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頭を冷やして


 話し合いは一時中断、夏樹さんは一度湯槽から出ると髪を洗い始める。

 白い肌と日焼けのコントラストが眩しい。

 引き締まったウエスト、六つに割れたお腹の筋肉。

 長い手足に細く締まった足首は、人間国宝の作った伝統工芸品の様な美しさを感じる。

 

 私と違い短めの髪なので、直ぐに洗い終わるとそのまま身体をさっと洗い、美しく逞しい身体を私に見せつける様に隠しもしないで、もう一度私の隣に入ってくると身体を湯船に沈めた。


 そして美しくつぶらな瞳で私を見据える。

 綺麗さ可愛さを客観的に自分と見比べると、彼女に負けてるとは思わない。

 しかしそこに彼の、翔君の好みという要素を入れると、途端に自信がなくなってしまう。

 

「どうぞ?」

 呆然と見続ける私に彼女はそう言う。

 相変わらず目は笑っていない。


「えっと、私は時間がかかるから夏樹さんが出たら洗うわ」


「そ、じゃあちょっと暖まったら先に部屋に戻ってる」


「うん」


「…………」


「…………」


 そして二人の間に沈黙が走る。


 彼女の衝撃的な言葉に私は何も言えなくなっていた。

 考えが追い付かない。もしかして……私の方が間違っているのかも? とまで思うようになってしまっていた。


 今までの自信が自分の考えが根底から覆ってしまいそうになっている。

 私は彼に対して余計な事をしているのだろうか?

 私は余計な人間なのだろうか?


「えっと……夏樹さんは……翔君と結婚を考えているって事で良いのよね!?」


「──え? あははははかーくんと結婚? うーーん、想像つかないなあ」


「え?」


「ああ、まあ、さっきのはね、あくまでも夢の話というか」


「あ、ああそうだよね」

 半分冗談だったのか? 夏樹さんからそう言われ少しホッとするのも束の間、夏樹さんは真顔で私に言った。


「うん、結婚しなくても子供は出来るよね」


「……えっと……」

 更にとんでもない答えが返ってくる……この人は本当に何を考えているのか……正直怖くなってくる。


「まあ、かーくん次第かなぁ? 今のかーくんにこんな話をしたらひっくり返っちゃうからね、そもそもわたし一人でどうにかなる話じゃないし」


「そ、そうね」

 裸同士で赤裸々に自分の考えを出し会うって事なんだろうけど、夏樹さんのあまりの考えに正直ついていけない。



「それで、貴女は、円さんは最終的にどう責任を取るつもりなの?」


「どうって……彼の足を治して、もう一度彼を走らせてあげる」


「完全に治らないのに? それで責任を取った気になるって事? それってただの自己満足じゃない?」


「それは、でも翔君は」


「そうね、かーくんはそこでもう十分だって言うでしょうね、そして貴女はそれを受け入れるって事で責任を取った気になる、あははは、それでその先は?」


「その先って」


「それってなんの解決にもなってないよね? 普通の生活に少しだけ早く近付いただけ、だから意味が無いって言ってるのそれに対してリスクが高すぎる」

 堂々巡りとはこの事なのだろう。

 結局どこまで行っても平行線を辿るだけ。


「はあ、のぼせそう……とりあえず一度頭を冷やそっか」

 彼女はそう言って立ち上がると、私を一瞥し、そのままさっさと浴室から出ていった。

 天真爛漫、裏がない……ここまで話して私は彼女の事をそう思った。

 彼女と話すと自分が汚れているって……そう思ってしまう。


 翔君が彼女に憧れる理由がなんとなくわかる。

 憧れているのは彼女の運動能力だけじゃ無い。

 あの裏表の無い所に、ストレートな感情表現に、彼はずっと憧れていたのかも知れない。


 そして……恐らくそれが彼の芯の部分になっている。

 ずっと彼女とそして妹の天ちゃんと過ごしてきた。

 裏切る事なく裏切られる事なくずっと過ごしてきた。

 それが彼の弱みであり、それが強みでもあった。


 あの二人と一緒にいたから、陸上で日本一になる事を疑う事なく、迷う事なく突き進められたのだろう。

 

 そして……全てに裏切られ、彼は絶望した。

  

 私は翔君の事を思いながら髪を洗う。

 

 涙を流しながら……髪を洗う。


 そうさせてしまったのは私だから……。

 だから私は彼を元に戻したかった。

 できるだけ元の状態に戻したかった。


 彼の足も人生も……純粋に夢を追いかけていたあの頃に。


 でも、それは私のエゴでしかない……そう言われた。

 覆水盆に帰らず。決して元に戻る事は無い。


 わかっている、そんな事はわかっている。

 苦しい程にわかっている。


 でも、だけど、じゃあどうすれば良い?

 何もしない方がいいなんて……。


「違う……違う違う違う」

 間違っているのは彼女だ。

 

 私はシャワーを冷水にして頭から水を被る。

 彼女の言っていた通り、文字通り頭を冷やす。


 ママに比べれば、大した事ない……所詮ただの高校生。

 自分が正しい、自分の考えをを信じる。そして彼を信じるだけ。


 家族の意見が正しいとは限らない、それは……私が一番よく知っている事。


 私は責任を果たす。ただ……それだけ、なのだ……本当にそれだけ?



 

  

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