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繋がる空を眺めて


「上腕がまだ3cm細いわね、下腿三頭筋は太すぎ、それ以上は重りにしかならないから1cm細くしなさい」


「センチ単位で調整ですか……そうですか……」


「今日の筋トレメニューを出しておいたわ」

 そう言うと細かくぎっしりと書かれたプリントアウト用紙を俺に手渡す。


「……」

 正直うんざりしていた。

 筋トレは単調で苦しい以外の何物でもない。

 

 あれから半年が過ぎた、俺は会長と夏樹に頼みなんとか進級ギリギリの成績をキープしいていた。

 そしてこの見た目少女のこのコーチは、俺の予想を上回る程の完全無欠の完璧主義者だった。

 そう……中身はおっさんの鬼ロ……。


「なんか言った?」


「いえ」

 炉利ばばあなんて言ってないよ本当に。


 俺はこの半年ひたすら筋トレにを主体に励んでいた。


「ぼちぼちトラックを走りたいんですが」


「……何の為に?」


「いや、えっと──100m走者だから?」

 知ってるよね?


「知ってるわ」

 知ってたんだ~~てっきりボディービルダーだって思われてるとばっかり。


「……」


「……」

 うわーー、相変わらず会話が成り立ってねえ。

 

「えっと流石に来月の記録会に間に合わないのでは?」

 計画では4月に行われる記録会、そこでタイムを出しテレビ中継されるハイパー陸上へ進み、そしてインターハイ、最後に世界選手権と続く。


「走り幅跳びの練習だけで十分よ」


「んなバカな」


「……本気よ? そもそも貴方家に帰ってから走ってるでしょ? だから計画とは違う無駄な肉が付くのよ」

 コーチはそいいうと傍らに置いてあるノートパソコンのキーボードをイライラした手付きで打ち込む。


「いや公園でちょろっと走ってるだけだからタイムも何もわからないんで……」

 無駄な肉って、まるで俺をを太ってる扱いだ。

 

 毎日毎日同じ事の繰り返し、俺はここ半年、筋トレと勉強以外の記憶がない。

 

 正月……俺のなにそれ?


「今走っても記録なんて出ないわよ」


「まあそうなんでしょうけど」

 彼女はグラウンドの見える位置を陣取り、自ら用意したキャンプ用の折り畳み椅子に腰掛け、俺を見る事なく手に持っているタブレットをじっと見つめながらそう言った。


 コーチを信頼した……とはいえこの言い方と態度に不安を感じ連日それとなくこうして抗議するも一蹴されてしまう。


 こんな調子で本当に来月記録が出るのだろうか?

 勝てるのだろうか?


 しかし既に賽は投げられた。

 もう後戻りは出来ない。

 今は彼女に頼るしか無いのだ。


 中学迄はずっと一人でやってきた。

 でも怪我をして以来人に頼る事を覚えてしまった。


 それは俺が弱くなったから……。

 いや、本当にそうなのか?

 ずっと自問自答してきた。


 しかし未だに答えは見つからない。

 記録を出せれば、勝つことが出来れば答えは出るのだろうか?


 俺は夕日に赤く染まる空を見つめた。

 どこかでこの空を円が見つめている様な、そんな気がしていた。




♔♔♔♔♔♔♔




「霧のロンドンとはよく言ったものねえ」

 早朝、円は部屋の窓の近くに置いた椅子に腰掛けそうポツリと呟くと、じっと空を見つめていた。

 

 退院後円はテムズ川近くのマンションを借りそこで暮らしていた。


 細かった彼女のお腹は現在ふっくらと膨らんでいる。

 幼い円のその姿に、何か見てはいけない物を見ている様な……そんな気にさせられる。


「円、駄目よ身体を冷やしちゃ、窓閉めなさい」


「……はーい」

 円はそう返事をして残念そうに窓を閉めた。


 春休みを利用して私はまたイギリスに来ていた。


 いよいよ来月出産予定、私は姉として彼女の出産に立ち会う覚悟を決めてここに来ていた。


「それでそれで、翔くんは両方やるのね?!」

 翔くんの最近の話を聞き興奮を冷ます為に外の空気を吸っていた彼女は、再び目を輝かせ私に続きを話せとせがむ。


「そうらしいわね、何かずっと新コーチと難しいやり取りをしているわ」


「へえ姉さんでも知らないんだ」


「運動関係はそんなに詳しく無いわよ」

 半年前迄は円に無理矢理姉さんと呼ばせていたが、最近では普通にそう呼んでくれている。

 

 母の自覚なのか? 尖っていた性格はすっかり削れ丸みを帯びている様に感じた。


「そっかそっか、来月楽しみだねえ」

 彼とコーチのデビュー戦、100mではあのサッカー選手との動画で有名になりつつあるが来月の記録会で正式に100mの高校新記録を狙いに行く。


「それじゃあ私もがんばらなきゃねえ~~」


「……不安じゃないの?」

 この年齢での初出産、しかも海外で……。


「全然、案ずるより産むがやすしっていうでしょ?」


「まあそうだけど」


「ふふふ、好きな人の……大好きな人の赤ちゃんを産めるのに、楽しい以外の事ある?」


「好きねえ……」


「うん大好き」

 円は本当に屈託のない笑顔を私に向けてそう言った。 

 

「それでこのベビー服なんだけどどうかな? 可愛くない?」

 円は海外ブランドのベビー服をスマホで調べ私に画像を見せて来る。

 

「気が早いわねえ」


「そう? もう来月なんだからそろそろ用意しな……あ、蹴った……蹴ってる蹴ってる、あははは、お腹の中で走ってるよ。君もパパの様に走るかい?」

 円は嬉しそうにお腹を擦りながらそう話しかける。


「女の子でしょ?」


「うーーん、正式には聞いてないわ、でも女の子でも陸上選手になれるでしょ?」


「まあ、そう……ね」

 円から見せて貰ったエコー写真で恐らく女の子だろうと私は判断した。まあある程度知識はあるけど、写真だけでは正確にはわからない。


「でもアイドルにはしたくないなあ、まあ、私に似ても翔君に似ても可愛い子供にはなると思うけどねえ」

 

「そっか、じゃあ可愛かったら私が英才教育を施してアイドルに仕立てあげよう」


「え~~~~、まあ本人がそうしたいならいいけど、じゃあ叔母さんにお願いしようね~~」

 円は笑いながら自分のお腹に向かってそう言った。


「──え……ちょっと待って、あ、そ、そうか、そうかあああああああぁぁぁ」

 妹の娘……って事は姪って事に……そう、つまり私は正真正銘叔母さんになるのだった。


「あははははは」

 円はしてやったりな表情を私に見せつけながら大笑いした。

 

 その笑顔に私は少し安心した。

 さあ、来月は母親もがんばるんだから……父親もがんばらないとね。


 私はそう心の中で呟いた。



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