キョトンと首をかしげるレヴィに、様々な物事を見抜く目を持つミズチは深い紺色の目を細めたのだ。
「クラスチェンジの条件は、2つあります」
クラスチェンジとは。
要は、斥候職の中でも、より適性の高い中級・上級職になることなのだと言う。
戦士系なら、重戦士や剣闘士、魔導戦士など。
魔導士系なら、賢者や上位魔導士、あるいは治癒師など。
一番下位に当たるのがただの戦士や魔導師で、上位職や特化職になる事を『クラスチェンジ』と言う。
そして2つの条件とは、1つは高位存在との契約で、もう一つは基礎技能の習得なのだという。
高位存在との契約は、創造の女神ティアムを筆頭とする多神群の加護を得ること。
これは本来、その神を祀る神官の元へ適性のある者が赴き、神に認められることをいう。
加護を得ると、地水火風の属性や、あるいは聖闇の属性を持つ『効果付き』の武器を操れたり、その属性に関連するスキルを手に入れることができる。
魔術師には例外があり、魔法ごとに別々の神による加護を得られる者も存在するが、稀有な存在ではあるらしい。
戦士などの系統に属する者は、基本的には一柱の神による加護を持つだけだ。
技能とは、罠察知や探索技能、潜伏技術などを深めていくと習得できるもの。
潜在能力の開花とでも言うべき現象で、基礎技能に目覚めると要は感覚が鋭くなったり、天地の気に気配を溶け込ませたり出来る。
そうしたことを、ミズチは説明してくれた。
「えっと、そのスキルって、私の『弱点看破』みたいなやつですよね?」
「それは《風》のスキルなので、本来ならクラスチェンジの後に得るものですけど」
ミズチは軽く苦笑した。
レヴィは小さい頃に、リュウの言葉によって祝福を与えられ、冒険者になる前から風の神に加護を得ている。
「今回は、感覚技能の一つである罠察知取得がクラスチェンジの引き金だったようですね。そして、リュウさんに与えられていた風神の加護。何か、自分が変わった覚えはありませんか?」
「って言われても……」
レヴィは、軽く頬を指で掻きながら考える。
特に何か変わったことがあったような記憶がないのだ。
そもそも、変化を感じられるような戦闘を、あの迷宮に入った後には行ってもいないし。
と、そこまで考えた時に、そういえば、という心当たりに行き着く。
しかし正解かどうかは分からないので、恐る恐る口にした。
「あ、そういえば、なんか夜中にやけに人の動く音とか動物の鳴き声に敏感になったような気が……」
あれは、言われてみれば迷宮に潜った直後の夜からだ。
そのせいで何日か寝不足だったが、単に音がよく聞こえるようになったりしただけで、危険がないと判断できるようになった。
慣れたので、そのまま忘れていたのだ。
それが正解だったらしく、ミズチはゆるい三つ編みで顔の横に垂らした髪を揺らし、うなずいた。
「おそらく、感覚が鋭敏になった弊害ですね。間違っていなかったようで何よりです」
胸の辺りが窮屈そうなミズチが、軽く椅子を下げた。
足元近くの引き出しを開けているような仕草の間、ボタンが弾けそうな胸元を見て、レヴィはバレないようにため息を吐く。
羨ましい。
でも重そうだしな、と素直な気持ちと僻みの間で意識を揺らしているうちに、ミズチが顔をあげた。
「? どうされました?」
「なんでもないです……」
真っ白な肌の美貌に魔術や事務の才覚、非の打ち所のない体のラインといつ見てもミズチは綺麗な人だ。
レヴィは、なんだか凹んでいる自分を振り払うように頭を振った。
そして尋ねる。
「クラスチェンジすると、何か良いことありますか?」
「基本的にはスカウトと変わらないですが」
それ以上は特に追求せずに、ミズチは微笑んだまま本題に戻った。
「要は才能の方向が見えたということなので、登録を変えておけば多少は報酬が変動します。特定の職に対する依頼などは、報酬が高くなるものですが、基本職よりもその幅が大きいんです」
その後、言われるままに質問票に記入すると、ミズチがマニュアルとそれを照らし合わせた。
細く美しい指先が文字列をなぞり、目でマニュアルを追う仕草がとても様になっている。
「レヴィさんは、潜伏系スキルや軽業系スキルの習得に高い適性があることが伺えますね。他には、さらにニンジャに先鋭化すると、分身のスキルなども使用可能になることがあります」
「ぶ、分身?」
「ええ」
思いがけない言葉に、レヴィは思わず聞き返した。
分身というのは、自分が何人にも増えるスキルだという。
どういう感じなのか全然分からない。
が、面白そうだとは思った。
少しためらってから、レヴィは膝の上で拳を握り、ミズチに訊いてみる。
「……それって、クトーにバレないように習得できますか?」
ミズチが形のいい眉を、笑みを消さないまま軽く跳ねさせた。
頬に手を当て、軽く上目遣いにレヴィに問い返してくる。
「何か理由でも?」
「特にないんですけど、あの……クトーを、ちょっと驚かせてやれるかなって……」
最初にレヴィを指導してくれた、師匠にあたるクトーは、変人だが実力は確かだ。
自分などではまだまだ届かないし、いっつも言い包められる。
内緒で、出来ることが増やしてみたい、と思った。
そんなレヴィの態度をどう受け取ったのか、ミズチは軽くうなずいた。
「では、ニンジャの方に話を繋いでおきましょうか? 聞くだけの価値がある話が聞けるかもしれません。少し手数料はいただきますけど」
「お願いします」
手続きを終えて、ミズチは最初にレヴィが持ってきたビラに話を戻した。
「しかし……これは、クトーさんらしくないやり方ですね」
競売という手段に関する話だろう。
自分のことではないので、レヴィは少しホッとしながら知っていることを話した。
「うん。提案したのはフヴェルさんで、決定したのは宰相の人です」
「でしょうね」
レヴィは、クトーとフヴェルの言い争いを見ていた。
『信頼できる業者を選定し、そこに受注するべきだ』というクトー。
上記の法やその他の事実を盾に『競売にかける』というフヴェル。
どっちの言い分が正しいのかはレヴィにはよく分からなかったが、結局宰相であるタイハクという人は、フヴェルの意見を採用した。
その上で、参加資格の段階で業者の信頼調査を行うと言っていた。
「手抜き工事をする人に任せたくない、っていうクトーの意見、私は正しいと思うんですけど」
「そうですね。ですが、中心となるのは宮廷お抱えの大工でしょう」
「え?」
レヴィが目をまたたくと、ミズチは薄桃色の口紅を差した口もとを軽く引き締めた。
目が、事実を淡々と語る冷たいものになっている。
「本来なら、手が足りない以外の理由でそうした工事に人を募集はしません。ファフニールの横槍か、経済の活性化という目的を考えた上での結論だとは思いますが」
ーーー隙も作る。
ミズチの告げた言葉の意味を、完全に理解できたわけではないが、不安を感じた。
「隙、ですか……」
「合理的な理由だけで、人は納得しないものです。最終的には選抜するにしても、一応公平であると示さなければいけないのも分かりますけどね」
ミズチは保留の箱にチラシをそっと置いた。
「後で掲示しておきますね。登録手続きも以上です。お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
元のように微笑むミズチに、レヴィは立ち上がって頭を下げた。
「この後はパーティーハウスでまた待機ですか?」
「あ、いえ。竜の卵を預けた先に、2日に1回様子を見に行く約束をクトーとしてて」
迷宮で手に入れた卵は、王都の裏にある山の『飛龍育成場』に預けていた。
流石に、素人が温めて孵化させることのできる生易しい代物ではないし、中から出てくるドラゴンの種類もわからない。
どう猛なモノだった場合、王都の街中で暴れられても困るのだ。
行って帰るのに大体半日くらいかかる。
今日はその見に行く日だった。
「お気をつけて」
「はい」
クラスチェンジした、と言われても実感が湧かなかった。
自分は、本当に強くなっているのだろうか。
最近、なんかダメだなぁ……、とレヴィは思う。
自分は、こんなに自信のない人間じゃなかったはずなのに。
そう考えながら踵を返すと、背中に再びミズチが声をかけてきた。
「レヴィさん」
声をかけられて振り向くと、彼女は窓口の机に両肘をつき、顎を組んだ指の上に乗せていた。
まるで、何かを見透かしているように、おかしそうな口調で言う。
「レヴィさんは、上を見上げすぎですね。たまには、足元に目を向けてみてもいいと思いますよ」
足元。
どういう意味だろう。
結局曖昧にうなずいて歩き出すと、ギルドを出る時に端で話している人たちが見えた。
3人組の冒険者と、二人の旅装の女性。
ナンパだろうか。
軽く耳を澄ませると、こんなやり取りが聞こえてきた。
「今のメンツだと少し不安なんだ。ついてきてくれないか?」
「構わないが」
口説き文句にあっさり答える黒い鎧の女性。
その脇にいた、従者のような灰色の服装をした女性が軽くたしなめるように声を上げる。
「ご主人様?」
「いいじゃないか」
男性のような口調で、肩口で髪を切り揃えた黒鎧の女性が肩をすくめる。
二人ともそれなりに熟練した身のこなしをしているように見えたので、レヴィはそれ以上気にせずにギルドを出た。
「まずはご飯ね」
育成場までは山登りをするので、昼食を取ってから行きたかった。




