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おっさんは、元凶に翻弄される。


『迷いの結界……てよりも、こりゃもう異界だねぇ』


 自分たちが立つ塔の状況を見て、トゥスが呆れたように言った。


「地獄と呼べば、似たようなものだろう」


 実際、景色までもが遥かに見渡せるような異空間を形成できるのは、瘴気だけでなく魔力による結界構築術にも長けたAランク以上の魔族だけだ。


 トゥスに言い返しながら、クトーは正面に目を戻した。


 魔族は、人を痛めつけて遊ぶために結界内に取り込む事がある。

 そうした結界に取り込まれてなんとか生還した者が口にするのが『地獄を見た』という言葉なのだ。


 クトー自身も、何度か同じ経験はしていた。

 正面に、宝玉の砕けたネックレスを投げ捨てているドラクロが見え、その後ろに別の部屋へ続く扉のない入口があった。


「宝玉に魂を移し替えていたのか」

『ゲゲゲ。種明かしをご所望であるか?』


 ドラクロが、嗜虐的な笑みを浮かべながらベロリと唇を舐める。

 レヴィと同じ仕草、同じ顔であるにも関わらず、その姿には可愛らしさの欠片もない。


 嫌悪感しか浮かばないレヴィの姿に、クトーは目を細めた。


 そして、剣を片手で軽く構えながら抑えていた殺気と魔力を解放する。

 瘴気に支配された空気がクトーの魔力と反応してパチパチと青い火花を散らし、周りの温度が冷えていった。


「目的は復讐か」

『当然であるな。貴様は我が権益を不当に奪取し、あげくにワシは命までもを奪われたのである』

「不当にホアンから権益を奪っていたのは、お前の方だ」

『より有益に使える者にこそ、権力とは相応しいのである』


 クトーが吐き捨てると、ドラクロはゲゲゲ、と嗤いながらレヴィの薄い胸板に指を這わせた。


『先ほどの貴様の言葉だが、正確には魂の半分をこの宝玉に移し変えていたのである。魂の分割は、魔族の分体化を参考に行った。肉体がなく眠りについていたが、つい最近目覚めたのである』

『誰が目覚めさせたのかねぇ』


 肉体をもたない人間の魂が、力を失った状態で意識を保ち続けるのは容易ではない。

 トゥスのように、強靭な精神を持ち、気の遠くなるような修練を積んだ者が輪廻の輪から外れる事で可能になるような行為だ。


 俗世の欲にまみれ、自堕落な利己のみに生きていたドラクロに成し得る事とは思えなかった。

 

『それは、今のワシと貴様らに関係がないことである』


 じらすようにゲゲゲ、と答えをはぐらかしたドラクロは、こめかみを指で叩いた。


『目覚めたワシは、この優れた頭脳を貴様を貶めるためだけに使い、小娘の肉体を求めたのである。どうであるか? 仲間を奪われた心境は?』

「……」


 狙いをクトーに定めて、用意周到にこの場に誘き出した手腕は認めるべきだろう。

 だが根本において人の負の部分を凝縮したようなドラクロは、有益な人材足り得ない。


 権力者に与えられる役目というものは、原初の昔から搾取の代わりに群れを守る事にある。

 利己のみで群れ(人々)を食い潰すゴミに、権力を持つ資格はないのだ。


「ゲスさは死んでも変わらなかったようだな。……俺の仲間に手を出すのなら今度こそ、その魂を滅してやろう」


 ドラクロは、人の身でありながら邪悪に魅入られ、先王をたぶらかして魔族化させた元凶だった。

 だが同時に、その先王を支配するために喚び出した相手が魔王軍四将の1人であり、利用しようとして逆に支配された愚かな男だ。


 ホアンが本来の地位を追われた原因でもあり、先先代の王だった彼の父親を殺した相手。

 恨んでも恨みきれないだろう相手を、ホアンは転生の機会までもを奪うのを良しとせず、罪人として埋葬するに留めたというのに。


「自ら2度も魔に堕した者に、慈悲は必要ない」

『ゲゲゲ。ワシを殺せるつもりであるか? ワシを滅さんとすれば、この肉体も死ぬ事となる。……ワシは、我が魂を秘めた宝玉をコイツと関わりのあったガキの魂に共鳴させ、助けを求めさせ、そして夢を見せた』


 レヴィの見た夢は、異界に取り込まれた少女の姿。

 おそらくは迷いの結界に取り込み、貧民街まで歩かせたのだろう。


 だから壁門を抜けた気配がなかったのだ。

 聖結界は、巨大な瘴気や攻撃魔法でなければ反応しない。


 変化もしていない魔族が、異界の入り口を開く程度では。


『そうして、ネックレスに対して盗みを働いた男の肉体を奪ったのである。最初から貴様らに直接手を出せば、感づかれる危険があったのでな』


 ドラクロは愚かな男ではあるが、保身と策謀に長けている。

 彼は横に大きく両手を広げ、見下すようにアゴを上げた。

 

『今! この小娘の魂は、ガキの魂を介してワシと共鳴している! 殺せるものならば殺してみるがいいのである!』


 ドラクロは、吼えながらこちらへ突撃してきた。


『ワシを殺せば、その代わりに小娘も死ぬのである!』


 レヴィの身体能力を遥かに超える刺突を、クトーは剣で捌いた。

 そのまま気絶させようと、ピアシング・ニードルに魔力を込める。


「痺れろ」


 相手の動きを止める麻痺の補助魔法を行使するが、手首のスナップのみで至近距離投擲したニードルを、ドラクロは曲芸のようにクトーの肩で倒立して避けた。


『ゲゲゲ!』


 そのままこちらの首筋に向けて叩き落とされた相手の膝を、体ごと這うように沈めて避ける。

 

 クトーは地面に両手をついた。

 そして、空中にいるドラクロの腹に向かって跳ね上げた右足の蹴りを叩き込む。


 ドラクロは吹き飛んだが、壁に両足をついて勢いを殺し、そのまま難なく着地した。


『攻撃に、キレがないのである』


 ニヤニヤしながら、毒牙のダガーに付いた血をベロリと舐めるドラクロに、クトーは体を起こしながらメガネのブリッジを押し上げた。


「癒せ」


 呪文を口にすると、蹴り足につけられたダガーの切り傷が癒える。


 ドラクロは魔術師だったはずだが、魔族と化したこと、レヴィの肉体を得たことで驚異的な身体能力を獲得しているようだった。

 肉体的な疲労もない様子を見ると、レヴィの潜在能力が解放されているのだろう。


 だがそれは、壊れても構わない、と限界を超えた動きをレヴィにさせているのと同義だった。


「トゥス翁」

『……どうした、兄ちゃん』


 応える声は、重苦しさを感じさせるものだった。


 レヴィの置かれた状況に、トゥスも気づいているのだろう。

 このままただ戦い続けるだけで、レヴィは死ぬかもしれないという可能性にも。


「俺には、レヴィを殺さずにドラクロの魂を殺す手段がない」


 クトーは素直に、トゥスに告げた。


「魂は繊細だ。拘束して抵抗を奪った相手ならば、魂を精密な魔力で処置すれば切り離す事が出来る。だが、戦いながらでは出来ない」


 そして同時に、ドラクロを殺さずに拘束する事もまた不可能だと、クトーは今の一合で悟っていた。


「聖属性の攻撃魔法は邪悪のみを消し飛ばせるが、俺には使えない。破格の回復魔法であれば同様の効果を得られるが、やはり今の俺には使えない」

『……薙刀がねぇから、かねぇ?』

「そうだ」


 魔族は闇に属する者なので、炎の魔法によって傷つける事は出来る。

 本来魔法剣を得意とするクトーは、炎や回復の魔力を刃に込めて斬り付ける事も可能だ。


 あるいは、純粋な魔力を叩きつける事で邪悪な魂を消し飛ばす事も。

 だがそれらは、相手を傷つける攻撃手段なのだ。


 クトーの回復魔法を邪悪のみを滅ぼす領域に高めるには、リュウの所持する真竜の薙刀が必要だった。


「可能性があるとすれば、3つ。1つは結界を破ってリュウたちに連絡を取り、奴らを召喚する事」

『その前に、確実にヤツに逃げられるだろうねぇ』

「2つ目は、拘束の魔法により奴を拘束して処置を行う事」

『可能かい?』

「……高位の魔族には、補助魔法を瘴気で打ち消す手段がある」


 呪玉が壊れてしまうクトーでは、継続的な効果を持つ魔法は相手の受け入れを必要とする。

 抵抗されると、直接的な攻撃魔法ではない拘束(バインド)の魔法はその度に掛け直す必要があり、精密な処置をしている最中に同時に行使する事は不可能だ。


「故に、3つ目に賭けるしかない」

『聞こうかねぇ』

「トゥス翁の力を借りたい」


 クトー自身がドラクロを拘束している間に、トゥスが憑依によってレヴィの体内に入り込み、魔族化したドラクロの魂を叩き出す。


 それが、クトーが1番可能性があると思う手段だった。

 こちらの意図を正確に察したトゥスが、大きくため息を吐いた。


 声を出すのをやめ、体内から脳裏に直接語りかけてくる。


『お前さん、自分が何を言ってるか分かってんのかい? 奴は今、三つ子の繋がりを持つ高位魔族さね。その繋がりを断ち、しかも高位魔族だけを体の外に叩き出せってかい? この老いぼれに?』

「出来ないか?」


 ドラクロは、手を出せないこちらの様子を愉しんでいるのか、笑みを浮かべたまま黙って見ている。

 こちらの狙いを悟っているかどうかは微妙なところだが、直接手段までもを口にして意図を完全に悟らせてやる必要はなかった。


「俺は可能だと、信じているのだがな」


 トゥスならば。


『期待されんのは苦手だねぇ。今のわっちにもう少し力がありゃ、確実だと請け負ってやっても良かったんだけどねぇ……』


 仙人はそう前置きをして、言葉に力を込めた。


『出来る限り、だ。嬢ちゃんを気に入ってんのは俺も一緒だからねぇ』

「それで十分だ」


 クトーは応えて、今度は自分から地面を蹴ってドラクロに襲いかかった。


 ドラクロが抜き打ちした投げナイフで眉間を狙ってくるのを、剣で弾く。

 続いて距離が詰まると、毒牙のダガーを腰の辺りに構えてから最短距離で突き込んでくるのを、前に大きく右足を踏み出すことで半身になって避けた。


 ドラクロの鳩尾に向かってクトーが空の左手で掌底を撃ち込むと、相手は大きく体を後ろに倒してかわす。


 そのまま、駆けながら左足で相手の軸足を引っ掛けて姿勢を崩した。

 ドラクロは地面に手を付きながら、跳ね上がった足の軌道を変えて首を狙ってくる。


 クトーは剣の腹でその足を受けた。


 柄から手を離し、腰からピアシング・ニードルを引き抜く。

 しかし呪文を口にする前に、赤い目を軽く細めたドラクロが何かを宙に放り上げた。


 宙に止まったのは、赤い筒ーーーファイアスクロール。


「……防げ」


 拘束の魔法を使用する代わりに、ピアシング・ニードルに命じたのは防御の魔法だった。

 それを握った手の甲で、赤い筒を別の部屋に続く入口へと弾き飛ばしつつ魔法を発動する。


 コン、と入口付近で跳ねたファイアスクロールが起動して、密室に近い空間で炎の魔法が荒れ狂い。




 クトーの視界が、真っ赤に染まった。

 


 

「……ッ!」

『兄ちゃん!』


 息を止めて片手で顔を庇うが、耐熱属性を持つ黒竜の外套でも狭い場所で濃縮された熱量は防ぎ切れず、肌が焼ける痛みと痺れを同時に感じる。


「ぐ……」


 爆風に吹き飛ばされそうになるのを、身を屈めて踏ん張りながら耐えた。

 そのまま、自分の状態を確認する。


 轟音によってやられた耳が、真綿を詰めたような不快さと甲高い音で聴覚の麻痺を伝えてきていた。

 目だけは庇ったが、それでも視界に強い光の残滓が焼け付いている。


 敵は止まっていない。

 殺気だけを頼りになんとか地面を蹴ったクトーは、顔の前にかざした腕に衝撃と痛みを覚えた。


『ゲゲゲ』


 ひどく遠く感じられるドラクロの笑い声を聞きながら腕を逆の手のひらで押さえると、ぬるりとした感覚と温かさを感じる。

 

 ダガーで切り裂かれたようだ。

 傷は深いが、腕を断ち落とされなかっただけマシだろう。


 クトーは腱を裂かれていないことを確認して、ケガを放ったままもう一度ピアシング・ニードルを引き抜いた。


「防げ!」


 再度発動した防御魔法の表面に、殺気の方向から何かが突き立つ感覚を覚える。


『やはり、貴様には非常に有効な手段だったようであるな!』


 回復し始めた視界で防壁の向こうを見ると、毒牙のダガーを引いて大きく後ろに跳ぶドラクロの姿が見えた。


『ゲゲゲ。まさか戦っている最中に敵を庇うなど、甘いにもほどがあるのである!』


 クトーは、1度目の障壁をドラクロに……レヴィの肉体に対して使用した。


 ドラクロにはレヴィの肉体を庇う気がない。

 火傷やケガを負えば行動に支障が出るだろうから、肉体を癒しはするだろう。


 だがそれは、瘴気の影響に対してさらにレヴィの肉体が取り込まれるのと……彼女の体が魔族化して、ドラクロに取り込まれるのと同義だった。


 レヴィ自身に遺された力が弱まれば、侵食が加速する。


「……癒せ」


 四竜のメガネの効果では火傷とケガを癒し切れないだろうと判断したクトーは、5本目のピアシング・ニードルを使用した。

 ストックには余裕があるが、金銭的には確実に赤字だ。


 ヤツが引いたのは、こちらの防壁を抜くだけの攻撃方法がないからだろう。


 ケガに腐蝕や痺れの気配がないのは、魔族には武器の効果を扱う方法がないからだと思われた。

 レヴィの肉体に瘴気を纏わせるほどには、まだドラクロとの同化は進んでいない。


 クトーは、別の部屋に消えるドラクロを一度見送った。


 防御魔法は定位展開魔法なので、動きながら防壁は張れない。

 こちらに攻撃が通らない代わりに魔法以外の攻撃を行う手段もないのだ。


 そこで防壁が消え、クトーはドラクロを追った。

 炎の魔法を叩き込めれば楽だが、その手段は取れない。


 剣を拾い上げてもう1つの部屋に入った途端に、周囲が闇に変わった。


 目くらまし。


「トゥス翁!」


 視界が効かない中で、感じた殺気は2つ(・・)だった。


『払うさね!』

「防げ!」


 また展開した防壁に対して、闇の中からいくつかの衝撃。

 その直後に魔法と技能の干渉を避けたトゥスが、正体を見通す闇払いの火の玉を、キセルだけをクトーの体から突き出して放った。


 闇が晴れた後、床に3本の投げナイフが散っているのを見てから目線を上げる。


 そこに立っていたのは。


「ブネ……」

「久しぶりだな」


 黒い礼服に無表情な、温泉街で見たままの姿のブネが、両手だけを異形に変えて佇んでいた。

 

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