消えた姫君 1
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城の西にある地下へと続く階段を降り、途中三股に分かれる道を左に進めば、そこに彼――フォリオの研究室はある。
シオンが研究室に入ったとき、フォリオは試験管に入った紫色の液体を揺らしていた。
明らかに怪しい色をした液体をキラキラした目で見つめて、ぶつぶつと独り言をつぶやくフォリオを見た途端、シオンは回れ右をして逃げ出したくなったが、そこはぐっと我慢すると、遠慮がちにその小柄な背中に声をかける。
「取り込み中のところ申し訳ないのだが――」
集中しすぎて、シオンが部屋に入ったことには気がつかなかったフォリオだったが、さすがに声をかけられれば気がつく。
肩より少し短いくらいで切り添えられた白髪がふわりと揺れる。振り返った彼は、だぼだぼの白衣を着て丸眼鏡をかけた十五歳ほどの少年だ。
くりっとした丸い目を眼鏡の奥でぱちぱちと瞬かせて、部屋の扉の前で所在なさげに立ち尽くしているシオンを見、ぱあっと顔を輝かせた。
(……嫌な予感)
フォリオは城の地下で暮らしている研究者だ。師であった医師が亡くなった後も、こうしてよくわからない研究を続けている。
本来は師のあとを継いで医官になるべく勉強をしていたはずだったのだが、どういうわけかわき道にそれ、今や何かよくわからない薬品や機械を開発してみたり、突然思い立って城の裏庭で独自に掛け合わせた新種の植物を育ててみたりと、シオンには到底理解の及ばないことをしている少年だった。
「シオン! ちょうどよかった」
フォリオはぽこぽこと小さな泡を立てている紫色の液体の入った試験管を持って、シオンのそばまでとことこと歩いて来た。白衣のみならず、その下に履いているズボンもだぼだぼなため、歩く姿はようやく歩くことを覚えた幼子のようにたどたどしいが、その姿を少しでも可愛いと思って絆されてはいけない。なぜなら――
「ちょうどでき上がったところなんだ! これ飲んで!」
「……」
彼はシュゼットとはまた別の、歩く傍迷惑なのである。むしろ、邪気がないだけなお悪い。
シオンはこぽこぽと音を立てている試験管を見やり、たっぷり沈黙したあとで、棒読みで訊ねた。
「――――――それは?」
「毛生え薬だよ! たぶん成功したと思う」
「たぶん?」
「まだ臨床試験前なんだ。だから、飲んでよシオン」
データが必要だからね、とにこにこ笑うフォリオをシオンはじろりと睨んだ。
「残念ながら俺には毛生え薬なんて必要ないし、そもそも毛生え薬は飲むものなのか?」
「塗り薬はまだ研究中なんだ。それに、飲む方が効果は高いはずだよ! 髪の毛のみならず、全身の体毛がふっさふさ」
「お前は俺を猿にでもしたいのか!」
「服着る手間がなくていいと思うんだけどな。だめかぁ」
フォリオは試験管を目の前で揺らしながら、ちぇーっと口を尖らせる。
そして、渋々試験管を試験管立てにおくと「まあ座りなよ」と本と脱ぎ散らかした服とで座るスペースなんて見当たらないソファを指さした。
シオンははーっと嘆息すると、本と服を端に寄せて、何とか一人分のスペースを確保すると、座り心地の悪い硬いソファに腰を下ろす。
「紅茶でいーい?」
「いや、結構」
フォリオの研究室にティーカップがないことを知っているシオンは即答した。なぜなら、フォリオは当然のようにビーカーにお茶を煎れて出すのだ。何に使ったのかもわからないビーカーに入れた茶など口に入れたくない。
「喉渇いてないの? ……これ、試してほしかったんだけど」
「まだ俺を実験台にするつもりだったのか!?」
「やだなぁ、実験台なんて。ただ、面白いものを開発したんだ。見てみて」
フォリオは嬉しそうに赤と緑と青がマーブル模様になっている液体を取り出した。見た目からして怪しすぎる。というか、何故混ざらない!
「これをね、飲み物に入れるとあら不思議! お茶が酸っぱくなったり甘くなったり苦くなったりと、いろんな味に変化するんだ! ね、面白いでしょ!」
「変なものを作るな!」
シオンは額をおさえた。
フォリオは天才だ。だが、それと同時にどうしようもなく変人だった。
(どうしてこう、変なものばっかり作りたがるんだ……)
もちろん、趣味にばかり走っていたのではオルフェリウスに研究費を取り上げられてしまうので、渋々国のために何かを研究することもある。つい最近も、新しい水のろ過装置を作ったのも知っている。しかし、まともな研究は一割程度で、残り九割は何の役に立つのかもわからないような研究だとシオンは思っている。
(この前も、ハツカネズミの毛を緑にするよくわからない薬を開発していたな……)
フォリオは研究のため、何匹ものハツカネズミを飼っている。だが、突然「白ばっかりじゃ見分けがつかない」と言いだして、ハツカネズミに飲ませると毛の色を変化させる怪しげな薬を開発した。
シュゼットなんかは面白がって、人にも使えるものを作れととんでもないことを言っていたものだ。
「それで、何しに来たの?」
フォリオは服と本の上からソファに腰を下ろすと、ビーカーに入れた紅茶に先ほどの怪しげな液体を少量落としてかき混ぜた。途端に血のように赤く変化した紅茶にシオンはぞっとする。
「あ、ああ……、ちょっと調べてほしいものがあるんだが……って、飲むのか!」
「ん?」
フォリオは真っ赤に染まった紅茶を平然と口に入れた。
「だ、大丈夫なのか……?」
「うん。赤く染まったときは甘いんだ。緑が苦くて、青が酸っぱい。黄色になったときは……、うーん、なんかよくわからない味がしたんだけど、まあ大丈夫」
よくわからない味ってなんだと思ったが、シオンは突っ込まなかった。これ以上フォリオのペースに飲まれていてはいつまでたっても話が進まない。
シオンはポケットから褐色の小瓶を取り出すと散らかったテーブルの上においた。
「それ、何?」
早くも興味を示したフォリオが瓶を持って光に透かし、瓶を揺らして中の液体の様子を確かめている。
瓶は、ローデル男爵の書斎にあったものだった。
「その中身が何なのか調べてくれないか」
「何か重要なものなの?」
「わ、ばか! 舐めるな!」
フォリオが無造作にふたを開けて、中の液体を舐めようとしたのでシオンは慌てて止めた。
「え?」
「中身が何なのかわからないんだぞ! 毒薬だったらどうするんだ!」
「そんな物騒なものなの?」
「いや、わからないが……、ともかく、むやみに口に入れようとするな!」
「まあ、シオンがそういうなら……」
フォリオは瓶を持って立ち上がると、試験管や薬品が立ち並ぶ作業台の上においた。
どうやらよほど興味をひかれたのか、さっそく取りかかるらしい。
「何かわかったら教えてくれ」
「うん、わかった。……あ、シオン、禿げている人見つけたら毛生え薬宣伝しておいてよ! データがとりたい」
シオンは試験管立てにある紫色の液体に視線を投げてから、ぼそりと答えた。
「……禿よりも猿の方がましだという変人に出会ったならな」




