第4章 第24話 気持ち悪い
「ここは密室。いるのはあたしと梨々花先輩だけ。もうこんなの、あたし我慢できないです……」
わたしを押し倒し、紅潮した顔を近づける環奈ちゃん。
「梨々花先輩もうれしいですよね? いつも邪魔な扇さんがいないんですよ? もうこんなチャンス二度とないですもん」
環奈ちゃんの身体がわたしへと重なる。大きな二つの塊の感触がシャツの上からでも確かに感じる。
「落ち着こ……環奈ちゃん……」
それに対し、わたしはそう返すしかなかった。扉を閉めたとはいえ鍵は閉めてないし、そもそも今はそんなことしている場合じゃないし。それに……いやだし。
「落ち着けるわけ……ないじゃないですか……」
またわたしのソフトクリームを舐めた環奈ちゃんが顔をわたしの耳に近づけた。甘い声と冷たい息がくすぐったい。
「梨々花先輩が悪いんですよ……? せっかく二人っきりなのにバレーとかみんなとか……どうでもいいこと言って……」
どうでもいいわけがない。今はバレー合宿中で、周りは凄い選手だらけ。バレーをする上でこんないい環境はないはずだ。
「環奈ちゃんは……バレーが好きなんだよね……?」
「はい……。でも、今はバレーなんかどうでもいい。今のあたしにはもっと大事なものがあるから……」
わたしと環奈ちゃんのソフトクリームが重なり、手からこぼれ落ちる。それに気を取られるわたしの背中に手を回し、一層顔を近づけて環奈ちゃんは言う。
「あたしをそうさせたのは梨々花先輩なんですよ……? 責任、とってくださいね……?」
わたしは環奈ちゃんのために。
環奈ちゃんはわたしのために。
バレーをやると決めた。
あれから何カ月経っただろうか。
わたしと環奈ちゃんの手が歪に繋がってから、どれだけの月日が過ぎただろうか。
正確には覚えていない。でもまだ三カ月経っていない。あれはインハイ予選が終わった六月上旬のことで、今は八月下旬。まだ全然時間が経っていない。
それなのに、環奈ちゃんはわたしのことをこんなに求めている。こんなに捧げようとしている。
――やっぱり。気持ち悪い。
「……環奈ちゃん、バレーに興味ないならさ、」
『わたしに、リベロを譲って』。
その言葉は、ギリギリのところでなんとか踏みとどまってくれた。
なぜそう思ったのか自分でもわからない。
わたしはバレーに興味がなかった。それは環奈ちゃんと出遭う前からそうだった。
わたしがバレーをやる理由は絵里先輩にトスを上げるためだった。中一から三カ月前までずっとそれだけのためにバレーを続けてきた。
じゃあ、その前は?
わたしがバレーを始めた小三から小学校を卒業するまでの四年間。
わたしはなんでバレーをやってたんだ?
決まっている。バレーが楽しかったからだ。
当時はまだ身長も低くなかったし、セッターとして活躍できていて楽しかった。
そして今。
今わたしは、なにを思って、ここにいる……?
「梨々花先輩……?」
環奈ちゃんの瞳が見える。わたししか見えていない。
環奈ちゃんの瞳からはわたしはどう見えているのだろうか。
ちゃんと、環奈ちゃんだけ見ているだろうか。
「わたしは……」
手に力が入った。痛いはずの左手にも。
そしてわたしは、
「お楽しみのところ申し訳ありません」
突如部屋を訪れたメイド、九寺さんによって動きを止められた。
「ご主人さまから言付けを預かっております。水空さま、『ちゃんとしたごはんを食べること。今すぐ食堂に戻りなさい』、だそうです」
「ぇ……は……え……?」
わたしを押し倒していた環奈ちゃんが言葉にならない言葉を漏らしている。たぶん最高に盛り上がった脳が急激に冷めてショートしてるんだ。
「もう一度お伝えしますか?」
「ぇ……? ぁ、だ、大丈夫……ごめんなさい、転んじゃいました……」
そして九寺さん向けのわざとらしい言い訳をし、わたしを起こした。
「それじゃあ、また……あとで来ますね」
床に落ちてしまったソフトクリームに目もくれず、そそくさと部屋から出て行く環奈ちゃん。
「ありがとうございます……」
なぜか最初に飛び出た言葉は感謝だった。とりあえずバッグからタオルを取り出し、ソフトクリームを拾い上げて跡を拭きとる。
「それともう一つ。小野塚さまへの言付けも預かっております」
そんなわたしを見下ろしながら、あくまで無表情で九寺さんはこう言った。
「『私はリベロにあなたを指名するつもりよ、小野塚梨々花』」




