表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
265/271

自分の為だけの走り


「貴方の走りは一発勝負の要素が大きすぎます」


「そうしないと世界でなんて到底勝てるわけ無い、だから俺は命張って走ってるんだ!」


「一発勝負で勝てる程陸上は甘く無い」

  彼女はタブレットを見ながら俺に対して首を振り冷静にそう言う。


「そんなのわかってますよ!」


「……いいえわかって無いわ」

 彼女はようやくタブレットから目を離しキラリと光る眼鏡越しに俺を見つめる。

 その鋭い眼光に怖じけそうになるのを抑え俺は彼女に向かってはっきりと言った。


「……貴女の意見は抽象的過ぎる、トレーナーならもっと具体的に言って下さい」


「そう……じゃあ言いますね、まず貴方は最近9秒台を記録しているのよね、でも今日のタイムはコンマ3秒も遅かった、それは何故?」


「そんなの勿論試合用に調整していないからに……」


「いえ、そうだとしたら遅すぎるわ、この映像を見て貰えばわかると思うけど、ここ、この3歩目、これ完全に躓いていますよね?」

 タブレットの映像を指差し俺に見せ付けた。

 そう……確かにその3歩目、足が前に出ず転びそうになるのを堪えた。


「そ、それは……」


「貴方の走りは危険過ぎる……そして状態、状況、環境に対処出来ない、最高のコンディションじゃないと走ることが出来ない」


「……」


「恐らく九秒台を出したのはここでしょ? この走り慣れた環境、慣れたトラックじゃないと貴方は記録を出す事が出来ない、いえそれどころか転倒のリスクが数倍跳ね上がる」


「そ、そんな事は無い……」


「本当に? 言い切れる?」


「そ、それは……」


「私はね、競技においてそんな走り方を承認する事は出来ません。身体の調子だけならまだいいけど、他人を害する恐れのある行為は許され無い」


「きょ、今日は急だったから、勿論試合の時は……」

 そう言うと待ってましたとばかりに彼女は俺の言葉を遮る様に言った。


「風速がプラマイ2mを超えたら?」


「……え」


「ううん、雨が降ったら? 気温が低かったら、もしもスパイクのピンが折れたら?」


「そ、それは……」


「気温気圧天候風速、陸上は屋外でのスポーツなの、コンディションは毎回、ううん毎時毎分で変わっていく、同じコンディションで走る事は二度と無い、競技場もそれぞれ違う特性がある。貴方のそのギリギリの走り方じゃ対応出来ない」


「そ、それは……」


「予選準決勝決勝、その全てで完璧の走りをしないといけない、私は選手権で貴方を勝たせるという依頼でここに居るの、でもね、今の貴方走り方では身体の調子が良く試合当日のコンディションが良い時にしか勝てない走り……それじゃ意味無いの」


「だ、だけど」


「貴方がやっている事は自慰行為と同意、自分だけの為に走るなら一人で走れば良いわ。タイムを出したいだけならその走りで全然構わない。でもね試合では相手が居るの、タイムなんて関係ない、向かい風でも追い風でも雨でも最初にゴールテープを切った者が勝者となる、予選でいくら早いタイムを出した所で上位に入らなければ先はない、ましてやフライングや転倒なんてもっての他」


「……」


「そしてね、陸上競技はね、特に100mはいくら世界記録を持っていても世界選手権、ううん、オリンピックで勝てなければ認めて貰えない、それはわかっているわよね?」


「……はい」


「そもそもそんな転倒のリスクが高い貴方の走りは邪道、いえ、ただの迷惑でしかないわ」

 図星だった。

 何も言い返す言葉が出なかった。


 俺は初めて陸上の事で何も言い返す事が出来なかった。

 認めざるを得ない。


「……じゃあ……どうすれば」


「根本的にやり直すしかないね、ううん、でも問題はそこじゃない」


「問題?」


「そう……貴方の中の問題」


「俺の中……」


「貴方は今までずっと一人でやって来た、表面上は他人に頼っても本当に信頼はしていない」

 今日会ったばかりだというのにまるでずっと俺を見てきた様な口調に少しカチンと来た。


「そんな事は無い」


「いいえわかるのよ……私にはね」

 彼女の鋭い眼光に俺は初めて恐怖を、畏怖を感じた。


「アメリカではね、信頼を勝ち取るには実績が必要なの、その実績は信頼が無いと積み重ねられない。だから私は身に付けたの……相手の本心を性格を把握する技術をね」

 その彼女の瞳は俺の奥底に潜むトラウマや悪心を見透かすようだった。


「……」


「どうするかは貴方が決める事、私を信頼して根本からやり直すか、それとも私の意見は無視して一発勝負の賭けに出て散るか」


「散るかどうかは走って見ないとわからないじゃないですか」


「ふふ、ギャンブルってね、必ず負けるのよ、そういう風に出来てるの」

 胴元が必ず儲かる様に出来ている。

 それは知っている……ただ。


「……でも相手が居るギャンブルなら勝てる方法はある」


「そうね、ポーカー等には勝つ方法論がある。ただそれが使えるのはアマチュアを相手にする時だけ、プロ同士なら当然相手も知っている。そうなると手札、運勝負になってくる。でもそれは同じ条件で同じ実力がある者だから成立するの、今の貴方は世界トップクラスの選手達と同じ実力があるの?」


「そ、それは……」

 

「わかっているわよね? 運で勝てる程スポーツは甘く無い、特に陸上は100mは運の要素が極端に少ない競技、だから100mの勝者は人類最速を謳えるのよ」


 俺は井の中の蛙だったのか?

 この急に現れた目の前の女史に何も言い返す事が出来なかった。


 しかし彼女の経歴では走りのスペシャリストではあるものの、陸上は専門外と聞く。


 今から全てを捨て一からやり直すなんて出来るのだろうか?


「ちょっと……考えさせて下さい」


「そうね、じっくりと考えて頂戴……でも、残された時間は僅かよ」


「……はい」

 俺はわかってますとばかりにそう返事をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=55608073&size=300
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ