『ジプシー』の地下の秘密 2
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ジプシーの地下のオークションの件については、ローデル男爵からも裏が取れた。
城の医務室にシオンが向かったとき、ローデル男爵は衰弱して青い顔をしていたが、それでも意識ははっきりとしており、シオンの顔を見るや否や、淋しそうに微笑んだ。
おそらく、シオンがほとんどのことを突き止めていると悟ったのだろう。
彼はぽつぽつと語りだした。
「……キャロルと出会ったとき、彼女は俺の知り合いの男の、愛人のような立場だった。彼女はもともと身寄りがなく、十五のときから生きていくうえで仕方なく、娼婦をしていたらしい。しばらくして知り合った俺の知人が、すっかり彼女の美貌に入れ込んで身請けしたんだ。俺が彼女と知り合ったのは、その男の邸で――、当時、借金で首が回らなかった俺は、援助を得るのと引き換えに、その男の娘と結婚することになっていた。俺は男の娘の機嫌取りに邸に行って――、キャロルと出会ってしまったんだ」
ベッドに仰向けに横になって、ぼんやりと天井を見つめながら、ローデル男爵は昔を思い出しているかのように静かに語る。
医務室にはほかに誰もいなく、ただローデル男爵の声だけが響いていた。
「キャロルとはすぐに意気投合した。彼女は美しく、愛らしく、くるくると表情が変わって――、まるで天使のようだった。気がついた時にはもう、俺は彼女を愛してしまっていた。そのことを、婚約者に気づかれてしまってね。キャロルはずいぶんとつらく当たられたようだ。しかし、俺も別に、彼女と恋人関係になろうとは思っていなかった。金のためとはいえ、俺は婚約者を大切にしようと思っていたし――、なにより、金のない俺と生きるよりも、男の愛人として生きた方が、彼女にとっては幸せだろう? だから、一度はあきらめようとしたんだ」
「でも……、諦めきれなかった?」
ベッドサイドの椅子に座って、シオンが静かに訊ねれば、ローデル男爵は微苦笑を浮かべた。
「気が変わったのは――、彼女の肩に、ひどい痣を見つけたときだった。俺は彼女を問い詰めたが、彼女は最初は口を割らなかった。しかし、何度もしつこく訊ねると、彼女は悲しそうに、男に花瓶を投げつけられたのだと答えた。彼女の痣は――傷は、それだけではなく、男にも男の娘――俺の婚約者にも、殴られた跡がいくつもあった。そのとき俺の脳で、ぷつんと何かが切れたんだ」
俺が守らなくては――、そう思ったとローデル男爵はゆっくりと続けた。
「俺は、知り合いのフランク神父を訊ねた。フランクとは数年前、まとまった金を手に入れる仕事があると言われて知り合った。当時、フランクは東の国との密輸で手に入れた阿片を売っていて、俺はその仕事を手伝っていたんだ。しばらくして割に合わなくなったのか、フランクがその仕事をやめて、俺は彼と会うことはなくなったが、俺は彼がまだ阿片の残りを持っているのではないかと思ったんだ。適量を超えると死を招く魔の薬だ。俺は、自分の婚約者にそれを使おうと思った」
「……殺そう、と?」
「ああ。……キャロルを守る方法は、俺にはそれしか思いつかなかったんだ」
ローデル男爵は、ふう、と息を吐きだすと、ベッドサイドの水を口に含んだ。
「しかし、フランクはもう阿片を持っていなかった。諦めた俺がほかの方法を考えようとしたとき、彼は俺に、開発中だというある薬を差し出した」
シオンはハッとした。まさか――、と思ってローデル男爵を見ると、彼は口元をゆがめて笑った。
「その様子だと見つけたみたいだね。そう、俺の書斎にあった薬の、もとになった薬だ」
ローデル男爵は忌々しそうに眉を寄せると、小さく舌打ちして続けた。
「すべてはそれがはじまりだったんだ。俺も馬鹿だった。でも、キャロルを救うために、あの時の俺はその方法しか思いつかず、俺は男と婚約者に薬を持って、彼らを殺害して邸に火をつけた。そして、キャロルと結婚したんだ。だが――」
ローデル男爵はゆっくりと目を閉じた。
「幸せになんてなれるはずもない。俺はキャロルを愛していたけれど、彼女は俺を愛してはくれなかった」
「どうして、そんなことを……?」
「俺には金がないからな。男の邸を燃やすときに持ち出した金は、借金を返済するのにすべて使った。でも、だからと言って、裕福になれるわけじゃない。彼女には苦労をかけたし、金を稼ぐためにはじめた賭博も負けてばかり。気がついた時には――、キャロルはもう、ほかに男を作っていた」
「……ほか、に?」
「フランクだ」
ローデル男爵は、右の拳を振り上げてベッドの上にたたきつける。
「彼女はフランクに金をもらっているようだった。最初は全然気がつかなかったが、金がないはずなのに、食事が当たり前に出てくることに疑問を持ちはじめて、調べて気がついた。キャロルはフランクとできていた。俺は怒りで目の前が真っ赤に染まったが――、だからと言って、金のない俺に、彼女の気持ちをつなぎとめる手段なんてない。そう絶望した時、トムキンスと知り合ったんだ。彼が、フランクの息がかかっている男だと知りもしないで、ね」
シオンはローデル男爵の言葉を静かに聞いていたが、自分が認識していることと若干のずれがあるように感じて首を傾げた。
しかし、それを正す前に、ローデル男爵は続けた。
「フランクは、キャロルに飽きていたらしいね。トムキンスを使って、俺にある薬を渡したんだ。それは――、人を、人形のようにしてしまう薬だった」
シオンが瞠目すると、ローデル男爵は自嘲気味に笑った。
「馬鹿だろう? 俺はキャロルを人形にしようと思ったんだ。心が手に入らないなら、心なんていらない。ただ、彼女がいてくれさえすればよかった。そう思って、俺は彼女に薬を盛った。彼女は疑いもせずに、俺が煎れた茶を――薬入りの茶を飲んだよ。そして、言われた通りに薬を盛り続けて――、彼女は、息を引き取った。こんなはずじゃなかったのに……! 結局俺は、彼女を手に入れるどころか、永遠に手の届かないところへ追いやったんだ。そして、そのあと、トムキンスがフランク息のかかった男だと気がついた。トムキンスとフランクは、キャロルの一件で俺を脅して、最近はじめた人身売買の仕事の手伝いをさせはじめた。俺はただ言いなりになって、フランクたちの仕事を手伝ったんだ。トムキンスは俺の見張りを兼ねて、執事として邸に居座るし、フランクはどこから手に入れてくるのか、次々と少女たちを生ける人形にして売りさばいていた。俺は主に、フランクが作る生きた人形の失敗作――、彼が殺してしまった少女たちの片づけを担当したよ。証拠が必要なら、彼女たちを埋めた場所まで案内する。ただ、頼むから彼女たちは、調べたあとにきちんと埋葬してやってくれ」
ローデル男爵はすべて語り終えると、疲れたように息を吐きだした。まるで、そのまま死にたがっているようにも見えて、シオンは逡巡したのち、椅子から立ち上がった。
「少し待っていてください」
ローデル男爵にそう告げると、シオンは一度シュゼットの部屋まで引き返し、そこにおいてあったキャロルの日記を手に医務室に引き返す。
(まだ俺も、少ししか読んでいないけれど……、たぶん、ローデル男爵は誤解している)
キャロルの自室にあった日記を、おそらくローデル男爵は読んでいないのだろう。読む気にもなれなかったのかもしれない。けれども、彼に、これだけは渡さないといけないと思った。
シオンが戻ると、ローデル男爵は彼が両手に抱え持った日記を怪訝そうに見やった。
「……それは?」
「夫人の部屋にあった日記です」
シオンが答えると、ローデル男爵は目を見開いた。
「あなたは誤解している。夫人はあなたを愛していた。僕もまだほとんど読んでいませんが、ここにあなたへの気持ちが書いてあります。結婚する前に、夫人にポピーの花をあげませんでしたか? ここへは持ってきていないけれど、オルゴールの中に、大切そうにポピーの押し花が入っていました」
シオンはローデル男爵のベッドサイドに日記を積むと、狼狽えたように日記とシオンを交互に見やるローデル男爵に微笑んだ。
「僕はこれから行くところがあります。あなたの証言のおかげで、堂々と兵士が動かせる。戻ってくるまで、これを読んでいてください。気持ちが疑われたままでは、夫人もかわいそうだ」
シオンはそう告げると、小さく一礼して医務室から飛び出した。




