第4章 第26話 人を呪わば穴二つ
〇梨々花
「わたしを……リベロに……?」
環奈ちゃんを追い払った後、九寺さんが告げたその言葉。
とてもじゃないけどそのまま受け入れることはできない。
レシーブ力、立ち回り、知識。基本的な技術は全て環奈ちゃんの方が上。
勝っているのはトスの技術と左利き相手のレシーブのみ。いや、よく考えてみれば環奈ちゃんは中学時代風美ちゃんのスパイクを受けてきたんだ。ただ美樹のスパイクに慣れているだけで、普通の左利き相手なら環奈ちゃんの方が上手いのかもしれない。
それなのに環奈ちゃんじゃなくてわたしをリベロに選ぶだなんてどう考えてもおかしい。
「その辺りはこれから説明させていただきます。どうぞこちらに」
相変わらずのメイド服姿の九寺さんは畳の上に正座すると、スカートとニーソックスの間の綺麗なふとももを差し出してきた。
「えーと……それは……?」
「膝枕です。ご主人さまから午後は小野塚さまにかしずくよう指示を受けたので、普段ご主人さまにしていることをやろうかと」
普段こんなことやってるの!?この二人の関係は一体どうなってるんだ。
「じゃあ……失礼して……」
とりあえずふとももに手を置いて……うわ、すごいすべすべしてる! どんなお手入れしてるんだろっ!?
「よっこい、せ……」
そしてついに後頭部をふとものに乗せてみる。な、なんか新境地! すごい気持ちいい! ……美樹あたりにお願いしたらやってくれるかな。
「寝心地はいかがですか?」
「んー……いいかん……!」
む、胸で顔が見えない! この子中三だったよね!?既にきららちゃん……いや環奈ちゃんクラス! この子が二個下だなんて……!
「それで、なんでわたしがリベロなの? 環奈ちゃんの方が上手いのに」
いけないいけない。胸のことで胸いっぱいになっていた。間違えた頭がいっぱいだ。
「確かに現時点では小野塚さまは水空さまに劣っています。しかし届かないほどの差ではない。むしろ不十分な環境で競れるまでの力をつけた小野塚さまを評価すべきだとご主人さまは考えています」
競れて……いるのか? 正直疑問しかない。環奈ちゃんは一軍で、わたしは戦力外。花美でのリベロ決めも、美樹ですら環奈ちゃんの方がリベロにふさわしいと思っていた。
「浮かない顔ですね」
「え? わたしの顔見える?」
「いえ、見えませんが」
だよね。なんなんだろ、この子。なんのよどみもない淡々とした口調は、なんだか台本を読んでいるだけのような感じがする。まぁたぶん高海さんにそう言えって言われたんだろうな。
「まどろっこしい話はいいからどんどん進めてくれる? 九寺さんのふとももが寝心地よすぎて寝ちゃいそうなんだよね」
「セクハラですね」
「いや膝枕させといてそれは……」
なんだか掴みどころのない子だなぁ。なにを考えているか全然わからない。本音を言えば苦手なタイプだ。
「ごほん。では続けさせていただきます。まずご主人さまが小野塚さまを評価している点です。ずばりそれは、『模倣』」
それから九寺さんはわたしに模倣の解説をした。簡単に言うと、わたしは他人が行ったプレーを真似しているらしい。
確かに子どものころからテレビでやっていたプロの試合の真似をよくしていた。サーブは完全にテレビから学んだし、藍根戦でのスパイクもネットを挟んだ向こうの小さなスパイカーの真似をしようと考えていた。咄嗟に出た左腕も音羽ちゃんの姿が脳裏に浮かんでいた気がする。
「翠川さまも同じ模倣を使えますが、小野塚さまの方が断然上。というより他人のプレーを自分の体格に合わせるのが上手いと言った方が正しいでしょうか。とにかく呑み込みが異様に早いのです。まさしくバレーの天才。数十年に一度の逸材だとご主人さまは仰っておりました」
バレーの天才……。そんなこと言われたの初めてだ。だってこの身長だし。
でも、そうなんだ……。わたし、天才だったんだ……。
「それでも、やっぱり環奈ちゃんの方が上だと思うんだよね……」
「当然です。水空さまは紗茎中学でとにかくバレーに集中していたようですから。球拾いからレシーブを学んだ小野塚さまとは年季が違います」
「ですがそれはあくまで現時点でのこと」と言い、九寺さんは続ける。
「水空さまは驕っています。自分の実力に酔っているのです。だから上手くなろうとは考えていない。昨日今日の試合で全く動こうとしていないのがその証拠です」
「それは環奈ちゃんが脚を怪我しているからだ」と言おうとして、やめた。たぶん環奈ちゃんが既に言ってあるはずだしそれに。
これで環奈ちゃんの評価が戻ったりしたら、嫌だと思ってしまったから。
「その点小野塚さまはしっかりとバレーに向き合っています。今日もずっと過集中のコントロールの特訓をしていたんですよね?」
「まぁ……そうだけどさ」
確かに特訓はしていた。上手くなろうという気持ちがゼロってわけではない。
でもわたしは。それじゃいけないんだ。
「わたしがバレーをやるのは環奈ちゃんのためだから」
それが環奈ちゃんとの約束。環奈ちゃんがわたしのためにバレーをやるように、わたしも同じことをしなくちゃならない。
「本当にそうでしょうか?」
でも九寺さんは、わたしと環奈ちゃんの前提に疑問を投げかけた。
「そもそもお互いのためにバレーをやるとは何なのでしょうか。具体的にはどういうことを?」
「それは……その……」
答えられなかった。だって答えがないから。
それは今まで考えてこなかったのが不思議なほどに意味がわからないことだった。
そもそもわたしと環奈ちゃんは、同じポジションを取り合うライバル。それでわたしが負けてセッターで落ち着いているけど……それ以上でもそれ以下でもない。
別に環奈ちゃんが急に退部したとしてもわたしはリベロとしてバレー部に残るだろうし、環奈ちゃんは……ちょっとわからない。環奈ちゃんだったらどうするんだろう。
あれ? よく考えたらわたし、環奈ちゃんのこと全然知らない気がする。
「気づいたようですね」
いつの間にか無言で考え続けていたわたしの頭を優しく撫でながら九寺さんは笑った。ような気がした。
「小野塚さまは水空さまのためにバレーをしたことはないのです。それなのに水空さまのためにバレーをすると言っている。これっておかしくないですか? まるで嫌々従っている呪いのようです」
呪い。それはすとんと胸に落ちてきて。
わたしと環奈ちゃんの関係にふさわしい言葉だと思った。
「そんな不必要なしがらみに囚われるなんてもったいない。小野塚さまには無限の才能があるのです。どうか才能に溺れる憐れな後輩に捧げるのはやめていただけませんか」
九寺さんの顔は依然として見えないが、なぜか胸を透過しているかのような錯覚に陥る。
今の九寺さんはいつもの能面顔とは違い、とても真摯で思い溢れる表情をしているのだと思った。
「でも……わたしは……」
一度環奈ちゃんのためにバレーをやると言ってしまった。ある意味呪いだと認めたようなものだ。今さらそれを一方的に裏切るなんて、したくない。
「……言葉とは不思議なものです」
わたしが次の言葉を探っていると、九寺さんはそう漏らした。
「文字にすれば同じなのに、誰が言ったかが重要となる。私がどれだけ言葉を尽くそうと、本当に大切な人からの一言には決して敵わない。そこにどんな意味が隠されていたとしても」
どこか九寺さんの雰囲気が違う。わたしに語りかけているようで、そうでないような。どことなく自分語りのようにも聞こえる。
「九寺さん、その……」
「本日夜七時。紗茎学園の正面広場にいらしてください」
なにかフォローしようと思っていると、わたしの言葉を九寺さんの言葉が打ち消した。
そして次の言葉が、わたしに届く。
「あなたの本当に大切な人がお見えになるそうです」




